元谷 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。以前、前任のサミ・ウケリ大使と対談させていただきました。シャラさんは日本に赴任して、どれぐらい経ちましたか?
シャラ 丁度今日で丸十五カ月です。
元谷 もうそんなになりますか! では日本について、かなり詳しくなりましたね。
シャラ はい、去年よりは詳しくなりました(笑)。
元谷 普段は東京だと思いますが、それ以外、日本各地へはかなり行かれましたか?
シャラ いいえ。残念ながらあまり行くことができておりません。オフィスや東京での日々の仕事がかなり忙しいのです。しかし、京都、広島、新潟、静岡など、著名な場所を中心に訪れるようにしています。静岡では富士山の美しい姿を眺めることができました。日本の誇りですね。
元谷 全てアパホテルがある場所です(笑)。静岡県富士市にも、今年の四月にフランチャイズホテルとして、アパホテル〈富士中央〉がオープンします。南は石垣島から北は北海道まで、アパホテルは全国に約二百三十棟、四万室に近い部屋数を誇るホテルグループになりました。石垣島など地方にはフランチャイズホテルや買収したホテルが多いですが、東京では大半が新築してアパグループが所有するホテルです。
シャラ おめでとうございます。それは素晴らしい功績ですね。今度、ぜひ宿泊させてください。コソボにも建設して頂きたいですね。良い投資になることは間違いないでしょう。
元谷 はい、ぜひ。六年後の東京オリンピックでは、両国国技館がボクシング会場になる予定です。二年後その隣に、アパホテル〈両国駅前〉が完成します。また来年末には五百室の大型ホテル・アパホテル〈巣鴨駅前〉がオープンするなど、今年から再来年にかけて、ずっとオープンラッシュです。
シャラ 凄い勢いですね。素晴らしいことです。おめでとうございます。
元谷 コソボ共和国は、南スーダンに次いで、世界で二番目に新しい国です。自治州だったコソボが二〇〇八年に独立して、もう六年が経とうとしています。独立まで、様々な苦難があったと思うのですが。
シャラ 確かに、いろいろなことがありました。バルカン半島は常にトラブルを抱えた地域で、そこに住む私達は、歴史に多くのことを学んできました。中でも最も重要なことは、憎悪からは平和は作れず、生み出されるのは戦争だけということです。自由を獲得した最近の十五年間、特に独立してからは、憎悪を捨てて、皆が新しい方向へ…ということを私達は心掛けてきました。
元谷 それは私も同感です。日本は海に囲まれた国ですから、周辺国との諍いが比較的少なかった。しかしコソボは内陸国家ですから、民族や宗教など様々な要因で対立が発生したでしょう。逆に日本は対立が少ないために、日本人という民族意識が極めて希薄になりました。黙っていても日本人は日本人という感じでしょうか。他国に対しても同国人の友人同様に、おおらかに惻隠の情を持って接してきたのが裏目に出て、今日の日中、そして日韓関係となってしまっています。
シャラ 日本のことは、おっしゃる通りなのでしょう。コソボについて言えば、国土も美しく、人々も温和で良い人ばかりです。神が一国に必要な物をすべて与えてくれた素晴らしい国だと思います。バルカン半島は、大きな潜在能力を持つ、世界の中でも素晴らしい地域です。問題は、少なくとも歴史においては、隣国を隣国ではなく敵とみなしてきた国のリーダー達にあります。そのようにして彼らは憎悪で国々を毒してきたのです。宗教や人種の違いではなく、大半が国家主義的な経済的利益のために他の国を攻めて行きました。歴史の闇は去ったと信じていますが、二度と繰り返されないことを願っています。私達は、その地域において平和を生み出す行動をとるべきなのです。
元谷 シャラさんがおっしゃることも良くわかります。しかし私は人間というのは、生存競争として鬩ぎ合いをしなければ生きていけない存在だと考えています。海に守られてきた日本人はそうは考えないですが、他国を制圧して初めて生き残れると考えている人が世界では大半です。中国や韓国は南京大虐殺や従軍慰安婦など、捏造した歴史によって日本人を攻め立てています。フランスのマンガフェスティバルでも、嘘まみれの韓国の従軍慰安婦マンガが受け入れられ、正しく慰安婦を扱った日本の作品は撤去を求められました。どんどん嘘が本当に、本当が嘘になってきているのです。南京でも日本軍は非戦闘員の女性や子供は一人も殺していないのに、中国は三十万人を虐殺したと主張しています。日本軍に強制連行された従軍慰安婦など存在しないのに、韓国は二十万人を強制連行して売春婦にしたと言い続けています。こんなとんでもない話が、次第に国際的に認められてきて、嘘が真実になってきているのです。日本はこれらを安穏と見過さずに、大陸同様、鬩ぎ合いに打って出るべきなのです。
