ウズベキスタン共和国大使館 特命全権大使 ガイラト・ファジロフ
×
APAグループ代表 元谷外志雄
1974年生まれ。1996年世界経済外交大学卒業、同年ウズベキスタン共和国外務省に入省。NATO担当参事官、在ベルギー大使館1等書記官・参事官・臨時代理大使、ウズベキスタン共和国外務副大臣などを歴任。2017年12月より現職。
旧日本兵墓地を
丁重に守り、保存している
元谷 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。毎号各国大使館の駐日大使をはじめ、政治家や実業家など、様々な方と対談をさせていただいております。大使だけでもすでに四十〜五十カ国になります。
ファジロフ 実は午前中、天皇陛下に信任状を捧呈してきたばかりで、代表がその後最初にお会いする方になりました。
元谷 今日が信任状捧呈式でしたか。東京駅からは儀装馬車で皇居まで行かれたのでしょうか。
ファジロフ はい、そうです。
元谷 ほとんどの大使がやはり馬車を選択されるようですね。そんな日にお会いできて、私も光栄です。
ファジロフ 日本に駐在する各国の大使にとって、このように対談がメディアに掲載される機会は大変ありがたいものです。今日はよろしくお願いいたします。
元谷 よろしくお願いいたします。まずウズベキスタンの基本的な情報を教えていただけますか。
ファジロフ ウズベキスタンは中央アジアにある国で、北と西をカザフスタン、東をキルギス、タジキスタン、南をトルクメニスタン、アフガニスタンと面しています。国土は日本の1・2倍、人口は約三千二百万人、首都はタシケントです。民族は八割以上がウズベク人で公用語はウズベク語ですが、ロシア語も広く使われています。宗教はほとんどの人がイスラム教スンニ派です。一九九一年にソ連から独立してウズベキスタン共和国となりました。
元谷 アパグループの社員と弊社と取引のある企業の有志で、毎年二回海外での研修旅行を行っています。今年最初の旅行ですが、ウズベキスタンに行くことにしました。これまで世界八十一カ国を巡っている私をはじめ、総勢九十名の参加者全員がウズベキスタンは初めてです。募集してみると人気で、当初の予想人数を大きく超えました。前回はハワイの真珠湾を訪れたのですが、この研修旅行では先の大戦の戦跡や日本に縁のある場所を中心に訪問しています。ハワイの他にも、これまでグアムやベトナムにも行きました。今回はウズベキスタンのタシケントに行って、シベリアで抑留されていた旧日本兵の一部が派遣されて建設したナヴォイ劇場を見たいと思い、旅行を計画したのです。シベリアで過酷な境遇にあった旧日本兵が、ウズベキスタンでは親切にもてなされ、そのお礼もあって一生懸命にナヴォイ劇場を造りました。一九六六年のタシケント地震で多くの建物が倒壊する中、ナヴォイ劇場は壊れることなく、多くの人々の避難場所に。市民らから良い建物を造ってもらったと、改めて称賛の声が上がったと聞いています。シベリア抑留にまつわる話には悲しいものが多いのですが、このナヴォイ劇場の逸話はその中では唯一と言ってよいほどの美談です。
ファジロフ ウズベキスタンを研修旅行先に選んでいただいて、ありがとうございます。大変素晴らしい選択だと思います。代表がウズベキスタンに関心がおありであることは、先日ワインの会に参加させていただいた大使館員からも聞いています。また日本全体で見ても、ウズベキスタンへの関心が高まっているように感じています。第二次世界大戦直後に、ソ連に抑留された旧日本兵がウズベキスタンにやってきました。当時、ソ連は旧日本兵を捕虜だと考えていたのですが、ウズベク人は彼らを抑留者だと思っていました。
