七月十五日の日本経済新聞夕刊のトップは、「安保法案を可決 与党単独で、野党反発」という記事だ。「衆院平和安全法制特別委員会は一五日午後、安全保障関連法案を自民、公明両党の賛成多数で可決した。民主、維新、共産の野党三党は質疑打ち切りに反発して採決に加わらず、与党の単独採決になった。与党は一六日の衆院本会議での可決、通過をめざす。安倍政権が今国会の最重要法案と位置づける安保関連法案は、成立に向けて大きな節目を迎えた」「首相は質疑で『国際情勢が大きく変わっている中で今のままで国民を守っていけるのか。切れ目のない対応を可能とする今回の平和安全法制が必要だ』と強調。一方で『残念ながら国民の理解が進んでいる状況ではない』との認識も示した」「関連法案は、自衛隊法や武力攻撃事態法など改正十法案を一括した『平和安全法制整備法案』と、国際紛争に対処する他国軍を後方支援するため、自衛隊の海外派遣を随時可能にする新法『国際平和支援法案』の二本立て。歴代政権が憲法九条により禁じられていると解釈してきた集団的自衛権の行使を認める。成立すれば日本の安全保障政策の大きな転機になる」という。
安倍首相は四月二十九日にアメリカ議会上下両院合同会議で演説、安保法案をこの夏までに成立させると公言し、高い評価を受けた。それは毎年軍事力を増強してくる中国に対して、アメリカが毎年五兆円ずつ軍事費を削減し、東アジアから撤退していく現状においては、日米安保に基づく緊密な日米関係の重要性が今後さらに増してくるという認識が米議会にもあるからだ。日米の関係は今の片務的なものではなく双務的であるべき。例えば朝鮮半島において米韓合同軍が攻撃され、戦火が日本にも及ぶ蓋然性が高い場合には、日本が米軍と一体となって集団的自衛権を行使して国土と国民を防衛するというのは、普通の国であれば当然のことだ。しかし日本の場合には、憲法第九条の存在によって「できないこと」になっていた。こういう行動は憲法を改正してからだという野党の主張はある意味、正しい。しかし現実の憲法改正には高いハードルがある。衆参両院それぞれの議員数の三分の二で発議、それを国民投票にかけ、有効投票の過半数を獲得して改憲が承認される。国民投票法など憲法改正の関連法案は第一次安倍政権時に整備されているが、自虐教育を受け、自虐メディアの報道を日夜聞かされている中、左翼の改憲阻止運動で「九条の会」という護憲を主張する市民団体が二〇一一年段階で既に七、五〇〇もでき、全国組織を作り、多くの支持者を確保しているような現状では、例え衆参両院で三分の二の支持を得ても、改正に必要な国民投票での過半数を獲得することは難しい。迫り来る危機に対応するには、改憲の情勢が整うのを待つわけにはいかず、そこに今回の安保法案の意義がある。しかし民主党を中心とする多くの野党が反対だ。先に引用した記事でも「民主党の岡田克也代表は『今採決する必然性はない。議論するほど反対の国民が増える中で暴挙に出た。政権政党として全く恥ずかしい』と批判」したとある。
夕刊フジが八幡和郎氏の「安保法制考」というコラムを七月十四日、十五日の二日間に亘って掲載していた。「安全保障関連法案の是非について、突然、流れが変わったのは、衆院憲法審査会の参考人招致に、自民党推薦で出席した早稲田大学の長谷部恭男教授が、集団的自衛権の行使容認を含む同法案を『違憲』と表明した一件からだ。『専門家がみんな反対しているのか』と、国民は衝撃を受けた」「しかし、冷静に考えれば、憲法に限らず『そのテーマを扱う学界の大勢に政治や行政は従うべきだ』というコンセンサスは世の中に存在しない。実におかしいことだ」「例えば、日本の経済学界では長らくマルクス経済学が優勢だった。しかし、『彼らの意見に従った経済政策を採るべきだ』などという議論はなかった。