シャラ 同じようなプロパガンダは、バルカン半島にもあります。セルビアはコソボとその歴史について嘘を言い続けています。長い間、彼らはコソボに関する否定的なプロパガンダを教科書などに掲載してきました。そして、それはコソボに関してだけではありません。これは和解や平和、許しを助長するものではありません。私達には「嘘も百度繰り返せば、真実になる」という表現があります。このようなプロパガンダを長い間繰り返すことは国の基盤に危機をもたらします。それは非常にリスクの高い国家プログラムなのです。コソボやセルビア、日本をはじめ、世界の国のビジョンを持ったリーダー達は、隣国と良好な関係を構築、発展、維持するために、可能なことをすべて行うでしょうし、そうすべきなのです。それはかつてないほど現代のリーダー達に求められる資質です。
元谷 私も全く同感です。
元谷 小泉純一郎元首相が勇退した後、日本の首相は年替わりとなってしまい、その間にどんどん妥協を繰り返すようになってしまいました。その結果安倍首相が本当のことを言うと、右翼だと批判されるようになってしまっています。先日私は台湾へ行き、元総統の李登輝氏と対談をしてきました。中国軍が尖閣諸島に攻めてきたら、日本は断固戦うと明言すべきだと彼は言うのです。共同管理などという話には、決してのってはいけないと。この対談は台湾の新聞にも掲載されました。昔のローマのことわざに、「平和を望むなら戦いの準備をせよ」というのがあるそうですが、正にそういう状況です。日本が戦いの準備を怠り、妥協だけを繰り返すと、本当に戦争になります。
シャラ 私はここに来て時間が浅いので、まだそのような複雑な状況を理解できません。しかし多くの場合、譲歩するということは、弱さではなく、むしろ強さだと考えています。強く平和を望んでいるからこそ、譲歩できるのです。繰り返しになりますが、譲歩とは、平和や繁栄への強い願いによって為されるのです。もし日本や、あるいは他国でも、譲歩を示せば、平和や隣国との関係を非常に大切にしているという点で、世界中に強さを示すことができます。ここで一つマザー・テレサの話をさせてください。彼女は一九七九年にノーベル平和賞を受賞しましたが、実はコソボ生まれなのです。
元谷 それは知りませんでした。
シャラ そうなのです。一九一〇年、彼女は現在のマケドニアの首都に当たるユスキュプと呼ばれる場所で誕生しました。当時は、コソボの領土(コソボ州)でした。彼女のメッセージに戻りますと、一九七〇年代、彼女はあるデモの主催者からベトナム戦争の反戦デモへの参加を求められました。しかし、彼女は即座に断りました。デモ主催者は、マザー・テレサのような人がなぜ反戦デモをしないのかと非常に驚き、「理由を教えていただけませんか」と彼女に尋ねました。彼女は「私はベトナム戦争や世界のいかなる戦争反対デモにも参加しません。しかし、もしあなたが平和のためのデモに招待するなら、私は参加するだけでなく、先導さえもしましょう」と答えたそうです。
元谷 それはどういう意味なのでしょうか。
シャラ 単に何かを否定するだけの、戦争反対では駄目なのです。でも平和のためならいい。平和の構築を具体的に考えるべきだということなのでしょう。
元谷 なるほど。ネガティブな運動ではなく、ポジティブな運動を行うべきだということでしょうか。また、戦争反対運動が相手方の策略という場合も多いですね。かつてドイツでパーシングミサイル設置反対運動が起こったのですが、それにはソ連の資金が出ていたという事件がありました。平和を築くための努力は怠るべきではありませんが、戦う姿勢も示すべきという李登輝さんの言葉も大切にしなければなりません。
シャラ それには同感です。根本的に、核となる言葉は「戦争」ではなく「平和」です。
元谷 コソボは戦いも辞さないという姿勢でやってきたから、今の独立を獲得できたのではないでしょうか。一つお聞きしたいのは、東西冷戦下、ソ連にもアメリカにも与すること無く、チトー大統領がユーゴスラビアを治めていたわけですが、どうしてそのようなことが可能だったのでしょうか。素晴らしい指導者だったから、東西の鬩ぎ合いの中で中立を貫くことができ、また民族の対立を回避することができたと思うのですが。
