Essay

藤誠志 社会時評エッセイ238:新聞は社会の公器で 政党機関紙ではない

藤 誠志

「社論にあわない」と
広告掲載を拒否する新聞社

 産経新聞の一面には、「南京事件『河村発言を機に議論を』中日新聞一転拒否『社論に合わぬ』」という見出しの記事が出ていた。「名古屋市の河村たかし市長の『南京事件』否定発言に対するバッシングに疑問を持った有識者らが、中日新聞に、南京事件について自由な議論を呼びかける意見広告を掲載しようとしたところ、『社論に合わない』と拒否された」「意見広告を掲載しようとしたのは、『河村発言を支持し「南京」の真実を究明する国民運動』(代表・渡部昇一上智大名誉教授)。意見広告は『私たちは河村たかし名古屋市長の「南京」発言を支持します!』『自由な議論で「南京」の真実究明を!』との見出しの下、南京事件について様々な見解があることを踏まえた上で、議論が広がることを期待するという内容。名古屋市長の発言にまつわる件なので、地方紙としては非常に高い広告料金の中日新聞だが掲載することになり、広告審査も終えたという連絡と共に「賛同する国会議員を集めてほしい」と、この会から頼まれたため、議員を集めていたのだが、一転「社論に合わないので掲載できない」と言われたと聞いて、私は四年前のことを思い出した。
 アパグループが主催した第一回「真の近現代史観」懸賞論文において、政府見解に反する「日本は侵略国家であったのか」という「日本は良い国であった」と主張する論文を提出して、最優秀藤誠志賞を獲得したことが理由で一大バッシング報道が起こり、田母神俊雄氏は航空幕僚長を降格・解任され、二〇〇八年の十一月十一日に参議院外交防衛委員会に参考人招致された。
 当時全てのメディアが彼の論文の一部のみを取り上げて批判をしていて、多くの国民には何が問題なのかわかっていない、論文の全文を読めば、彼の主張は日本人として当然知っていなければいけないことで、知ればきっと多くの国民に支持されるものと考え、私は参考人招致の十一月十一日までに新聞の全面広告として田母神論文の全文を掲載すべく奔走した。まずマンションなどの広告でも取引の多い日本経済新聞に掲載をしようと広告代理店に話をしてみたが、新聞社の社論に合わないから難しいと取り扱いを拒否された。ならばと産経新聞に掲載をしようとしたが、大阪版(西日本版)は大丈夫だが、東京版(東日本版)はなかなかOKが出ないと告げられた。参考人招致までに全文掲載を行わないと、田母神氏と折角の彼の論文が潰されてしまうと考えた私は必死に交渉を続け、この広告に産経新聞が加担していると思われないためにも定価の広告掲載料金であればと、これまで適用されてきたアパグループとの取り決め広告料金よりも遥かに高くついたが、漸く掲載OKの回答を受け、ぎりぎり参考人招致当日の産経新聞全国版朝刊に、論文の全文を載せることが出来た。
 掲載してみると、朝早くから電話やファックスの嵐となった。その全てが「何の問題もない。素晴らしい論文だ。頑張れ!」というもの。これがその後の田母神ブームへと繋がっていったのだ。「社論に合わないから」というのは日本の新聞社が掲載を断る際の常套文句だが、政党の機関紙ではないのだから、意見の異なる主張や広告を掲載しないというスタンスはおかしい。本来メディアは社会の公器と言われ、公正な報道をするだけではなく、自由な意見を掲載して議論を起こす場として機能すべきである。公平な報道記事、スポンサーが自ら伝えたいことを掲載する広告が、それぞれ新聞社から独立して存在するべきだし、新聞社自身の意見については社説で述べるべきだろう。言論の自由を標榜するメディアが、他者が意見を述べる権利を妨害するのは、第四の権力としての機能放棄である。四年前もそうだったが、今回の中日新聞の対応には呆れるばかりだ。

