日本を語るワインの会157

ワイン156二〇一六年八月三十一日、恒例「日本を語るワインの会」が代表自邸にて開催されました。アラブの春による政変後に歩んだ民主化プロセスが二〇一五年のノーベル平和賞を受賞したチュニジア共和国の特命全権大使、カイス・ダラジ氏、自民党の総裁特別補佐、筆頭副幹事長など要職を務める若手のホープ、衆議院議員の西村康稔氏、財務官僚二十三年のキャリアを活かした政策通として知られる参議院議員の片山さつき氏、在チュニジアの特命全権大使を務めた日本チュニジア友好協会会長の小野安昭氏と小野和子夫人をお迎えし、世界情勢分析から経済問題まで、幅広いテーマで議論を交わしました。
官僚主導だった民主党政権
安倍政権は強烈な政治主導
 リオデジャネイロオリンピックでは日本選手は非常によく頑張った。特に陸上の男子四百メートルリレーの銀メダルには感動した。バトンの受け渡しの上手さに注目が集まっているが、走りも早かった。これで国民の東京オリンピックへの期待も高まったのではないか。研究によって筋肉を科学的に強化する方法が確立されてきている。欧米人に比べて筋力の弱い日本人は特に陸上や競泳に弱いと言われてきたが、この科学的な筋力トレーニングによって、例えば陸上の短距離競技でもメダルが狙えるようになる。二〇二〇年東京オリンピックでの日本の目標は「金メダル数三位」だ。今回のオリンピックでは日本の金メダル数は十二個で六位、三位の中国は二十六個を獲得していることを考えると、この目標は非常に高い。日本に有利な点を考えると、まずは地元開催であること、そして野球、ソフトボール、空手と日本が得意とする種目が加わることが挙げられる。さらに食事やトレーニングに日本らしく科学的な手法を駆使して、なんとかして目標をクリアして欲しい。
 日本選手がメダルを獲得した競技の表彰式で、特に民放の中継だが国旗掲揚と国歌演奏が途中で切られる場合が多かった。明らかに民放は偏向していて、放送法に準拠していない。これを見れば、高市早苗総務大臣の放送法に関する答弁は、極めて妥当だとしか言いようがない。限られた電波を割り当てられている以上、放送法を守って偏向のない放送を行うのは、放送局として当然のことだろう。
 かつては大手銀行には、MOF担と呼ばれる大蔵省担当がいたが、緊密な連携を保つために過剰な接待を行っていたことが一九九〇年代に発覚して、今ではすっかり無くなった。かつて官僚は、特に課長や課長補佐の時に、自分の思ったことを実現できるような面白い仕事ができた。しかし今は政治主導が徹底されていて、官僚は単なるメモ取りに成り下がっている。民主党政権は「政治主導」を言いながら、実は官僚の言いなりだった。なぜなら、何をどうすればいいのかが全くわからなかったからだ。しかし安倍政権は官僚の人事権までを掌握して、実際に物凄い政治主導を行っている。あのままの民主党政権が続いていれば日本はどうなったか。このタイミングで安倍首相が登場したことは、日本にとって幸運なことだった。

二階幹事長は正に巧手
党則改正で総裁任期延長を
 八月の自民党党人事で二階俊博氏を幹事長にしたのは、安倍政権を持続させるためには、素晴らしい巧手だった。これまで安倍首相と考えが異なると思われていた二階氏を取り込むことは、公明党対策にも中国対策にもなり、さらには七月の東京都知事選挙で当選した小池百合子氏との関係維持にもなる。二階幹事長は、本気で安倍政権を支えると派閥内でも明言している。第二次政権になってからの安倍首相は、好き嫌いで人を登用していない。安倍首相と菅義偉官房長官もウマが合わないと思うのだが、巧みな連携で政権を維持している。安倍首相は第一次政権の維持に失敗したことの教訓をしっかりと活かしている。あの時は「戦後レジームからの脱却」を前面に掲げたのだが、これがアメリカの虎の尾を踏むことになった。その結果、二〇〇七年のシドニーでブッシュ大統領に相当厳しいことを言われたのだろう。この直後に病気が悪化、首相を辞任することになった。今は多少妥協してでも長く政権を維持することを考えて、一つずつ確実に物事に向かっている。しかし二期六年の自民党総裁任期では少なすぎる。代表もApple Townでこれまで三十一回も提案し、ようやく二階幹事長も言い出しているが、自民党党則を変えて総裁任期を三期九年にして、安倍政権を長く続くように持っていくべきだ。その延長した任期の間に、国民世論を変えて憲法改正を実現させる。一気に全部を変えることは不可能なので、まずは普通に読めばどう読んでもおかしい前文から改憲し、その後に主要項目の変更を行うべきだ。選挙制度に絡む憲法の改正も考えなければならない。今一票の格差に関して、裁判所で違憲や違憲状態の判決が出ている。しかし本当に人口だけで選挙区や議員定数を決めていいのか。最低でも都道府県に一人は議員がいるようなシステムにするべきではないのか。まずここから議論すべきだ。
 二階幹事長が誕生したのは、谷垣禎一氏が自転車事故に遭遇、頸髄損傷の大怪我をしたからだ。自民党内でもスポーツマンの谷垣氏がそのようなことになるとは、誰も想像していなかった。アメリカのケリー国務長官も、昨年五月にフランス・スイス国境付近で自転車事故で骨折して入院という騒ぎがあった。特に要人は趣味として自転車に乗る時には、重々気を付ける必要があるだろう。普通に街で走る自転車も、まだまだ歩道を通るものが多く危ない。道路の整備も必要だが、自転車は車道を走るというルールを徹底するべきだろう。

