二〇一四年十二月九日、恒例「日本を語るワインの会」が代表自邸にて開催されました。独立後、約二十年に亘って日本との外交関係を育ててきたボスニア・ヘルツェゴビナ大使館大使のアネッサ・クンドゥロビッチ氏、銀行マンから球団社長に華麗なる転身を果たした千葉ロッテマリーンズ取締役社長の山室晋也氏、地球一周の船旅を企画する国際的なNGO・ピースボートのスタッフのローズ・ウェルシュ氏、勝兵塾でも含蓄のある講義を行なっている山元学校学長の山元雅信氏をお迎えし、野球からビジネスまで、様々な話題で盛り上がりました。
多文化が共生しているボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニア・ヘルツェゴビナは、クロアチア、セルビア、モンテネグロに囲まれたバルカン半島の国。人口は約三百九十万人、首都はサラエボになる。冷戦終結、ユーゴスラビア崩壊、独立と紛争を経て、EUとNATOへの加入に向けて、着々と準備が進められている。宗教はキリスト教が四〇%、イスラム教が四〇%、残りがユダヤ教と三つの宗教が混在している。イスラム教と言ってもヨーロピアンスタイルで、モスクで祈ることもしない。日本人が仏教徒と言いながら、日々の生活では何もしないのに似ている。
ボスニア・ヘルツェゴビナには、ユネスコの世界遺産もある。ローマ時代からの古い歴史を持つ街・モスタルにある「スタリ・モスト」(古い橋)は、十六世紀にオスマン帝国施政下に作られた美しいアーチ型の石造りの橋だ。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の一九九三年にクロアチア人勢力によって破壊されてしまったが、二〇〇四年に再建され、その翌年に世界遺産に登録された。東西南北の文化が入り交じるモスタルの街とこのスタリ・モストは、ヨーロッパでも人気の観光地となっている。もう一つの世界遺産は、ヴィシェグラードという町にあるソコルル・メフメト・パシャ橋だ。これも十六世紀末、オスマン帝国によって築かれたアーチ型の橋だ。多文化が共生していたボスニア・ヘルツェゴビナの街並みは、西欧人や日本人にとって非常に新鮮に映るはずだ。
ボスニア・ヘルツェゴビナには、ユネスコの世界遺産もある。ローマ時代からの古い歴史を持つ街・モスタルにある「スタリ・モスト」(古い橋)は、十六世紀にオスマン帝国施政下に作られた美しいアーチ型の石造りの橋だ。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の一九九三年にクロアチア人勢力によって破壊されてしまったが、二〇〇四年に再建され、その翌年に世界遺産に登録された。東西南北の文化が入り交じるモスタルの街とこのスタリ・モストは、ヨーロッパでも人気の観光地となっている。もう一つの世界遺産は、ヴィシェグラードという町にあるソコルル・メフメト・パシャ橋だ。これも十六世紀末、オスマン帝国によって築かれたアーチ型の橋だ。多文化が共生していたボスニア・ヘルツェゴビナの街並みは、西欧人や日本人にとって非常に新鮮に映るはずだ。
球団経営でも大切なのは継続的な営業活動だ
山室晋也氏はみずほ銀行の執行役員から千葉ロッテマリーンズの球団顧問に、そして二〇一四年の一月に社長に就任した。みずほ銀行時代にはアパグループの担当もしていたことがある作家・江上剛氏とも親交があった。山室氏は身長百八十六センチの長身で、プロ野球選手と渡り合うには丁度良い。食べ物が良くなり椅子の生活をすることで、日本人の平均身長は徐々に伸びてきたが、体力や運動能力は弱くなってきている。それは子供の頃から昔のように外で遊ぶことがなくなり、運動する機会が激減しているからだ。昔は空き地で野球をしたり、ちゃんばらをしたりして、体を使って遊ぶのが普通だった。この傾向は、ボスニア・ヘルツェゴビナでも同じだそうだ。
