先日、言論誌「月刊日本」主幹の南丘喜八郎氏が、氏が発行人を務めている株式会社K&Kプレスが発行した一冊の分厚い本を持って、私を訪ねてきた。本のタイトルは「目覚めよ日本―列強の民族侵略近代史」、著者は渡辺洋一氏だ。あまりに凄い内容に、これは多くの人が知るべきだと感じ、今回はこの本の一部をここに転載する。これを読めば、航海技術を身に着け鉄砲と軍馬を持ち込みアメリカ大陸に乗り込んできた白人がキリスト教に改宗しない有色人種を獣と見なし、いかに残虐な行為をしてきたのかが分かる。
この本は、コロンブスがカリブ海に到達してから五百年に及ぶおぞましい歴史の始まりの話だ。真偽はともかく、胸が悪くなるが、まずは一読して欲しい。
以下、引用である。
第二章 十六世紀
第五節「惨虐と破壊への訴え―聖人ラス・カサスの報告書―」
前述のような、動物にも劣るような残虐極まりない白人征服者や、それに連なるキリスト教聖職者たちの極悪非道振りに憤り、抵抗した数少ない良心派の人々もいました。
その代表が、スペインのラス・カサス司教でした。ラス・カサスは当初、他の一般のスペイン人植民者たちと同道し、スペインの新大陸征服に参加した聖職者でした。しかし彼自身がこの新大陸で行われている先住民に対する白人コンキスタたちの残虐非道を目の当たりにし、無辜の民インディアスをこれ以上苦しめてはならないと考え、スペイン国王ならびにローマ教皇に直訴して、その一生をスペインの植民政策反対に捧げたのです。
ラス・カサスの一五四二年に書かれた「インディアスの破壊についての簡潔な報告」という訴状は、キリスト教並びに文明の名の下に新世界へ乗り込んだ征服者たちの、インディオ搾取と殺戮の植民地の実態を暴露し、白人による所謂「地理上の発見」の実態を告発したものとして有名です。
この報告書は、白人の先住民侵略虐待の状況をつぶさに記述しています。岩波文庫の染田秀藤氏の訳文の一部を掲載し、スペイン人コンキスタの暴虐振りのほんの一部を明らかにしたいと思います。
(註)転載については、岩波文庫編集部市氏のご承諾を頂きました。
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「インディアスの発見」という偉業が達成され、スペイン人達がそこに赴いて暮らすようになってから、種々様々な出来事が起きた。それは、直接目にしなかった人にはとても信じられないような、驚くべきものであった。その中には、罪のない人々が虐殺絶滅の憂き目に遭ったり、スペイン人の侵入を受けた数々の村や地方や王国が全滅させられた事、その他にも、それに劣らず人を慄然とさせるような出来事があった。
スペイン人達は、従順な羊の群(インディオ)に出会うとすぐ、まるで何日も続いた飢えのために怒り狂った狼や獅子のように、その中に突き進んで行った。この四〇年間スペイン人達は、かつて人が見たことも読んだことも聞いたこともない、種々な新しい残虐極まりない手口を用いて、ひたすらインディオ達を斬り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやっている。例えば、我々が初めてエスパニョーラ島(現在のハイチ島)に上陸した時、島には三〇〇万人のインディオが暮らしていたが、今ではわずか二〇〇人くらいしか生き残っていない。キューバ島は、その距離がスペインのバリヤドリードからローマまでの距離に匹敵するくらいの(約五〇〇㎞)大きな島であるが、現在はそこには殆んど人がいない。サンファン島(プエルトリコ)、ジャマイカ島も非常に大きな豊かな素晴らしい島であったが、いずれも荒廃してしまい見る影もない。エスパニョーラ島とキューバ島の北方近くには、ヒガンテと呼ばれる諸島があり、大小合わせて六〇以上の島からなるバハマ諸島がある。その島々の中でいちばん取るに足りない島でも、セビリアにある国王の果樹園より豊かで素晴らしく、また世界中で最も気候の恵まれた場所である。かつてその島々には、五〇万人以上の人が暮らしていたが、今は誰一人住んでいない。
スペイン人は、エスパニョーラ島の先住民を絶滅させると、今度は近隣の島の人々をエスパニョーラ島へ連行の途中で、連れてきた挙句に結局は全員を殺してしまった。同じ原因で、サンファン島の近くにある三〇以上の島も、全滅して荒れ果ててしまった。
