株式会社ティーケーピー 代表取締役社長 河野貴輝
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APAグループ代表 元谷外志雄
1972年生まれ、大分県出身。1996年に慶應義塾大学商学部卒業後、伊藤忠商事株式会社為替証券部を経て、日本オンライン証券株式会社(現・カブドットコム証券株式会社)設立に参画する。イーバンク銀行株式会社(現楽天銀行株式会社)執行役員営業本部長等を歴任。2005年8月株式会社ティーケーピーを設立、代表取締役社長就任、現在にいたる。2017年3月に、東京証券取引所マザーズ市場へ上場。2018年6月には起業家のための表彰制度「EY World Entrepreneur Of The Year 2018」に日本代表として出場。
土地は購入すべき
元谷 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。河野さんが社長を務める株式会社ティーケーピーは、全国で約二千室の貸会議室事業を展開していますが、開業予定を含めると十棟二千二室のアパホテルを運営するアパホテル最大のフランチャイジーでもあります。このビッグトークにも当然登場されていると思っていたのですが、まだだと知り、急ぎ設定しました。
河野 今日はよろしくお願いいたします。
元谷 最初に河野さんにお会いしたのは今から八年前の二〇一〇年十月、日本経済新聞に掲載する十五段の全面広告のために、河野さんがホテル社長と対談した時でした。
河野 はい、そうです。ホテル社長のお話は衝撃的でした。その影響を受けて、それまでティーケーピーは「持たざる経営」を志していたのですが、「持つ経営」をプラスし、持続的な競争優位の確立を目指すようになりました。そもそも私共の会社とアパホテルとのご縁は、アパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉地下一階の部屋を弊社が借用、会議室として運用し、その利益をアパホテルと折半する契約を交わした事からです。近くで見ていてアパホテルは凄いと感じたのは、宴会や飲食ではなく、宿泊メインで利益を出していること。また、最初は節税のために始めたとお聞きしていたホテル事業が、みるみる内に拡大していく様子を目の当たりにすることもできました。
元谷 河野さんと知り合った二〇一〇年の四月から、アパグループは「SUMMIT5(頂上戦略)」ということで、中央・港・千代田の都心三区でホテル用地を買収してホテル客室数ナンバーワンを獲得し、マンションでもナンバーワンを獲得することを目標に事業を展開することを決定、土地をどんどん仕込んでいました。金利が安い時には「持つ経営」で土地は購入です。借りて払う地代よりも金利の方が安いですから。また建物は償却しますから、含み資産がどんどん膨らんでいくのです。
河野 最初都心を攻めるとお聞きした時は、信じられなかったですね。そもそも当時は、銀行からの資金調達が非常に困難でした。特にホテル建設には貸さないと聞いていました。
元谷 二〇〇八年のリーマン・ショックの後でしたから、ホテルにせよマンションにせよ、新しい計画に融資がつかず、逆にそれまで貸していた資金の返済を迫られる始末で、新興デベロッパー全滅と言われる状況でした。アパグループは運が良かったと言うべきなのか、二〇〇七年に京都のアパホテルで耐震強度不足の問題が起こりました。私達は設計事務所に依頼して作成した設計と構造計算で建築確認を取り、ゼネコンに発注して建築させただけなのに、マスメディアからはすっかり加害者扱いをされました。これを金融機関が憂慮し、融資した資金の返済を求めてきたのです。当時はファンドバブル絶頂期でしたから、安く仕入れたホテル用地がかなり高額になっていました。そこで建築を予定していた用地を全て売却して、約三百八十億円の借入金を全額返済しました。
河野 本当に貸し剥がしだったのですね。
元谷 でもリーマン・ショックの一年以上前ですから、高値で売り抜くことができました。さらにマンション建築の運転資金まで先に返済したので、マンションが売れると、どんどんお金が溜まってきて、キャッシュが潤沢になってきました。これを今度はどうするか?リーマン・ショック後、東京の土地がどんどんと安くなっていきました。土地は一番下がった場所が、その後一番高値を付けます。だから地価がいちばん下がった都心に集中して投資・開発を行なう頂上戦略を実施したのです。これが大成功を収め、今や都心でのアパホテルは建築・設計中を含め七十棟にまで拡大しました。
