バーレーン王国政府閣僚の方々との貴重な時間
駐日バーレーン大使のハッサン氏が元谷代表の座右の銘に感銘を受けたことをきっかけに、元谷代表がバーレーン王国に賓客として招かれた。元谷代表は国王や皇太子、首相をはじめとした政府の閣僚や経済界の要人に、事業の成功に裏打ちされた人生哲学を語るとともに、バーレーンの将来について様々な意見交換を行った。
バーレーンは元谷代表の七十七カ国目の訪問国だ。バーレーンはアラビア湾に浮かぶバーレーン島を中心とした島国。面積は東京二十三区と川崎市を併せた程度しかない。人口は約百二十万人だが、その半数は外国人で、バーレーン人は五十七万人程度である。ディルムンとして歴史に登場するのは紀元前三千年頃と非常に歴史のある国だ。当時すでにこの地には文明が栄えており、整備された道路や住宅、そして無数の古墳が発見されている。ここが繁栄した理由は、メソポタミア文明とインダス文明を結ぶ海上交易の一大拠点だったからだ。その後インダス文明の崩壊と共に一時期衰えたものの再び交易地としての力を取り戻し、紀元前一世紀から紀元後十五世紀まで穏やかな繁栄を続けた。ヨーロッパで大航海時代が始まると、ポルトガルに占領されたり、ペルシャに占領されたりと波瀾万丈の時代を迎える。十八世紀末にハリーファ家がバーレーンを治めるようになり、イギリスに防衛と外交を委ねる保護条約を結んで安全保障を確保する一方、湾岸諸国で初めて石油を生産して近代化を急いだ。一九七一年に首長国としてイギリスから独立、一九九九年に現国王が即位し政治改革を断行、二〇〇二年には憲法を改正して王制に移行し、二院制の国民議会を設置して首相のポストも設けるなど、民主化路線を推し進めている。石油関連製品の輸出が主要産業だったが、次第に中東の金融拠点としての機能も充実させてきた。最近は観光政策にも非常に力を入れてきていて、人工のアムワージ島にホテルやスパをはじめとしたリゾート施設を充実させるなど、環境整備に力を注いでいる。一九七一年の独立時からすぐに国交を結んだ日本との関係は非常に良好で、皇太子が議長を務める経済開発委員会の、国外に六箇所しかない海外事務所の一つは日本にある。また二〇一一年三月の東日本大震災の際には、国王や首相が、天皇陛下や菅首相にお見舞いの書簡を送ったという。今回元谷代表は、駐日大使のハリール・ビン・イブラヒム・ハッサン氏が元谷代表の座右の銘に感銘を受け、事業の成功に裏打ちされた人生哲学、成功の秘訣をバーレーンの要人達に語ってほしいということでバーレーンに渡り、賓客として歓迎を受けることになった。
今回のバーレーン訪問で、元谷代表は、国王のハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ陛下と再会することができた。ハマド国王は第十代のバーレーン首長として即位、政治改革をおこなって立憲君主制に移行、自らの称号も首長から国王に変えた人物だ。国王とは今年四月の来日の際に赤坂迎賓館で一度お会いしていたこともあり、非常にリラックスした雰囲気で会談が行われた。元谷代表は、「日本は天皇を戴く家族国家であり、素晴らしい伝統を持っているが、貴国もまた非常に長い歴史を持ち、国王を頂点に家族的な国家運営をされている」と日本とバーレーンの共通点について触れ、「今後バーレーンは観光立国を目指すべきである。そのためには、富裕層相手の五つ星ホテルだけではなく、アパが展開している、客室はコンパクトだが仕様は高級ホテル並みで、リーズナブルな価格で提供できる新都市型ホテルを増やしていき、幅広い客層を取り込んでいってはいかがですか」と提言した。国王からは、「バーレーンでアパホテルの様なホテルを是非フランチャイズ展開してもらいたい」と代表の話に大変関心を示された。代表との会話が大変盛り上がり、元谷代表が射撃や車も好きで、F15に搭乗して