そんなことをしたら、日本経済の破滅だった」「そもそも、専門家は自分たちの役割が大きくなるような見解を取ることが普通だ」「憲法学者が何でも憲法違反にしたがるのは職業的利益を得るためとも思える」「彼らの研究は参考になることもあるが、その結論として、憲法学者のほとんどが憲法違反だといっても、あまり意味ない」「『自衛隊は違憲』という人に、安全保障関連法案が合憲か否かと聞いて意味があるのだろうか」「朝日新聞は一一日朝刊に、憲法学者ら二〇九人に安保法案についてアンケートをした結果を掲載した(一二二人が回答)。同法案を『違憲』や『違憲の可能性がある』と答えた人が一一九人、『合憲』は二人だった」「同アンケートでは、自衛隊についても聞いており、『違憲』『違憲の可能性がある』が七七人で、『合憲』『合憲の可能性がある』が四一人だった。また、憲法第九条改正についても、『必要ない』は九九人、『必要がある』は六人だった」「自衛隊は違憲であり改憲もいらない。つまり『日本は非武装であるべきだ』という人が回答者のほとんどだったのだ」「六〇年安保闘争でも『新条約は憲法違反』で『日本を戦争に巻き込む』と騒いだが、半世紀たったいま、安保改定が日本の国際地位を向上させ、アジアに平和をもたらし、日本を戦争に巻き込むことを防いだと岸信介首相が高く評価されている。沖縄の本土復帰も新安保体制あればこそだ」「自衛隊創設や安保締結、安保改定、PKO(国連平和維持活動)などは、そのとき世論の支持を得たわけでないが、政治が決断し、のちに市民権を得た。そうした、過去を憲法学者やマスコミは反省もせず、古い呪文を唱えているのはおかしい」という八幡氏の主張に、私は全面的に賛成だ。
民主党政権下の二〇一一年三月十一日に東日本大震災が発生した。外国人からの献金問題で辞任の瀬戸際だった菅直人首相(当時)は、政権延命のチャンスと、震災直後の福島原発の視察を強行、そのために格納容器のベントが遅れ、高温になった燃料被覆棒のジルコニウムが酸化して出来た水素が原子炉建屋内に充満して、水素爆発を発生させてしまった。爆発する濃度に達する前に銃撃するなり先端の尖った重りなどを上空から落下させるなどして建屋の天井の一部を破壊し、「穴」を開けていれば、空気よりも軽い水素は大気中に飛散し、爆発を回避できたはずだった。しかし、首相が来る前に、微量の放射能も放出してはいけないという思い込みで手遅れとなって、より悲惨な結果を招いた。文部科学省管轄の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)で気流などを考慮した放射能濃度を試算していたにも拘らず、これを公表せず、原発から同心円状に指定した範囲で避難させたために、逆に高濃度の放射能があるエリアに避難させられた人々もいた。低い放射線レベルでも強制避難となり、その影響の「災害関連死」でこれまで福島県の災害による直接死一、六〇〇人を上回る多くの人々が亡くなる一方、放射線で死んだ人は一人もいない。「各国平均の自然放射線による年間被ばくの比較」(平成二六年日本原子力学会秋の大会)は、世界の平均が二・四ミリシーベルト、日本では二・一ミリシーベルトだが、北欧では四ミリシーベルト、イランのラムサールでは十ミリシーベルトにも及ぶ。これら高放射線の場所でも人々は健康に生活している。にも拘らず、当時の民主党政権の細野豪志環境大臣によって、除染目標が北欧やラムサールよりも全く安全値の、日本の基準値の一ミリシーベルトを超えたところに設定してしまったために、必要もない膨大な除染作業を発生させてしまい、その莫大な費用がその後の国民の大きな負担となっている。
東北では除染や災害復興、防潮堤の整備などで、労働者が良い条件の仕事が増加し、出稼ぎをする必要がなくなって地元に留った。この結果、首都圏では予定していた人が集まらず、マンションやホテルをはじめ、あらゆる建設事業の工期が伸び、建設費が高騰してしまった。新国立競技場の建設費が当初の見積もりを遥かに超えることになったのも、元はと言えば、民主党政権がコンクリートから人へと公共事業を減らして建設労働者が少なくなっていたところに、東北地方の防潮堤の整備や過度な除染基準による作業によって多くの建設現場で極端な人手不足に陥ったことが原因だ。