河野 物事が全てアパグループに良いように流れていますね。私がティーケーピーを設立したのが二〇〇五年で、当初は新興デベロッパー何社かに株主になっていただいていました。
全国にホテル網を構築
元谷 アパグループを創業から振り返ってみると、三つの大きな経済変動を生き残ってきた感があります。一九七一年の創業直後に勃発したのが、一九七三年のオイルショックでした。この時のメインの事業は注文住宅で、まず金額を決めて建築を請け負い、工事を完成させて納品を経て支払いを受けるという流れです。ところがオイルショックによる急激なインフレで建築資材が高騰、最初に決めた金額で工事を完成させると赤字確実という物件が続出しました。契約書にはインフレスライド条項があり、一定以上建築資材価格などが上昇した場合には、施主に値上げを要請できるようになっていました。同業他社はこぞって値上げをする中、私は一旦決めた価格が守れないのは信義にもとると考え、値上げをしないという方針を打ち出しました。企業が最初に目指すべきは、信用の獲得だと考えていたのです。信用が得られれば資金も調達できるようになり、さらに信用の格付けが上がるのです。実際値上げをしない方針を貫いたところ、その後にどっと仕事が舞い込むようになりました。
河野 正に損して得取れの精神ですね。
元谷 次がバブルの崩壊です。バブル期には株も土地も連動して上昇していました。その頃私は頻繁に渡米して、アメリカ人の友人とロサンゼルスでの不動産投資の可能性について検討していました。その友人が、それぞれが一〇%ずつ、合計二〇%の頭金としてのプロジェクト資金を出せば、残り八〇%は不遡及型ローン、つまり事業が失敗した場合も頭金の損失だけで返済が不要の資金を金融機関が貸してくれる「ノンリコースローン」という仕組みがあることを教えてくれました。二〇%の資金でプロジェクト全体の利益が確保できるのですから、利回りが非常に良いのです。また世界の土地価格の査定は、収益還元法によることもそこで学びました。そこで当時の日本の土地価格を検証してみると、収益還元法で計算した価格の四~五倍になっているのです。土地からの収益よりも金利の方が高く、保有していても売らない限り絶対に黒字にならない状態です。これはおかしいでしょう。私はいずれ日本の地価も収益還元法の価格に収斂すると考えました。そんな時、一九八七年十月のブラックマンデーで株式の大暴落が起こったのです。これを境に、アパグループは土地を一切買わずに保有していた不動産をどんどんと売却しました。八八年、八九年はまだバブルが続いていましたが、九〇年に地価が暴落します。
河野 最も高い時に売り抜けたということですね。
元谷 そうです。だから大きな利益がでました。しかし当時の法人税率は六五%。今後税率が下がることを見越して、私はこの利益を未来に先送りしようと考えました。そこでチェース・マンハッタン銀行が提案してきたノンリコースローンを使ったレバレッジドリースの航空機購入を行ったのです。これは航空機代金の一部を頭金として出資することで、会計上航空機全体に対する減価償却を行うことができるというものです。最初の六年は減価償却で大赤字になりますが、それを資産の売却益と損益通算、次の六年には今度は特別利益としてお金が戻ってくるのです。
河野 なるほど。
元谷 そして戻ってきた利益を再度償却するために、すでにスタートしていたアパホテル事業を、さらに大規模に展開することにしたのです。ホテルの場合、ベッドやテレビなど部屋の備品や開業資金は全て初年度に一括償却が可能ですから、次々と建設すれば、特別利益と上手く損益通算することができたのです。またアパグループは他の中堅デベロッパーが行っていなかったSPC(特定目的会社)を使った不動産証券化による資金調達にも乗り出しました。二〇〇五年にオープンしたアパホテル〈横浜関内〉が、このホテル開発型証券化スキームを採用、ノンリコースローンで造った日本で最初のホテルです。その後もこのスキームを使って二百億円規模のプロジェクトを次々に行いました。これがなければ、アパグループは今のような規模にはなれなかったでしょう。
