元谷 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。イラク戦争から丁度十年が経過したのですが、イラクの現状がどうなっているのか、良くわかっていない日本人が大半です。今は国会選挙も行われ、これに基づいて政府が樹立されていますし、アメリカ軍も完全に撤退していて、これから新国家の建設というステージだと思うのですが。今日はイラクについていろいろと教えていただければと考えてお招きしました。
フェーリ お呼びいただいて、ありがとうございます。またイラクについてお話させていただく機会を与えていただいたことにも感謝しています。日本でも学校の歴史の授業でメソポタミア文明について学ぶと思うのですが、イラクは正にそのメソポタミアの地にある国です。そう説明すると、日本の方にも馴染みを持ってもらえるのですが…。
元谷 その通りですね。
フェーリ メソポタミアの地は、古代から現代まで、バビロニアになったり、オスマン帝国になったりと様々な変遷を経てきました。それぞれの時代にそれぞれの複雑な状況が存在してきたのです。今のイラクの状況もその一つということになります。イラク国民の四%ほどはキリスト教徒なのですが、カトリックや東方正教会の他にも、アッシリア正教会やシリア正教会など多数の宗派に分かれていて、非常に複雑な様相を呈しています。しかしこの複雑さがイラクという国の豊かさを生み出しているとも言えます。また多様で複雑だからこそ、イラク人はお互いに協力することを学ぶのです。
元谷 なるほど。
フェーリ ではまず、イラクの国としての基本データをお話しましょう。国土の面積は日本の約一・二倍、人口は日本の四分の一の約三千三百万人ですが、毎年百万人単位で増加しています。国家予算は一千億ドルですから、日本円にして約十兆円。それが今年は一千三百五十億ドルに増加しています。主要産業はもちろん石油で、一日の原油生産量は約二百八十万バレル。これを今後数年間をかけて、毎年四十万バレルほど増やしていこうとしています。
元谷 それは凄いですね。
フェーリ 一九八〇年から二〇一〇年までには、原油を増産しようという動きは全くありませんでした。今は国の財政として多額の予算を必要としているために、このような方針を打ち出しているのです。今後イラクでは二百万戸の住宅、千校の学校、二千もの医療施設が必要とされています。首都のバグダッドには約七百万人の人が住んでいますが、大規模なホテルは五つしかないのです。今フランチャイズとして大手のホテルチェーンがバグダッドに進出しようとしています。
元谷 凄まじいまでの需要です。
フェーリ その通りです。また観光もイラクの大きな産業です。様々な宗教の遺跡など参拝先が豊富なために、毎年三百万~五百万人の巡礼者がイラクを訪れています。イラク人の信者が国内を巡礼することも盛んです。観光に関連してモールやホテル、娯楽施設の建設・経営を行うことは、非常に将来性のある事業だと考えられています。とにかく今イラクは経済成長の真っ最中であり、国民一人当たりのGDPも、毎年五百ドルずつ増加しているような状況なのです。
元谷 イラクは世界で五番目の確認石油埋蔵量を誇る産油国です。本来であれば、もっと前に豊かな国になっていなければならなかったのに、戦争などいろいろなことがあって、果たせなかった。今正に苦境から脱して、発展していこうとしていると思うのですが。
フェーリ おっしゃる通りだと思います。そして私達は日本から多くのことを学びたいと考えています。第二次世界大戦後の日本の復興ぶりはもはや伝説。この間の国家建設のプロセスや人々がどのように復興のために協調していったかを知りたいのです。日本は資源には恵まれていませんでしたが、人材には恵まれていました。イラクはその逆で、資源は豊富ですが、人材はこれからもっと育てていかなければならない。人材開発の面で日本と一緒に何かプロジェクトを進めていけないかと模索しているところです。