元谷 そのような扱いをしてもらったことを、日本人として非常に感謝しています。
ファジロフ 各地に旧日本兵は分かれて抑留されていたのですが、それもあって、不幸にしてウズベキスタンで命を落とした約八百人の人々のお墓が、八カ所に点在しています。
元谷 ソ連が墓地を一カ所に集約せよと命じたのを、ウズベク人が反対して八カ所のままになったという話も聞いています。
ファジロフ はい、そうです。ソ連は大きな穴を一つ掘って、そこに旧日本兵の遺体を全員一緒に埋めようと思っていたのです。しかしウズベク人は様々な施設を建設した旧日本兵に尊敬の念を抱いていましたから、ソ連のそういった埋葬方法に反対しました。本来であればイスラム教徒の墓地には他の宗教の人の墓は作ってはいけないところ、例外的に旧日本兵の墓を整備して大切に管理したのです。これらの墓地の一つが、タシケントのヤッカサライにもあります。二〇一五年安倍首相がウズベキスタンを訪問した時に、昭恵夫人を伴ってこのヤッカサライにある日本人墓地を訪れています。今回はタシケントに行かれるのですから、ぜひこの日本人墓地にも行ってみてください。
元谷 はい、わかりました。
ファジロフ このようにウズベク人は日本人に尊敬の念を抱いてきました。このことがよくわかるエピソードがあります。ナヴォイ劇場には、日本人捕虜がこの建物を造ったと書かれた銘板がありました。一九九一年にウズベキスタンが独立した時の初代大統領・カリーモフは、捕虜という言葉を使うべきではないとして、この銘板を外すように命じました。ウズベキスタンという国が日本と戦争をしたことはないし、これからも一切争うようなことは起きないと考えて、大統領はそのような措置をとったのだと思います。
元谷 非常にありがたい配慮だと思います。
ウズベキスタンと日本
ファジロフ 日本との絆は抑留者だけではありません。歴史を振り返れば、日本とウズベキスタンはシルクロードで繋がっていました。シルクロードの東の端は奈良で、シルクロードの中心はウズベキスタンのサマルカンドです。当然この二つの都市の間での交流がありました。
元谷 サマルカンドは紀元前から栄えた都市ですよね。オアシスがあったのでしょうか。
ファジロフ その通りです。一昨年の二〇一六年に惜しくも亡くなられた人類学者の加藤九祚(きゅうぞう)先生は、数十年に亘ってウズベキスタンなど中央アジアの仏教遺跡の研究をされてきました。ウズベキスタンは太古から様々な文明が行き交う場所で、経済、文化、学術の発展の中心となってきました。紀元前一世紀から一世紀にウズベキスタンで非常に盛んになる仏教ですが、これがシルクロードを通じて中国に、そして六世紀には日本に伝来したことを加藤先生は発掘調査を通じて証明したのです。サマルカンドには歴史的な観光名所が沢山ありますから、代表も旅行の際には是非訪れてみてください。先人達が残した素晴らしい遺跡などを見ることができると思います。
元谷 はい、是非。ウズベキスタンという国の特色として歴史の他にも、鉱物資源が豊富だとか。
ファジロフ ウズベキスタンの土地からは、メンデレーエフの周期表にある元素全てが産出されます。とはいえ、どれもが豊富に出るわけではありません。一番の資源は天然ガスですが、大部分を国内で消費し、残りをロシアと中国に輸出しています。
