六月二日、元谷一志アパグループ株式会社社長就任記念と、アパグループ東京本社十周年と私のバースデーイブを兼ねた会を、アパホテル〈東京潮見駅前〉で各国大使と多くの国会議員など千二百人余りにお集まり頂き盛大に開催した。その時に合わせて私の新著である『誇れる祖国「日本」』(幻冬舎)を出版した。今の日本を見渡していろいろと蔓延っているおかしなことを抽出、それらの点が線となるように繋げて、その背景までも理解できるようにした意欲作だ。初版で四万部を印刷し、アパホテルの全ての部屋にセッティングすると同時に、全国有名書店やアマゾンでも発売を開始した。私としては、『報道されない近現代史―戦後歴史は核を廻る鬩ぎ合い』『誰も言えない国家論』に次ぐ「救国の書」第三弾に当たるものだ。
パーティーの直前に到着した早刷りの十冊のうちの一冊をアサヒビール名誉顧問の中條高徳氏に渡したところ、早速その日のうちに読了して「老生の生き様からして極めて力強く頼もしい同志を確認しえて、喜びのこれに勝ぐるものございません」という素晴らしい毛筆のお手紙をいただきました。
私がこの本を執筆したのは、特に若い人達が正しい歴史を知ることで、日本への誇りを取り戻して欲しいという想いからだ。『誇れる祖国「日本」』の中から、いくつかの重要なポイントを要約して掲載してみよう。
第一章「歪められた日本の近現代史に目を向けよ」。
日本の近現代史の捏造は、アメリカの原爆投下から始まっている。先の大戦末期に、世界赤化を目指すソ連とポスト第二次世界大戦の世界覇権を争っていたアメリカは、完成直前の原爆を日本との終戦を引き伸ばしてでも完成させて使用することで、「世界赤化」を押し止めたいと考え、それを実行した。確かにそのままいけば日本を始め中国や朝鮮半島など、東アジア全域がソ連のスターリンの勢力下に入る可能性は十分に高く、アメリカは非人道的な大量殺戮兵器だと承知しつつ、核兵器を使用してでもそれを食い止めたかったのだ。しかし後に世界から非道で残酷な大量殺戮兵器を使用したと非難を受けないための「工作」も周到に行なっていた。東京大空襲を三月十日の陸軍記念日に行い、それまでの空襲による犠牲者数は数百人から数千人レベルが常識であったが、たった一晩で、遥かに上回る十万人を超える人々を大量殺戮するために綿密に計画し、東京大空襲を実行したと思われる。原爆を使用すれば一発で十万人ぐらいの死者が出るとの想定に基づき、これによって原爆だけが残酷な兵器ではないという空気を醸成させ、後の原爆投下の非難を避ける布石を打っていたと思われる。アメリカ軍の戦死傷者が日本軍の戦死傷者を上回った硫黄島の戦いや沖縄戦は、既に制空権も制海権も失っていた地域での戦いであり、本来アメリカがここで上陸戦を行う必要性は薄かった。迂回しても良かったのに敢えて上陸戦を行ったのは、これらの米軍死傷者数から推測すると、本土上陸戦を行えば百万人のアメリカ軍将兵が戦死傷すると言いたかったからだ。それを避けるためには原爆を使用する必要があったと、アメリカ国民や世界の人々への弁明を行うために、敢えて硫黄島と沖縄戦で犠牲を払ったのである。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の開廷日である一九四六年五月三日の、丁度一年後の同じ日に合わせて日本国憲法を施行させたのは、東京裁判史観を憲法に反映させて、「今後ずっと日本を縛る」というメッセージだ。東京裁判は旧陸軍省参謀本部で行われ、意図的に一九四六年四月二十九日の昭和天皇の誕生日にいわゆるA級戦犯を起訴し、一九四八年十二月二十三日の今上陛下の誕生日に合わせて処刑を行ったのも、全く同じ理由からだ。東京大空襲が行われた三月十日は陸軍記念日で、日露戦争の奉天会戦で日本が勝利し、奉天城に入城した日である。アメリカはこの時から日本を仮想敵国としてオレンジ計画の策定を始め、日本との戦争とその後の占領政策を練っていたと思われる。
実際には一九四一年の日本軍の真珠湾攻撃から日米戦は始まるのだが、ルーズベルトは暗号解読によってこの攻撃のことを数週間前には把握していたにも拘わらず、理由をつけて全ての航空母艦を離脱させたものの、現地司令部にそのことを伝えて迎撃体制を取らせることはしなかった。それは「日本が一方的に奇襲攻撃をした」と喧伝して、アメリカが日米戦へそして日本と同盟を結ぶナチスドイツとの戦い、ヨーロッパ戦線に参戦するためだった。ルーズベルトは大統領選挙で三選を果たす時の公約として、ヨーロッパ戦線への不参加を掲げていたので、この公約を破る大義を求めていたのだ。アメリカにとって、日本を追い込み、暴発させて真珠湾を攻撃させたのは想定通りだった。その後も暗号解読したことを伏せてミッドウェーの戦いや山本五十六長官の待ち伏せ攻撃などを成功させた。