元谷 日本は海に囲まれた単一民族国家で、そのために他国の争い事に巻き込まれることもありませんでした。単一民族で無宗教に近かったので、民族的または宗教的な対立も少なく、日本独特の文明を育ててきました。その根本的な精神は「和の心」です。これがあって国民が団結したからこそ、先の大戦で敗れたものの、その後急速に復興することができたのではないでしょうか。また旧軍が磨いてきた様々な技術があり、航空機製造はアメリカに禁止されましたが、その分戦艦大和を建造した造船技術を集中的に伸ばすことができ、この技術を糧にして造船業が高度成長期の日本経済を牽引することになりました。イラクには石油資源が豊富なのですから、これを糧として安定的に発展していくのがいいのではないでしょうか。
フェーリ 全く同感です。代表がおっしゃるようなことを、今からイラクは実行しようとしています。石油産業で獲得した収益でインフラ整備を行おうとしているのです。日本にはこの事業のパートナーになって欲しいのです。
元谷 なるほど、そうですか。
フェーリ 今は石油が主要産業ですが、将来枯渇する可能性があります。その代替産業を育成しておく必要があるのです。開発をスピードアップさせるために、今外資の導入も極めて積極的です。観光資源にも恵まれていますから、極めて有望な投資先だと思います。
元谷 確かにそうですね。
フェーリ しかも今のイラクは独立した国家となり、他国の介入を許していません。自分達の力で国造りを進めていこうというステージにあるのです。
元谷 世界各国が観光に力を入れているのが現状です。しかしイラクへ観光と言うと、戦争の印象が強い日本人はまだ強い抵抗感を持つでしょう。二十年前冷戦が終結しました。アメリカは血も汗も涙も金も投入して冷戦に勝利し、世界一極支配ができるチャンスを手に入れました。そこで従来はヨーロッパの権益だった中東に進出しようと画策したのです。アメリカはサダム・フセイン大統領にクウェートへの侵攻を容認するような印象をわざと与え、それを信じたイラクは侵攻を実行、これを口実として湾岸戦争を開始したのです。さらに九・一一を口実にしたアフガニスタン戦争や、大量破壊兵器を口実にしたイラク戦争へと発展させていきました。これらの戦争の目的は中東の石油権益の確保や軍需産業が利益を得ることでした。ずっと戦争が続いていることが軍需産業、ひいては産軍共同体と呼ばれる軍や政治家までを含んだ人々にとっては「良いこと」だったのです。
フェーリ なるほど。
元谷 私を含め日本人は遺跡が好きですから、イラクには是非行ってみたいのですが、まだ安心できないですね。
フェーリ それもわかります。イラクと日本には長い経済協力の歴史があります。一九七〇年代には、日本はイラクにとって最大のインフラ事業の発注先でした。当時造られた製油所などは、ほとんどが日本の手によるものです。またイラク外務省の庁舎も日本の建設会社によって造られました。日本はイラクにとって大きな存在感のある国です。政治的な安定が観光業を含む経済発展を生むことは確かです。ですが、今私達が強化しようとしているのは、巡礼など宗教的な観光なのです。
元谷 なるほど。その対象はトルコやヨルダンなど周辺国なのですね。
フェーリ はい、そうです。訪れる先もバグダッドではなく、ナジャフやカルバラなどシーア派の聖地とされている場所です。数カ月前にもイスラム教の宗教儀式が行われたのですが、一千五百万人もの人々が集まりました。私達が現在注力している観光というのは、このようなものです。しかし代表がおっしゃるように、古代の遺跡が日本のような先進国の人々にとって魅力的な観光資源であることも間違いありません。これらの国々の観光客を獲得していくには、インフラの充実をもっと図らなければならないでしょう。インフラ建設として力を入れているのが、ショッピングモールとホテル、そしてアミューズメントパークです。私個人としては、今のイラクに観光に行くことはお勧めできません。
元谷 インフラが整備されてからということですね。
フェーリ はい、そうです。その代わりに今はビジネスです。駐日イラク大使館が日本人ビジネスマンに向けて発給するビザの件数が、最近非常に増えています。日本企業のイラク進出が勢いづいてきました。
元谷 聞くところによると、イラクにはまだまだ発見されていない石油資源が眠っているとか。将来性があるからこそ、アメリカにちょっかいを出されたということなのでしょう。安定した政権が続けば、海外からの投資も観光客も増えて、経済もどんどん良くなるでしょう。将来的にはかなり豊かな国になるのではないでしょうか。