元谷 石油も産出するのでしょうか。
ファジロフ 産出しますが天然ガス程の量がなく、これも国内で消費しています。あと金が豊富で生産量では世界第七位、保有量では世界第四位になっています。ウランの埋蔵量も世界トップ一〇に入りますし、他の希少金属も産出します。さらにまだ鉱物資源の調査が行われていない土地も多いのです。今日ウズベキスタンでは、シャフカット・ミルジヨーエフ大統領のリーダーシップの下で大規模かつ重大なビジネス改革が実施され、世界銀行グループによる最新の報告書「ビジネス環境の現状2018 : 雇用創出のための改革(Doing Business 2018 : Reforming to Create Jobs)」において、改善が見られた国として三度目の世界上位十カ国入りを果たしました。二〇一七~二〇二一年におけるウズベキスタン共和国の五つの優先開発分野についての実行戦略が、大統領のイニシアチブによって採択されました。これは、我が国における改革効率の抜本的な改善や、国家と社会の総合的かつ調和のとれた迅速な開発のための条件創出、そして全方位的な近代化と自由化といった目標のためのものです。
元谷 水力発電も行われているのでしょうか。
ファジロフ アムダリア川、シルダリア川の二つの大きな河川があり、そこで大小様々な規模の水力発電が行われています。水力発電のシェアは全体の約一割程度です。
元谷 さらにウズベキスタンの主力産業としてすぐに出てくるのは綿花栽培です。しかしソ連時代にこれを推奨したために、アラル海の水が急激に枯渇して、周辺の気候や環境にも大きな影響を与えたと聞いています。
ファジロフ アラル海は塩水の湖です。代表のご指摘のように、ソ連時代にウズベキスタンで灌漑が活発に行われ、綿花生産量が大幅に増加しました。その灌漑の水源はシルダリヤ川やアムダリア川だったのですが、作られた灌漑用水路は河床対策が行われておらず、水がどんどん砂漠に吸収されるなど、非常に効率の悪いものでした。それらの川の水が流れ込んでいたアラル海の水位が、一九六〇年代から急速に低下していったのです。仰るように湖が干上がることで周辺の気温の上下が激しくなり、大森林の木々が枯れ湖も含めて砂漠化が進行、砂嵐の頻発化などの被害が出ていました。独立直後からウズベキスタンはアラル海の枯渇問題に積極的に取り組んできました。まず最新の灌漑技術によって水の消費を減らすように。次に綿花の種類を変えて、水をあまり必要としないものにしました。さらに綿花栽培の規模を縮小し、他の作物への転換を図りました。
元谷 ウラル海にはアムダリア川、シルダリヤ川から水が流れ込む一方、外に流れ出す川がありません。流入する水の量が蒸発する量と同じであれば塩分は一定ですが、流入量が減って蒸発する方が多くなると塩分濃度はどんどん濃くなります。塩分濃度が高い湖と言えば、ヨルダンとイスラエルに跨る死海が有名です。私も二回訪れたことがあります。水に入ったのですが、事前に、水を飲んだら死ぬし、水が入ったら目が潰れると言われました。死海でもヨルダン川から取る灌漑用水によって水位が下がり、湖が二つに分かれてしまっていますが、アラル海も水位の減少で、大アラル海と小アラル海に分かれてしまっています。塩分濃度はどうなのでしょうか。
ファジロフ 代表の予想通り、水位の減少に従って、塩分濃度は上がっています。
そして今は自動車産業も!
