八月十五日に香港の活動家らが尖閣諸島の魚釣島に上陸、沖縄県警と海上保安庁は上陸した五人と船に乗っていた九人の合計十四人を逮捕したが、日本の国内法に基づいて起訴することなく、結局全員を強制送還する事とした、この対応は、情けないの一言に尽きる。メディアも国民も尖閣諸島に関する歴史を知らないから、この対応がいかに誤りかが分からないのだ。
かつては中国も台湾も尖閣諸島が自国の領土だという認識はしていなかった。その証拠の一つが、一九五三年一月八日、中国共産党中央委員会機関誌「人民日報」に掲載された「琉球群島人民のアメリカによる占領に反対する闘争」と題された記事だ。この中で尖閣諸島は日本名の「尖閣諸島」と記載され、琉球群島(沖縄)の一部だとされていた。一九六九年に中国が発行した地図にも、この島の名前は今中国が主張している「釣魚台」という名前ではなく、日本が言う「尖閣諸島」という名称で記載されている。また一九七〇年の台湾の国定教科書にも、尖閣諸島は日本領として「尖閣群島」という名称で掲載されている。この様な認識が変化するのは、一九六八~一九七〇年の国連による海洋調査以降だ。
一九六八年の十月から十一月にわたって行われた調査では、日本・台湾・韓国の海洋専門家が国連アジア極東経済委員会の協力の下に東シナ海の海底を調べた。この結果、東シナ海の大陸棚には大量の原油が埋蔵されていると判明。一九六九年、一九七〇年に国連が行った調査でも、推定千九十五億バーレルというイラクの原油埋蔵量に匹敵する石油が存在する可能性が指摘されたのである。これらを踏まえ、一九七一年六月十一日に台湾が、それから六ヶ月遅れて同年十二月三十日には中国が尖閣諸島の領有権の主張を開始した。
中国の外交部の声明では、領有権主張の根拠として、「早くも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域に含まれていた」としていた。しかし今年(二〇一二年)になって、長崎純心大学の石井望准教授の調査によって、一五六一年に明から琉球王朝に派遣された使節・郭汝霖(かくじょりん)が提出した上奏文には、「尖閣諸島の大正島が琉球に属する」と明記されていることが判明したために、中国側の主張の根拠が根底から崩れることになった。そもそも経緯を見ても分かる様に、中国や台湾が海底資源欲しさに尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは明らかである。中国や台湾による尖閣諸島への接近や上陸には断固とした対応を取るべきであり、今国会で衆議院まで通過している海上保安庁法及び外国船舶航行法の改正案を、一日も早くきちんと参議院を通過させることだ。
石油資源が欲しいばかりに、何の根拠もない尖閣諸島領有を主張する中国、先の大戦直後の不法侵略により、北方領土を占領しているロシア、勝手に線引きした李承晩ラインの内側に入れて、占拠した竹島を実効支配する韓国に対して日本が強く対応出来ないのは、日本の中に反日的な考えを持つ日本人がいるためだ。これらの領土を一旦譲ってしまえば、次は対馬、次は沖縄と次々と領土を奪われ、日本はチベットやウイグルの様に最後は中国の一自治区にまで身を落としてしまうだろう。
滋賀県の大津市の事件が話題になっている。いじめによる自殺の問題では、いじめられている子が一度でも反撃を行なっていれば、周囲の関係が変化し、死を選ぶ必要も無くなったはずだ。日本も同様に、一度でも一戦を交える覚悟で対応すれば、その後の不法行為は止まる。
通常、領海であっても、海上には無害航行権が認められているが、国際慣習法によれば、領海内で無害ではない活動を行う商船等については、これらに対して質問や強制停船、臨検、拿捕、強制退去などの措置を行うことが出来、この指示に従わなかった船舶に警告の上で警告射撃し、なお従わなければ船体射撃や北の不審船の様に撃沈をすることが出来る。これらを今回も粛々と実行すべきではなかったのか。
その様な強硬な対応をとれば、戦争になるという人がいるが、歴史を見てもこんなことから戦争に発展した例は殆どない。現在の航空自衛隊と海上自衛隊がその力を持って対処すれば、中国にとっても海・空においての武力行使は相当のリスクとなる。任期の残り少ない胡錦濤主席にそこまでのリスクをとることは出来ないだろう、しかし、この後五~六年もすれば、中国に航空母艦を中心とする艦隊が出来て、制海権も制空権も中国に奪われて、とても対処出来なくなる。