野球は日本では一番人気のあるスポーツで、ドラマチックな展開が面白い。二〇一四年のシーズンでも、九月二十四日の千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリンフィールド)で、マリーンズの角中勝也選手がホームラン性の打球を放ったが、ビデオ判定で結局ファールになった。しかしその直後に文句なしのソロホームランを打った。一打席で二本ホームランを打ったようなものだ。日本航空第二高等学校出身で甲子園経験のない角中だが、独立リーグを経てロッテに入団した苦労人であり、ハングリーさと運と強靭な精神力を持っている。だからこそ、ファール判定になっても、再度ホームランを打つことができたのだろう。ヨーロッパ発祥のオリンピックでは日本が強い競技がどんどん廃止されてきて、野球とソフトボールも北京オリンピックを最後に採用競技から外れた。しかし二〇一四年十二月の国際オリンピック委員会の臨時総会で、開催都市の実施競技・種目の追加が認められることになり、二〇二〇年の東京オリンピックで野球とソフトボールが復活する可能性が出てきた。日本人にとっては、とても嬉しいことだ。
球団経営には独特の観点が求められる。どの商売でも同じだが、最も大切なのは営業活動であり、アパホテルでもホテル社長を中心に営業に非常に力を入れているが、球団も同じだ。チームの成績や観客動員数が大切なのは確かだが、これらは不確定要素が多い「水物」だ。成績や観客数に頼っていると安定した売上数字を作ることはできない。まずはスポンサーなど確実に数字を確保できるところから注力するのが常道。その際には、スポンサーが求めるものをしっかりと捉え、それを実現できるようにしてあげることが大切だ。さらに一度お取引をいただいたスポンサーとは、出来る限り長く取引を続ける努力をすること。新規のスポンサーを獲得するには、今のスポンサーを確保し続けることの何倍ものパワーが掛かるからだ。
ローズ・ウェルシュ氏がスタッフを務めるピースボートは、地球一周の船旅で国際交流を図るという日本発の活動で、一九八三年にスタートした。年間四回のクルーズがあり、一回の期間は約百日だ。北半球コース、南半球コースなど、クルーズによって様々なコースがある。学生から年配者まで幅広い層の人々が乗船して、交流を楽しみながら冒険をして経験値を積んでいる。
野球は日本では一番人気のあるスポーツで、ドラマチックな展開が面白い。二〇一四年のシーズンでも、九月二十四日の千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリンフィールド)で、マリーンズの角中勝也選手がホームラン性の打球を放ったが、ビデオ判定で結局ファールになった。しかしその直後に文句なしのソロホームランを打った。一打席で二本ホームランを打ったようなものだ。日本航空第二高等学校出身で甲子園経験のない角中だが、独立リーグを経てロッテに入団した苦労人であり、ハングリーさと運と強靭な精神力を持っている。だからこそ、ファール判定になっても、再度ホームランを打つことができたのだろう。ヨーロッパ発祥のオリンピックでは日本が強い競技がどんどん廃止されてきて、野球とソフトボールも北京オリンピックを最後に採用競技から外れた。しかし二〇一四年十二月の国際オリンピック委員会の臨時総会で、開催都市の実施競技・種目の追加が認められることになり、二〇二〇年の東京オリンピックで野球とソフトボールが復活する可能性が出てきた。日本人にとっては、とても嬉しいことだ。
球団経営には独特の観点が求められる。どの商売でも同じだが、最も大切なのは営業活動であり、アパホテルでもホテル社長を中心に営業に非常に力を入れているが、球団も同じだ。チームの成績や観客動員数が大切なのは確かだが、これらは不確定要素が多い「水物」だ。成績や観客数に頼っていると安定した売上数字を作ることはできない。まずはスポンサーなど確実に数字を確保できるところから注力するのが常道。その際には、スポンサーが求めるものをしっかりと捉え、それを実現できるようにしてあげることが大切だ。さらに一度お取引をいただいたスポンサーとは、出来る限り長く取引を続ける努力をすること。新規のスポンサーを獲得するには、今のスポンサーを確保し続けることの何倍ものパワーが掛かるからだ。
