ウズベキスタン 国家観光発展委員会議長 アジズ・アブドゥハキーモフ
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APAグループ代表 元谷外志雄
1974年タシケント出身 タシケント国立経済大学、一橋大学卒
2010-2012年 – ウズベキスタン共和国国有財産管理委員会委員長
2012-2014年 – ウズベキスタン共和国民営化・移管・競争発展委員会委員長
2014年-2017年ウズベキスタン共和国労働大臣
2017年-2018年ウズベキスタン共和国国家観光発展委員会委員長
2018年5月28日よりウズベキスタン共和国副首相
旭日単光章を受勲
アブドゥハキーモフ ようこそウズベキスタンへ。今回代表が百人近い方々を連れて訪問されたこと、ウズベキスタン政府も歓迎しております。
元谷 ありがとうございます。
アブドゥハキーモフ 日本にあるウズベキスタン大使館とアパグループとの関係が非常に良好だと聞き、嬉しく思っています。今回の訪問で、たっぷりとウズベキスタンの良さを味わっていただけることを願っております。
元谷 今回の私達の旅は戦跡を訪ねる旅です。最初はソ連によってシベリアに抑留された日本人捕虜の中でも、その後ウズベキスタンに移された捕虜は、地元の皆さんから大変手厚く遇されたとお聞きしています。日本人捕虜としてウズベキスタンに連れてこられた日本国民がタシケントに建設したナヴォイ劇場は、七万八千棟もの家屋が倒壊した一九六六年の地震にも耐え、それもあってウズベキスタンの人々は日本人を高く評価してくれています。またウズベキスタンで不幸にして亡くなった日本人捕虜の墓地が国内に点在しているのですが、ソ連政府が一つにまとめようとしたのをウズベク人が阻止したこともお聞きしました。今回の旅はそれらのことに対するお礼という意味もあるのです。昨日ここタシケントに到着し、今日は四グループに分かれて、こちらを訪問したり、タシケントの観光に行ったりしています。明日は高速列車でサマルカンドに向かい、レギスタン広場やビビハニム・モスクなどを見学、一泊してまたタシケントに戻ってきて、日本人墓地やナヴォイ劇場に全員で訪問する予定となっています。
アブドゥハキーモフ 素晴らしい行程だと思います。
元谷 このウズベキスタン旅行の参加者を、アパグループと取引のある企業の経営者の皆さんから募ったところ、非常に多くの応募がありました。ナヴォイ劇場のエピソードが広まってきたこともあって、今日本でウズベキスタンへの好感度は、非常に高まっています。この機会に、親日国・ウズベキスタンというイメージをさらに前面に打ち出せば、もっと多くの日本人がこの国を訪れるのではないでしょうか。
アブドゥハキーモフ 仰る通りだと思います。例えば日本人墓地はタシケントの他に、近くのチルチクという街にもあります。この街には「ウズベキスタンのスイス」と呼ばれるスキー場があります。日本人墓地のある街を紹介することで、もっと様々なウズベキスタンの側面をアピールできるのではないかとも考えています。
元谷 そうですね。長年日本人墓地を守ってきたということと、それに合わせてウズベキスタンの特徴を強調するのは、良い試みだと思います。
アブドゥハキーモフ 昨年、日本政府によって、長年タシケントのヤッカサライにある日本人墓地を清掃・管理してきたミラキル・ファジーロフ氏が、旭日単光章の叙勲を受けました。こういうことがもっと知られるようになればいいですね。
ビザなし入国を可能に
元谷 叙勲を行うことでわかるように、日本はウズベキスタンを高く評価しています。一方日本は近隣諸国から、根も葉もないことで貶められているのです。南京大虐殺で民間人が三十万人殺されたというのは、全くの虚構です。もちろん戦争ですから敵兵は殺しますが、規律正しい日本軍が民間人を殺す訳がない。ましてや南京入城後には殺す理由がないでしょう。蒋介石統治下の南京では漢奸刈りと称して、親日派が毎日のように処刑されていました。この犠牲者が日本軍の犠牲者とされているのではないでしょうか。また蒋介石など幹部が飛行機で逃げる時に、兵隊達は南京に残されました。督戦隊によって退路を絶たれた中国兵は、捕虜になるしかなかった。しかし日本軍も南京安全区の住民に十分な食糧支援も難しく、食料調達に困る状況でしたから、捕虜を食べさせることができなく、捕虜を釈放すれば、彼らが略奪行為を行うと、南京市民から恐れられていた。そこで止むなく、捕虜を処刑したのでしょう。それでも中国側が主張するような、三十万人という大変な人数ではありません。また、韓国が主張する従軍慰安婦二十万人強制連行も根拠がありません。そんな中、ウズベキスタンのナヴォイ劇場の話は一服の清涼剤でした。ソ連に抑留されていた日本人をウズベク人がいかに守ってくれたかがもっと広まれば、さらに日本人がウズベキスタンを訪れるようになるでしょう。