元谷 産業に話を戻すと、主力産業は今でも綿花栽培と言っていいのでしょうか。
ファジロフ ソ連からの独立までは、確かに産業は綿花栽培一本でした。しかし一九九一年の独立後は積極的に経済の多角化に取り組んできました。まずソ連時代にはなかった繊維産業を発達させ、綿花栽培だけではなく繊維製品にまで加工することが可能になりました。現在では原料の綿花を他の国から輸入して生産するほどに発展しています。石油を原料とした加工品の生産も盛んです。一年半前に韓国企業との合弁で新しい石油加工製品の工場も完成しています。また自動車産業も独立後に非常に重視してきました。最初は韓国の大宇グループと組んでいましたが、大宇破綻後はゼネラル・モーターズと共同で自家用車の生産を行い、国内市場を押さえると同時に、ロシアにも輸出をしています。また中型や小型のバスは伊藤忠商事といすゞと共同で運営する工場が生産を、ドイツのマンと組んだ工場では大型のトラックを生産しています。
元谷 様々な種類の自動車を生産しているのですね。知りませんでした。
ファジロフ 産業の中で特に重視しているのは観光です。幸いなことに、サマルカンド、ブハラ、ヒワ、フェルガナ、シャフリサブス、テルメスなどかつて文化や学問が栄えた街に、数多くの世界遺産や歴史的な建造物があり、その数は七千にも達します。まずサマルカンドは「文化交差路」として街全体が世界遺産に登録されています。俗に「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる青い色のタイルが多用されたモスクや霊廟など、街並みだけでもう別世界。青色の建物三棟が立ち並ぶレギスタン広場は、かつてはシルクロードを進む隊商(キャラバン)が集った、政治・文化・商業の中心地でした。この広場から北へ一キロ歩くと、巨大な青いドームが迫力のビビハニム・モスクが現れます。中心部から少し外れた丘にあるシャーヒルズィンダ廟群は、青タイルで彩られた十一の廟が並びます。
元谷 行くのが非常に楽しみですね。
ファジロフ ブハラの街も旧市街の歴史地区が世界遺産に登録されています。九世紀末〜十世紀前半にかけて作られた、中央アジア最古のイスラム建築であるイスマイール・サーマーニ廟や紀元前四世紀から栄えていた場所にあるアルク城など、サマルカンドの青とは異なる土色の歴史的建造物が点在しています。同じく世界遺産に登録されているシャフリサブスの歴史地区には、十四〜十五世紀のティムール朝時代の建築物が多数残っています。
元谷 今回はそこまで巡ることはできませんが、いずれ行ってみたいと思います。
必ず好きになって再訪する
ファジロフ 日本の外務省が主催する対話の枠組みである「中央アジア+日本」対話の第二回ビジネス対話が、この三月に開催されました。テーマは「観光分野を含む中央アジアとのビジネスの現状とその可能性」。ウズベキスタン、カザフスタン、キルギズ、タジキスタン、トルクメニスタンの各代表者からの現状報告、質疑応答が行われました。私達も数多くの世界遺産などの歴史的な観光名所や、自然の中でスキーや水泳、ボートなどアクティビティーが楽しめるリゾートを紹介しました。日本人がもっと行ってみたいと思うディスティネーションになるべく、広報活動を続けていきたいと考えています。
元谷 このApple Townも毎月九万部を発行して全国のアパホテルに置いていますから、かなり多くの人々の目に触れます。この対談でウズベキスタンのことが少しでも知られるといいですね。
ファジロフ 素晴らしいことです。
元谷 ウズベキスタンを訪れた時に、もしお時間が合えば、大臣など政府の要職の方にお会いできればと考えているのですが。
ファジロフ ぜひ面談をアレンジさせていただきたい。特に観光大臣とは会っていただきたいですね。今の観光大臣は若手でアクティブ、日本への留学経験があり、日本語も堪能です。
元谷 それは是非お会いしたいですね。
ファジロフ 私はフランスに一回、ベルギーに二回赴任して、ヨーロッパもいろいろと巡りました。ヨーロッパでウズベキスタンに来たことがあるという人に話を聞くと、一度行くと好きにならずにはいられなくて、必ず再訪すると言うのです。代表は今回タシケントとサマルカンドに行くわけですが、絶対にウズベキスタンが好きになります。次はウズベキスタンの真珠と言われるヒワやブハラなど、異なる都市に行きたくなりますよ。
元谷 非常に期待しています。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
ファジロフ まず日本の若者は、世界第三位の経済大国となった今のこの日本の繁栄ぶりが、これまでの世代の弛まぬ努力の成果であることをしっかりと認識するべきです。さらに日本には世界に誇ることができる先端技術があります。これらの素晴らしい面を、ぜひ大事にしていって欲しい。それと同時に、イノベーションに前向きに取り組んで、さらに日本を大きく発展させていって欲しい。そのための勉強であり、努力であるはずです。頑張ってください。
元谷 今日は本当にありがとうございました。
ファジロフ ありがとうございました。
対談日 2018年4月5日