元谷 今日はビッグトークにご登場いただきまして、ありがとうございます。普段はアメリカで活躍されている西さんには、最近ワインの会にも勝兵塾にも来ていただいて。また今年の「真の近現代史観」懸賞論文では、特別賞も獲得されました。私とかなり近い考えを持っている方ということで、今回の対談をお願いしました。
西 よろしくお願いします。
元谷 まず西さんの半生のお話を。なぜアメリカに行ったのか辺りからお願いします。
西 わかりました。一九六四年に兵庫県西宮市の関西学院大学を卒業しました。時は高度経済成長時代で大卒も少なかったので、就職先はいくらでもありました。しかし大学時代あまりにも勉強していなかったので、このまま会社で給料をもらうのは申し訳ないと思い、アメリカで勉強し直そうと思ったのです。
元谷 当時はまだ海外渡航は珍しかったでしょう。
西 パスポートを取得すること自体が難しかったですね。パスポートも表紙が山羊の革、文字が花文字など、今のものよりも格調高い印象がありました。
元谷 入学許可やビザを取るのも大変だったでしょう。
西 まだ日本人でアメリカに留学する人間は少なかったこともあり、日本で副領事の面接等はありましたが、それほど難しくはなかったですね。
元谷 アメリカは移民で成り立つ国ですから、入学は緩かったのでしょうか。
西 今は厳しくなっていますよ。交通手段ですが、飛行機で渡航する費用を惜しんで、横浜からホノルルまで船で行ったのです。今の天皇が皇太子時代、エリザベス女王の戴冠式に向かう時に乗船したことで知られる、プレジデント・ウィルソン号というアメリカの客船に乗りました。
元谷 豪華客船ですね。
西 だったようです(笑)。食事も見たことがない料理がずらりと並んで、びっくりしました。
元谷 時間はどれくらいかかりましたか。
西 ハワイのホノルルまでが七泊八日、ホノルルからサンフランシスコまでも丁度同じぐらいです。
元谷 そして大学に入学した…。
西 シアトルにあるワシントン大学の大学院に入りました。語学学校には行かずにすぐに大学院でしたから、英語では大変苦労しました。最初の一年は落第をなんとか免れた…という感じでしたね。一年経って夏休みになると資金が尽きたので、大学に一番割のいいアルバイトを尋ねたら、アラスカの缶詰工場を紹介されました。アラスカ州と言っても、場所はアリューシャン列島です。そこでイクラの缶詰を作っていました。仕事はきつかったですがお金は良かった。二ヵ月半の季節工を二シーズンやりました。
元谷 奨学金は取れなかったのでしょうか。
西 留学生には一年間は奨学金を出しませんでした。まずは成績が出ないと。アメリカでは奨学金は貧しいからではなく、学業が優秀だからもらえるものなのです。
元谷 なるほど。
西 普通の学生が二年で終える修士課程を、私は四年かかって修了しました。英語も上達して、発音は日本人訛りですが、使う単語が大学院レベルなので、周囲から馬鹿にされることはなかったですね。
元谷 英語の場合、話し方で出身地のみならず、受けた教育レベルまでわかると言います。
西 はい、そうです。修士号を取得した一九六八年、時計のロレックスやダイヤモンドのデ・ビアスなどをクライアントに持つ、ニューヨークにある大手の広告代理店に就職して、フィルムメーカーのコダックを担当しました。
元谷 コダックは当時は全盛期だったでしょう。安値で新しい国の市場に参入し、ライバルを全て叩き潰した後、商品を値上げして稼ぐという巧みな販売戦略で、世界中を席巻していましたね。
西 映画のアカデミー賞のCMスポットを全部買ったりと、かなりの勢いでした。そこでCM作りの下っ端をやった後、東京支社へ。代表は覚えていると思いますが、日本に最初にインスタマチックカメラを持ち込んで、プロモーションをやったのが私なのです。
元谷 そうですか! カートリッジフィルムのあのカメラは、シンプルで手軽な初心者向けとして、爆発的に売れました。
西 最初は売れないと言われていたのですが、大成功でした。日本でのインスタマチックの仕事を三年やったのですが、毎年同じ事の繰り返しで飽きてきました。そこで再びワシントン大学に戻り、博士号を取得しました。この時書いた博士論文のテーマが、アメリカによる日本占領だったのです。
元谷 それが名著「國破れてマッカーサー」の原型だったのですね。