ローズ・ウェルシュ氏がスタッフを務めるピースボートは、地球一周の船旅で国際交流を図るという日本発の活動で、一九八三年にスタートした。年間四回のクルーズがあり、一回の期間は約百日だ。北半球コース、南半球コースなど、クルーズによって様々なコースがある。学生から年配者まで幅広い層の人々が乗船して、交流を楽しみながら冒険をして経験値を積んでいる。
世の中の変化にしたがって求められるホテルも変化
日本人の特性は、仕事を遊ぶということだ。だから定年が悲しい。欧米ではハッピーリタイアメントという言葉があるが、日本には当てはまらない。アパグループでは六十歳が一応定年だが、その後も希望者を継続的に雇用していて、最高齢者は七十一歳だ。ヨーロッパではバカンスとして一カ月休みを取るが、日本では一週間がせいぜい。というのも仕事が好きで楽しんでいるし、職場の仲間との繋がりが大切で、一カ月もそれがないと寂しくてしょうがなくなるからだ。フランス人は一カ月のバカンスのために一年頑張るというが、本当にそうか。とにかく「バカンス楽しかった」と人に言うために、バカンスに無理やり行っている人もいるのではないか。日本人にとっては、旅行は一週間ぐらいが丁度良い。
誕生から三十年、アパホテルのビジネスモデルは、効率化による高収益のホテル経営だ。通常のホテルビジネスでは、GOP(売上総利益)は三〇〜四〇%だが、アパホテルはその倍ある。八百二十五万人のカード会員を擁し、キャッシュバックと大浴場という魅力があるためにどのホテルも高稼働率だ。東京エリアのホテルは一〇〇%以上、郊外でも七五%の稼働率を誇る。これは代表が世界七十九カ国を旅して、ユーザーサイドに立ったホテルデザインを追求した結果だ。例えば一人でホテルに宿泊する時に、浴室との往復だけで風邪をひくような広さは必要ない。スイッチ類も目の前にあってすぐに操作できる方が便利だろう。多くの人は部屋は小さくても良いし、むしろ大浴場などパブリックスペースの充実を求める。これに気づいたのだ。
車がキャデラックからプリウスへ、旅客機がボーイング七四七のジャンボから、最新鋭のスリムな七八七に変わってきたのと同じようにホテルも変わり、アパホテルが打ち出す「新都市型ホテル」が今後の主流となる。客室には使用する水の量が少なくて済む楕円形の浴槽を導入するなど、環境面にも極力配慮。しかし四〇型の大きなテレビを導入したり、各部屋でWi‐Fiが使えたりと高機能も自慢だ。結果アパホテルは一人当り単価は高くはないが、単位面積当りの単価は国内のホテルでトップクラスだ。都心のアパホテルは人気で、予約がなかなか取れないところが希少価値を生み出している。また東京のホテルの稼働率が一〇〇%以上なのは、急用でお客様が夜チェックアウトした部屋を、支配人自らが掃除をして、もう一度売っているからだ。このような従業員一体になった姿勢も、アパホテルの強みだ。
三十年掛かって、アパホテルはパートナーホテルも含めれば、日本の全都道府県に進出することができた。国内で十万室を達成した後に海外展開を開始する予定であり、それには後五年程度は必要だ。最初に展開するエリアは、台湾・インドネシア・フィリピンなどのアジアになる。その次はヨーロッパだ。他のホテルの二倍の収益力を持つアパホテルのビジネスモデルは、海外でもその威力を発揮するだろう。海外展開の際にはまずフランチャイズホテルということになるが、その場合はアパホテルのノウハウに全面的に従ってもらう必要がある。
