Big Talk

自国の防衛は自分達の知恵と力で行うべきだVol.302[2016年9月号]

駐日トルクメニスタン大使館 特命全権大使 グルバンマメット・エリャゾフ
×
APAグループ代表 元谷外志雄

ソ連崩壊後の一九九一年に独立、一九九五年に国連総会の承認によって永世中立国となったトルクメニスタン。この国の駐日大使であるグルバンマメット・エリャゾフ氏に、日本には馴染みの薄いトルクメニスタンの観光名所、産業、そして国防・外交政策の考え方など、今後の日本の参考になる話をお聞きしました。
グルバンマメット・エリャゾフ氏

1959年10月生まれ。1983年トルクメン国立医科大学(Turkmen State Medical Institute)卒業。1995-2006年保険・医療産業省管轄の様々な診療所や診断センターで所長、2007年保険・医療産業副大臣、2009年トルクメニスタン観光スポーツ委員長、2010年保険・医療産業大臣、2013年10月から駐日大使。

世界遺産や大理石の町並
見どころも豊富な国

元谷 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。この企画も二十五年、今回で三百二回目を迎えました。駐日大使も含め、これまで大勢の方々に登場していただいています。エリャゾフさんには、六月に行われた私の最新刊の出版記念パーティーにも出席していただきました。日本の多くの人はトルクメニスタンという国のことについて、知らないと思います。どこにあってどんな国なのか、今日はいろいろと教えてください。

エリャゾフ こちらこそ、よろしくお願いいたします。私の仕事は日本とトルクメニスタンの関係を発展させることですから、今日はいろいろとお話させていただきます。代表が仰る通り、一九九一年に独立した新しい国ということもあって、日本とは緊密な関係構築もこれからです。まず国の場所ですが、中央アジアの真ん中にあり、南はイラン、東はアフガニスタン、西はカスピ海に面していて、その先はアゼルバイジャン、北はカザフスタンとウズベキスタンに囲まれています。地政学的にも経済的にも良い場所で、古くから政治の中心、貿易の拠点となっていました。カスピ海を隔ててロシアとも交流があり、アゼルバイジャンから西に向かえば、ジョージア、トルコへと抜けることができます。ヨーロッパとアジアの接点とも言えます。面積は日本の約一・三倍ですが、人口は約六百万人です。民族はトルクメン系が九割を占め、公用語はトルクメン語ですが、ロシア語も広く使われています。観光地としても、いいところですよ。

元谷 私は世界八十一カ国を巡ったのですが、まだトルクメニスタンには行っていません。夏暑く、冬寒いという印象があるのですが、どうなのでしょうか。

エリャゾフ トルクメニスタンは日本と同じく四季です。秋と春は天気が涼しいですが、夏は暑いときは四十一~四十二度、冬は寒いときはマイナス十~マイナス二十度です。

元谷 観光でトルクメニスタンを訪れるとしたら、どこを巡るのがエリャゾフさんのオススメでしょうか。

エリャゾフ まず注目は三つある世界文化遺産でしょう。ニサ遺跡は首都のアシガバートから十五キロほどの場所にある、紀元前三世紀に栄えたパルティア王国の都市遺跡です。王宮のあった場所には、ゾロアスター教の寺院やワイン貯蔵庫が残されています。ウズベキスタンとの国境近くにあるのが、十二〜十三世紀、シルクロードにおける最大都市だったクフナ・ウルゲンチです。ここではトレベクハヌム廟などの壮麗な建築物を見ることができます。メルヴ遺跡は、紀元前六世紀から栄えたオアシス都市が中央アジア最大の遺跡となっているもの。この遺跡のシンボルが、高さ二十メートルもの壁に柱が並ぶ住居跡「キズカラ」です。メルヴ遺跡は文明の場所であったことの証拠となります。

元谷 歴史ある土地ですから、遺跡も多いのですね。

エリャゾフ はい。もう一つ、これは人間の手で作られてしまった名所があります。直径約九〇メートルの火に包まれたクレーター「地獄の門」です。これは、一九七一年の地下資源のボーリング調査の際に、作業機械が地下の天然ガスに満ちた洞窟に崩落してできたものです。噴出する有毒ガスの放出を食い止めるために点火され、以来延々と燃え続けています。また首都のアシガバートも、白い大理石造りの建物が並ぶ美しい町並の都市です。ニサ遺跡からの出土品が展示されている国立博物館や、多くの人で賑わいをみせる何でも揃うバザールが人気のスポットですね。あとアシガバートには四つの世界一があります。街全体が世界で一番大理石の建造物が多いことと、その他にも高さ四六・七メートルの世界最大の屋内観覧車、世界最大の星形建造物、そして世界最長の絨毯もあります。