河野 それも、代表が先にアメリカでノンリコースローンなど、様々な先進の資金調達形態を学んでいたから可能だったのでしょう。
元谷 その通りです。ただその後は世の中に証券化が溢れるようになり、ファンドバブルとなりました。そして第三の経済変動であるサブプライムローンの破綻をきっかけにリーマン・ショックが勃発。都心の地価は大幅に下落しました。それで都心進出に大成功したのです。都心集中のドミナント戦略にはいろいろメリットがあります。いくつかのアパホテルが集中して立っていますから、いざという時はホテル同士で応援派遣をし合ったり、オーバーブッキングのお客様も回しあったりすることが可能です。オーバーブッキングを恐れずに予約を受けることができますから、稼働率も高くなります。今アパホテルの売上は半分が東京から。東京のホテル一部屋分の利益は、地方の四部屋分ですからね。
河野 東京の高収益があるからこその、地方やフランチャイズでの展開なのですね。
元谷 そうです。アパホテルのアパカードの累積会員数は約一千五百万人になるのですが、この皆さんがどこに出張に行ってもポイントの付くホテルがあるようにしたいと考えています。まず東京都心や地方の主要都市には所有しているホテルが、少し離れたところにはフランチャイズホテルが、さらに離れたところにはパートナーホテルが…と全国津々浦々にホテル網を張り巡らせています。ただ一番儲かるのは、東京都心の新築ホテルなのです。
河野 購入する土地は代表が必ず見るとか。
元谷 そうです。現地に行って、百億円までの物件なら即決ですね。考えるポイントは、まず駅から何分か。そして何部屋作れるか。そこから一部屋当たりの土地代・建設費がいくらか。稼働率と客室単価を掛け合わせたものがいくらになるかを即座に考えて、決断します。
知識を、知恵に変えて
育てていくこと
河野 代表の経営手腕の実績を聞くと、全てに感心します。凄い情報収集力と知恵だなと。
元谷 「発想は移動距離に比例する」は私の座右の銘の一つです。アメリカだけではなく、これまで八十二カ国を訪れていますから。子供の頃から新聞が趣味で、その後も活字で様々な「知識」を吸収しましたが、それを経験と見聞で検証して「知恵」に昇華させてきたのです。知恵はすぐに使えますが、知識は思い出しながらでないと使えません。日本のエリートは知識偏重で、毎日、新聞で得た情報を人に繰り返し話すだけ。知識がデジタルで切れているのです。
河野 それはわかる気がします。
元谷 私はそうではなく、思想の大樹を身体に持っていて、これまで吸収した知識・知恵が幹や枝のどの部分にあるかを把握しています。今日のニュースをどの枝の先の葉として付ければいいかもわかっている。全ての知識・知恵・情報が繋がっているのです。だから十年前にエッセイで書いたことも、今書いたことも変わりません。これらの知恵の一部を「アパ的座右の銘」としてApple Townに毎月掲載しています。かつての駐日バーレーン大使がこの座右の銘のファンで、これを帰国したときに国王に見せたところ、毎月こんな言葉を書く人は哲学者である。是非お招きしなさい、と言われました。そこで、国賓としてバーレーンに招いてくれました。
河野 素晴らしいことですね。
元谷 ティーケーピーの「空間再生流通」事業も凄いですよ。アパホテルは宿泊で高収益化を達成していますが、宴会部門は非常に弱い。その弱い宴会場を借り上げて、シェアすることで収益化しています。アパホテルもそうですが、成功のためにはナンバーワンにならないと。アパホテルは日本最高層のホテル、最大級のホテルを持ち、収益力も世界一です。
河野 ティーケーピーも自分達自身ナンバーワンを目指しますし、提携先もナンバーワンを選ばなければと考えています。ナンバーワン宿泊施設と組むことで、単なる会議室が人気の研修施設に変わるなど、相乗効果が期待できるからです。
元谷 ウィンウィンの関係が築けるということです。
河野 しかし今期のアパグループの売上見込が約一千二百億円、利益が三百六十億円というのは凄まじい。利益だけで弊社の売上以上です。
元谷 ティーケーピーにはこれからまだまだ伸びしろがあります。アパグループは四十八年目で、やっとここまで来たのですから。