広大なティエラ・フィルメ(南米北部海岸地方一帯)について言えば、やはりスペイン人は、持ち前の残虐ぶりと忌まわしい行為で、その地域を荒廃させ破壊してしまった。その結果、そこには現在ひとりも住んでいないと信じている。かつてその地域には、理性を具えた大勢の人々がひしめき合って暮らし、スペイン全土にアラゴンとポルトガルを加えたよりも大きな王国が一〇以上も存在し、セビリアとエルサレム間のほぼ二倍以上(約四六〇〇㎞)に相当する二〇〇〇レグワ以上の領土が広がっていた。この四〇年間に、キリスト教徒たちの暴虐的で極悪無慙な所業のために、男女・子供合わせ一二〇〇万人以上の人が残虐非道にも殺されたのは、全く確かなことである。それどころか私は、一五〇〇万人以上のインディオが犠牲になったといっても間違いないであろう。
インディアスに渡ったキリスト教徒と名乗る人たちが、その哀れな人々をこの世から根絶し、絶滅させるのに用いた手口は主に二つあった。ひとつは不正で残酷な、血なまぐさい暴虐的な戦争による方法である。いまひとつは、何とかして身の自由を取り戻そうとしたり、苦しい拷問から逃れようとしたりする土着の領主や勇敢な男達を全員殺害し、生き残った人達を奴隷にして、かつて人間が、また、獣ですら蒙ったことのないような、この上なく苛酷で恐ろしい、耐え難い状態に陥れ、圧迫する方法である。
キリスト教徒達がそれほど多くの人々を殺め、破滅させることになったその原因は、ただひとつ、ひたすら彼らが黄金を手に入れるのを最終目的と考え、できる限り短時間で財を築こうとしたからである。彼らが、世界に類を見ない欲望と野心を抱いていたからである。またインディアスが余りにも豊饒で素晴らしいところで、しかもそこに暮らしている人々が非常に謙虚で辛抱強いので、彼らを隷属させるのが、わけないことであったからである。実際キリスト教徒達は、この人たちを畜生にも劣るとみなし、粗末に扱って来た。(もし彼らが、この人達を畜生とみなし扱っていたら、まだましだっただろう。)それどころか、彼らはこの人たちを広場に落ちている糞か、それ以下のものとしか考えていなかった。
口に出すのも恐ろしくて恥ずかしい事であるが、キリスト教徒のある司令官は、エスパニョーラ島で最大の権勢を誇る王の后を強姦した。またキリスト教徒達は、馬に跨り剣や槍を構え、前代未聞の所業を始めた。彼らは村々へ押入り、老いも若きも、身重の女も産後間もない母も、ことごとく捕え腹を引き裂き、ずたずたにした。その光景はまるで、囲いに追い込んだ子羊の群を襲うのと変わりがなかった。
彼らは、誰が一太刀で体を真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせたかとか、内蔵を破裂させることができたかとか言って賭けをした。彼らは母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に叩きつけたりした。またある者達は、冷酷な笑みを浮かべて幼子を背後から川へ突き落とし、水中に落ちる音を聞いて「さあ泳いでみな」と叫んだ。彼らはまた、そのほかの幼子を母親もろとも突き殺したりした。
インディオ達は、どんなに謙虚に振舞い、我慢し、耐え忍んでも所詮、理性のかけらも持ち合わさない人々により、いずれは自分達は殺される運命にあるから、全員力を合わせてスペイン人に思う存分復讐しようと決心をした。しかし彼らスペイン人が武器に身を固め馬に跨って来るので、到底勝ち目がない。そこで馬を陥れる罠を考え、穴を掘り、先の尖った棒を埋め、その上に小枝や草をかぶせてカモフラージュした。しかしスペイン人はそれを見破り、仕返しにインディオを捕え、全員その穴に放り込み、身重な女や産後間もない女、それに子供や老人を含め、串刺しにしたインディオで穴が一杯になった。スペイン人は、それらの捕えたインディオを全員突き殺し、切り殺して獰猛な犬に分け与えた。
さらに彼らは、漸く足が地につくくらいの大きな絞首台を作り、こともあろうに「我らが救世主と一二人の使徒を崇めるためだ」といって、一三人宛その絞首台に吊るし、その下に薪を置いて火をつけた。彼らはインディオ達を生きたまま火焙りにした。またインディオの体中に乾いた藁を縛り、それに火をつけ彼らを焼き殺した教徒達もいた。その他のインディオ達に対して、キリスト教徒は殺さずにおこうと考え、彼らの両手に斬りつけた。そうして、辛うじて両手が腕にくっついているそのインディオに向って、彼らは「手紙を持って行け」と命じた。つまり、山へ逃げ込んだインディオ達のところへ見せしめに行かせたのである。彼らはまた、地中に打ち込んだ四本の棒の上に、細長い棒で作った鉄灸のような物を乗せ、それぞれにインディオを縛りつけその下でとろ火を焚いた。