シャラ おっしゃるように、国際的に見ればチトーは良いリーダーだったかもしれません。確かに非常に才能ある政治家でしたが、国内的には、少なくともコソボとユーゴスラビアのいくつかの地域では、全体主義の体制とシステムを指導していました。そして、非常に差別的でした。
元谷 チトー大統領は一九八〇年に亡くなり、冷戦が終わったら、すぐに民族の対立、宗教の対立が起こり、激しい争いの後、ようやくセルビアの中の自治州だったコソボが独立を勝ち取ることができました。
シャラ ユーゴスラビアは人工的な州だったと言えます。それは、そこに住む人々の意志ではなく、第二次世界大戦の状況や、より大きな組織の意志(強制)によって作られました。ユーゴスラビア(一九四〇―一九八九)は、何十年間もNATOとワルシャワ条約という二つのブロックの間で緩衝地帯の役割を果たしてきました。冷戦が終結した後は、緩衝地帯のような必要性が無くなりました。「必要性も救済もない」という諺があります。冷戦が終結した時には、救済を与えたり、その人工製造物を維持したりする必要がありませんでした。また、チトー大統領が亡くなってからは、スロボダン・ミロシェヴィッチによる指導でセルビアで国家主義が急激に高まりました。残念なことに、学術研究機関や教会がそれを支持しました。彼はセルビアをユーゴスラビアの中心にするために、軍事力であらゆる法律を破り、チトーが苦心して築いてきたシステムをどんどん壊していきました。コソボは、最も平和的で民主的な方法でこれに反対したのです。当時、コソボの人口構成は、アルバニア人が九二%を占め、セルビア人は五%、残りは少数派民族でした。セルビア政府の違法な活動に対抗して、一九九〇年七月二日、コソボのアルバニア人が独立宣言を行い、それにスロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナが続きました。しかし、逆にセルビアは強権を発動し、すべてのアルバニア人を政府機関から幼稚園に至るまで、あらゆる公職から追放しました。それは完全なアパルトヘイトでした。すべての学校や工場、テレビ局、公共機関、工場などがコソボのアルバニア人に対して閉鎖されました。例えば、私は大学の教授でしたが、強制的にその職を追われました。他の同僚も皆同様です。自宅は破壊され、後に焼かれました。私の妻と子供は、他の何百万人と共に国を脱出し、一九九九年六月の解放まで隣国で難民として暮らしました。
元谷 そこからコソボの独立運動が激化していくのですね。
シャラ そうです。しかし実際は、自由な暮らしとセルビアからの独立に向けた夢や闘争、戦いはずっと昔からありました。その思いは常に私達にあったと思いますが、戦う意欲や準備は、九〇年代よりも決して強くはありませんでした。私達は、非常に平和的な方法でデモやストライキを始めました。後に首相を務めるイブラヒム・ルゴヴァがそれを先導しました。しかし不運なことに、それは上手くいきませんでした。抑圧と迫害が日々強まったからです。現首相のハシム・サチを含む若者と伝説的な司令官のアデム・ヤシャリが、セルビア政府に対抗するために、コソボ解放軍(一九九二年)を結成しました。私はそれをファシストだと考えています。しかし、このゲリラ活動はセルビア軍や警察隊と戦うには弱すぎました。大量殺戮と何百万人もの難民(人口の五十%以上)が発生したあと、アメリカや主要ヨーロッパ諸国による民主主義世界が介入してきました。彼らはNATOの軍事介入を開始し、ヨーロッパの中心で発生した大量殺戮を止めました。一九九九年六月、セルビア政府は降伏しました。コソボは、国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)の管理下に置かれました。二〇〇五年に国連と国際コミュニティのUMBRELLAの協力で始まった三年間に及ぶコソボとセルビアのリーダーの交渉が、二〇〇八年二月十七日のコソボ国会でコソボの独立が宣言されたことによって終結しました。サチ首相率いるコソボ政府が独立宣言をした当時、私はコソボ政府のメンバー(財務経済大臣)だったことを嬉しく思っています。その数日後、多くの国々がコソボを独立州として認めました。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、トルコ、オーストラリア、日本、その他の国々です。現在、私達は百七カ国から認められています。私達を支えてくれたすべての国々と彼らのリーダーシップに大きな感謝を述べさせてください。特に日本の方々とそのリーダーに。「どうもありがとうございます!」。
元谷 サチ首相は今おいくつですか?
