東日本大震災から二年が経った。三月九日の朝日新聞の朝刊の一面には、「除染計画の達成 困難」「住民帰還に影響」という見出しの記事が掲載されている。それによると、「着手した福島県の四市町村でも、飯舘村の宅地は二〇一二年度計画分の一%に留まるなど大幅に遅れている。来年三月の除染完了の目標達成は厳しい状況だ」「住民の早期帰還もずれ込む恐れもあり、生活再建や復興に大きな影響を与えそうだ」としている。除染計画がここまで進んでいない根本的な原因は、非常事態には基準を緩和すべきなのに、二〇一一年十一月、当時の細野環境大臣が、何の法的根拠もなく、それまで環境省が基準としていた年間五ミリシーベルトではなく、年間一ミリシーベルト以上の地域も、国が責任を持って除染すると言い放ったことにある。
私が本稿でもかねてから指摘しているのは、その一ミリシーベルトという基準の妥当性だ。世界では自然放射能による線量の高い地域がある。例えばイランのラムサールは年間の放射線量が平均で十・二ミリシーベルト、ブラジルのガラパリでは平均が五・五ミリシーベルトとなっているが、住民の健康への害は認められていない。
昨年(二〇一二年)十二月に国連科学委員会は、「百ミリシーベルト以下の放射線の被曝で健康被害を受けた事例はない」「福島第一原発の事故による健康被害はない」という報告書を発表している。放射線の人体への影響には、「確定的影響」と「確率的影響」がある。「確定的影響」とは放射線によって直接人体の細胞が死に、白血球が減少したり、生殖能力が衰えたりするものだ。この確定的影響は二百五十ミリシーベルトがしきい値となっており、この放射線量以下では影響は現れない。二百五十ミリシーベルト以下の低い放射線量で問題となるのが「確率的影響」だ。これは低線量の場合、細胞は死なないがDNAが障害を受け、ガン化する確率が増加するという影響だ、しかしガンになる原因は放射線以外にも多数存在し、百ミリシーベルト以下では実際に人体に影響があるかどうか、他の発ガン要因に紛れて「わからない」というのが科学的な結論だ。CTスキャンを三回受ければ二十ミリシーベルトになることを、どれだけの人が意識しているのか、今日の福島の事故の場合だけ極端に放射線に敏感になるのは、マスコミの影響だ。
悲観的な報道ばかりを繰り返すマスコミによって、多くの国民が惑わされている。イギリスの論文によると、そもそもガンになる原因として最もリスクが高いのは、断トツでタバコだ。その後、肥満、アルコール、日光などと続き、自然放射線によるものなどの放射線はそれ以下だ。かつて大気中で核実験が行われていた時にはこんな程度ではなく、世界中が放射能に汚染されていて、特に中国によるロプノールの核実験では、一説によれば十数万人の東トルキスタンの人々が亡くなったと言われている。タバコを吸いながら「福島の原発事故の放射能が心配」などというのは、馬鹿げている。
世界で最初に原爆投下の被害を受けたのは日本の広島と長崎だ。核爆発により、直接放射線を浴びて亡くなった方も、直後に救援などで現地入りして、強い放射線を浴びて後遺症が出た人も多い。しかし広島も長崎も除染されることなく復興が進み、今では立派に繁栄した街となっている。
除染が進まないのは、除染の結果出てきた「汚染土」を保管する「仮置き場」が足りないからだ。なぜ足りないか。それは最終処分場が決定していない今、「仮置き場が恒久化するのでは?」と付近の住民が反対するからだ。本当の問題は、そもそも除染が必要な程の放射線量があったのかということだ。年間二十から五十ミリシーベルト程度の僅かな放射線量の土地であれば、表土とその下の土を入れ替えるだけで、大幅に線量は低下するのである。大して高くもない線量の土を莫大な費用をかけて仮置き場に運ぶだけで、その後あてもなくその場に放置されている。これらは全て、細野氏の不用意な言葉から始まったのだ。
同じく三月九日の読売新聞朝刊の一面には、「敦賀活断層と認定」「二号機廃炉の公算」という見出しの記事が出ている。「日本原子力発電・敦賀原子力発電所(福井県)の敷地内の断層(破砕帯)調査で、原子力規制委員会の検証会合は八日、二号機の原子炉建屋直下にある断層について、事実上、活断層と認定した。活断層の真上に重要設備の建設はできないとする、国の耐震指針に反することから、規制委は近く同原発の再稼働を認めない方針を正式決定する」としている。従来の原発の耐震設計に関する審査指針では、活断層は十二万~十三万年前以降に動いた断層のことを指していたのだが、原子力規制委員会はこれを四十万年前以降へと広げる方針だ。
私にはこの考え方は、余りにもゼロリスクを追求した安全側に偏り過ぎた判断だと思える。まだ数千年以内に動いたことがある断層なら容認できるが、数十万年も前に一度動いた断層が活動するという僅かな確率によって、何の問題もなく稼働していた原発を莫大な費用と何十年もの時間をかけて廃炉とする必要があるのか?