先の大戦で日本がアメリカと戦ったのは最後の三年八カ月だけであり、十五年間に亘る戦いの大半は大陸で主として中国国民党軍との戦いで、アジアでの戦いは西欧列強の植民地軍との戦いだった。
中国への侵略の端緒とされるのが、奉天軍閥の首領であった張作霖の爆殺事件だ。これは日本の関東軍が中国侵略のために行ったというのがこれまでの定説だったが、実はソ連の特務機関の犯行だったという事実が最近明らかになった。ソ連の指導者スターリンは、ヒトラーの著書『我が闘争』からドイツとの衝突が近いと考えた。東西からの挟撃を避けるため、東側の脅威を取り除くことを考え、中国国民党軍と日本とを戦わせようと考えていた。関東軍の河本大作の犯行と見せかけての張作霖の爆殺はその工作の一環であった。最近の犯行説としては列車内での爆発はそれを持ち込める立場にある張学良を唆したコミンテルンの意図の下、ソ連特務機関の犯行であることはその爆発物がソ連製の爆薬であったとの分析結果から明らかで、既に当時の英国諜報部が本国にそのように打電している電文をイギリスが二〇〇七年に公開した。(公開文書ナンバーW0106‐5750)。
日本も国民党の蒋介石も戦争を望んでいなかったにも拘らず、張作霖の後を継いだ息子、張学良が起こした西安事件(張学良らによる?介石拉致監禁事件)で蒋介石は脅され、第二次国共合作(一九三七年から一九四五年にかけて結ばれた中国国民党と中国共産党の協力関係)となり、さらに、通州事件(中国兵による大規模な日本人民間人大虐殺事件)、第二次上海事変(一九三七年から始まる中華民国軍の上海への進駐および日本軍との交戦)を経て双方共、スターリンの思惑通り、全面戦争の泥沼へと進んで行ったのである。日本は侵略を行った加害者ではなく、ソ連の意図によって戦争に巻き込まれた被害者とも言えるのだ。
名古屋市の河村たかし市長の「南京大虐殺はなかった」発言がメディアに大きく取り上げられた。私も河村氏の言ったことは正論だと考えている。中国は三十万人を虐殺したというが、そもそも南京市の人口は二十万人だったということや、それだけ多くの死体を埋葬した跡がないこと、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も記録したものが一つもないことなどと、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と言ったことなどから、この虐殺事件が中国側のでっちあげであることは明らかだ。この捏造された事件がなぜ今に至るまで真実だとされて日本の教科書にまで載せているのか。その背後にいるのは、またしてもアメリカである。前述した通り、アメリカは第二次世界大戦後の世界覇権のために東京大空襲を経て原爆を二発投下し、合わせて三十万人もの非武装民間人を虐殺した。それらの国際法に違反した無法な行為に対する非難に晒されないために、侵略国家である悪い日本に原爆を投下して、良い民主主義国としたというストーリーを作る必要があった。だから日本を貶めるような南京大虐殺は、虚構だとわかっていても、アメリカは何にも言わないのである。
戦後アメリカ占領軍はマスメディアによって日本人に自虐史観を植え付けることに専念し、見事に成功した。このように歪められた近現代史観と押しつけられた憲法によって、日本は再び強国となる道を完全に閉ざされた。戦後から今まで、このアメリカによるマインドコントロールは続いていて、アメリカの意に沿わない首相は、第二次中東戦争でアラブの支持に回った田中角栄氏、北方領土の二島返還で日露平和条約締結を画策していた森喜朗氏、戦後レジームからの脱却(アメリカからの独立)をしようとした安倍晋三氏といずれも短命に終わっている。一方長期政権を成し遂げたのは、佐藤栄作氏、中曽根康弘氏、小泉純一郎氏など、アメリカ盲従の首相ばかりだ。かといって、私はアメリカが悪い国だと言うつもりない。どんな国家であれ、国益のためには嘘もつくし人も殺すというのは、今も昔も世界の常識。世界では常に情報謀略戦が行われているのである。これを理解できない日本人の方が問題なのだ。