ソ連崩壊後に独立を達成
模索の末「永世中立国」に

元谷 見どころが非常に多そうですね。東京からアシガバートに行くには、どういう行き方があるのでしょうか。

エリャゾフ 直行便はありませんから、どこかの都市を経由することになります。イスタンブール、北京、モスクワ、パリ、ドバイなど、トランジットできるところは多いです。

元谷 ドバイからもアシガバート便が出ていますか。私はモントリオールオリンピックから、日本が出なかったモスクワ大会以外、毎回オリンピックの開会式を見に行っています。少し治安や病気が心配なのですが、八月のリオデジャネイロオリンピックの開会式か閉会式にも行く予定で、帰りにドバイに立ち寄ることにしているのです。

エリャゾフ ドバイの八月は暑いですよ(笑)。ドバイからアシガバートまでは、飛行機で約二時間です。

元谷 ただアフガニスタンにも近い国と聞くと、治安はどうなのかと、心配になるのですが。

エリャゾフ トルクメニスタンの治安は世界的な標準からみても、非常に良いと思います。アフガニスタンに対しては、トルクメニスタンからもいろいろな援助を行っているのですが、両国とも国境は尊重しています。

元谷 一九八〇年代のアフガン戦争時とは、関係は全く異なりますか?

エリャゾフ はい、その通りです。当時はトルクメニスタンもソ連の一部でしたから、政治状況も国民の生活も、今とは全く異なりました。ただその後トルクメニスタンが独立した後も、アフガニスタンとの関係は良好です。私達政府が最も大切にしていることは、治安と平和の維持です。アフガニスタンに関しても、政府ともタリバンともトルクメニスタン政府は関係を持っていて、両者の争いがなくなるよう努力しています。

元谷 トルクメニスタンは中央アジアの要所にあり、陸続きでイランのような大国とも国境を接しています。安全保障には敏感にならざるを得ないと思うのですが、どのように国を防衛しているのでしょうか。また同盟関係はあるのでしょうか。

エリャゾフ トルクメニスタンは、スイスやオーストリアと同じ永世中立国なのです。ですから軍事的な同盟関係はどこの国とも結んでいません。

元谷 そうなのですか。CIS(独立国家共同体)へは加盟しているのでしょうか。

エリャゾフ CISにも加盟していたのですが、一九九二年にCIS集団安全保障条約への署名を拒否したため、今は準加盟国になっています。

元谷 軍備はどのような規模でしょうか。

エリャゾフ 世界標準にあった自国を守るための自衛軍の軍隊を持っています。ただ、他国の軍隊と共同で活動することはありません。また国連とも密接に連携をとって活動しています。「国連中央アジア予防外交センター」の本部が首都アシガバートに置かれていて、中央アジア域内の諸国がテロや組織犯罪など様々な課題の解決に協力して取り組む体制ができています。

元谷 それはひとえにトルクメニスタンの国家体制がしっかりとしているからでしょう。他国の争いに巻き込まれないという強い意志も感じます。陸続きに多くの国と接しているので、永世中立というのは非常に難しいと思うのですが、トルクメニスタンは立派に成し遂げていますね。

エリャゾフ 独立後にどのような対外政策をとるかを議論したのです。今世界では様々な理由で多くの地域で紛争やテロが起きています。そこでトルクメニスタンは、どこか特定の国や政策や同盟に交わることなく、自立的に進んでいく国になることを決めました。一九九五年に国連総会での承認を得て、永世中立国となりました。国連総会の承認で永世中立国になったのは、トルクメニスタンだけです。だからといって、トルクメニスタンはどの国とも関係を持っていないのではありません。あらゆる国々と人道的、文化的側面からの友好関係を築いています。

天然ガスなど豊富な資源
一〇%の経済成長率を維持

元谷 経済発展も順調で、経済成長率も常に一〇%以上を維持しています。石油や天然ガスなど資源の輸出が主な産業になるのでしょうか

エリャゾフ はい、そうです。特に天然ガスは埋蔵量世界第四位を誇っています。現在はイラン、ロシアや中国への輸出が多いのですが、将来的にまずはTAPI(トルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン・インド)のパイプライン、その次にはカスピ海を通り、アゼルバイジャン、ジョージア、トルコ経由でヨーロッパへと繋がるパイプラインを敷設する計画が検討されています。通過する国全ての許可を得ないと実現できない計画なので、今慎重に交渉を進めているところです。また石油・天然ガスの生成、化学製品の生産などの分野で、技術力のある日本との協力体制がとれればと考えています。

元谷 民族的にはトルクメン系が九割ということでしたが、ソ連時代にロシア系が大量に流入してくるということはなかったのでしょうか。例えば中国がチベットに漢民族を続々と送り込んだようなことなのですが。

エリャゾフ 確かにソ連にも、トルクメニスタンの伝統文化を変えるような否定的な状況はありました。しかし最終的には成功しませんでした。

元谷 失敗した理由として、私は言語の問題が大きいと思います。トルクメニスタンは独自の言葉を持っています。独自の言葉があるということは、独自の文化があるということです。

エリャゾフ 私達はソ連時代でも自分達の文化を大事にしてきました。

元谷 ソ連時代、学校教育はロシア語だったのでしょうか。それともトルクメン語でしょうか。

エリャゾフ 両方とも行われていました。どちらが多かったかというのは、そういった統計がないのでわからないですが。現在政府のルールでは三つの言語が使用されています。まずトルクメン語。そして次が英語とロシア語です。国民は圧倒的にトルクメン語で、この言葉ができないトルクメニスタン人はいません。