リスクがゼロというものはこの世の中にはなく、あらゆることにリスクは付き物なのだ。そもそも、今回の福島の事故も、地震を感知したP波センサーの作動で原発は自動的に運転停止したが、その後の津波により全電源が断たれ、原子炉を冷却できなくなり起こったことである。原発の運転を停止したということは単に発電装置を停止させるだけのことで、福島と同じ様に津波などで全ての電源が失われれば、原子炉の中の燃料棒の崩壊熱を抑える冷却水のポンプが回らず、同じようにメルトダウンが起こる。つまり、原発を停止させていても、運転をして発電機を回していてもリスクは変わらないということである。同じリスクなのに、発電もしないで自分の原子炉を冷やすのに火力発電の電気を買って冷やしている事は笑い話だ。
政策など物事を決定するためには、確率計算に基づいたリスクコントロールが必要なのだが、マスコミは犬と同じで、一つ咥えている間は他を咥えられず、それを放してまた別の一つを咥えるように、話題が薄れる毎に視聴率さえ稼げれば良いとばかりに、それによるリスクの確率計算も、その報道により社会が受ける総損害額の計算もせず、毎年ワイドショー的に報じまくってきた。二〇〇一年には狂牛病騒動、二〇〇二年にはSARSで中国や台湾観光客の受け入れを日本中全てのホテルが拒否(アパホテルだけが台湾の観光客を受け入れて大いに感謝された)。二〇〇三年には飛騨牛等級偽装騒ぎ、そして二〇〇四年は回転ドアの事故を発端に全国の回転ドアが取り外される騒ぎ、二〇〇五年には鳥インフルエンザの大騒動が起こったが死亡したのは自殺した京都の養鶏業者だけ。二〇〇六年には不二家の社内規定の賞味期限を過ぎた牛乳を原料として使用しただけのことが内部告発され大騒ぎ、二〇〇七年には白い恋人やささやき女将、赤福などの食材の使い回しで非難の嵐、二〇〇八年には「『日本は良い国だ』と論文に書いたのは政府見解(村山談話)に反する」として解任された田母神大騒動、二〇〇九年には新型インフルエンザで物々しく飛行機の機内に白装束で入っていく姿を報道して不安を煽るなど、これまでも殆ど実害もないのにワイドショー的な無責任報道が年替わりで不安を煽り、どれだけ風評被害を巻き起こしてきたことか……。その大騒ぎの間にも、風邪をひいて死ぬ人や、階段から落ちたり躓いて転んで死ぬ人や自殺する人が毎年何万人もいるが、全くニュースにならない。まさに「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる」である。
マスコミはこれまで自らの報道でどれだけ大きな風評被害を出してきたのか反省すべきである。昔の街の名医は痛がる子供の背中をポンと叩いて「大丈夫」と言っただけで子供は元気になったのに、最近は検査、薬、検査、薬と健康な子供を病気にしている。
東日本大震災はもちろん自然災害だが、福島第一原発事故は民主党政権による人災だ。外国人からの政治献金問題で菅総理が退陣の危機を迎えた時に起きたこの事故を、政権維持のチャンスに変えようとデタラメな指示を乱発したことが、事故を深刻化させたのだ。避難指示も当初二キロ以内だったがすぐに、三キロ、十キロ、二十キロと慌ただしく変わり、しかも本来は風向きによる放射能汚染の状況に応じて避難すべきところを、画一的に原発から同心円を描いて避難地域を決定したために、風下に避難したり、病院や老人ホームから多くの重篤な病人や老人が急速強制避難させられ、ストレスなどで多くの人が命を落とした。避難地域は年間総被曝放射線量が基準を超えると思われる範囲と決めたが、年間基準であり一週間や一ヶ月避難が遅れても何の問題もなく、放射線による発ガンリスクと避難により急激に環境が変化するリスクを考えれば、原子炉の敷地内はともかく殆どの人は避難させない方がよいと判断できる人達だった。かわいそうに同行できなかったペットや家畜は皆餓死した。前述した確定的影響のしきい値である二百五十ミリシーベルトには誰一人として達していないのに、急速強制避難によって大きな健康被害を受けたのだ。