第二章「歴史教育不在が招いた、現代日本の内部崩壊」。まず取り上げたいのは国益も考えず、事の真贋を科学的根拠に基き検証することもなく、統計学的確率計算もせず、コストも考えないでノーリスク社会を求めるメディアの問題だ。本来であればメディアがバランスの取れた報道を行い、見る方も報道だけを信じるのではなく、自らの頭で考え、歴史観、世界観、国家観を養った上で独自の判断基準を持った上で選挙を行い、当選した人間が政策を実行するのが真の民主主義の形だ。しかし今の状況では、メディアはどうでもいいことを右に倣えでワイドショー的に集中的に報道し、見る方もそれが重大事だと盲信してしまい、これはただの衆愚政治でしかない。メディアのアンバランスさが顕著だったのが、第一回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞に選ばれた田母神俊雄氏と私に対して行われたバッシングである。いわゆる政府見解(村山談話)に反する論文を発表したと全てのメディアから、集中砲火のような批判を浴びた。また朝日新聞などは、懸賞論文の授賞式の発起人となっていた百数十名の国会議員や有力者の一人一人に取材と称して「政府見解に反する論文の表彰式のパーティーの発起人にどうしてあなたがなったのか」と恫喝の電話を掛け、その結果、多くの人が発起人を辞退し、式への出席を断ってきた。また私の出身地に取材班を投入して親戚・友人・同級生・近隣の方々に過去の細かいことまで執拗に取材し、これまでに何か問題がなかったのかを事細かに調べたり、朝刊の一面トップに「アパ代表 選考主導」と田母神氏を選んだのがあたかも出来レースであり、それがまるで犯罪であるかのような記事を掲載した。私が主催する懸賞論文に私が誰を選ぼうが勝手だし、そもそも厳正な審査を行った上の結果なのだから、文句を言われる筋合いはない。結局世論は田母神氏に味方し、退官した氏が出す本はいずれもベストセラー、講演に引っ張りだこの人気者となった。
教育の問題は、まず日教組の存在だ。GHQの自虐教育戦略の片棒を、今に至るまで延々と担ぎ続けているのは、アナクロ(時代錯誤)としか言いようがない。日教組の組織率や加入率が年々低下しているのも、やむを得ないことだろう。教育内容として問題があるのは、偏差値教育である。この記憶力重視の教育によって、東大法学部→財務省というエリートコースのキャリア組を中心に政官財のステルス複合体が既得権益社会を築きあげ、官・民問わず阿吽の呼吸で連携してきたのだ。そろそろその仕組みを崩壊させなくてはならない。
日本の政治において最大の問題は、アメリカ派や中国派の国会議員はいるのに、日本の国益を第一に考える日本派の国会議員がいないことだ。歴史問題においても、ODAを獲得するために強い調子で日本の対応を責め立て、中国や韓国に慮ることばかりを行なっている。社会党との連立で村山富市首相が誕生した時から、自民党の左傾化は酷くなっていった。とうとう最後は「日本はいい国だった」と主張しただけの田母神俊雄航空幕僚長を更迭するまで、落ちぶれ果てた。自民党も民主党も信念や主義ではなく、選挙や政権のための集団になってしまっている。来年にも予想される衆参同時選挙までにもう一度原点に戻って、少数でも政策で一致する政策集団を作ることだ。真正保守の考えで一致する人々が集まって新党を結成、政策の近い政党との連立によって衆参で過半数を握る盤石な政権を作り、日本を再生する…これを是非実現させたい。
日本人の心を崩壊させてきたのは、メディアの間違った報道や産業中心のシステムの弊害のほかに、家族制度が崩れてしまったことが大きい。父親は単身赴任、子供達は進学と家族全員がバラバラの個家族化している家庭も珍しくないだろう。しかしこの個家族化によって、日本人は心の豊かさを失い、他人の意見を聞けずに、自らテレビなどで見たものだけを信じるメディア信奉者になってしまいがちだ。私は税の誘導による大家族制度の復活を提案している。二世代、三世代で住む大型住宅では、固定資産税や取得税を半分にまで軽減するようにするのだ。建設業が活気を取り戻すのはもちろん、世代間の相互扶助や知恵の伝承も行え、情報の共有にも役立つだろう。
第三章は「虎視眈々と日本を狙う『外圧』に対処せよ」。多くの国に連鎖的に広まっていった核兵器だが、広島・長崎以降、実際に使用されることはなく、抑止力のための政治的兵器として存在し続けている。抑止力としては、原爆は一発保有するだけでも大きな力だ。このことを理解していた金正日は、父親の金日成を排除してでも核開発を止めず、自らも中国訪問の帰国時に龍川駅においてTNT爆薬八〇〇トンにも及ぶ大爆発で爆殺されそうになったため、自らを守るためについに、まだ不完全ではあったが地下核実験を行った。その結果、アメリカはこれまでの強行策を一転して米朝二国間協議に応ずることになった。日本も早急に核の抑止力を持たなければならない。その場合、最も現実的な策はニュークリア・シェアリングを導入して、アメリカと核の共有をすることだ。日本単独の核武装を恐れているアメリカは、拒否されれば独自に核開発すると言えばこの要請に応じるだろう。このステップを経て、日本は独立自衛の国へと生まれ変わるべきなのだ…などということを「誇れる祖国『日本』」に書いた。是非一読して、日本への誇りを取り戻して欲しい。
6月26日午後10時55分校了