インディオはその残虐な拷問に耐えかねて悲鳴をあげ、絶望し、じわじわと殺された。ある死刑執行人は、火焙りにされるインディオに大声をたてさせないようにと、彼らの口の中に棒をねじ込み火をつけた。インディオ達は警吏の望み通りじわじわと焼き殺された。ある日ひとりのスペイン人が数匹の犬を連れて狩りに出かけた。しかしその日は獲物が見つからず、彼はさぞかし犬が腹を空かしているだろうと思い、インディオの母親から幼子を奪い取り、その腕と足を短刀でずたずたに切り犬に分け与えた。犬がそれを食べつくすとさらに彼らはその小さな胴体を犬に投げ与えた。キリスト教徒たちはまるで、猛り狂った獣と変らず、人類を破滅に追いやる人々であり、人類最大の敵であった。非道で血も涙もない人たちから逃げ延びたインディオ達は、山に籠ったり山の奥深くへ逃げ込んだりして身を守った。するとキリスト教徒たちは、彼らインディオを狩り出すために猟犬を獰猛な犬に仕込んだ。犬はインディオを一人でも見つけると、瞬く間に彼を八つ裂きにした。また犬は、豚を餌食にする時よりもはるかに嬉々としてインディオに襲いかかり、食い殺した。インディオ達が数人のキリスト教徒を殺害するのは実に稀有なことであったが、それは正当な理由と正義にもとづく行為であった。しかしキリスト教徒達はそれを口実にして、インディオ達が一人のキリスト教徒を殺せば、その仕返しに一〇〇人のインディオを殺すべしという掟を定めた。
キリスト教徒のある総督は、エスパニョーラ島のハラグヮーという王国に到達した時、三〇〇人以上の領主は総督の出頭命令に従い安心してやって来た。ところが総督は彼らを騙し、できるだけ大勢を藁造りの大きな家に閉じ込めて火をつけ、彼らを生きたまま火焙りにした。彼らは、残りの領主を全員棒で突き刺したり剣で切りつけて殺した。また、罪のないインディオ達が妻子とともに安らかな眠りについていた夜の明けそめる頃、スペイン人達は村に侵入し、大半が藁造りのインディオ達の家に火を放った。インディオ達が気づいた時には既に手遅れで、女・子供その他大勢のインディオが生きたまま焼き殺された。またスペイン人達は殺戮をほしいままにし、金を持っている者の所在地や金の在り処を白状させようと、生け捕りにしたインディオ達に様々な拷問を加え、挙句の果てには彼らを殺した。さらにそれでもなお生きながらえた者がいれば、彼らに奴隷の焼印を押した。
一旦奴隷となったインディオ達は、誠に苛酷な状況の中で使役に使われた。スペイン人達はインディオに三アロバ(約七〇㎏)の荷物を背負わせ、それを置き捨てに出来ないように彼らを鎖に繋いだ。ある時など四〇〇〇人のインディオのうち生きて家に帰れたのはわずか六人足らずという事もあった。その他のインディオ達は皆途中で死んでしまったのである。大きな荷物を担がされたため、疲れてへとへとになったり、空腹とその苛酷な労働のため病気になったりするインディオ数人がいた。その時スペイン人達はいちいち鎖を外すのが面倒なので、インディオ達の首枷の辺りを剣で斬りつけた。すると首と胴体はそれぞれ別の方向に転げ落ちた。その光景を目の当たりにした他のインディオ達がどのような思いをしたか、想像していただきたい。
私はキリスト教徒たちが、無数の人々を生きたまま火焙りにしたり、八つ裂きにしたり、拷問したりしているのを目撃した。インディオ達が蒙ったこのような虐殺や破壊は数知れないので、どんなに筆をつくしても言い尽くせないであろう。
既述したように、インディオ達がもともと暮らしていた全ての村にはそれぞれ素晴らしい果樹園があったので、キリスト教徒たちはそこに居を定め、インディオ達に土地を耕作させ、彼らの乏しい食糧を奪って暮らした。キリスト教徒達はインディオに日夜休む間もなく働かせるために、老若男女全てのインディオを自分達の家に住み込ませ、さらに子供が立てるようになれば、その子供にできるような仕事だけでなく、時には到底無理な仕事もさせた。こうしてキリスト教徒達はインディオを絶滅させ、また現在生き永らえている僅かなインディオの人々をさえ酷使している。キリスト教徒達は、インディオ達に造船用の大きな板や材木を担がせて港までの三〇レグア(約一六八㎞)を歩かせたり、山へ蜜や蝋を取りに行かせた。その山でインディオ達はジャガーに食い殺された事もあった。キリスト教徒達はまるで畜生を扱うように、身重の女や産後間もない女に重い荷物を背負わせたが、今もその事態に変わりはない。
私は断言するが、私は数えるのも面倒なほど多くの場所で、スペイン人達の手当たり次第にただ気紛れでインディオの男や女の手と鼻と耳を削ぎ落としているのを目の前で見た。