マスコミの罪は大きい。確率的影響の目安である百ミリシーベルトから比べると、環境省の五ミリシーベルトはもちろん、一ミリシーベルトなど問題にならないほど低い値だ。報道は放射線量の単位を全てシーベルトに一本化して、国連科学委員会が発表した「一〇〇ミリシーベルト以下は問題ない」を「〇・一シーベルト以下は問題ない」と報道すればよいのである。しかし不安を煽るマスコミは一シーベルトの百万分の一の単位マイクロシーベルトで表記したり、意味のわからないベクレル(放射性物質が放射線を出す能力の強さ)で報道することで、多くの人が過度に放射線を心配するようにしてしまった。瓦礫の処分に関しても、マスコミに煽られた住民の反対によって、多くの自治体が受け入れられなくなっている。
今行われていることは、かつての左翼勢力による反対のための反対であり、それによって健康被害の可能性が全くなくても除染をしたり、瓦礫の処理ができなくなったり、被災地の産品に関しても凄まじい風評を流されたりと数多くの影響が出ている。
私は震災直後の三月十三日の講演で、津波の被災地の復興に関して、防波堤の建設や高台に住居や仕事場を移転するよりも、海沿いの今迄住んでいた所に六階建て以上の防災マンションを二〇〇メートル間隔で建設するべきだと提案した。外部階段を常に解放し、津波の時には押し寄せる波の音を聞き、目で見てからでもこのマンションの屋上に逃げれば助かるようにしておくのだ。一戸建てに住みたい人はこのマンションの周りに建て、津波時には直ぐに屋上に逃げられるようにする。マンション自体は一、二階を駐車場にして、三階以上を住居として利用する。津波の高さ以上の防波堤を建設しようとすれば、海を眺める景観をなくし、刑務所暮らしのようになるとともに、天文学的な建設費がかかるだろうが、この防災マンションを必要な場所で造れば半額程度の補助をするとしても遥かに安上がりで、できた時から利用でき、貸せば収益が確保できる。しかしどこにもこのようなマンションは建設されていない。
二〇三〇年代には原発ゼロを目指すと明言した民主党政権によって、停止した原発の再稼働が見送られ、その分増えた火力発電のために年間三~四兆円もの燃料費が余分に必要になっている。更に、代替エネルギーとして日本の風土に合わない非効率な太陽光や風力発電で発電した電気を電力会社は高値で買い取らなければならないため、莫大な費用負担を強いられ、それらのコストは高額な電気料金となって、国民が支払うことになると共に、貿易収支を赤字とし、貴重な外貨(国富)を失っていく。安倍政権が成立した今、これまで決められたおかしな政策は一切止め、科学的な根拠と確率計算に基づきリスクをコントロールして必要な政策を実行していくべきだ。
前述したように、国連科学委員会が〇・一シーベルト以下の被曝で健康被害はないと昨年十二月に発表したこともあり、除染する場所は当面、〇・〇二~〇・〇五シーベルト迄のところとすればよい。そうすれば、除染の必要なところは殆ど無くなり、〇・〇二シーベルト超の地域でも、人は屋内にいる時間も長く、線量の低い所にもいるので、年間総被曝線量が〇・〇一シーベルト以下となる。線量の多いところでも多くの場所は上下の土を入れ替えるだけでこの目標を達成することができるだろう。汚染土を集めて仮置き場に持っていくコストもかからない。もともと〇・〇五シーベルト超の場所は除染を行わず、線量が下がるまで立ち入りを禁止すべきだ。
居住制限区域や帰還困難区域など、立ち入りや居住に制限のある区域がまだ残っているが、新しい基準を作れば、その殆どがその必要がないことになる。二年も経過した今、半減期の短いヨウ素等は既に消滅し、最も大量に出たセシウム134も半減期は二年で既に放射線量が半分となっている。それでも不安がる人には線量計を配って自ら測定させる等、正しい知識を教え、身に付けさせ、科学的根拠に基づいて正しく恐れ、安心するよう指導すべきである。
現在、日本は原子力規制委員会の、世界にも類を見ない自虐的と言っても良い厳しい基準によって、殆ど全ての原発が再稼働を差し止められている。日本は福島の原発事故を「第二の歴史問題」としてはいけない。新設の原発も海近くで地中深く造れば電気がなくても冷却ができ、非常事態が起こっても埋め戻せば安全だからどんどん建設し、海外への輸出も行う。我が国はもともと世界最先端の原子力技術を持っており、今回の福島での事故の経験を積んだ日本は、安全な原発を開発して世界中に広めていく責務がある。こういう観点に立ち、世界を視野に入れた原子力政策を行なっていくべきではないだろうか。
3月11日(月)午後11時59分校了