この防潮堤は、東北沿岸で総延長三百九十キロメートルにわたり、総事業費一兆円もの予算で整備しようとしているもので、岩手県大槌町の赤浜地区のように、この防潮堤を住民が拒否した地域もある。その理由は、住民の視界を遮るために、逆に海の変化が察知できなくなるからだ。自分の目で見て耳で聞いてからでも避難が間に合う、そういった施設として私が東日本大震災直後から提案しているのは、防災マンションだ。東北沿岸部で人の住んでいる所に海岸線に直角になるように、二百メートル間隔で六階建て以上で一、二階を駐車場とした鉄筋コンクリートのマンションを建設し、誰でも一階から屋上に避難出来る非常階段を設ける。六階の屋上であれば、東日本大震災クラスの津波にも対抗でき、二百メートル間隔であれば、百メートル走れば誰もが避難することができるからだ。それらを国の補助金で建設し、安価で販売・賃貸すれば、多くの漁業従事者や水産加工業従事者が利用するだろう。防潮堤建設よりも遥かに少ない事業費で済み、首都圏など他地域の労働力を奪うことも少なくなる。
そもそも新国立競技場のデザインを、安藤忠雄氏を委員長とする審査委員会がザハ・ハディド氏の案に決定したのは、二〇一二年十一月、民主党政権下のことだ。安倍政権が誕生したのは、その一カ月後。民主党の枝野幹事長はデザインは決めたが、予定価格を一千億円も超える計画にゴーサインを出したのは安倍政権と主張しているが、民主党の責任は大きい。政権の安定性を維持するためにも、前政権が決定したものを粛々と引き継いで実行するのは、後継政権としては当然のことであり、それを前政権やマスメディアが非難するのは、それこそ政権交代を想定した議会制民主主義のルールに反するだろう。
そもそも新国立競技場がこのデザインに至ったことが東京オリンピックが決定した大きな要因でもあった。全く安全な原発まで停止させて、年間三兆円もの原油の輸入費増を招いていることを非難せず、たかだか一千億円程度、建築費が上回ったことを非難しているメディアや民主党はおかしい。オリンピック開催の経済効果は、少なくとも今後数十年は続き、将来的な経済波及効果は十数兆円になると私は考える。しかし、予算がないと言うのであればデザインを変えずに一千億円もかかると言われる二本のキールアーチのそれぞれの真ん中あたりを支える逆三角形の柱を建てるなどのVE(Value Engineering)案を採用することで、おそらく五百億円程度は削減出来る。工期も二カ月程度は短縮でき、二〇一九年に開催予定のラグビー世界大会にも間に合うだろう。低金利の今、五年の国債利回りは〇・一%程度であり、これの倍の〇・二%の金利を付けた期間五年のオリンピック国債を五百億円発行して賄っても、月々の金利は八百万円程度であり、ネーミングライツを売ればその金利分の資金を集めることができるだろう。その償還期限として、観客席の一部、二千席程度を三十年間利用できる客席として、希望者には記名式として、五年かけて一席五百万から三千万円くらいで募集すれば、多くの企業や個人がオリンピック支援の為にと購入するであろうし、その資金を国債の償還原資にすれば良い。
アメリカ占領下で制定された日本国憲法は、占領者は占領地の現行法律を尊重しなければならないと規定しているハーグ陸戦条約第四十三条に明確に反している。この憲法は「日本を再び世界の強国としてはならない」というアメリカの意図から作られたものであり、その前文からして、ナンセンス極まりないものだ。第九十六条で定められた改正のハードルが非常に高いために、一字一句改正することなく、施行から六十八年を経過してしまったが、世界の情勢はその間大きく変化してきている。かつては日本軍のおかげで共産党が政権を奪取できたと毛沢東が感謝していたような国、中国は、公表しているだけで年間軍事費約十七兆円と、日本の三・四倍で、アメリカに次ぐ世界第二位の予算規模を持つ軍事大国となってしまった。