シャラ 四十五歳です。
元谷 彼はキューバのカストロみたいですね。
シャラ いいえ。違います。サチをフィデル・カストロと比べてはいけません。彼の戦い、従事、リーダーシップは、純粋に民主的価値と自由と人権の正当な権利に基づいています。
元谷 独立のための戦いで、人々の力となったのは、民族としての団結だったのですか。それとも同じ宗教を持つものとしての団結ですか。
シャラ すべてのアルバニア民族、特にコソボのアルバニア人にとって、国益に疑問が生じた時、唯一の重要なレッテルが「市民権」です。宗教は今も昔もその次に重要なレッテルなのです。ご参考までに、アルバニアに住むアルバニア人の割合は九五%以上、コソボに住むアルバニア人は九二%以上、同様にマケドニアでは約三〇%、セルビアでは四%、モンテネグロでは七%以上、ギリシャでは五%以上です。国旗や宗教というレッテルの下では戦いませんでした。私達は国として、コソボ市民として戦ったのです。自由にはその他のレッテルがありません。自由というレッテルを除いては。私達はアルバニア人として戦ったのではなく、コソボ共和国の国民として戦ったのです。
元谷 コソボが一つの国であるという感覚は、いつ頃生まれたものでしょうか。
シャラ 二十世紀初頭のバルカン戦争の結果、コソボは一九一三年にアルバニアに併合されました。当時、ロシアやヨーロッパ諸国など世界の主要国が介入し、コソボはセルビアとユーゴスラビアの一部になりました。バルカン半島で戦争が勃発しました。その主な原因は、ヨーロッパの入り口や、コソボの鉱物資源、アドリア海までも支配する、ロシアとセルビアの国益的な戦略でした。宗教やその他のレッテルを貼ろうとする国は、彼らの活動を覆い隠すために、透明な「傘」をさしているのに過ぎないのです。コソボは土地が肥沃なことで知られていますし、セルビアは領土拡大の異常な意欲で歴史的に知られています。
元谷 バルカン半島は、民族、宗教に加え、地政学が複雑に絡み合っているのですね。かつてヨーロッパの火薬庫と呼ばれた理由もわかります。独立して六年が経とうとしているのですが、コソボの人々は幸せになりましたか?
シャラ はい。私達は幸せです。しかし、セルビアが過去に、特に前回の戦争中に、コソボの人々や土地に対してやってきた事を心から謝罪してくれたら、私達はより幸せで自由になれるでしょう。しかし、それにも拘らず、コソボの人々やリーダー達は、和解と許しの手を差し出してきました。謝罪し、許す者のみが自由なのです。
元谷 なぜコソボの人々はそんなに若いのでしょうか。
シャラ この現象は根が深いですが、主な理由は、出生率と低年齢人口率が非常に高いことです。コソボの国土の大きさは日本の岐阜県ぐらいで、人口も似ていて約百八十万人です。
元谷 通貨はユーロですか? 経済状況はいかがでしょう。
シャラ はい、ユーロです。経済はこれからです。今の経済成長率は年間五%程度です。現在世界中に散ったコソボ人からの送金や投資が非常に増えています。また、海外の投資家もコソボを魅力的だと感じ始めているようです。
元谷 それは良い兆しですね。
シャラ 産業の育成が急務なのです。食品加工業などを中心に今、世界中から投資を求めています。機会は非常に豊富です。また、日本のすべてのビジネスがコソボを投資対象として検討して頂くことを歓迎しています。
元谷 周辺国との関係は良好ですか?
