一年が経つのは早いものだ。年頭所感として「超低金利の今 既存先発大手に挑み 結果を出せる年 限りないロマンに全力でトライし 願望は自ら実現する」と掲げた二〇一五年だったが、この言葉通り、アパグループは東京都心に次々と新しいホテルをオープンし、日本最大の客室数、二千四百室を予定するアパホテル〈横浜ベイタワー〉の用地を取得するなど、大きな成果を挙げた一年だった。
本誌Apple Townも一年間充実した誌面づくりを行うことができた。二〇一五年二月号(一月五日発行)で、パキスタン大使のファルーク・アーミル氏と私が対談したビッグトークのタイトルは「日本の最も重要な世界貢献は、最先端技術を広めていくこと」。日本の耐震技術がパキスタンにも必要であることや、オリンピックを起爆剤に日本は観光大国を目指すべきだということなどを語り合った。大使が「日本人の礼儀正しさと親切さは驚異的であり、日本人といると我が家で寛いでいるような安心感を覚える」と仰っていたのが印象的だった。この号ではコソボ共和国大使館の特命全権大使のアフメト・シャラ氏、元文部科学大臣のバルトン・ベチリ氏との特別鼎談も掲載した。「日本の一番の魅力は他にはない独自の文化だ」と言うお二人と、周囲に翻弄されてきたアルバニア人は、歴史や家族や人間関係を非常に大切にしていて、日本人との共通点が多いことなどを語り合った。エッセイでは「真の近現代史を知り祖国日本に誇りを」として、武芸を磨き、誇りを持つ武士階級の存在のおかげで、日本が植民地にされることを免れたことや、アメリカはヨーロッパ戦線に参戦したいがために日本を追い詰めたこと、日本への原爆投下はソ連への牽制だったことなど、真実の歴史を訴えた。「APA的座右の銘」は「自分を信じ 逆境を楽しみ 誇りを持って生きろ」だった。
三月号(二月五日発行)のアルジェリア民主人民共和国特命全権大使のシド・アリ・ケトランジ氏とのビッグトークでは「地球儀外交の成功には中立の視点からの世界観が必要」と、欧米とは異なる文化を持つ日本が経済大国となったのはとてつもない偉業であり、廃墟から復興した日本をアルジェリアはお手本にしたいとされた。エッセイのタイトルは「輝かしい日本の歴史を取り戻そう」と、靖国神社発行の社報『靖国』に、私が執筆し掲載された「真の近現代史を知り、祖国に誇りを取り戻せ」というエッセイを転載した。「APA的座右の銘」は「知性を武器に 真実を見極め 現実の奴隷となるな」だった。
四月号(三月五日発行)では駐日モルディブ共和国大使館特命全権大使のアハマド・カリール氏とビッグトークを行った。千百九十の島から成り立つモルディブは、「一島一ホテル」を貫いたことで世界有数のリゾートになった国。日本も国内の資源をフルに活かして「おもてなしの心」で観光立国にといった話や、領海侵犯は初期対応が大事、パラオを日本は見習うべきといった話で盛り上がった。エッセイでは、第三次世界大戦を冷戦に変えたという意義を認めることで、アメリカの「原爆投下」の呪縛を解き真の日米友好関係を築けと訴えた。「流麗にきらめく先人の知恵を 子や孫に伝える義務が有る」が「APA的座右の銘」だった。
五月号(四月五日発行)のビッグトークではミスワールド・ホンジュラス代表として日本に訪問した事のある駐日ホンジュラス共和国大使館特命全権大使のマルレーネ・ビジェラ・デ・タルボット氏と両国の経済や政治について語り合い、大使からは「日本はあらゆる面でほとんど完璧な国です」という言葉を頂いた。エッセイでは「戦後の謀略戦で貶められた歴史の真実」と題して、占領軍が定めたプレスコード(新聞編集綱領)によって歪められた日本のマスメディアの罪を告発し、「真珠湾攻撃を暗号解読で事前にわかっていながら知らされていなかったのに、米太平洋艦隊司令官のキンメル提督が真珠湾の責任を問われ更迭されたことに対して、遺族の要望で、上院でも下院でも名誉回復決議が採択されたが、当時のクリントン大統領も次のブッシュ大統領もこの決議には署名をしていない。認めれば『リメンバー・パールハーバー』の陰謀を認めることになるからだ」と書いた。「APA的座右の銘」は「どの一瞬にも 熱い情熱が溢れる そんな人生を」だった。