アブドゥハキーモフ 仰る通りだと思います。
元谷 あと行き方のアピールですね。今回の旅行も最初は大韓航空の仁川国際空港経由でと考えていたのですが、ウズベキスタン航空の成田〜タシケント直行便があることを後で知って変更しました。この路線を知らない人も多いでしょう。
アブドゥハキーモフ それも、これからの課題とします。今ウズベキスタンは観光に力を入れようとしていて、今年から外国人のビザなし入国が可能になりました。
元谷 それは非常に良い施策だと思います。煩雑なものは簡易にすべき。特にソ連時代のやり方は、全て簡単にするべきだと思います。私はこれまで世界八十一カ国を訪れてきました。ソ連にも行きましたが、モスクワ空港で写真を撮った人がいきなりカメラを取り上げられてフィルムを抜かれるところを目撃しました。当時の対応は日本人なら全員が不愉快になるものでした。こんな国はいつか崩壊するぞと思っていたら、その通りになりました(笑)。基本、人間は自由なものを求めますから、共産主義政権はいつまでも持たないのです。シルクロードの遺跡だけではなく、スキー場など自然が素材の観光資源も豊富なウズベキスタンは、今後増々訪問する観光客が増えるでしょう。
アパのビジネスチャンス
アブドゥハキーモフ 私達も観光事業の発展を期待していますし、実際ビザなしにしてから観光客が増加して、ホテル不足が問題となっています。ハイシーズンもローシーズンもホテルが満室で、料金も上昇しています。昨年の観光シーズンでは中級の三つ星ホテルで一部屋三五〜四〇ドルが相場だったのですが、今年は一〇〇ドル以上になっています。
元谷 日本も訪日外国人観光客の急増に伴ってホテル不足が続き、料金が高い時期がありましたが、二〇二〇年の東京オリンピックを当て込んだホテルのオープンが続き、大分料金は安定してきました。しかし東京オリンピックが終われば、オーバーホテルということで、ホテルが余ることになるでしょう。アパにとってはその時がチャンスです。最近オープンしているアパホテルは、まだ安かった時に仕込んだ土地に建設していますし、首都圏の既存ホテルの大半が土地も建設費も安い時に造ったものです。そのため、ホテル事業単体で三〇%強という高い利益率が確保できています。今、土地はかつての三〜四倍、建設費が二倍となっていますから、ここ数年で土地を仕込んで建設したホテルは、高コストになっています。オーバーホテルで稼働率が厳しくなれば、金融機関は早晩売却をオーナーに求めるでしょう。それをアパが買うのです。
アブドゥハキーモフ 素晴らしい事業戦略だと思います。
元谷 私は事業を始めて四十八年になります。この間ずっと赤字もなくリストラもせず、今期の連結決算では三百五十億円の利益が出ました。利益率は三〇%を越え、これはホテル業界では世界最大のものです。アパホテルネットワークのホテル数が四百四十九棟、客室数が七万五千室以上で、アパホテルは日本最大のホテルチェーンとなりました。日本最高層のホテルも、日本最大級のホテルもアパホテルです。高い利益率の理由は、既存ホテルの伝統に左右されず、独自のスタンダードを築いたことです。通常ホテルは所有、運営、ブランドを、それぞれ別法人が受け持っています。しかしアパホテルはほとんどのホテルを所有し運営を行い、同一ブランドで売っています。だから利益率が高くなるのです。
アブドゥハキーモフ そうお聞きすると、納得ができます。代表は最初からホテルで起業をされたのですか。
元谷 私は元々戸建ての注文住宅から事業をスタートしました。独立前に信用金庫に勤めていたことも活用して画期的な住宅ローン制度を作り、十万円で家が建つと宣伝して注文を集めていったのです。さらなる効率を求めて次は建売住宅に。節税のため賃貸マンションも運用していたのですが、次はさらに効率の良い分譲マンションを始めました。そして分譲ですと売却した時に一気に利益がでるのですが、それと償却資産を持ち、その減価償却と損益通算して節税を行うためにホテル事業を始めたのです。
アブドゥハキーモフ ホテルの建設も自前で行うのでしょうか。