マッハ二・七のスピードと七・五Gの重力を体感した時の話などに興味を持って耳を傾けられた。最後に国王より元谷代表へ訪問の記念品が贈られた。こうした国王と元谷代表との会談はバーレーンの新聞にも大きく取り上げられた。国王との会談の前日には、元谷代表は皇太子のサルマーン・ビン・ハマド・アール・ハリーファ殿下とも会談を行っている。殿下は日本とバーレーンの経済的な結びつきの重要性を改めて指摘、また中近東への投資の玄関としてのバーレーンのポジションを強調された。一方、代表はバーレーンの投資環境の良さを褒めるなど、終始和やかな雰囲気で会談は進んだ。
国王や皇太子の他にも、到着した二十三日には、ハッサン大使の案内で、一日で首相をはじめ七名もの政府閣僚とのアポイントが設定されていた。まず向かったのが商工大臣のハッサン・ファハロ博士のオフィスだ。大臣からは、「日本でのアパグループの躍進ぶりは知っています。アパグループがバーレーンに進出していただければ、政府は全面的にサポートします」という話をもらった。元谷代表は、「今アパグループは、日本国内で断トツのナンバーワンになった上で海外展開を行うという方針で動いています。将来においてはバーレーン進出も真剣に検討します」と答え、現在日本では頂上戦略「サミット5」として、東京都心部を中心にホテル五十、マンション三十の合計八十のプロジェクトを同時進行中であること、ホテル事業では現在三万室のホテル客室数を二〇一五年三月末までに五万室に、現在五百万人のアパホテル会員数を九百万人にすることを目標にしていることなどを大臣に説明した。また代表は世界のホテル市場についても触れ、デラックスなホテルもたくさんあり、一方安価なホテルもたくさんある。しかしアパホテルのような、質は非常に高いが部屋が小さいため、結果ビジネスマンが予算の範囲の中で宿泊することが可能なタイプのホテルが非常に少ない。ここにニーズがあると考えているし、実際に多くの国々からのオファーもある。代表が二十九年前に作った新都市型ホテルというビジネスモデルは十分に世界に通用すると見ているという話をさせて頂き、大臣の共感を得ていた。
次に向かったのは、首相のプリンス・ハリーファ・ビン・サルマン・アール・ハリーファ殿下の宮殿だ。殿下は日本のことをよく知っていて、日本びいきでもある。元々エンジニアだったこともあり、一九七一年のイギリスからの独立時から首都・マナーマなどの街づくりの設計を全て担当してきた実力者だ。首相の宮殿は格調高く非常に素晴らしいものであり、欧米の一流の建築家の手によるものと思われる。独立から四十余年で今のような近代的なビルの立ち並ぶ街に仕上げ、国全体も発展させてきたということで、ゼロから今の規模のアパグループを作り上げた元谷代表とも共通点が多く、互いに非常に親近感を感じたようだ。宮殿の素晴らしさやバーレーンの国の発展ぶりへの賞賛や、歓迎してくれる人々へのお礼などを代表は首相に伝えた処、会談は非常な盛り上がりを見せた。バーレーンには毎月観光客が八十万人訪れ、中でもサウジアラビアからは年間五百万人もの人が来るという。
その次に、電力・水利大臣のアブドゥル・フセイン・ビン・アリ・ミルザ博士を訪問した。ハッサン大使が大臣職に就いていた時に博士はエネルギー大臣であり、以来大使とは非常に親しい関係なのだそうだ。博士は非常に意欲的な方で、担当業務に関していろいろなことを実行していきたい、また日本人を非常に尊敬していて、事業に関して日本の協力を仰ぎながら進めていきたいと言ってくれた。実際先週も日本から太陽光発電の視察団がやって来たりしている。バーレーンは一九三二年、湾岸諸国の中で最も早く石油の生産を開始し、一九三六年には湾岸諸国で初めて石油精製所を建設したとのこと。この地域でも非常に先進的な経済運営を行なってきた国であり、近年はこれに加えて民主化も大きく推進してきている。これらに対して元谷代表は、日本の電力供給の状況として、日本のように安定的に大量の電力が必要な国では太陽光発電や風力発電のような不安定な発電は合わないこと、コストの安い原子力発電を推進しなければ、太陽光や風力のような再生可能エネルギーの全量買い取り制度も維持できないことを話した。さらに、まだ火力発電にも頼る必要があり、その燃料となる原油を輸送するために、ホルムズ海峡などシーレーンの重要性はますます増すばかりだと語った。