「文藝春秋」八月号に元読売新聞中国駐在編集委員の加藤隆則氏の「習近平暗殺計画」というスクープ記事が掲載されている。これによると、習近平主席の反腐敗運動によって失脚した周永康氏と薄煕来氏らの「真の罪」は、結託して政府転覆計画を立案したことであり、その計画の中には習近平暗殺計画も入っていたというのだ。しかし周氏と薄氏らを粛清し、さらに長年の課題であった人民解放軍の掌握を、元軍トップの徐才厚氏らを収賄で追求することで果たした習主席は、ライバルを排除して、ようやく党内の権限を完全に握った。五月に訪中した自民党の二階俊博総務会長と和やかな雰囲気の中で握手を交わすことが出来たのも、政権を掌握した結果である。中国バブルの崩壊に怯える習主席は経済再興の為にも今後の日中関係修復を急ぐ必要があったのだ。
日本が軍事力をつけていくことが、中国首脳部にとっても期待していることであり、東アジアのバランス・オブ・パワーの維持に繋がり、中国の一部のメディアや冒険主義者の煽りを抑え、戦争抑止に貢献することになる。どんな国でも政権中枢の人達や軍人は本当は戦争を望んでいない。だからそのためにも日米の緊密な軍事同盟が必要であり、その前提になるのが集団的自衛権の行使容認なのだ。今回の安保法案は、この集団的自衛権行使のため、限界ぎりぎりの憲法解釈によって作られた労作だ。戦争法案と呼ぶ党もあるがそれは間違いであり、戦争抑止法案というのが妥当だ。そもそも普通の国であれば、憲法の制約がないためにこんな法律は必要ない。この法案が七月十六日に衆議院で可決したのも当然のことであり、参議院で採決できなくても衆議院で再可決できる六十日ルールがあることから、今国会での成立はほぼ確実だろう。安倍政権は目標としていた一つの大きなハードルを乗り越えたと言える。
安倍首相が自民党総裁に就任した二〇一二年九月二十六日の日経平均株価は八千九百六円、為替レートは一ドル七十七円七十二銭だった。これに比べると、今株価は二・三倍、円の価値は三分の二になった。円安のおかげで、日本の輸出産業の業績は大幅に伸び、海外からの観光客が大幅に増えて、中国人観光客の「爆買」が日本経済の好調ぶりを嵩上げしている。しかしマスメディアはいいことを一切書かず、政権の揚げ足取りに終始していて、非常に自虐的だ。かつてはアメリカが占領政策によって日本に自虐史観を持つように仕向けたのだが、時が経ち、今アメリカが求めているのは、対等なパートナーとしての日本の存在だ。時代はどんどん変化しており、そんな中、六十八年間変えずにきた憲法をこれからも一字一句変えないという護憲勢力は、世界を知らなさすぎる。そういった人々は、先の大戦で日本が果たした肯定的な側面も見ようとはしない。離れて見ると美しい景色でも、近寄って見ればそこでは生物界の残酷な生存競争が展開している。物事は一面だけを見るのではなく、全体を見渡すことが大切なのだ。先の大戦後の日本はGHQの発令した言論統制(プレスコード)によって毒された自虐メディアとGHQが作った日教組の教育によって国民が洗脳され続けてきた。そのピークは七〇年安保を戦った団塊の世代だ。しかし彼らも六十代後半となってどんどん引退し、新しい考えを持つ世代が社会の中心となってきている。時間が経過すれば、自然に日本がもっと健全な考えの国になるのは確実だが、世界情勢はそこまで待ってはくれない。まずわかっている人が声を上げるべきであり、私は引き続きこのエッセイや勝兵塾、「真の近現代史観」懸賞論文募集などを通じて、本当のことを人々に発信し続けていきたい。
2015年7月24日(金)1時00分校了