元谷 昔は建設会社もグループ内に持っていましたが、そこで建てるには限度があります。最近のホテルは全てゼネコンと呼ばれる大手の建設会社に依頼しています。アパホテルの中にも儲かるホテルとそうではないホテルがあります。十二あるタワーホテルはあまり儲かりません。国会議事堂前の一等地に建設しているアパホテル〈国会議事堂前駅前〉もあまり儲かりません。これらのホテルはアパのブランドを高めるために保有しているもので、本当に儲かるのは都心にある多数のもっと小規模なホテルです。二〇一〇年から実施した東京でのホテルナンバーワンを目指す「頂上戦略」で、東京に六つしかなかったアパホテルが、七年間で建築・設計中を含めて六十九棟になりました。それら東京のオープン済みのホテルの稼働率は月間一〇〇%です。京都のアパホテルの稼働率も月間一〇〇%ですね。また全国平均でも稼働率は八八・五%。これは一千五百万人いるアパホテル会員の存在が大きいです。
アブドゥハキーモフ 素晴らしい業績です。私が東京にいた時、アパホテルの看板は見たことがありますが、実際宿泊したことはありませんでした。今回ウェブサイトで全国のアパホテルの情報を拝見しましたが、どこも快適そうでした。今度日本に行く時は、ぜひ泊まってみたいと思います。
元谷 お待ちしております。
機能的なホテルが必要
アブドゥハキーモフ ウズベキスタン政府はホテル不足解消のため、優遇措置による海外からのホテル進出を促進する施策を打ち出しています。まず政府が希望する場所の土地を用意します。また一千万ドル以上の投資を行う場合には、金額によって数年間免税措置が受けられます。もちろんホテル建設に際しての様々な許可も優先して行います。さらにショッピングモールやレストランなど、ホテル以外の観光客向けのインフラ建設に関しても、同様に政府が優遇します。こういった政策を打ち出して、今世界から投資やノウハウを集めようとしているところです。最近も隣国のタジキスタンの投資家が、タシケント、サマルカンド、ブハラなどに四つのホテルを建設する計画を進めています。代表、アパホテルの今後の海外戦略を教えていただけますか。
元谷 既に、アメリカとカナダに三十九のアパホテルネットワークがあります。基本、海外展開はフランチャイズでと考えていますが、二〇二〇年の東京オリンピック終了まではまず国内の拡充に注力、さらに海外進出を行うならその後という方針です。またアパホテルに最もよく宿泊する外国人は台湾人で、次は韓国人です。かつては中国人が最も多かったのですが、昨年一月に勃発したアパホテルに置かれた私の著書を巡る騒動の結果、全く中国からは来なくなりました。最近ですとタイ、シンガポールに、ヨーロッパや北米からのお客様が増えています。これらの国では実際に日本でアパホテルに宿泊した人々がいますから、知名度を考えると進出しやすいでしょう。まずこれら東アジア、東南アジアの国々への進出を検討することになると思います。
アブドゥハキーモフ その後でも結構ですので、ぜひウズベキスタンへの進出もご検討ください。今ウズベキスタン政府の下、三つの大きなホテルの売却が進められようとしています。タシケントのインターコンチネンタルホテルとウズベキスタンホテル、もう一つはサマルカンドのホテルです。いずれも大型高級ホテルなのですが、運営が上手くいっていません。海外のホテル経営ノウハウがしっかりしたところに、運営を任せたいと考えているのですが…。
元谷 そのような大型高級ホテルも大切なのですが、実際に観光で訪れるボリュームゾーンは富裕層ではなく、一般の人々のはずです。そうなった暁には、アパホテルのような、部屋はコンパクトですがベッドは大きく、機能的で価格がリーズナブルなホテルが求められることになります。こういうホテルをたくさん作れば、きちんと利益が出ると思います。
アブドゥハキーモフ 一つのホテルの建設にはどれくらい時間が掛かるものでしょうか。
元谷 十五階ぐらいまでのホテルであれば、土地を購入して設計、建設まで二年でオープンできると思います。
アブドゥハキーモフ いろいろと勉強になりました。ありがとうございます。この後サマルカンドへ行かれたり、タシケントをもっとご覧になったりと、ウズベキスタンをいろいろと理解していただけると思います。これからも情報交換をさせていただいて、日本とウズベキスタンの発展のためになるよう、関係を深めていければと考えております。
元谷 私も同感です。よろしくお願いします。本日はありがとうございました。
対談日 2018年5月26日
❶サマルカンド シャーヒ・ズィンダ廟群
❷世界遺産にも登録されているブハラ市
❸イスラム復興の中心であるウズベキスタン
❹世界遺産にも登録されているヒヴァ 民族衣装を身に着けたウズベク人女性
【ウズベキスタン共和国】
1991年独立 人口3200万人 国土面積447,400㎢。人口の約80%はウズベク人、その他ロシア人、カザフ人、タジク人などが居住している。8000以上の遺跡を有する古の歴史国家である。50を超える大学が存在するなど教育水準も高い。日本からは直行便で8時間30分。