次に訪れた交通大臣兼経済開発委員会チーフ・エグゼクティブのカマール・アハマド氏はまだ四十二歳で、非常に快活な人。横浜のプロジェクト絡みで三菱重工に勤務して六カ月間日本で暮らしたことがあり、日本のことに詳しい。また首相が日本好きということもあって、日本との連携はどんどん増やしていきたいと言う。バーレーンでは大きな開発プロジェクトがいくつか進んでいて、それらを政府が持株会社となって推進しているとのこと。大臣もその持株会社の副会長になっているそうだ。サウジアラビアから年間五百万人が訪れるなど、ホテルの需要も非常に多いので、プロジェクトでも開発地域に二つのホテルを建設することが決まっているという。三万室ものホテルを持ち、多くの雇用を生み出しているアパグループに、バーレーンでもぜひ同じことをやって欲しいという要請を受けた。バーレーンでは個人も法人も所得税や相続税、贈与税、固定資産税といった税金が一切かからず、また法律関係は欧米のものに準拠しているので、参入が容易だとのこと。また日本からの観光客にも、もっと来て欲しいという。元谷代表はホテル事業を始めた時に、いかに稼働率の高いホテルを作るかに腐心したかという話をした。「普通のホテルであれば、休日に人が入り平日には空室が多い。稼働率を上げるためには、平日に強いホテルを作らなければならないということで、ビジネスマンが利用してくれるようなホテルを建設した。その結果、例えばアパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉(一〇〇一室)などは、八月の月間稼働率が九八・九%となっている。さらにアパホテルはサービスや部屋の質感などのクオリティは高いが、部屋の大きさは極力狭くして、その代わりに浴場とテレビは大きくするという商品のバランスの巧みさで成功した」と伝えると、アハマド大臣は非常に感心をしていた。
大臣によると、バーレーンには二百もの銀行があり、湾岸諸国から集まってくる膨大な資金をプールして、様々なプロジェクトに投資を行なっているという。現状では四つ星や五つ星の高級ホテルが多数あるが、三つ星クラスのホテルは少ないとのこと。代表は、それであればビジネスマン向けのホテル需要が必ずあるはず、と大臣に伝えた。
副首相のシェイク・ハーリド・ビン・アブダッラ・アール・ハリーファ殿下も王族の一員だ。開口一番、日本について、自然の資源もないのに敗戦後の全くゼロの状態から、世界有数の経済大国になった日本を見習いたいと言われた。また日本人の優しさや素晴らしさについていつも感動しているという。それに対して代表は、「今回のバーレーンが海外訪問の七十七カ国目だが、どの国に行っても人々が日本は素晴らしい国だと褒めてくれる。しかし肝心の日本人が日本のことを誇りに思っていない。それではいけないと『真の近現代史観』懸賞論文や『勝兵塾』などの運動で、『誇れる国・日本』の再興を目指している。離れている国々からは賞賛される日本だが、近隣の中国や韓国などでは『反日教育』が行われているせいで、日本といがみ合う状況が生まれている。教育が問題だ」という話をした。日本は世界第二位の経済大国になったのだから、もっと自分の国に誇りを持つべきだと言う殿下に対し、代表は、「二位だったのが中国の追い上げで三位になってしまった。日本人がもっと頑張れば、日本はもっと素晴らしい国になる。そう考えて『懸賞論文制度』を創ったり、『勝兵塾』という私塾を立ち上げたりした。この『勝兵塾』から首相を輩出するのが夢なのだが、今回私の親しい安倍晋三氏が自民党の総裁になった。次の総選挙があれば首相になるのは間違いないので、非常に嬉しい」と語った。