誕生から三十年、アパホテルのビジネスモデルは、効率化による高収益のホテル経営だ。通常のホテルビジネスでは、GOP(売上総利益)は三〇〜四〇%だが、アパホテルはその倍ある。八百二十五万人のカード会員を擁し、キャッシュバックと大浴場という魅力があるためにどのホテルも高稼働率だ。東京エリアのホテルは一〇〇%以上、郊外でも七五%の稼働率を誇る。これは代表が世界七十九カ国を旅して、ユーザーサイドに立ったホテルデザインを追求した結果だ。例えば一人でホテルに宿泊する時に、浴室との往復だけで風邪をひくような広さは必要ない。スイッチ類も目の前にあってすぐに操作できる方が便利だろう。多くの人は部屋は小さくても良いし、むしろ大浴場などパブリックスペースの充実を求める。これに気づいたのだ。
車がキャデラックからプリウスへ、旅客機がボーイング七四七のジャンボから、最新鋭のスリムな七八七に変わってきたのと同じようにホテルも変わり、アパホテルが打ち出す「新都市型ホテル」が今後の主流となる。客室には使用する水の量が少なくて済む楕円形の浴槽を導入するなど、環境面にも極力配慮。しかし四〇型の大きなテレビを導入したり、各部屋でWi‐Fiが使えたりと高機能も自慢だ。結果アパホテルは一人当り単価は高くはないが、単位面積当りの単価は国内のホテルでトップクラスだ。都心のアパホテルは人気で、予約がなかなか取れないところが希少価値を生み出している。また東京のホテルの稼働率が一〇〇%以上なのは、急用でお客様が夜チェックアウトした部屋を、支配人自らが掃除をして、もう一度売っているからだ。このような従業員一体になった姿勢も、アパホテルの強みだ。
三十年掛かって、アパホテルはパートナーホテルも含めれば、日本の全都道府県に進出することができた。国内で十万室を達成した後に海外展開を開始する予定であり、それには後五年程度は必要だ。最初に展開するエリアは、台湾・インドネシア・フィリピンなどのアジアになる。その次はヨーロッパだ。他のホテルの二倍の収益力を持つアパホテルのビジネスモデルは、海外でもその威力を発揮するだろう。海外展開の際にはまずフランチャイズホテルということになるが、その場合はアパホテルのノウハウに全面的に従ってもらう必要がある。
大手ディベロッパーと堂々渡り合う戦略へ
週刊ダイヤモンドの二〇一四年十二月十三日号の「短答直入」というインタビューページに代表が登場、これからどんどん大型ホテルや高級マンション物件を展開する話が掲載されている。アパグループの方針として、これまでホテルについては自社保有が基本だった。決算では利益の半分が建物の減価償却で消え、残りに税金が掛かるのが通例だったが、法人税率の低下に伴い最終的な利益がより多くなり、内部留保がどんどん増えてきた。毎年ホテルの建設費としてキャッシュを使用しても、まだ余力があるために借入金がどんどん減少してきた。しかし今のような低金利の時代に借入金を減らすことは、金融機関から経営能力に疑問符をつけられる可能性がある。そこでアパグループはこれまでのニッチな物件を中心としていた経営戦略を大きく変更し、大手と堂々と渡り合う戦略を取ることを決めた。従来は大手と競合しない土地を仕込んでホテルやマンションを建設してきたが、これからは大手も進出するような一等地での戦いになる。その皮切りが二〇一五年の秋にオープンする六百二十室のアパホテル〈歌舞伎町タワー〉だ。また二〇一八年には両国に千室の大型ホテルを開業する予定だ。
十二月にミャンマー、ブラジル、アメリカのラスベガス、そして一月に再びミャンマーとこの一月半に代表は四カ国の訪問を行う。国民の九割が仏教徒の仏教国であるミャンマーは、非常に穏やかな国だった。インパール作戦で亡くなった旧日本軍兵士を弔う慰霊碑が各地にあり、それらにお参りをしてきた。食事は一日二回で基本ご飯と汁のみという質素なものが多かった。
十二月にミャンマー、ブラジル、アメリカのラスベガス、そして一月に再びミャンマーとこの一月半に代表は四カ国の訪問を行う。国民の九割が仏教徒の仏教国であるミャンマーは、非常に穏やかな国だった。インパール作戦で亡くなった旧日本軍兵士を弔う慰霊碑が各地にあり、それらにお参りをしてきた。食事は一日二回で基本ご飯と汁のみという質素なものが多かった。