河野 弊社も十三年経っていますから…。
元谷 まだ四分の一。ティーケーピーはアパを遥かに超える企業になる可能性がありますよ。ホテルや企業の遊休スペースを会議室として活用するなど、ニッチを非常に上手く掴んだ事業だと思います。また河野さんは日本代表として、先日モナコに行ってきたとか。
河野 「EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」の日本代表になりまして、この六月にモナコでの世界大会に参加してきました。残念ながら世界大会での優勝は逃しましたが(笑)。
元谷 あちこちのビルにあるティーケーピーの看板は目立ちますね。
河野 今のロゴマークは、ネスレのマークも手掛けたインターブランド社に依頼したのです。
元谷 アパのロゴマークはランドー社に依頼しました。また最近、ジェイ・ウォルター・トンプソン社に依頼して、アパホテルの公式サイトを新しい技術に対応したものにリニューアル、九月一日にオープンしました。技術革新のスピードは物凄いです。油断をすると追い抜かれるので、常にどんな技術が登場したのかをチェックして、アパホテルにどう導入すればいいのかを考えています。一九八四年にオープンしたアパホテルの第一号店にも自動チェックイン機を導入したのですが、まだ時代的に早すぎて失敗しました。今年の六月に旅館業法が改正されたこともあり、自動チェックイン機がかなり有効に活用できるようになりました。
河野 私も仙台で最新のチェックイン機を使いました。
元谷 今後はキャッシュレス時代に対応して、よりコンパクトなクレジットカード専用の自動チェックイン機を導入する予定です。またチェックアウトの時にカードキーをボックスに入れると、自動で空いた部屋を読み取って、清掃に指示を出すシステムなども検討中です。アパホテルは常に進化、新しいホテルほど最新の設備が導入されていて、利用者の利便性が増しています。
冒険心で人生を楽しめ
元谷 机上での経営と実践で培われた経営は全く異なります。例えば、東大法学部から官僚になり、その後起業した人の商売は「武士の商法」になりがち。経営には理論的には正しいが、上手くいかないことが山のようにあります。
日本の学校での勉強は、単に記憶力しか試されません。先程お話したデジタルな知識ですね。常に知識を上書きです。自分では勉強も仕事もできると思っているかもしれませんが、それでは「知恵」がありません。アナログに繋がった知恵の体系を構築することが大事なのです。例えばアメリカでは教育の中にディベートが取り入れられています。これはあるトピックスに関して、賛成か反対かに分かれて、エビデンスを基に議論を行うもの。賛成か反対かはくじ引きで決めるので、どちら側からも意見が言えるように準備する必要があり、これは記憶だけでは行えません。日本の教育システムにもこういった暗記以外の要素を増やすべきです。
河野 非連続=デジタルの時代だと言われていますが、それは少し浮足立っているのですね。
元谷 過去を知り今を知るから未来が読めるのです。もっとアナログ思考を重視すべきです。私はこれができているから、オバマ前大統領の広島訪問や、トランプ大統領の就任、日本の観光大国化など多くの予測を的中させているのです。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。
河野 日本人は他のアジアの人々に比べ、縮こまっている人が多いなという印象があります。ハングリー精神が少ない。中国人はもっと積極的ですよ。これがないと成長できません。日本が中途半端にお金持ちになってしまったからでしょうか。ただハングリー精神がない人にこれを言ってもあまり響かないので、どうしたものかと。
元谷 私は夢が小さいと。小さい夢を持っていても面白くありません。大きな夢を持てと言っています。私の小学校の卒業文集の将来何になりたいかとの言葉に、世界連邦大統領、と書いたのですからね(笑)。
河野 それは大きいですね。とにかく冒険して、人生の荒波を存分に楽しんで欲しいです。
元谷 一度限りの人生ですから。今日はありがとうございました。
河野 大変勉強になりました。ありがとうございました。
対談日 2018年9月11日