パラオといった小さな国でも先日、警告に従わなかった中国の漁船員を射殺している様に、他の国の領空や領海侵犯への対応は非常にシビアだ。一九八三年のソ連軍による大韓航空機撃墜事件の背景として、その前に同様の侵犯行為があった時に、即座に撃墜せよ、との命令に背いて銃撃し、不時着させたことで処分されたこともあったために、迷わず撃墜をした。上陸を目指して領海侵犯を行ってきた船舶を止めることが出来ず、一方日本が、上陸までも阻止出来なかったというのは本当に情けないことだ。ソ連を見習えとは言わないが、ここは日本のスタンスをはっきりと示すべきだった。
今回の様な形で帰してしまっては、恐らく同じ様なことがまた起きるはずだ。例えば中国軍によって魚釣島が不法占拠されそうな場合、現行法では海上警備行動が発令されない限り、海上自衛隊は領海警備が出来ない。日本国憲法による制約によって、自衛隊は敵からの攻撃を受けての自衛の反撃以外は、武力を行使出来ない。また同様の理由で、占拠後も排除出来ない可能性があり、尖閣諸島が竹島化することも考えられるため、これへの対抗策を十分に考える必要がある。たとえ小さい島一つでも、それによって失う領海は広く、少しの妥協も許すわけにはいかない。今回の香港活動家達の魚釣島への接近・上陸に際しても現行法による役割分担から、上陸した人は沖縄県警が、海上の人々は海上保安庁が逮捕したのだが今、出されている海上保安庁法改正案では上陸した人間に対する対処も海上保安庁が出来る様になる。しかし抜本的には、自主憲法を作って、領土を占拠されそうな場合には、海上保安庁や自衛隊が他の国と同じ様に対処することが可能となる法整備を行うべきである。
陸続きで国境を接している場合は、地雷の敷設によって防御していることが多いが、海からの上陸を阻止するためにも海岸線に地雷を敷設する。日本は対人地雷全面禁止条約の締結国となり、全ての対人地雷を廃棄してしまったため、そのことが出来なくなった。これも実にバカげたことだ。対人地雷はそもそも対戦車地雷の周辺に敷設して、対戦車地雷が処理されることを防ぐ為のもので、最も自衛の為の兵器と言える。それを軍事の常識が分からないメディアが悪役扱いして、すっかり世論を動かしてしまった。そもそもこの条約にはアメリカ、ロシア、中国などの対人地雷大量配備&輸出国が含まれておらず、その実効性が疑われている。そんなことも分からず日本がこの条約を批准したことは、独立国家として恥ずかしいことだ。
「敵の敵は味方」という言葉がある。アメリカにとって本当の脅威は、依然同等の核兵器を保有しているロシアの存在だ。そしてそのロシアは伝統的に中国と仲が悪い。敵の敵は味方として、アメリカは中国との関係を重視している。一九七一年、翌年行われるニクソン大統領の訪中の準備の為に、当時のキッシンジャー大統領補佐官は周恩来首相(当時)と会談している。
その中で両者は日本に対する警戒感を露わにし、キッシンジャーは日本が大規模な再軍備を行う様なら「伝統的な米中同盟が再びものを言うだろう」とまで発言している。これがアメリカの本音だ。日本が大きな力を持つことを良しとしないアメリカは、周辺各国との揉め事の種をわざと放置した。それが北方領土へのメドベージェフの訪問を招き、竹島にイ・ミョンバク大統領が上陸することになり、尖閣諸島にも香港の活動家達が上陸することになってしまったのである。これら全ての原因はアメリカにある。メタンハイドレートなど天然資源が見込まれる竹島周辺だが、一九五二年に当時の韓国大統領である李承晩が、一方的に李承晩ラインを引いて、竹島をその中に入れて勝手に自国の領土だと主張し出したのであって、全く何の根拠もない。翌年には独島義勇守備隊が駐屯を開始している。これに対して日本は激しく抗議したが、アメリカは黙認したのが問題の始まりだ。