六月号(五月五日発行)では衆議院議員の長島昭久氏とビッグトークを行い、安全保障に明るい氏と、憲法改正はまず前文から改正すべきだという話で意見が一致した。原爆投下したアメリカが許されるには、日本は「悪い国」になる必要があった。そこで南京大虐殺も従軍慰安婦も虚構と知りながら、虚構だと認めるわけにはいかない。これがアメリカが捉われている原爆の呪縛であると語り、エッセイでは、私の書いた『本当の日本の歴史 理論 近現代史学』を紹介し、論理的に歴史を分析して真実に辿り着くことの重要性を説き、福島原発の事故で民主党政権の方針は自然放射能値より一ミリシーベルトを越えたところを除染するとか、二十ミリシーベルトで強制避難というには、科学的根拠は全くなく非論理的であると書いた。「APA的座右の銘」は「困難は自らを鍛える好機である」だった。
七月号(六月五日発行)の駐日エストニア共和国大使館特命全権大使のヤーク・レンズメント氏とのビッグトークでは、日本の美的感覚は世界のどこにもなく、独自の言葉を持つ国は、国民の国への帰属意識が非常に高いと語り合い、エッセイでは、安倍首相のアメリカ議会での演説を踏まえ、「日本は『国際協調主義と積極的平和主義』の旗を高く掲げて進め」と主張した。「APA的座右の銘」は「夢は要らない 的確な未来予測の基 戦略人生を歩め」だった。
八月号(七月五日発行)のビッグトークは、駐日ハイチ共和国臨時代理大使のジュディット・エグザビエ氏と、歴史問題への対応を語り合い、遺恨は忘れて、未来志向の関係を築くべきとし、グローバルな視点で評価すれば、日本ほど素晴らしい国はないと意見が一致した。エッセイは、中国や北朝鮮、ロシアなど不安定要因の多い中、アジアの平和のために、安倍政権の長期化が必要だと訴え、血腥い世界の国歌の中で格調高さが際立つ「君が代」と各国の国歌を紹介した。「APA的座右の銘」は「未来への投資 それは知識を得ること 少年よ未来に投資せよ」だった。
九月号(八月五日発行)では、日本語の詩集を出版している駐日トーゴ共和国大使館臨時代理大使スティーブ・アクレソ・ボジョナ氏とビッグトークを行い、国境を越えた相互理解の大切さについて語り合い、日本人は外国の文化を学ぶ姿勢を持ち、自分たちの文化への愛情も深いとした。エッセイでは、新国立競技場建設の迷走など、今にまで禍根を残す、民主党政権三年三カ月の「罪」を指摘した。「APA的座右の銘」は「今日は人生の一過程ではない 未来を創る一日である」だった。
十月号(九月五日発行)のビッグトークでは、世界各国の指導者は、南京事件や従軍慰安婦を信じていないと語り、南京事件に記し書かれていない歴史教科書を作った、一般社団法人「新しい歴史教科書をつくる会」会長の杉原誠四郎氏と共に、歴史の真実を伝える重要性を訴えた。エッセイでは、張作霖爆殺はソ連特務機関の仕業と言う、ロシアの作家ドミトリー・プロホロフ氏との、二〇〇九年十二月号の対談の一部を再掲し、この爆殺事件を再度検証すべきだと主張した。「APA的座右の銘」は「過去は暗記できても未来は暗記できない 洞察力を磨け」だった。
十一月号(十月五日発行)では、自民党の国際情報検討委員会の委員長を務める衆議院議員の原田義昭氏と、戦略的に国際情報発信を行うことの重要性について議論を尽くし、バイアスが掛かっているNHKではなく、別の国際報道メディアの必要性について語った。エッセイでは、ユダヤ系のマーケティング会社を使って、捏造の歴史を正せと提案した。「APA的座右の銘」は「好奇心は常識の源泉 感動を力に 誇れる未来を自ら掴め」だった。
十二月号(十一月五日発行)のビッグトークでは、第六回「真の近現代史観」懸賞論文での優秀賞など、これまで三回の入賞を果たしている慶應義塾大学経済学部教授の塩澤修平氏が、「人口が減少しても、豊かな日本は実現できる。遊び心で人生を楽しむことが、日本の経済を活性化させる」と話され、「先の大戦にいたる道筋には、常にソ連(コミンテルン)の姿があった」と語った。エッセイでは、南京大虐殺の世界記憶遺産登録を踏まえ、日本は一丸となって歴史戦に立ち向かえとし、上海大学の朱学勤教授が指摘している通り、「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在しない」と書き、「APA的座右の銘」は「情報解析能力を培い 世界を俯瞰して 勝てる所で勝て」だった。
一月号(十二月五日発行)のビッグトークのお相手は、第八回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀藤誠志賞を獲得したケント・ギルバート氏だった。氏は、恵まれた日本とは異なり、世界は弱肉強食であることを日本人はもっとよく知るべきだということで意見が一致した。エッセイのタイトルは「世界覇権を目指す中国に緊密な日米同盟で対抗する」で、中国共産党の秘密文書「日本解放第二期工作要綱」に、中国の最終的狙いは「天皇の処刑と日本の共和国化である」と書かれていると指摘。そんな隣国を持つ日本にとって、一番期待したいアメリカの次期大統領は、共和党のマルコ・ルビオ氏だと書いた。「APA的座右の銘」は「人生は短い 未来と戦う過程を楽しみ 時間に負けるな」だった。
