日本を語るワインの会152

ワイン152二〇一六年一月六日、恒例「日本を語るワインの会」が代表自邸にて開催されました。近年経済成長が著しいルーマニア大使館特命全権大使のラドゥ・シェルバン氏、日本との繋がりが八世紀にまで遡るバングラデシュ大使館代理大使のジバン・マジュムダ氏、作新学院から早稲田大学まで野球部に所属した衆議院議員の亀岡偉民氏、官民横断のネットワークを主宰するなど異色の官僚として知られる財務省の池田洋一郎氏、松下政経塾第一期生、通訳、僧侶など多面的なキャリアを持つ在日本ルーマニア商工会議所会頭の酒生文弥氏、元テレビマンで今はバリ島で暮らす小林繁之氏をお迎えし、日本・ルーマニア・バングラデシュそれぞれの国のことを語り合った。
ルーマニアは本来ローマニア古代ローマの流れを汲む国
 アパという言葉は、ルーマニア語では「水」という意味。その他日本語に似たルーマニア語としては、サトという言葉が日本語のふるさとの意味だ。日本とルーマニアは経済で緊密な関係を築いている。光洋精工(現ジェイテクト)が日本で最初にルーマニアに進出した企業だ。この光洋ルーマニアをはじめとする自動車関連の製造業が、ルーマニア経済の牽引車となっている。フランスの自動車メーカー・ルノーもルーマニアに研究センターを持っている。ルーマニアへの投資は、これからがチャンスだ。黒海では石油や天然ガスが見つかっており、エネルギー産業への投資が特に求められている。日本からのODAによって、二〇一九年に市街から空港までの地下鉄が完成する予定だが、日本への感謝を示すために、ひとつの駅の名前を「トウキョウ」にするという。完成時の安倍首相の訪問がルーマニアの希望だ。
 ルーマニアの人口は約二千万人で、国土の面積は日本の本州プラス四国の半分と同じぐらいだ。首都はブカレスト。経済成長率が年間約四%とEU内では最高レベルのパフォーマンスとなっていて、ルーマニアはヨーロッパでは「タイガー」と呼ばれている。さらに二〇二〇年までに総額五兆数千億円の資金を、経済繁栄のためのファンドとして、EUから調達できることになっている。この資金は主にドイツから来るはずだ、強いドイツの通貨マルクがバスケット通貨ユーロへの統合の結果、安いユーロによって輸出増となり儲けたドイツがルーマニアに金を払うのは、ある意味当然のことだ。
 二〇一四年に当選したヨハニス大統領はまだ五十五歳と若い。大統領職の任期は五年で二選まで可能だ。ヨハニス大統領は日本と親しい関係を維持している。というのも、高山市の姉妹都市となっているシビウ市の市長から、いきなり大統領になったからだ。議院内閣制の首相とは異なり、直接選挙で選ばれる大統領では十分に有り得る話だ。ルーマニアの民族構成はルーマニア人が八割を越えるが、ヨハニス大統領は少数派のドイツ系だ。ルーマニアの公用語はルーマニア語だが、この言葉は古代ローマで話されていたラテン語に近く、スラブ系とは全く異なる。イタリア語には似ていて、東北弁と九州弁が喋っているような感覚で、ある程度お互いが何を言っているのかがわかるという。ルーマニアは本来ローマニアと呼ばれるべきで、言語だけではなく様々な面で古代ローマを引き継いでいる。黒海に面するコンスタンツァはアムステルダムに次ぐヨーロッパ第二の港だが、この街の名前はコンスタンティヌス帝にちなんだものだ。第二次世界大戦後はソ連の影響下にあり、一時期はロシア語を強要されたが、ソ連崩壊後の今はロシア語は使われず、ルーマニア語の次は英語が話されている。

日本の日の丸を参考にしたバングラデシュの国旗
 バングラデシュの国旗は緑地に赤い日の丸で、正に日本の国旗と色違いだ。一九七一年にパキスタンから独立した時に、議員達が集まり新しい国旗をどうするかを協議した。その際、世界で最も親しい友人の国の国旗を参考にしようということになった。そこで第二次世界大戦時に、ベンガル人のチャンドラ・ボースと共に独立のためにイギリスと戦った日本の国旗を参照し、地を豊かな大地を表す緑にした。これに先立って行われたパキスタンとのバングラデシュ独立戦争は、九カ月で三百万人もの人が亡くなるほど過酷な戦いだった。チャンドラ・ボースは日本の協力を受けて、インド国民軍・INA(インディアン・ナショナル・アーミー)を創設した。また一九四三年の大東亜会議にもオブザーバーとして出席した。一九四五年八月十八日に台湾から日本軍機で満州に向かおうとして事故に遭遇、日本兵の看病も虚しくこの世から去る。その遺骨は杉並区の蓮光寺に収められている。
 二〇一四年五月にバングラデシュのハシナ首相が日本を訪問、その直後の同年九月に安倍首相がバングラデシュを訪問した。この際両国で合意したのは、国連安保理の非常任理事国の立候補をバングラデシュが取り下げて、同じく立候補している日本のサポートに回るというものだった。その結果、見事日本は非常任理事国に選ばれ、今年、その任に就いている。日本の約四割の国土に日本を越える約一億六千万人の人が暮らすバングラデシュ。経済成長も目覚ましく、過去七年成長率は常に六%を越えている。日本はこれまでもバングラデシュに多大な援助を行ってきたが、バングラデシュ側も日本を一番の援助国として深い感謝の念を持っている。

