二〇一二年の暮れにこの原稿を執筆している。アパグループとしては、二〇一〇年四月に首都圏を舞台にスタートした頂上戦略(中期五カ年計画)が予想していた以上の進展ぶりをみせ、素晴らしい一年となった。この頂上戦略に基づき、二年八カ月で東京都心で四十三物件を全て購入時にキャッシュで取得し、マンションとして十五プロジェクト、ホテルとして二十五プロジェクトを進めてきた。二〇一二年の最後に建設の発注を行ったのは、かつての新宿コマ劇場横の歌舞伎町シネシティ広場に面して建つ二十八階建て、六百二十室のホテルだ。二〇一五年六月に開業する予定のこのアパホテル〈歌舞伎町タワー〉は、東京都心におけるアパホテルのランドマーク的存在となるはずだ。そして十二月七日に、第五回目となる「真の近現代史観」懸賞論文制度の表彰式と出版記念パーティーが、例年通り元赤坂の明治記念館にて行われ、一千人を超える出席者が集まる盛大なものとなった。
昨年より二十八作品多い二百八通の論文が集まった今年の懸賞論文だったが、佳作に二名の女性が入るなど、従来にはない応募層の厚みが感じられた。選挙運動期間中ということもあって、かねてから思想的な連帯感を感じている日本維新の会代表の石原慎太郎氏も顔を出し、会場は大いに賑わった。驚いたのは、冒頭の私の主催者挨拶の最中に起こった三陸沖を震源地とする地震だ。かなりの長時間揺れを感じたため、会場は騒然となった。しかし私は、「地震は最初の本震を超える余震はない。落ち着け、大丈夫」とその場を治め、大きな混乱は起こらなかった。来賓の大使の一人は、「地震でも参加者が落ち着いていた日本人は素晴らしい」と、賞賛してくれたほどだ。
今回の懸賞論文の最優秀藤誠志賞には、元海上保安官の一色正春氏の論文『中国の狙いは尖閣だけではない』が選ばれた。一色氏は現役の海上保安官だった一昨年、尖閣諸島において中国漁船が巡視船に体当たりをした映像をインターネット上に流出させた人物だ。この職を賭した勇気ある行動によって、一色氏は海上保安庁を辞職せざるを得なくなった。尖閣諸島国有化によって日中関係が最悪の状況にまで冷え込んだ年に、一色氏の尖閣諸島に関する論文が登場し、それに賞を贈ることができたのは僥倖としか言いようがない。
二〇〇八年の第一回「真の近現代史観」懸賞論文では、現役の航空幕僚長だった田母神俊雄氏の『日本は侵略国家であったのか』が最優秀賞を獲得した。しかしこの論文での主張が、「日本政府の公式見解と異なる」、「そんなことを航空自衛隊の現場トップである航空幕僚長が公表していいのか」という非難が、全メディア、全政党から沸き起こり、更迭された田母神氏は国会にまで招致され、退任に追い込まれた。全メディアが田母神氏を糾弾していたにも拘らず、インターネット上でのネット世論では田母神氏の主張は多くの人々の支持を得ていた。その後の既存マスメディアの衰退とネット世論の興隆の先駆けとも言える現象が起こっていたのだ。ネットの影響力は拡大を続け、二〇一一年に巻き起こった「アラブの春」の推進力となって、チュニジア、エジプト、リビアの政変を達成したのは周知の事実だ。
二〇〇九年の第二回の最優秀賞は明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏の『天皇は本当に主権者から象徴に転落したのか?』が獲得した。竹田氏ならではの視点で天皇のポジションを明確にした、まさに目から鱗の秀作だった。二〇一〇年の第三回の最優秀賞は戦後問題ジャーナリストの佐波優子氏の『大東亜戦争を戦った全ての日本軍将兵の方々に感謝を~九年間の遺骨収集を通じて感じたもの~』に贈られた。私は常々、「日本は先の大戦を未だに総括していない事が問題だ」と言ってきた。海外に眠る英霊の遺骨を蔑ろにして、経済発展だけを求めてきたのだ。今一度、先の大戦を振り返るとともに、遺骨の収集にできるだけ早く目処をつけなければならない。九年間遺骨収集を行なってきた佐波氏からの、日本を守ってくれた将兵の皆さんに若い世代からも感謝の意を表したいという提言は、本当に素晴らしかった。