フェーリ OPEC(石油輸出国機構)の中では、イラクはイランを抜いて二番目の原油生産量を誇る国となりました。現在国土の一五%しか石油の調査が行われていないので、残りの八五%の調査によっては、まだまだ埋蔵量が増えるかもしれません。この石油事業を適切にコントロールして進めていくには、ビジネスに精通した実力のあるパートナーが必要です。このパートナーに日本は理想的なのです。中東には西欧諸国から侵略されたという記憶はありますが、日本から害を受けたという歴史はありませんし、日本人が一生懸命働いて国を大きくしてきた姿に皆感銘を受けていますから。
元谷 そうおっしゃっていただくのは光栄です。
フェーリ 代表のテリトリーである住宅建設も非常に伸びる可能性が高い分野です。イラクは一世帯当たりの人数が平均で十二・八人と非常に多く、一つの家に三世代が同居は当たり前、さらに子供が多いという状況です。今の目標はこの人数を一世帯当たりで六人にすること。そうすると三百万戸の新しい住宅が必要となってきます。すでに韓国の企業がこの分野に参入して、数十万戸単位の住宅を建築する予定になっています。都市郊外の新しい住宅都市建設の計画も進んでいます。
元谷 イラクの人口は日本の四分の一ですが、出生数は日本とほとんど変わりありません。日本では大家族制度はすっかり崩壊し、核家族からさらに個家族へと変化しています。私は日本人が幸せを実感するためには大家族制度の復活が必要だと考えています。イラクも大家族の伝統は守った方が良いとは思うのですが…。日本は昔は五人も六人も兄弟がいるのは当たり前でした。私も六人兄弟の長男です。最近は一人っ子がずいぶん増えています。
フェーリ 私は十一人兄弟なのです。全て一人の母親から生まれた兄弟なのですが。
元谷 それは凄いですね!
フェーリ 日本でもイラクでも常に社会は変化しています。なぜイラクがそのような大家族かというと、元々は農業に基盤を置いていた社会だったからです。その後は軍事的な国家となり、子供を軍隊に送らなければならなかったのですが、今は民主的な国家となってその必要もなくなりました。
元谷 では今後はイラクも少子化が進むかもしれませんね。
フェーリ そうですね。少し政治の話に戻しますが、イラクと日本の共通点は一旦アメリカに占領されたということです。私達は超大国に占領されながら、どうその後の関係を築いていったのかも日本から学びたいと考えています。今イラクにはアメリカ軍は一人もいません。それはイラクが固く決心したからです。ただそう決心した以上、賢く立ち振る舞う必要があると感じています。
元谷 先の大戦後、一九五二年にサンフランシスコ講和条約が発効するまで、日本はアメリカにずっと占領されていました。主権を回復する時に、独立国家として様々なことにきちんと決着をつけていれば、今の日本の様子ももっと違っていたと感じています。占領政策がスムーズに進行したために日本国民はそれに慣れてしまい、独立国家になってもアメリカの基地を維持したままで、有事にはアメリカが助けてくれると信じる精神構造を築いてしまった。依存心が強く、また本当の独立国家ではないような気がします。イラクはまだいろいろと混乱は続いているにせよ、アメリカから一線を画して軍隊を全面撤退させたということは、尊敬に値すると思っています。
フェーリ 評価していただき、ありがとうございます。
元谷 今後は一致団結して国造りということだと思うのですが、ここで一番大切なのは教育ではないでしょうか。教育が進んでいないと失業問題が起こり、失業率が増えてくるとデモや暴動が起こり国が混乱してきます。経済の発展よりもまず教育でしょう。明治維新が成功したのも、江戸時代から日本では教育に力を入れていて、それは明治時代にも引き継がれたからだと私は考えています。
フェーリ 全く同感です。これから石油関連事業からあがる収益で、教育問題に集中的に取り組んでいきたいと考えています。科学的にも識字率と経済発展には相関関係があると言われていますから。そこで私達は千校もの学校を作るプロジェクトを進行しています。この事業にも優れたパートナーを求めています。
元谷 素晴らしいですね。教育は男女平等であるべきですが、イスラム教国では女性の扱いが国によって異なります。イラクではどうなのでしょうか。
フェーリ 女性の社会進出をイラクでは積極的に支援しています。例えば国会においても県議会においても、女性議員は全体の二五%を占めます。
元谷 それは法律で決められているのですか?