アメリカは日米開戦の十年も前から対日戦争を計画していた

 極東国際軍事裁判、俗にいう東京裁判には十一人の判事がいた。インド代表だったパール判事は、バングラデシュのクシュティヤというインド国境に近い場所の出身だ。パキスタンはイスラム教徒の国だが、バングラデシュにはヒンドゥー教徒もイスラム教徒もどちらもいる。パール判事はヒンドゥー教徒だった。東京裁判において、他の判事が平和に対する罪と人道に対する罪で被告らを有罪とする中、パール判事だけは事後法による裁判はおかしいと無罪を主張した。判事の中ではパール判事だけが国際法の専門家だった。結局裁判はうわさ話まで取り上げる極めて不公平な形で結審した。実はパール判事はイギリス政府の極秘文書として、アメリカが日米開戦の十年も前から対日戦争を計画していたという証拠を持っていた。それもあって、彼は無罪を主張したのではないか。日本人はパール判事を尊敬し、靖国神社内に顕彰碑が作られている。また二〇〇七年にインドを訪問した安倍首相は、パール判事のご子息と懇談した。
 バングラデシュに進出している日本企業は二百社を越える。株式会社光波のバングラデシュの子会社であるオプシードは、千人近くの従業員を雇用して、自動販売機に組み込まれるボタンなどを製造している。その他にも、ホンダ、三菱商事、丸紅、YKK、ソニーなど。ユニクロもバングラデシュに二つの工場を持っている。この国に日本企業が進出するのは、賃金が安く、労働者の質が高いことに加えて、労働力が豊富なためだ。国民の平均年令が二十五歳というのも魅力となっている。
 先の大戦中、日本人がインドネシアに酷いことをしたと言うと、バリ島では現地の人にそれは考え違いだと怒られる。当時はインドネシアという国はなく、オランダ領東インドという植民地だった。そして教育の機会を奪われていたインドネシア人に教育を与え、オランダに挑むだけの知力・体力を授けたのは、日本人だ。それを知るバリの人々は、皆日本人に感謝している。またインドネシア独立のために尽力し、日本の敗戦によって解放の約束が果たせなかったことに責任を感じて自殺した三浦襄も尊敬を集めている。バリ島にある独立運動に協力した日本兵の墓標には、インドネシアの国旗の色をモチーフにしたリボンが飾られていて、遠くから見てもわかるようになっている。こういう事実を日本人は知るべきだし、教科書に載せて、子供達にも教えるべきだ。バリのヒンドゥー教と日本の真言密教の教えはぴったりと合う。宗教的にも日本とバリ島は、古くからの結びつきがある。

ホテルから消えた日本語放送存在感が薄れつつある日本
 東日本大震災の時、南相馬市出身の亀岡偉民氏は地元にいて、被災の一部始終を体験した。頼りにならない首相官邸に比べて、官僚や民間の動きの素晴らしさに感動したという。ローソンは相馬市に一日三千五百個の給食代替の弁当を三日間に亘って提供したり、おにぎりやパンなどを各都道府県に救援物資として届けたりした。停電や断水のため営業を停止するホテルが多かった中、雨露だけでも凌げる場所が欲しいというニーズに応えるために、アパホテルは通常通りの対応ができないことを伝えた上でお客様を迎えるという形で営業を続けた。
 企業の七割が法人税を支払っていない。様々な優遇措置を経てほとんど税金を払っていない企業もあるが、企業活動の中で多くの社会インフラを利用している以上、応分の負担は行うべきだろう。さらに海外に本社を移すなどで税金を逃れようとしている企業もある。節税は良いが、脱税をしてはだめだ。
 日本の存在感が世界的には薄れつつある。例年通り代表はラスベガスで年越しを行った。毎年ホテルのテレビでNHKの「紅白歌合戦」を観ていたのだが、昨年の大晦日にテレビをつけたところ、日本語のチャンネルがなくなっており、代わりに中国語や韓国語のチャンネルが増えていた。円安ということもあるが、日本人の海外旅行や留学が減少していることが大きい。ハングリー精神が足りなくなっているのではないか。
 疑問を持たない大人を育てるのが日本の教育システムだ。常に答えは一つであり、答えが二つある問題を出題した教師は批判される。結果教えられたことをそのまま答えることが良いという感覚が身につく。しかし実際の世の中には、正解は無数にある。この教育システムはアメリカが日本を間接支配するために構築したものだ。冷戦終結から二十五年、日本はアメリカの影響から脱して独立自衛の国にならなければならない。まずは憲法改正だ。そのためには今年の参院選で自民党が勝たなければならない。衆参同時選挙ではなく、友党の公明党に配慮して時間差で参院選の前後一カ月程度で解散し、衆院選になるのではないか。しかし、なんとか衆参議員の三分の二の賛成で憲法改正の発議ができたとしても、その後の国民投票が大きな課題だ。投票権は十八歳からだ。若い人々にしっかりと真実を教える組織を構築していくべきだろう。