このようにApple Townを出してきた二〇一五年が終わろうとしている。二〇一六年の二月五日発売の三月号は、Apple Townの創刊から二十五周年の三百号目になる。継続は力なのだが、よく続いたとも思う。ひとえに私が健康を維持することができ、事業で順調に業績を伸ばしてきたことの賜物だろう。
今月号のApple Townの発行で、二九五回目のビッグトークと二八一回目となる、ペンネーム藤誠志のエッセイを執筆し、第八回となる懸賞論文制度でケント・ギルバート氏を選び、東京会場で五十五回、金沢会場で四十四回、大阪会場で三十六回の全てを塾長として講演し、延べで一万人を超える塾生を集めて開催してきた勝兵塾の主催財団が六月二十四日に公益財団法人に認定されるなど、私の言論活動も今年は社会的に認知された年である。事業として一番心に残っているのは、十一月十三日にアパホテル初の海外ホテルとして、アパホテル〈ウッドブリッジ〉をオープン、その前日にニューヨーク・マンハッタンで記者会見を行ったことだ。ここにその時の記者発表全文を掲載する。
私は元ヤンキースの松井秀喜選手の隣町で生まれ、日本最大のホテルネットワークを運営する創業ホテルオーナーです。十四歳で父を病気で亡くし、奨学金をもらって地元の高校に進学。卒業後は慶應義塾大学経済学部通信教育部に進学しながら地元の金融機関に就職して金融を学び、九年後の二十七歳で脱サラしてアパグループを創業しました。
今やアパホテルは、日本で最大のホテルネットワークを有し、日本全国で提携ホテルを含めて三四七ホテル、五六、六〇七室を運営し、今期決算では売上高七億五千万ドル、経常利益二億三千万ドルを見込む、日本最大で最強の収益力を誇るホテルチェーンであります。
二〇一〇年四月にスタートした第一次頂上戦略(SUMMIT 5)では、東京都心でトップを目指し、これまで東京都心で四十七ホテル、一一、三六五室を展開しています。東京都心へ集中投資したことが、アパホテルのブランドアップと高収益に寄与しています。
二〇一五年四月にスタートした第二次頂上戦略では、提携ホテルを含めたアパホテルネットワークで十万室を目標とし、東京都心から地方中核都市へ展開を広げるとともに、海外展開を視野に入れました。本年度だけでも、アパホテルネットワークとしては五十九ホテル、六、二〇九室が開業し、うちアパホテルブランドでは、アパホテル歌舞伎町タワー二十八階建て六二〇室、品川泉岳寺二十一階建て五六三室、今般開業するアパホテルウッドブリッジの二百室を含め、十三ホテル二、七〇六室が開業します。
このように日本国内におけるホテル客室数が当初の予定より前倒しで日本最大となり、利益水準においてもホテル業界で日本最大規模となったことから、予定よりも二年程度前倒しして、初の海外進出をすることになりました。今般フレンドウェルグループと戦略的提携契約を締結し、合弁会社を設立して、アメリカ全土に「アパホテル」を展開していくこととなりました。その第一弾として、ニューアーク空港から車で二十分、マンハッタンまで電車で二駅三十分の好立地に明日アパホテル ウッドブリッジを開業します。
私はこれまで世界八十一カ国を回り、世界のどのホテルも全て「ご主人様をもてなす召使いの様に振る舞いおもてなしをするホテル」が良いホテルとされてきたことに気づきました。しかし私は、これとは異なる全く新しい理念「ゲストには誇りを持って泊まっていただき、スタッフは誇りを持っておもてなしをするホテル」を目指し、ホテル業界に革命を起こしてきました。
そして今日、日本一となった今、ニューヨーク近郊の「アパホテルウッドブリッジ」から海外展開第一号として、この理念を全米に広げていきたいと思っています。いずれ世界のホテルは「新都市型アパホテル」に収斂されると思います。
アパホテルは「高品質」「高機能」「環境対応型」という理念を持つ「新都市型ホテル」で、1室あたりのCO2排出量は一般的な都市ホテルの三分の一となっています。車はフルサイズのキャデラックからプリウスへ、飛行機はジャンボの七四七から七八七、さらにはリージョナルジェットへと、時代はコンパクト化へと進んでいます。アパホテルはこの新しいホテルのコンセプトを持つ「新都市型ホテル」を全米に展開し、アメリカにおけるホテル文化を変えていく所存です。よろしくお願いします。Thank you!