フェーリ はい、そうです。
元谷 日本にはそういう枠は決められていませんから、女性議員は衆議院で全体の八%です。
フェーリ そもそも長い歴史の中で、イラク社会では女性は男性ときちんと共生してきたのです。ただアルカイダなど宗教的な思想を悪用する極端な分子が、女性の環境を悪化させることで彼らは利益を得ています。これを解決できるのは、私は教育だけだと考えています。これまで正義がなかなか実現できなかったイラクですが、これからは正義と安定の二つを両立させることが課題となっています。
元谷 確かにその通りです。
フェーリ 私はバクダッドに帰る度にいろいろな人からどこで働いているのかと聞かれます。「日本だ」と答えると、いろいろな事業が進んでいるのに、まだ日本人がバグダッドに来ていない。「お前はちゃんと仕事をしているのか?」と言われるのです(笑)。パートナーシップを結ぶ先として、イラクの目はアジアに向いています。中国、韓国、そして日本です。日本には近い将来どんどんイラクに進出していただいて、産業の基盤となるインフラ整備からフランチャイズまで、いろいろな分野で活躍して欲しいのです。
元谷 イラクは資源も含め、将来豊かな国となる可能性の高い、非常にポテンシャルのある国だと思います。石油からの収益を軍事ではなく教育や経済発展のために使えば、素晴らしい国になるはず。その暁にはアパホテルも進出を考えたいですね。
フェーリ それをお聞きして、大変うれしいです。代表がイラクにお越しになることを、心待ちにしています。
元谷 わかりました。少し大使の経歴など個人的なことをお聞きしたいのですが。
フェーリ 私はもともとビジネスマンで、イギリスが長かったのですが、ヒューレット・パッカード社でシニアマネージャーとして働いていました。業務内容は企業のシステムインフラ整備のコンサルティングです。私はもともと数学を学んでいたので。
元谷 では理系なのですね。日本の政治家には文系が多すぎます。理系をもっと増やすべきですね。社会全体が文系を尊重するところがあります。これも是正して理系を大事にする社会にして、ものづくりで世界に貢献、再び日本を経済大国とするべきです。各国の大使とお話をしていてもそう。理系の方が多いのです。日本人はほとんど文系でしょう。
フェーリ 私も日本人と働く時に、理系の人が少ないと思うことが多いです。金融など各分野の専門家の数も少ないです。そういう人を政治に取り込むことによって、既成概念にとらわれない新しい発想が生まれてくるはず。英語で「out of box」というのですが、固定観念の呪縛を飛び越えて新しい事を考えるのは、とても大切なことです。あと日本の政府の要人とお会いする時に感じるのは、出身大学に基いて役職が決められていること、法学部出身者がやたら多いこと。イギリスではまた全く異なった学歴の見られ方をされます。
元谷 なるほど。理系が大活躍できる環境を整えることが、日本が第二位の経済大国に返り咲く近道かもしれません。彼らがきっとものづくり日本をリードしていってくれるからです。
フェーリ 日本の文化に唯一注文をつけるとすれば、政治家に法学部出身者が多すぎます。もっとビジネスマンや科学者などがどんどん政治に参入し、失敗から正しいことを学ぶようになれば、日本の政治は大きく変わるのではないでしょうか。
元谷 フェーリさんは本当に良く日本のことを観察されています。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
フェーリ 一番言いたいのは、既成概念に囚われるなということ。アウト・オブ・ボックスの精神です。良い方向に自分を変えることは、恐ろしいことではありません。どんどん新しいアイデアを試して、さらに日本にこもることなく世界の異文化にも触れて欲しいですね。
元谷 イラクなどにもチャンスを求めて進出するような積極性のある日本人が増えればいいですね。今日は本当にありがとうございました。
ルクマン・フェーリ氏
1966年バグダッド生まれ。1988年イギリスのマンチェスター・メトロポリタン大学にて数学、コンピューターの学士号を取得。その後テクノロジー・マネージメントのMBAも取得。20年以上に亘ってイギリスの情報技術関連企業にて幹部職など要職をこなす一方、イギリスのイラク人コミュニティーの指導的存在として活躍。サダム・フセイン政権に反対するグループの活動家でもあった。2010年からイラクの外務省に大使級幹部として入省、同年6月から現職。
対談日 2013年2月8日