西 はい。日本占領に関して、アメリカで公開された公文書などを集めて論文にしたのですが、これが学界内で評判になりました。だからスタンフォード大学のフーヴァー研究所から声がかかったのです。まず本にする草稿をスタンフォード大学、イェール大学、プリンストン大学の三人の先生に読んでもらいました。先生方からは激しい反論が来て、それに私がさらに反論するなど喧々諤々の大騒動だったのですが、最後の評価には「出版せよ」と書いてある。アメリカという国は才能発掘も上手いし、学問的な懐の深さも感じました。
元谷 学問の世界が「象牙の塔」と呼ばれる日本では、指導する先生と揉めたら、出版できないでしょう。こういうところは日本も見習うべきです。
西 スタンフォード大学は俗にいうシリコンバレーのど真ん中にあります。ベンチャー企業も、そこに出資する「エンゼル」と呼ばれる投資家も多い。日本人の起業家も来ています。でも最近多いのはインド人ですね。インド料理店も増えています。
元谷 英語ができて数学が得意ですから。ITにはぴったりなのでしょう。また気質的にも、中国人や韓国人よりインド人に誠実さを感じます。
西 それはアメリカでもしばしば話題になっています。一方日本人の評価は非常に高いのです。ところが自虐教育のせいで、当の日本人にその自覚がありません。
元谷 民族の歴史に誇りと自信が持てるようにならないと。
西 私の教え子の一人が南米のボリビアを旅行したのですが、そこで農場を経営する日系人に、一緒に働かないかと誘われました。地平線まで農場という広大な土地で、米などの農作物を育てている他、二万五千羽のニワトリを飼っています。卵を収穫するにもわざと機械を入れずに、地元の人々を使うと聞いて、学生に「そこに就職しろ」とアドバイスしました。彼は仕事で南米中を走り回っていてたまにメールが来るのですが、南米で好かれて信頼されているのは日本人だけだと言っています。
元谷 南米に入植した人はバラ色の話を信じて行ったとは思うのですが、苦労に苦労を重ねて成功されたのでしょう。かつては、リスクを取ることを厭わない日本人が多かったように思えます。今は留学や海外赴任を嫌がる人が多いそうですね。
西 知り合いの大学の学部長も、毎年留学する学生向けの奨学金が余ると言っていました。
元谷 若い人々の気概を高める教育が求められているのではないでしょうか。
西 その通りだと思います。
元谷 つい最近までアメリカは人種差別が厳しい国でした。今は表面上は無くなりましたが、内心ではまだ白人至上主義者という人も多いでしょう。
西 私がワシントン大学に入学した一九六四年当時は、キャンパスには東洋人も黒人もおらず、白人だけでした。私のような日本人は大変珍しかったのです。アメリカでは発言する人が評価されるので、授業などではとにかく積極的に発言をしていたからか、あまり差別されたという記憶がありません。
元谷 その勇気が大事なのです。日本でもディベート教育を行うべきでしょう。今の日本の教育システムだと記憶力ばかりを重視して、それに優れている人が偏差値の高い大学に入り、その後もエリートとして社会をリードしていきます。外交官もそういう人々ですから、諸外国との交渉がとても下手です。西欧列強との不平等条約を改正した明治時代の日本人の方が、今よりよっぽど交渉上手だったでしょう。
西 アメリカで行われるシンポジウムでも、何も発言しない日本人学者が多いですね。私はいつも白熱した議論をしてしまうのですが(笑)。
元谷 そうすることで議論が深まり、単に定説を信じるのではない態度が醸成されるのではないでしょうか。
西 全く同感です。
元谷 今日本には、世界中の公開された情報を収集して分析する情報分析官が必要です。そういう分析官が三千人規模で活動する情報省の設立が求められるでしょう。
西 おっしゃる通り。その機能が日本には全くないのです。代表が勝兵塾で指摘されていたベノナ文書、私も読んでみました。
元谷 ベノナは、ソ連が第二次世界大戦中に発信した暗号文を解読するプロジェクトで、その解読文が一九九五年から徐々に公開されています。コミンテルンとアメリカのスパイとの通信文など、生々しい一次資料ですね。
西 今書いているのが、真珠湾攻撃時のアメリカの暗号解読体制の話です。要するにルーズベルト大統領がどこまで知っていたかということです。二〇〇六年に開示された資料によると、東京からワシントンの日本大使館に送られた最後通牒を、アメリカ政府は暗号解読によって実際に日本大使館から手渡されるよりも先に知っていました。このことをアメリカは隠していたのです。また日米交渉を決裂させたハル・ノートは、ベノナによってソ連のスパイであることがわかっているハリー・ホワイトが原案を書いています。彼は財務相の次官でした。その原案はハル国務長官のチェックを受け、大統領の承認を得て、日本側に提示されました。