翌年の二〇一一年の三月に東日本大震災が発生した。福島第一原発は地震の震動で自動的にいち早く制御棒が挿入され、運転を停止して、原発には大きな被害はなかったにも拘らず、その後に発生した津波によって全ての電源を奪われ、原子炉内の燃料の崩壊熱の冷却ができなくなり、高温となって燃料棒を覆うジルコニウムが水と反応して水素が発生、それが建屋に充満し適切に排出できず水素爆発を起こし、放射性物質のセシウムを広く拡散させる結果となってしまった。このような経緯にも拘らず、メディアは核分裂による運転中に原子炉そのものが暴走して自ら爆発したチェルノブイリの事故と同じように福島の事故について報道している。福島の原発事故の最も大きな被害は風評被害だ。漏れた放射能セシウムによっては、誰一人として健康被害を受けた人も死んだ人もいない。それどころか現在も、また将来にわたっても健康被害は出ないだろうというデータも公表されている。しかし、原発から半径二十キロメートル以内には警戒区域などが指定され、未だに放射線防護学の学者ですら立ち入りが制限されている。そのままいても何の健康被害も出ない程度の放射能であるにも拘わらず、老人ホームや病院などから強制的に避難させられた人達の中で、百名を超える人々が亡くなり、今でも放射能被害の出る恐れのない二十キロメートル圏内への立ち入りが禁止されている。しかも一ミリシーベルトでも除染が必要と決めつけ、莫大な無駄な費用を使って除染、除染と大騒ぎしている。数ミリシーベルト程度であれば、表面の十センチメートル程度の土を上下入れ替えるだけで、農地としても十分再生可能だ。広島や長崎に原子爆弾が投下された後でも、一切除染活動は行われていない。しかし被曝直後はともかく、当時も現在も、広島や長崎には問題は発生せず、その後に街は再び復活し繁栄している。自然界にもイランのラムサールの平均値年間10・2ミリシーベルトとか、ブラジルガラパリの平均値年間5・5ミリシーベルトの様に高い放射線が出ている場所があるが、それらのエリアの人々も健康だ。日本でも世田谷の民家の床下にラジウムの瓶があり、長年に亘って居住者が放射線を浴び続けていたが、全く健康被害がなかったという事件があった。わざわざ放射線を求めてラドン温泉に入る人もいる。人間は放射能と共存して生きてきたのだ。なぜなら人間には放射能被曝により傷んだDNAの修復能力がある。福島原発から漏れた放射能の何千万倍の放射線を一気に浴びるなど、瞬間的に大量の放射線を浴びると急性白血病や放射線障害によって死亡する可能性があるが、年間十~二十ミリシーベルトの被曝では全く問題がない。年間百ミリシーベルト程度の被曝でも、それによってすぐに健康を害することはないのだ。この原発事故を背景に、第四回「真の近現代史観」懸賞論文の最優秀賞は、理学博士で札幌医科大学教授である髙田純氏の『福島は広島にもチェルノブイリにもならなかった』に決まった。髙田氏は福島に健康被害はないと明言、過度の放射能被害の喧伝を改めてから復興に臨むべきと提言している。髙田氏は最近筑波大学名誉教授の中川八洋氏と共著で、『原発ゼロで日本は滅ぶ ―“非科学”福島セシウム避難の国家犯罪』という本を出したばかりだ。私はこの放射能問題を第二の歴史問題にしてはいけないと思う。
日本が持つ世界最先端の原発技術を脱原発・卒原発という主張で手放させ、日本の国力を弱めようとしている勢力があり、今度の選挙でもこれを前面に押し出した党が出現した。新聞やテレビはこの勢力を支持して大騒ぎをしているが、国民はもっと冷静で、日本経済新聞が十二月九日に報じたように、七割が原発は必要と考えている。この稿が世に出る時にはすでに選挙の結果が出ていると思うが、先月号でも予想したように、自民党が圧勝することは間違いない。一方、脱原発・卒原発を主張する民主党や日本未来の党は壊滅的な敗北となるだろう。共産党、公明党は現状を維持。日本維新の会は新しい党としては躍進するが、キャスティングボートを握るまでには至らない。
民主党が政権を失ったのは、この三年半で彼らが行なってきた失政、特に外交における失敗のツケが回ってきたためだ。中国漁船衝突事件についても、今回の最優秀賞受賞者の一色正春氏が流出させる前に正式に政府が映像を公表していれば、中国で反日デモなどが発生することもなかっただろう。中国を慮ってあらゆるものを隠してしまった民主党政権の弱腰外交の結果が、韓国の李明博大統領の竹島上陸と天皇への謝罪要求発言だ。実の兄が逮捕され、引退後には自らの逮捕も迫っている李大統領としては、現職の内に反日的な発言・行動をとることで愛国的英雄となり、逮捕を逃れようというつもりだったのだろうが、天皇を侮辱するような発言を行ったのは大失敗だった。ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土に上陸することを許したのも、民主党外交の敗北である。巡視船に体当たりしてきた漁船の船長を処分保留で釈放して、チャーター機によって凱旋将軍のように帰国させたのも民主党政権だ。東京都が購入すれば石原慎太郎知事が船溜などの施設を建設して中国を刺激することになると、泡を食って金に物を言わせて尖閣諸島を買収して国有化。中国に喜んでもらえるだろうと思っていたら、逆にそれを口実に激しい反日デモで抗議されて、日系スーパーなどの被害を招いたのも民主党政権。日本車が襲われたりしていたが、乗っている人は中国人の富裕層だ。反日と言う一方、毛沢東の写真を掲げながら行進をしている様子から分かるのは、これが実は反体制・格差反対デモだということだ。
