二〇一五年四月八日、恒例「日本を語るワインの会」が代表自邸にて開催されました。アメリカで解放された奴隷たちが作った国でアフリカ初の黒人国家であるリベリア共和国駐日大使のヤンゴー・セベリー・テレウォダ氏、銀行員から県議、そして国政を担うようになった衆議院議員の鬼木誠氏、様々な志を持った人々が交錯するメキキの会会長の出口光氏、無料きもの着付教室を入口にきもの販売仲介業を展開する日本和装ホールディングス株式会社取締役の佐藤正樹氏、かつて神戸市議を三期務めた株式会社メインステージ代表取締役社長の吉田やす子氏をお招きして、歴史から政治・経済まで幅広く議論を交わしました。

「夢」に置き換えられた「志」志教育を復活すべきだ
リベリア共和国は、アメリカで開放された奴隷の移住地として始まり、一八四七年という極めて早い段階に独立を果たしたアフリカ初の黒人国家だ。人口は四百三十万人で国土は日本の約三分の一になる。公用語は英語で、プロテスタントが八五%を占めている。そもそも始まりは、アメリカの白人によって設立されたアメリカ植民協会が、奴隷から自由になった黒人のアフリカへの帰還運動を始めたことだ。移民達は土着のアフリカ人とも友好的な関係を持ち、どこからも支配されない国家を目指した。内戦など政情が不安定な時期もあったが、二〇〇六年にサーリーフ氏がアフリカ初の女性大統領として就任、二〇〇八年のリーマン・ショックも乗り越えて、国家再建を着実に進めている。二〇一一年にサーリーフ大統領はノーベル平和賞を受賞。また大統領選でも再選された。内戦時には国連から一万五千人もの平和部隊がリベリアにやってきていたが、今はコンゴの平和維持部隊に軍隊を参加させている。日本はリベリアを政府だけではなく民間からもサポートしている。
 「志」という言葉は先の大戦後、アメリカによって日本の教育の場で使うことが禁じられるようになり、「夢」という言葉に置き換えられた。夢というのは基本的にはパーソナルなものだが、志はもっとパブリックなものだ。「私の夢はフェラーリに乗ること」とは言うが、「私の志はフェラーリに乗ること」とは言わない。しかしこの志は過去六十九年間日本の教育の中では一切使われず、教科書に記載されることもなかった。二〇一三年安倍首相直属の教育再生実行会議の答申の中に志教育の大切さが盛り込まれるなど、志教育の復活が進みつつある。出口光氏の曽祖父は新宗教「大本」の教祖の出口王仁三郎。宗教への反発からサイエンスの道を選び、慶応義塾大学からカンサス大学大学院に留学し、応用行動分析学で博士号を取得した。応用行動分析学は人間の心を全く扱わず、物理的な行動のみを分析する学問だ。帰国して数年間は大学教員をしていたが、曽祖父の教えである「良い社会を作る」ことを実践するために実業界に転身、紳士・婦人服販売の株式会社タカキューの社長を八年間務める。ガンが見つかったことをきっかけに、やりたいことをやろうと考えて、志を持つ人々の繋がりを作るメキキの会を二十年前に作った。メキキの会は二〇二〇年までに世界二百カ国、千五百市町村に志教育を広げていく計画だ。

論理的にあり得ないことが 歴史の定説となっている
安倍首相が自民党総裁になってから二年七ヶ月。株価は二・二倍に、為替は五〇%安になった。長年円高を強いられて来たことが、日本がデフレをなかなか脱却できなかった原因だ。日本銀行総裁の黒川氏による異次元の金融緩和によって、ようやく円安・株高となり、デフレ脱却の道筋がついた。輸出産業を中心に企業業績が改善し、景気浮揚が現実のものとなろうとしている。また国政も安倍首相の下、改革が進んでいる。このまま安倍政権が長期政権となることを望んでいる人は多い。
 代表は今「理論物理学」から着想を得た歴史を論理的に分析する「理論近現代史学」の本を執筆している。南京大虐殺で三十万人殺害されたと言っているのは、日本軍入城前の南京の人口が二十万人で入城二カ月後の人口が二十五万人ということから判断すると、あり得ない。従軍慰安婦として二十万人が朝鮮半島から強制連行されたとすれば、朝鮮の男性はなぜ抗議しなかったのか。抗議したとの記録はない。これもあり得ない。真珠湾攻撃で沈没、千二百人の犠牲者を出した戦艦アリゾナだが、空爆が終わった六分後に弾薬庫が誘爆し、沈没したというがこれもあり得ない。真珠湾で沈没した艦船で弾薬庫が誘爆した例はない。張作霖爆殺事件の現場写真では、客車の天井に穴が開いていて車内で爆発があったと推測される。犯人とされる河本大佐が言う鉄橋の橋脚に爆薬を仕掛けたということはあり得ない。しかもこの事件に関しては、イギリスの陸軍情報部極東課が使用された火薬がソ連製だったことから、ソ連の特務機関の犯行とする報告書を本国に送っている。これらのことがなぜマスメディアで報道されないのか。先の大戦直後にGHQによって定められたプレスコード(新聞編集綱領)によって、ソ連への批判も中国批判も朝鮮人への批判も禁止されているからだ。