元谷 ハル・ノートは日本にとってはアメリカからの宣戦布告に等しいものでした。一九四一年六月に独ソ戦を開始していたソ連にとって、東側から日本に侵攻されるのは正に悪夢でした。国家存亡を賭けた謀略として、日本を太平洋の戦いに向ける必要があったのです。
西 ソ連は駐日ドイツ大使館に諜報員であるゾルゲを潜り込ませ、日本政府の動向を探らせましたね。
元谷 それほど日本の動きにソ連は敏感だったのです。独ソ不可侵条約を破ってヒトラーがソ連に侵攻したのですが、条約は破られるためにあるというのが世界の常識です。当時の日本政府は条約を信じすぎて、読みを誤ったのです。
西 サインしてインクが乾いたら、条約など紙切れですから。
元谷 真珠湾攻撃でのアメリカの犠牲者二千四百人の約半数が、戦艦アリゾナで亡くなっています。弾薬庫が爆発して沈んだというのですが、厳重に守られている弾薬庫が空爆されてもそう簡単に誘爆するとは思えません。米西戦争のきっかけとなった戦艦メイン号の沈没は、アメリカが自ら爆破しました。そして「リメンバーメイン号」と世論を煽って戦争を始めた前例もあります。真珠湾攻撃で犠牲者が少なければ、アメリカ世論は参戦にはとても賛成できなかったでしょう。 そこで「リメンバーパールハーバー」を演出した可能性もあります。
西 そういう工作があった可能性はあります。また真珠湾にいた海軍と陸軍の将軍がともに、奇襲攻撃への対応体制をとることをルーズベルト大統領に具申していたのですが、大統領は聞き入れませんでした。しかも攻撃後、大統領はこの両名に攻撃を受けた責任を取らせて、解任しているのです。
元谷 彼らの名誉回復決議は議会で採択されていますが、大統領が署名を拒否しています。これを認めると事前に知っていたことを認めることになり、パンドラの箱を開けてしまうことになるからでしょう。
西 私は今その箱を、横から殴っているのです(笑)。
元谷 今年はケネディ大統領暗殺から丁度五十年です。この事件の全証拠が開示されるのは、二〇三九年です。おそらく産軍複合体がベトナムからの撤退を模索していたケネディを排除し、言いなりになるジョンソンを大統領に据えようとしたのでしょう。私は狙撃現場の教科書倉庫に上がってみたのですが、犯人とされるオズワルドの射撃だけではあの暗殺は無理で、正面から確実に当てるよう発砲した人物がいます。暗殺は単にターゲットを殺すだけではなく、犯人逮捕の影響を含め、首謀者の意図が達成できるものだけが成功といえるのです。一九二八年の張作霖爆殺事件はその典型です。線路脇の崖に爆発物を仕掛けて爆破した関東軍の河本大佐らが首謀者とされてきましたが、元諜報機関員のロシア人作家、ドミトリー・プロホロフ氏が、上司のドミトリー・ヴォルコゴノフ氏からソ連の特務機関が客車内に持ち込んだ爆発物を爆破させた犯行だと聞いたと言っています。ソ連としては張作霖は亡き者にできるし、日本の満州への影響力を下げ、子息の張学良氏を日本に敵対させる結果を生むという、暗殺としては大成功の事例でしょう。
西 確かにその通りです。
元谷 ベノナ文書もプロホロフ氏の本も、従来の歴史を書き換える証拠を含んでいます。しかし日本の歴史学者はこれまでの定説にこだわって、それらを無視してきました。西さんはアメリカで一般開示された資料を分析して、「國破れてマッカーサー」という占領時代の本を書きました。せっかくのこの成果を有効に活かすべく、外務省など国の機関が、十名程度のチームでこの本を分析し、日本の歴史を正すための論拠とすべきではないでしょうか。
西 ありがとうございます。私はものを書く時は、「良い悪い」ではなく、真実かどうかを判断して書いていますから、十分検証に耐えるものだと自負しています。
元谷 河野談話の根拠が先日の産経新聞のスクープで大きく揺らぎました。南京大虐殺も日本では捏造だったという説が決定的になりつつあります。中国もそれを理解してきて、歴史問題から領土問題(尖閣諸島)に攻め手を変えてきたのです。元台湾総統の李登輝氏ともこの間話をしてきましたが、国際関係は綺麗事ではなく、昔も今も情報謀略戦を駆使したバランス・オブ・パワーの世界です。そしてやられたらやりかえすという攻撃力が戦争抑止力となります。今はまだ日本は制海権も制空権も握り軍事力で中国に優っていますが、十年後はわかりません。安倍首相を中心に、しっかりと安全保障のための準備をしておく必要がありますし、私も執筆や懸賞論文、勝兵塾などで全面的に支えていくつもりです。アメリカとの連携も重要です。次の政権が共和党政権になればいいのですが…。