二〇一五年の締め括りは、毎年十二月八日に明治記念館で開催している「第八回『真の近現代史観』懸賞論文受賞作品集『誇れる国、日本Ⅷ』出版記念パーティー」だ。そして、この日に併せて、思い切って入札に高値札を入れて落札した首相官邸前の総額二百億円プロジェクトの用地買収である。二年後には、赤坂を本拠地と定めるアパのランドマークホテルが出来上がる。「開業のテープカットには近隣代表として安倍総理が来てくれたら嬉しいです」とこの日の挨拶で述べたら拍手が起こった。今回は大使館関係者二十七カ国三十四名と二十四人の国会議員が参加して頂き、筆頭挨拶は外交評論家の加瀬英明氏に、乾杯は産経新聞社代表取締役社長の熊坂隆光氏にお願いし、今回は一、三〇〇名を超える来賓客で大いに盛り上がった。
このパーティーに合わせて、私が中学校の卒業アルバムに遺した言葉「逆境こそ光輝ある機会なり」をタイトルに、「今から始まるアパの世界戦略」をサブタイトルにした最新著作を出版した。表紙には二十九歳で初めて北米大陸旅行に出掛けた時の写真を、裏表紙には、二〇一五年五月にアメリカ進出の準備のために訪れたマンハッタンで撮影した写真をあしらった。中面には三十四歳のときに初めて建設した分譲マンションのカタログに掲載した写真や理念、当時の私の愛車で北陸で一台しかなかった真紅のジャガーV12と一緒の写真、趣味のライフル射撃の写真、F15戦闘機に搭乗し七・五Gを体感した時の写真、ブラジル・イグアスの滝にての写真、国賓として招かれたバーレーンの国王との写真など、これまで会った世界の要人と対談した時の写真、退役した空母が博物館になって現物のスペースシャトルを展示している「イントレピット海上航空宇宙博物館」で撮影した写真、そしてアパホテル〈ウッドブリッジ〉の開業記者会見とオープニングのテープカットの写真などを掲載した。私の考え方やこれまでの生き様が詰まった一冊で、これを読むだけで私のことがかなり理解できるはずだ。多くの人に読んでもらえるように、全てのアパホテルの客室にこの本を置いている。パーティーに先立って、第八回「真の近現代史観」懸賞論文の表彰式も行った。第一回の田母神俊雄氏から、第二回の竹田恒泰氏、第三回の佐波優子氏、第四回の高田純氏、第五回の一色正春氏、第六回の松原仁氏、第七回の杉田水脈氏と、毎年その時々に話題性の高い方々に応募してもらって最優秀藤誠志賞を授与させていただいているが、今年はケント・ギルバート氏が「日本人の国民性が外交・国防に及ぼす悪影響について」で最優秀藤誠志賞を獲得、パーティーの冒頭ではギルバート氏の講演も行われた。
さて、いよいよ二〇一六年のスタートだ。私はこの年の年頭所感を次の言葉に決めた。「ソフトがハードを支配する スタンダードを確立し 世界を席巻する年 限りないロマンに全力でトライし 願望は自ら実現する」である。これにあるように、二〇一六年は世界展開の年だ。「ゲストとスタッフが対等である」といった理念でホテル経営を行った人もいなければ、そういうホテルが世界を席巻するとマンハッタンでの記者発表でメディアの前で断言した人もいない。この言動に見合った年となるように、二〇一六年も全力でトライするつもりだ。
2015年12月23日(水)9時00分校了