シャラ 私達は、セルビアを除く周辺国と良好な関係を持っています。セルビアとの関係は近い将来に改善してほしいと祈っています。
元谷 そう考えると、仲が悪いのはセルビアだけということでしょうか。
シャラ そうですね。しかし、私はセルビアが他国に対する行動や考え方を改めることを願っていますし、それを奨励しています。また、全ての国々や州に対し、隣国にもっと前向きな姿勢を取るよう、公共の場で発言しています。これが唯一の方法なのです。その他の方法は、長い目で見ると、現在も世界のある地域で見られるような壊滅的な状況に繋がります。
元谷 世界大戦が勃発した時代とは異なり、武力で領土問題を解決するという時代は終わりました。話し合って、お互い納得して領土を分け合う時代でしょう。今でも武力で領土を拡大しようとしている国は、中国ぐらいではないでしょうか。
シャラ 詳細は知りませんが、一般的なルールや私達の経験に基づいて、中国や韓国、北朝鮮、日本、あるいはその他の国で軍事衝突が起きたとしたら、誰もこの地域に投資はしないでしょう。そして、この先三十年から五十年は疲弊した状態になり、地球規模での発展は勢いを失うでしょう。だから平和が大切なのです。戦争はネガティブな財産を残すだけです。バルカン半島の経験を説明しましょう。バルカン半島の戦争は約二十年前に終わりました。しかし、アジアや世界にはまだその戦争のイメージが残っています。私が日本で人々に出会うと、最初にされる質問は「今コソボは平和ですか。その地域を訪問しても安全ですか」というものです。私達がどれだけ平和になったと主張しても、私達の過去のイメージのせいで、人々は訪問や理想的な規模の投資を避けてしまいます。
元谷 おっしゃっていることは非常によくわかりますし、平和を守ることの大切さは私も痛感しています。平和のためにも、東アジアのバランス・オブ・パワーを保つ必要があります。そのためにも、日本が安易に妥協することで、尖閣諸島だけではなく石垣島、沖縄本島、そして九州と、中国が一気に勢力を拡大する隙を作るわけにはいきません。
シャラ 「マインドセットの均衡」は「軍事的均衡」よりも影響力があります。軍事均衡は終わりのないゲームです。それに国の他分野における競争力を低下させます。国民は税金を支払い、その税金は軍事的均衡に使われます。国民は貧しく、武器製造者は豊かになり、ある政治家達はその地位に長く居座るでしょうが、永遠ではありません。一方で、平和的なマインドセットは、遙かに論理的です。軍事費は少なく、福祉と繁栄のために多くの資金を充てます。力の均衡は、軍事力ではなく、経済力で維持するべきです。軍拡競争は始まると留まることを知りません。平和のみが経済的成長や相互投資、Win‐Winの関係をもたらすのです。
元谷 それが理想なのですが。一党独裁国家の中国は現体制維持のために、国内を結束させなければならない。そのために常に敵を外に作り、挑発を続けるのです。だからこの局面で日本が譲歩することは、非常に危険です。
シャラ 私達は社会主義体制についてよく知っています。それらを酷く経験しましたから。私は中国におけるスムーズな変遷を願っています。また、私は日本の人々やその強さ、平和的思考を信じています。もし誰かが長く耐え、より多くの痛みを経験したとしても、それは弱いということではありません。それは強さの証なのです。その人は自分のエゴよりも相手との関係を大切にしているということです。その人にとっては物質的利益よりも平和と関係性が大切なのです。
元谷 日本人もそれぐらいの気概を持つべきでしょう。独裁国家の末路は、大抵の場合悲惨です。その点、チトー大統領は幸せでした。ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領は、最後は公開処刑でした。ミロシェビッチ大統領はどうなったのですか?