ペルーのコタと呼ばれる村に押し入ったスペイン人無法者は、大勢のインディオを捕えた。さらに彼は、領主や頭株の人たちに犬をけしかけて彼らを八つ裂きにさせた。また彼は大勢の男女の両手を切断し、それを縄に括って棒いっぱいにぶら下げた。それはほかのインディオ達に彼の仕打ちを見せつけるためであった。棒には七〇組の手がぶら下げられていたようである。また彼は大勢の女や子供の鼻を削ぎ落とした。
すでに述べた通り、スペイン人達は多くの土地でインディオを殺し、八つ裂きにするために獰猛で狂暴な犬を仕込み、飼いならしていた。彼らがその犬の餌として、大勢のインディオを鎖につないで道中連れ歩いていたという事実を知っていただきたい。インディオ達はまるで豚の群れと変わらなかった。スペイン人達はインディオを殺し、その肉を公然と売っていた。「申し訳ないが、拙者が別の奴を殺すまで、どれでもよいからその辺の奴の四半分程貸してくれ。犬に食べさせてやりたいのだ」と、まるで豚か羊の四半分を貸し借りするように、彼らは話し合っていた。別のスペイン人達は朝犬を連れて狩りに出かけ、昼食をとりに戻り、そこで互いの狩りの成果を尋ねあう。するとある者は「上々だ。拙者の犬は一五人か二〇人くらい奴らを食い殺したよ。」と答えていた。
以上の事は、私が四二年間たえず目の前で、スペイン人によってそのような罪が犯されているのを見て来たものである。彼らはインディオ達の土地を荒し、奪い取り、破壊し、荒廃させてしまった。スペイン人達は、インディオ達に対して数知れない乱暴、不正、略奪、虐待を働き、そのほかこの上なく恐ろしい所業を重ね、彼らを虐殺し全滅させた。私が今まで繰り返し述べて来た事は、全てを合わせて質量ともに、以前同様現在も行われていることの万分の一にも及ばない。
(ラス・カサス著『インディアスの破壊についての簡潔な報告』岩波文庫)
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ラス・カサスは一五一四年から一五六六年に他界するまで六回にわたり大西洋を横断し、インディオの自由と生存権を守る運動の中心的役割を果たしました。
彼は一五四一年末、スペイン国王カルロス一世に謁見し、インディオの蒙っている不正と不幸、そしてスペイン人の非道な所業を詳説した上記報告書を提出し、征服を中止するよう訴えました。この報告書は一五四六年に若干が加筆され、一五五二年に印刷に付されました。その後ラス・カサスは、一五六六年七月一八日息を引き取るまで、スペイン人が「キリスト教教化のため」という美名のもとにインディアスで不当な征服を行い、多くのインディオを殺害し、金銀を略奪したことの不正を訴え、インディオの救済に生涯を捧げました。
しかしスペインはこの報告書を含めラス・カサスの全作品を禁書にし、スペインの保守主義者たちは、ラス・カサスによって書かれたスペイン人の残虐性は捏造された「黒い伝説」に過ぎないと主張し、その伝説を作り上げた責任をラス・カサスに帰し、「報告」の歴史的意義や史料としての価値を否定しました。
私が一九七三年二月、メキシコを訪ねた時のことであるが、現地ガイドにこの国で先住民らしき人をあまり見かけなかったので、人種構成はどのようになっているのかと尋ねたら、ガイドは都市部では先住民は非常に少なく、全体でもスペイン人との混血のメスティーソがほとんどだと答えた。それは、かつてスペイン人がやって来た時に、山奥に逃げた先住民以外、男を全て殺し、若い女性を妊娠させ、民族浄化を図ったからだと答えた。そんなことを思い起こしたこの「ラス・サカスの報告書」である。
文明を破壊し何千万人もの先住民を虐殺するとともに持ち込んだ伝染病(天然痘等)で死亡させた。こんな怖気立つような話だが、このことも全て記録されている史実だ。
人間はここまでやるのだから、白人社会の人々は日本軍が南京で三十万人もの無辜の民を虐殺したとか、朝鮮で二十万人も強制連行し従軍慰安婦として性奴隷にした挙句殺したという話も信じてしまったのかもしれない。しかし「和を以って尊しと為す」という日本の歴史と西欧列強の歴史とは全く違う。
我々が学んだ世界史は白人のキリスト教徒が都合良く作ったもので、戦後の日本史はGHQが捏造したものである。その意味でも、この「目覚めよ日本―列強の民族侵略近代史」という本は、真の歴史を知る上で非常に参考になると思う。是非購入して一読して欲しい。
2016年3月23日(水)19時00分校了