元谷 ソ連とトルクメニスタンとは、他にもいろいろと違いがあったのではないでしょうか。宗教もソ連で多かったのはロシア正教、トルクメニスタンはイスラム教ですし。

エリャゾフ ソ連から良い影響も悪い影響もあったと思います。例えばいい学校に入るためには、かつては共産党員である必要がありました。しかしソ連時代でも、トルクメン語を廃絶しようという動きはありませんでした。

元谷 ソ連の共和国の一つとして民族の結束と言語など伝統文化を守り続けたことは、本当に素晴らしいと思います。

エリャゾフ その理由の一つは、トルクメニスタン人が紀元前二千年からの長い歴史を持っていたからでしょう。

元谷 長い歴史を持っているのは、日本と同じですね。

エリャゾフ トルクメニスタンが日本と共通していることは、たくさんあります。日本ほど頻繁ではありませんがトルクメニスタンも地震国で、一九四八年にアシガバートで発生した大地震ではほとんどの建物が崩壊、約十六万人もの犠牲者が出ました。この経験を踏まえて国内で防災をテーマにした会議が多数行われ、トルクメニスタンで尊敬されている大統領グルバングルィ・ベルディムハメドフが先頭に立って防災の国際会議に出席したり、政府の防災対策の立案を行ったりしています。

元谷 そうですか。また歴史的にも、日本は十三世紀後半に、二度に渡ってモンゴル帝国からの攻撃を受けました。トルクメニスタンもモンゴル帝国に侵略されていますね。

エリャゾフ そうですね。当時トルクメニスタンやアフガニスタン、イランを領土としていたホラズム朝がモンゴル軍に対して最後まで奮戦したのですが、結局敗れました。モンゴル帝国はチンギス・ハーンの死後分裂し、トルクメニスタンもその分かれた国の一つとなります。その後もこの地が様々な国によって支配されてきたのですが、十九世紀になってロシアの侵略を受け、激しく抵抗したのですが、一八八一年にアシガバートがロシアに占領されてしまいます。その後はロシア革命によってソ連の共和国の一つになり、そしてソ連崩壊後の一九九一年、独立を果たしたということです。

安全保障と国際関係構築が
政府の最重要業務だ

元谷 激動の歴史を辿った国なのですね。日本は海に囲まれているので、他国に占領されるということがなかったのですが、陸続きの国で地政学的な要衝ということであれば、トルクメニスタンのような歴史を辿ることは、世界史の必然とも言えます。しかしソ連崩壊後に永世中立国となって自国の防衛は自国のみでと軍備の備えをしながらも、友好をベースにした外交を展開しているトルクメニスタンを、日本はいろいろとお手本にすべきです。日本の安全保障も今岐路に立っています。先の大戦後に軍備を放棄する日本国憲法が作られますが、冷戦の激化と共に自衛隊と日米安保条約によって日本を守る体制に変化してきました。しかし世界一極支配を成し遂げたかに見えたアメリカの勢いも衰え、膨張する中国と撤退するアメリカの狭間にあって、日本の安全保障のために安倍首相は限定された集団的自衛権の行使容認を行いました。しかしアメリカ大統領候補のトランプ氏は、在日米軍の駐留費を全額日本が負担しない場合は、撤退もあり得ると発言しています。先の大戦が終わってから七十一年、日本はトルクメニスタンなども参照して、自分の国を守るための新しい枠組みを構築していくべき段階に入っていると思います。

エリャゾフ 安全保障と国際関係の構築を行うのは、非常に難しいことですが、政府の重要な役割だと考えています。

元谷 少し大使個人のことをお聞きしたいのですが。お話が非常に明確で、聡明な方だなという印象を受けたのですが、教育はどこで受けられたのでしょうか。

エリャゾフ アシガバートで医学を学びました。その後ロシアへも留学しています。私の本職は医師なのです。

元谷 お父様も医師だったのでしょうか?

エリャゾフ 違います。ただ両親は私が子供の時に病気で亡くなっています。私が医学を学んだのは、この両親の病死が理由です。

元谷 相当勉強されたのではないでしょうか。

エリャゾフ 若い頃は、一睡もせずに勉強していた時期がありましたね。

元谷 医師から外交官に転身されたということですね。

エリャゾフ 政府の仕事としては、保険・医療産業大臣と観光スポーツ大臣を務めました。そして今は駐日大使としてトルクメニスタンと日本の友好関係、互恵的な貿易や経済活動をもっと発展させることに全力を尽くしています。

元谷 そこまで歴任されて来たんですね。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。

エリャゾフ 悪事など、人生を短くしてしまうものから極力離れるべきです。そして常に自分の国と民族を愛すること。それが成功の鍵です。

元谷 私が常に心がけてきたことと、全く同じです。今日はいろいろなお話、ありがとうございました。

エリャゾフ ありがとうございました。