マイナス金利の今でこそ
大規模なインフラ投資を

 交通事故防止と景観を良くするために、東京の電信柱の地中化を早急に進める必要がある。マイナス金利の中、インフラ投資を今行わなければいつやるのか。まだまだ意味もなく緊縮政策を言い募る経済音痴の政治家も多いが、真っ当な経済政策論を主張して政治主導でインフラ投資を増やしていくべきだ。リニア中央新幹線の場合、一兆五千億円を二回、合計三兆円が財政投融資としてJR東海に貸し出される。この金は三十年間は一円も返済しなくていい。その間に開業させて運賃による収益を上げて、その収益によって三十年後から返済すればいい。このように事業者の負担の少ない方法で、例えば超長期国債を発行するなどで、他の大型インフラ投資案件もどんどん進めていくべきだろう。民間企業でも金利の安い今は、借金してでも投資を行うべき。しかし一部上場企業は内部留保を増やす一方で、賃金も上げなければ投資も行わない。マイナス金利の今、内部留保を増やして自己金融を行うことにメリットはない。企業が消極的な動きしかとれないのは、社長がサラリーマンでリスクを取らないからだ。しかしこれが合成の誤謬となり、日本全体の経済力を弱体化させてきたと言えるのではないか。また一方、マイナス金利による経営状態の悪化から金融機関の貸し渋りも出てきている。借り入れして投資を行えば必ず儲かるのだから、とにかく借り入れを申し込み、融資が承認されれば儲けものというスタンスも必要かもしれない。
 アラブの春の政変があったチュニジアだが、それでも人々は聡明で、混乱状態の中でも世界遺産になっているカルタゴの遺跡などは一切破壊されていない。一方シリアでは、アレッポやパルミラなど、世界遺産レベルの歴史的な建築物が数多くある街が、市街戦や爆撃によってほぼ完全に破壊されている。これらのことは、取り返しがつかない。ニューヨークのメトロポリタン美術館に、かつてパルミラの遺跡からの出土物が展示されていたが、今は置かれていない。テロリストがテロの標的にする可能性があるから、展示を止めたのではないだろうか。

G20の「立ち話外交」が成果
政治家は語学を習得すべき
 日本の言論界の問題点は、次第に議論が蛸壺化していって、同じ考えを持つ人同士ばかりが意見を交わしていることだ。いろんな分野で活躍している様々な考えを持つ人が議論する場が少なくなってきている。公益財団法人となったアパ日本再興財団が、そのような議論を主導していって欲しい。昨年アパ日本再興財団は一般財団法人から公益財団法人になった。これを認める文書には、活動する団体を公益財団法人として認めるのであって、活動内容を認めたわけではないという但し書きがついていた。政府と財団の意見は、決して同じではないという逃げ道を作るために但し書きを入れたのではないか。
 自民党での海外の要人との懇談会などで、留学経験のある議員が英語やフランス語を話すと、他の議員が嫌がり、「日本語を話しなさい」ということが多いそうだ。もちろん通訳が同席しているのだが、直接話す方がコミュニケーションを取りやすいのは確かだ。先のG20でも安倍首相はオバマ大統領など多くの首脳と英語で直接立ち話をして、様々な案件の確認を行った。政治家にこそ語学が必要であり、全ての国会議員は語学の習得に努めるべきだ。
 アパホテルはM&Aによって三十九のホテルを運営している企業を買収、北米のアパホテルを一気に四十に増やした。金利が安く、少し円高に振れている今は、海外投資の大きなチャンスだ。今世界的に経済情勢は厳しい。ヨーロッパには移民が押し寄せて混乱が続き、これまで世界の経済を牽引してきた中国はバブルが崩壊した。その中でアメリカと日本は頑張っている方だろう。
 資産の流動化に関する法律(SPC〈特定目的会社〉法)は、財務官僚時代の片山さつき氏がとてつもない苦労の果てに作ったものだ。そして日本の開発型SPCホテル事業の第一号は、二〇〇五年にオープンしたアパホテル〈横浜関内〉だった。SPCや収益還元法の概念を代表は一九八〇年代にアメリカでユダヤ人の友人から学んだ。一九八七年に起こった株の大暴落であるブラックマンデーを機に代表は収益還元法で日本の加熱するバブルの状況を見直し、これでは日本の不動産ブームは持たないと見抜いた。そこで一九八八年から資産を売却し始めた結果、アパグループはバブル崩壊の影響を受けず資産の売却で得た莫大な利益は航空機のレバレッジド・リースで先送りし、六年後にこの戻ってきた特別利益がホテルへの投資に使われることで、今やアパホテルは日本一のホテルチェーンとなったのだ。