インターナショナルを結成するなど、先の大戦前、ソ連が目指していたのは、ヨーロッパ全域、ひいては世界全体を赤化することだった。この観点から見ると、先の大戦は、日独伊三国と世界赤化との戦いと考えても良いかもしれない。アメリカにとってもソ連による赤化は脅威だったが、それよりも大きな脅威は、イギリス以外のヨーロッパ全域を支配し、更にソ連へと手を伸ばそうとしていたナチス・ドイツだった。ソ連が敗れれば、ヨーロッパは完全にドイツのものになる。「敵の敵は味方」ということで、アメリカは本来相容れないはずのソ連に莫大な軍事援助を行い、一千五百万人と先の大戦でずば抜けて多くの犠牲者を出したソ連も、その援助によって盛り返して逆にドイツに侵攻し、ベルリンを陥落させることが出来た。
一九四三年、アメリカはドイツが先に作るのではという恐怖から核兵器の開発を急いだ。一九四四年九月には、アメリカのルーズベルト大統領はイギリスのチャーチル首相と会談し、造られた原爆はドイツでは使用しないと、日本への原爆投下を決定する秘密協定(ハイドパーク協定)を結ぶ。アメリカは戦後のソ連を牽制して、ヨーロッパ全域への進軍を抑える為にも、どうしても原爆を開発して実戦で使用したかった。戦争が終結してしまっては使用出来ないので、終戦の意志が明確だった日本に対して、アメリカはわざと天皇の処遇を曖昧にして時間を稼ぎ、その間に原爆を完成させ、本土決戦での犠牲を防ぐ為と称して、広島と長崎に無警告で原爆投下したのである。この結果、北方領土にまでは侵入していたソ連軍は、アメリカの牽制により、それ以上北海道や東北に侵入することは出来なかった。
米ソの対立から、第二次世界大戦の後、すぐにでも世界赤化の為の第三次世界大戦へと広がっていってもおかしくなかった状況を変えたのは、この原爆の投下だった。しかしアメリカの核技術者達は、原爆をアメリカが独占すれば、核をどんどん使ってアメリカによる世界支配となることを恐れ、核の開発技術をわざとソ連にリーク、アメリカに遅れること僅か四年でソ連が原爆実験に成功する。その後ソ連の核に対抗して中国が核開発し、それに対抗してインドが核開発、更にインドに対抗してパキスタンが、パキスタンに対抗してイスラエルが…と核開発の連鎖が続いていった。そしてとうとう北朝鮮までもが核兵器を手に入れた今、日本はすっかり核武装国に包囲されている状況だ。
戦後日本の統治に関してアメリカがまず考えたのは、第一次世界大戦の失敗を繰り返さないことであった。
ドイツにおいて、僅かな時間で合法的にヒトラーを最高権力者にし、強力な軍事独裁国家を生み出してしまった反省と、日本が再軍備によってアメリカに原爆投下の復讐を行うことの怖れから、GHQはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)に基づき徹底的な洗脳政策を行ったのである。
アメリカは常に自国の国益となる行動を続けてきており、それは国家として当然のことだ。そもそも日本の大東亜共栄圏を潰したかった理由は、アジアが一つとなって大きな力となることを阻止したかったからだ。アングロ・サクソンは伝統的にデバイド&コンカー(分割して統治せよ)という原則で世界支配を続けてきた。オスマン・トルコの解体もそうだったし、インドにおいてイスラム教徒とヒンドゥー教徒との対立を煽ったのもその一環だ。アメリカは西部開拓史において、先住民を追い立て殺戮して、西海岸に辿り着いた後はハワイを占領し、さらにメイン号を自ら爆破し、それをスペインの仕業とすることで始めた米西戦争によって、フィリピンを獲得した。そんなアメリカにとって、太平洋で残すところは日本だけだったのだ。この様に世界を歴史的に俯瞰して見てみると、いろいろなことが分かってくる。
事前に宣言して領海侵犯して不法入国した人間をただ強制送還するような馬鹿な国は、日本だけだ。きちんと相手に分からせるような対応を行わないと、次々と領海を侵犯する者が増え、逆に戦争のリスクが高まることをメディアを始め多くの人々が理解していない。いつまでもアメリカの属国であり続けたり、中国「日本自治区」にならない為にも、まずは今の憲法を破棄して、自分の力によって自分の国を守れる様に自主憲法を作り、その上で必要な法整備を行わなければならない。私が主宰している『勝兵塾』から、これらを実行出来るリーダーを一日でも早く輩出しなければならないと考えている。
8月27日午後10時56分校了