西 その可能性は十分にあります。オバマ大統領はシリア攻撃をあそこまで明言していて実行できず、逆に天敵のロシアのプーチン大統領に手柄を奪われてしまいました。アメリカ国民はちょっと民主党に対して懐疑的ですね。次の大統領選挙の有力候補のヒラリー・クリントン氏も、国務長官だった二〇一二年九月のリビア・ベンガジのアメリカ領事館で駐リビア大使らが殺された事件で、いろいろと隠蔽工作を行ったことが疑われています。一方共和党は、これから有力な大統領候補を出してくると思いますよ。
元谷 李登輝氏は、アメリカが衰え、中国が世界のリーダーシップを執れないために、これから世界はGゼロ時代に入ると言っていました。日本はこれに備えるべきだと。
西 確かにアメリカ社会は、そろそろ金属疲労状態です。日本を守る余力はなくなってきています。
元谷 疲弊したアメリカの世論が、他国を守るために自国の兵士が血を流すことを容認するとは思えません。核の傘、日米安保、ともにあてにできなくなっています。平和を念じれば平和が来るわけではないことを、日本人は理解しないと。まず憲法改正です。
西 その通りです。憲法第九条も、その目的がマッカーサーのノートなどに残っていますが、明確に「自衛のためでさえ」戦争は放棄すると記されているのです。今、いろいろな解釈で自衛権があるとされていますが、それは根本的な問題ではありません。こんな国民の「生きる本能」を奪うべく制定された条文は、すぐにでも変えるべきなのです。
元谷 全く同感です。日本のために、今後もお互い頑張っていきましょう。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
西 私は学生に、流れ星を見たら必ず願を掛けろと言っています。ポイントは時間。流れ星が見えるのは長くて二秒でしょう。絶えず願いを持っていないと、すぐにはお願いできないのです。
元谷 「運命の女神には後ろ髪がない」という話に似ていますね。
西 そうですね。もう一つ、何かやりたい時には先にシナリオを作るのではなくて、まず勇気を出して飛び込めと言っています。
元谷 それも同感です。ただ常に勉強だけはして、取っていいリスクか悪いリスクを見極められるようにしないと、頓死しますよ(笑)。
西 アメリカに渡ったばかりの頃の私が、正にそうでした(笑)。
元谷 でも西さんはその後、大きく挽回しましたから。そういう意味で能力を認めるアメリカ社会は素晴らしいですね。
西 シリコンバレーの大物は、皆大学中退です。まともに卒業する人には、いいアイデアがないと見做されています。
元谷 逆に日本では東大法学部以外は認めないという世界があります。他国の大使らから「なぜ法学部?」と聞かれます。世界では理系の指導者が活躍しているケースが多いですから。
西 日本が法律を根拠にした官僚国家になっているからでしょう。私が若者に期待している理由は、彼らが愛国心を持っているからです。例えばナショナルチームのサッカーの試合。国旗を掲げ、国歌を歌い、勝利すれば泣く。日本を愛する気持ちを忘れていません。
元谷 イギリスのサッチャー首相はフォークランド紛争でクイーンエリザベス二世号を動員し、空母インヴィンシブルにアンドルー王子まで乗艦させ、戦いに挑んだ事で国民が一致団結し、英国病を吹き飛ばしたと言われています。日本も安倍さんが首相であれば、万が一尖閣諸島で有事があっても、国民が団結できるでしょう。そうなっては困るのですが。できるだけ安倍政権が長く続くよう、私はサポートをしていくつもりです。
西 確実に日本は変わると思います。
元谷 私もそう思います。今日はありがとうございました。
西 鋭夫氏
1941年大阪生まれ。1964年関西学院大学文学部卒業後渡米、ワシントン大学大学院へ。途中広告代理店J・ウォルター・トンプソン勤務を挟んで、ワシントン大学にて修士号と博士号(国際政治・教育学)を獲得する。1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。現在、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。著書に「國破れてマッカーサー」「日米魂力戦」がある。
対談日:2013年12月5日