中国では、胡錦濤体制がしっかりしていないから尖閣諸島の国有化を断行されたのだとする江沢民氏を中心とした太子党グループと、日本に厳しく対応していると応じる胡錦濤氏を中心とした共青団グループとが激しい権力争いを行なっている。二〇一二年の中国共産党第十八期中央委員会第一回全体会議において、党と軍の最高職を胡錦濤から引き継いだのは、江沢民派の習近平だった。新しい中国共産党中央政治局常務委員会メンバーの七人の内、半数以上が、江沢民派の太子党と目される人物だ。十年間に亘って胡錦濤氏は江沢民氏からの院政に苦しみ、なかなか独自色を出すことができなかった。目立った軍歴も党内での功績もない江沢民氏が鄧小平氏の指名を受けて、一介の党書記から最高指導者に上り詰めたのだが、彼は反撃をしてくる恐れのない日本たたきをして、愛国反日のスローガンで自分の実績のなさを隠して、中国国内の結束を図ってきたのだ。
そもそも中国共産党政権は建国当時、反日ではなかった。一九六四(昭和三十九)年に中国を訪れた社会党の佐々木更三委員長が、かつての軍国日本について謝罪すると、毛沢東は、「(日本が)申し訳なく思うことはない。皇軍のおかげで中国共産党が権力を奪取できたのです」と答えたという。南京大虐殺は国民党の全くの捏造だが、その証拠に「ただの一人分の被害者リストさえ存在しない」と主張する歴史学者の朱学勤・上海大学教授のように、中国人でありながら南京大虐殺に疑問を持つ学者もいる。韓国との間で問題になっている従軍慰安婦問題も全く同じく捏造で、金完燮氏の著作「親日派のための弁明」を一読すれば良く分かる。この従軍慰安婦問題を自身の政権基盤の強化に利用しようとした李明博大統領は、従軍慰安婦の像を日本大使館の前に据え付けたり、従軍慰安婦に関して、日本政府が謝罪をすることを要求する決議をアメリカの下院で行わせたりと、世界中でプロパガンダ活動を行なっている。当時は世界中で公娼制度があり、金銭と引換に体を売ることは合法で、それで蓄財を行なっている女性が多数いた。日本軍は進駐した国での一般人女性への性犯罪を防止するために、プロの女性を活用したという側面があり、日本でも朝鮮においても、募集に関して民間業者が金銭によって集めていた。軍による直接的な強制連行が行われたという証拠は一切ない。しかしながら官房長官だった河野洋平氏が出した、従軍慰安婦(強制連行)を認めた「河野談話」が、今なお益々大きな悪影響を及ぼしている。
今回の選挙で自民党が勝利して安倍晋三首相が誕生した暁には、景気対策は最も大事で当然だが、これまでのあらゆる争点に明快に白黒つけることを期待している。南京大虐殺や従軍慰安婦(強制連行)を否定し、村山談話や河野談話も踏襲しないときっぱりと決議しなければいけない。教科書検定における『近隣諸国条項』も破棄だ。どの国でも歴史というものは自国に誇りを持てるように教育するのであって、周辺諸国に遠慮して歴史教科書を作成している国など他には存在しない。ノルウェーのバイキング博物館では、かつての先祖が地中海まで遠征して略奪した歴史を、「サガ」(冒険叙事詩・英雄伝説)だとして誇らしげに語り伝えている。それが普通なのだ。その他、靖国参拝を宣言したり、憲法改正(自主憲法制定)を推し進めたり。一気に全てを行えば、マスメディアの矛先が分散して勢力を失い、さらに全てのメディアを敵に回すことで国民の支持を得ることができるはずだ。政権奪取後の第一声として、これらを明確に宣言する安倍談話を出すべきである。
思えば田母神氏が第一回の「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞を獲得したことで大騒動となり、これをきっかけに世の中がどんどんと保守化傾向を帯びてきた。また一色正春氏のビデオ公開から尖閣諸島の国有化へと進み、それに対する中国の猛反発が、逆に日本の保守化にさらに拍車をかけた。そうしたことが安倍首相の再登板・今回の自民党の大勝利、そして結党して間もない日本維新の会の大躍進に繋がるだろう。この勢いで、まさに今年は日本再興元年となるべき年。私は年頭所感を次のように書いた。「日本再興元年 民族の悠久の歴史に自信と誇りを 祖国日本の再興を目指し 限りないロマンに全力でトライし 願望は自ら実現する」。二〇一三年、今年は頂上戦略が三年目を迎える年として、また最高に素晴らしい一年にしていこうと思う。
12月13日午後9時10分校了