シャラ はい。チトーは老衰死でしたから幸運な男だったと思います。ミロシェビッチは、国際裁判所で戦犯としての裁判中に監獄の中で病死しました。自殺という説もあります。
元谷 やはり悲惨ですね。
シャラ はい。少し話題を変えても良いですか。歴史的な話はもう十分です。将来やコソボと日本の関係について話しましょう。
元谷 もちろん。そうですね。将来の話をしましょう。サチ首相はいつ来日されるのですか。
シャラ 良い話題ですね。私達は日本政府と今春の来日を計画しています。経済やビジネス分野の素晴らしいチームを連れてやってきます。さらに、アティフェテ・ヤヒヤガ大統領の訪問も計画しています。コソボと日本の関係は私達にとって非常に重要です。日本人投資家にとって多くの機会がコソボやその地域にあります。私達は最善を尽くし、最高のサポートを提供します。
元谷 ぜひお会いしたいですね。アパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉のスイートルームをご提供しますよ。このホテルには、四月十日に五百室の増室棟がオープンします。
シャラ それは素晴らしい。本当に感謝します。彼らが一番大切にしているのは、愛国心と平和ですから、きっと代表とお話が合うと思います。
元谷 そうですね。さらに私の場合はプライドです。誇りを持って生きないと。
シャラ 確かにそうです。プライドの無い人生に意味はありません。それである話を思い出しました。とても親しい日本人の友人が、人間に大切な五つの要素の話をしてくれました。一つ目は空気、二つ目は衣服、三つ目は食事、四つ目は家、五つ目は移動手段です。しかし、私はその順位について指摘しました。「なぜ衣服が食事よりも大切なのですか」と。すると、彼は微笑み、彼も納得するまでは同じ考えだったと答えました。そして、私に質問しました。「もしあなたの娘が人混みの中で全裸だったら、何をするでしょうか。まず服を彼女に着させるでしょうか。それとも何か食べ物を与えるでしょうか。」。私はすぐに「服を着させる」と答えました。彼は「そうですか」と言いました。私はそんなことを考えてもみたことがありませんでした。尊厳は人間にとってそれほど重要なのです。尊厳なくして、意味ある人生は送れません。それは私達が過去の歴史の中で経験したことです。
元谷 「衣食足りて礼節を知る」ということわざもあります。基本的な生活のニーズが満たされている場合しか、礼節を持つことはできないという意味ですが、戦争中でも、捕虜を裸にするということがあるでしょう。そうやって誇りを奪うのです。
シャラ コソボ独立のための戦いの中で、そのようなことが何度も行われました。もう二度と繰り返されないようにしないと。
元谷 その通りです。最後に「若い人に一言」をお願いします。
シャラ 私は五十三歳ですので、コソボではかなり年配者の方でしょう。若い人たちはポジティブな夢を持ち、自分自身の将来と国の将来を信じるべきです。プライドを持って、自分の行動を決して恥じない。日本人は独自性に誇りをもって、自分に自信を持ち、目の前にある何事にもチャレンジして、変化する準備をするべきです。世界は変化しているのですから。変化より不変なものはありません。変化しない者達は変化させられます。そして、もう一つしっかり覚えていて欲しいのは、コソボの若者や国民は日本人を尊敬し、感謝していることです。コソボ人にとって、日本人は世界最高のモデルだということを覚えておくべきです。謙虚で、忍耐強く、熱心に働き、そして規律を持っている。これらは変わってはいけないものですが、さらに豊かにして、世界に広めるべきです。今回を機に、私は日本人をコソボにご招待したいと思います。そしてこの国がどうやって苦難を乗り越えてきたかを学んで欲しいです。それから、私達が愛するマザー・テレサの「ひたすら身を挺して愛するとき、もはや心の痛みはなく、たくさんの愛情のみが残るのです」という最高の言葉が、平和と繁栄に向けた新しいビジョンを持つコソボの人々の日常で実践されているのを見て貰いたいです。
元谷 私はまだユーゴスラビアの時に訪れたことがあります。どこをどう回ったかは定かではないのですが、皆さん、平和に暮らしていました。そんな人々がその後の争いでどうなったかを考えると…。戦争は絶対起こしてはいけません。そのための準備を日本はしっかりとしなければならないのです。
シャラ 戦争ではなく、平和のための準備をもっとするべきです。そうすることで、平和はあなたと周辺の人々のところに訪れるでしょう。
元谷 今日は本当にありがとうございました。
シャラ あなたの素晴らしい雑誌を通して、非常に楽しい時間と日本や世界の人々に向けて発信する機会を頂き、本当に感謝しています。「どうもありがとうございました!」
アフメット・シャラ氏
1961年コソボ生まれ。コソボのプリシュティナ大学で1985年経営学の修士号を取得、1995年戦略的な発展についての研究で博士号を取得。1985年に一旦鉱山会社の貿易部門で働くが、1990年に金属貿易の会社と飲料メーカーを自ら立ち上げる。また1988年~2008年までプリシュティナ大学の講師としても活躍。2000年から貿易産業省の長官代理など要職を歴任、2008年のコソボ独立時には、経済・財務大臣に就任。2012年から現職。
対談日:2014年1月31日