今でもメディアが守る プレスコードの禁止項目
プレスコード制定の理由は、アメリカの原爆投下だ。敗戦直後の九月十八日に朝日新聞が「原爆は国際法違反の戦争犯罪である」という鳩山一郎の談話を掲載したことに対して、GHQは朝日新聞に発行停止二日間の処分を下し、翌十九日にプレスコードを発布した。以来朝日新聞はプレスコードの番人となった。長年プレスコードの存在が表に出ることは一切無かったが、代表が昨年の三月、産経新聞に広告としてプレスコードのことをマスメディアに初めて掲載した。それを支援者の質問から知った杉田水脈氏が四月に国会でプレスコードに関して二回に亘って質問を行った。また今年の三月には衆議院の総務委員会のNHK予算に関する質疑の中で、鬼木誠氏がプレスコードに触れ、これはNHKでも報じられた。
 杉田氏が質問した時には、政府参考人の外務省大臣官房参事官の水嶋光一氏が、「サンフランシスコ平和条約の発効に伴って失効している」と答弁した。これに対して杉田氏は「でも自主規制は残っているのではないか」と切り返すべきだった。実際、朝日新聞を中心として自主規制はしっかりと続いている。産経新聞でも書けないことは多く、例えば「大東亜戦争」という言葉は使えない。田母神俊雄氏も某テレビ局の番組に出演する時に、大東亜戦争と言ったらカットすると告げられたという。理由はプレスコードで「大東亜共栄圏の宣伝」が禁止されているからだ。森喜朗元首相が「神の国」と発言したことをメディアが殊更問題にしたのも、プレスコードで「神国日本の宣伝」が禁止されているからだ。占領下の日本では、GHQに雇われた五千人もの日本人検閲官が、新聞や書籍はもちろんのこと、手紙を開封してチェックすることまで行って、プレスコードを順守させたのだ。サンフランシスコ講和条約によって日本の独立が回復した後、彼ら戦後敗戦利得者と言える検閲官は、売国奴と呼ばれないようにアメリカと連携しながら日本の中枢に静かに浸透して、次第に東大法学部卒業生を構成員とするステルス複合体へと変化していく。彼らは官界、法曹界、財界、メディアへと広がってネットワークを作り、法に触れない範囲で阿吽の呼吸で連携して戦後日本を動かしてきたのだ。四月の教科書検定では、初めて南京大虐殺を掲載しない歴史教科書として、自由社の「新しい歴史教科書」が合格した。時代は徐々に良い方向に変化しつつある。

内部リークが出ることは 反日自虐の巣窟である証明
鬼木氏はNHK予算に関する質問の中で、公共放送で反日自虐番組を全世界に向けて垂れ流すなと主張し、籾井勝人会長にNHKの改革をどんどん進めて欲しいと要望した。反日自虐の放送を止めるべく籾井氏は奮闘しているのだが、周囲からの風当たりが非常に強くて、可哀想だ。籾井氏に反発するNHK内部の勢力からの情報リークも出てきていて、ハイヤー代など取るに足らない件で、揚げ足を取られている。あのハイヤー代の件も、説明を聞くとなんらおかしな話ではない。ゴルフに行くからわざわざ公用車ではなくハイヤーを秘書室に手配させ、料金は自分で払うとちゃんと伝えていたにも拘らず、秘書室がハイヤー会社からの請求書に対して勝手に経費で清算を行っていただけのことだ。NHKの特権を私的に利用しているのなら、ハイヤーなど頼まず、そのまま公用車でゴルフに行くだろう。こんな内部告発がある事自体、反日自虐の巣窟となっている証明だ。百田尚樹氏も結局NHK経営委員を退任することになった。籾井氏には抵抗勢力にも負けずに、さらに改革を頑張って欲しい。
 吉田やす子氏は神戸市の市会議員を三期務めた。鬼木誠氏も福岡県議会議員を三期務めている。二人に共通するのは、政権与党ではない時代の自民党の地方議員だったということ。民主党政権下では自民党に対するバッシングも強かったが、逆にそれが鬼木氏の場合は国政にチャレンジする活力となったという。「ストリート・スマート」という言葉がある。学校の優等生である「アカデミック・スマート」とは異なり、路上で五感を磨いて能力を身につけのし上がって、地位を築いた人々のことだ。鬼木氏や吉田氏ももちろんのこと、代表もこのストリート・スマートと呼んでも過言ではないだろう。これからは、こういう人々が日本の最前線で活躍する時代となる。
 企業経営上の目的として、売上利益の最大化を求める企業は、いずれ倒産する。高度経済成長期とは異なり、今の世の中は非常に変動が激しく、三十年以上続けて増収増益などということはあり得ない。これを掲げる企業はどこかで粉飾決算を行っている。粉飾は麻薬のようなもので、中毒となった企業は破綻への道を辿っている。また無借金経営を自慢している会社もあるが、無借金だと資金にコストが掛かっていないので、緊張感がない。アパグループは適度に借金を行い、緊張感を保った経営を行っている。また売上や利益には当然波があるが、創業以来一度の赤字もなく一人のリストラもしていない。今、アパグループの業績は絶好調だ。一平方メートルあたりの宿泊単価では、日によってはアパホテルは並居る外資系高級ホテルよりも高いことがある。しかも通常のシティホテルに比べて炭酸ガスの排出量が三分の一(自社調べ)という非常にエコなホテルでもある。