殿下は座右の銘を集めて英訳されている代表の本を読んでいて、素晴らしかったと言う。代表は、「日本の中でも本当の事が教えられていないし、それを海外に発信する機会も非常に少ない。先の大戦においても、日本が戦っていなければ、これだけ多くの独立国が世界に誕生することもなかった。日本のおかげで中近東やアフリカの国々が独立できた。こんなことも、もっと日本から発信しなければならない。だから懸賞論文の受賞作品を発表する場合でも、受賞作品の英訳版をホームページに掲載して、世界中の人々が読むことができるようにしている。今回バーレーンを訪問し、多くの方々と親交を温めることになったのも、Apple Townという雑誌を毎月発行していて、各国の大使の皆さんとの対談の英訳を掲載し続けてきたから。英語で発信することが非常に大切だ」と話した。また『真の近現代史観』懸賞論文の最優秀賞受賞者は、第一回が元航空幕僚長の田母神俊雄氏、第二回が明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏、第三回が若い女性でありながら先の大戦の戦没者の遺骨収集を続けてきたジャーナリストの佐波優子氏、第四回が福島の原発事故の悲惨さばかりが報じられている中で、チェルノブイリの事故と比べても、出た放射能は遥かに少なく、誰一人として放射能の被害は受けていないと明確に論じた放射能防護学の専門家である髙田純氏だった」と紹介した。「日本が原発を止めようとしているのは間違いであり、日本の世界最高水準の原発技術を維持するべきであるという代表の主張も伝えた。また、「第五回の受賞者は元海上保安官で、中国の漁船に我が国の巡視船が体当たりされる映像をネットに流した一色正春氏だった。それぞれが素晴らしい人達で彼らの活躍によって日本の歴史認識が大きく変わろうとしている」と代表は語った。最後に代表はお願いとして、国連の旧敵国条項の早期撤廃と東京でのオリンピック開催への支援を要請した。
次に会った文化大臣のシェイハ・マイ・ビント・モハンマド・アール・ハリーファ殿下は女性。バーレーンが五千年前から文明が開花していた非常に歴史のある国であることを強調する、自国に非常に誇りを持っている方である。一八九九年には学校ができていて、このエリアでは非常に先進的な国だったという。今殿下が非常に力を入れているのは、建物を安藤忠雄氏が設計したという考古学博物館の運営だ。安藤氏がこの仕事を引き受けた時の唯一の条件は、外国人が訪問した際には必ず案内するということであったという。湾岸諸国でも博物館は非常に多いが、殿下曰く、この考古学博物館がベストだろうということであった。日本に四回来たことがあるという殿下は、数多くの日本の文化に触れており、そのレベルの高さに尊敬の念を持っていると語られた。
その後メディア担当大臣サメーラ・エブラヒム・ビン・ラジャーブ氏も交えての食事会が催された。ラジャーブ氏も女性で、聞くと今女性閣僚は三名いるという。メディア担当大臣は、政府の関係の広報が主な仕事であり、海外からの観光客の誘致は文化大臣の仕事だそうだ。とにかくバーレーンの人々は誰もが皆ホスピタリティーの心を持っている。古くから交易によって成り立ってきた国だから、様々な人々と上手く付き合う術が発達しているのではという印象を受けた。
ハッサン大使が元谷代表の座右の銘に感銘を受けたことをきっかけに実現した今回のバーレーン訪問は、ハッサン大使の御尽力により、国王や皇太子をはじめ、首相・副首相等非常に多くの要人との会談が実現した。こうした会談を通じて、元谷代表の事業家の視点からの観光産業に対する助言や哲人としての生き様は、多くの連帯感に繋がり、日本とバーレーンの関係においても非常に意義深いものとなったであろう。
対談日:2012年10月23日