数々の国難に直面する今
日本人の誇りを取り戻せ

 六月三日が私の誕生日なのだが、ここ数年はその前日に、昨年の『座右の銘が語る藤誠志の生き様』や一昨年の『誰も言えない国家論』など私の著書の出版記念を兼ねたバースデーイブの会と称したパーティーを開催しているが、今年は私の長男である元谷一志のアパグループ株式会社代表取締役社長への就任とアパグループ東京本社十周年を祝う会として招待状を発送した。出来れば今年も何らかの著書を出版しなければと思い、多忙な業務の合間を縫って執筆を急ぎ、『誇れる祖国「日本」』という最新作を、五月二十八日に幻冬舎から出版することとなり、パーティーに間に合わせることが出来た。
 この本の「はじめに」の見出しは「『日本人の誇り』を取り戻すことが急務である」とした。
「二〇一一年、日本は国難とでも言うべき様々な危機に晒された。東日本大震災、それに伴う津波による福島第一原子力発電所の事故という未曾有の災害。ヨーロッパの通貨危機、歴史的な円高の進行など日本経済を危うくする世界規模の経済危機。更には北朝鮮の指導者の交代、中国の台頭など隣国による国防危機の増大など、日本を取り巻く状況は、まさに『国難にある』と言っても決して言い過ぎではない。こんな時代だからこそ、『日本』という国がいかに素晴らしい国であるかを、今一度認識しなければならない。日本人は豊かな自然に恵まれ、争うことのない『和』の精神を持った温和な国民性や思いやりを持つ国民である。そんな日本人が、先の戦争の戦勝国によって自虐史観を植え付けられ、自国に誇りを持てない国民になり下がってしまった」。

アメリカは自国の兵士まで犠牲にして戦後の世界覇権を握るために原爆を投下した

 間違った教科書による教育と、偏向したメディアの報道によって助長された誤りを速やかに正して、日本人に誇りを取り戻すべく、私はこの本で、具体的に幾つかのこれまでに明らかとなってきた歴史の真実を述べている。
一、日本の中国侵略の『始まり』とされている張作霖爆殺事件が関東軍の犯行だという、我が国の歴史教科書にも載っている定説を覆す。実はソ連の特務機関が関東軍の犯行と見せかけて起こした謀略工作であることの検証と公表。
一、中国国民党が情報謀略戦で捏造した、一人の検証された被害者名簿もない『南京三十万人大虐殺説』の虚妄を未だ利用する中国共産党の謀略。
一、宣戦布告が遅れて『騙し討ち』とされた真珠湾攻撃も、実は暗号が解読されていて、アメリカ側に事前に察知されていたことと、その一カ月半も前に義勇軍と称して、宣戦布告もなく日本軍を攻撃していたアメリカ空軍『フライング・タイガース』の真実。
一、アメリカはなぜ降伏寸前の日本に二発もの原子爆弾を投下したのか?
 原爆投下についての章を少し引用してみる。原爆投下の理由の一つは、莫大な国家予算を使って実施してきた原爆開発プロジェクト(マンハッタン計画)の効果を見せ、議会の承認を得たかったということと、もう一つの理由が、既に始まっていたソ連による世界赤化との戦い、ポスト第二次世界大戦の世界覇権を握る戦いに勝利する為に、どうしてもこの新型兵器・原子爆弾の威力を実戦で示す必要があったということだ。戦争が終結すれば原爆を使用出来ないので必死に開発を急ぐと共に、日本側の降伏条件の最重要事項が天皇制の存続にあることを暗号解読によって知っていたトルーマンは、その点を曖昧にすることで日本の降伏を遅らせ、日本が簡単に降伏出来ない状況へ追い込み、戦争を長引かせて原爆投下を実行したのである。「実は東京大空襲など、一連の空爆も原爆使用の布石だった。アメリカは日本の都市を空爆する際、木造家屋が多いという日本の特性(弱点)を研究し、空中で爆発して多くの火種となって降り注ぐ焼夷弾を開発した。これまでの空襲では数百人、多くても数千人の死者しか出していないにも拘わらず、東京大空襲では出来るだけ死者を増やす為に、周辺部から焼夷弾の絨毯爆撃を行って人々の退路を断ち、その火災が中心部へ広がっていくように画策して、一晩で十万人もの非戦闘員の民間人を焼き殺した。死者の数だけを比較すれば、原子爆弾だけが突出しているとは言えない、という論法をアメリカが作るためであった」と思われる。
「今一つ、これまでの太平洋における上陸戦の米軍戦死者と比べて圧倒的に多く死傷者の数において米軍が日本軍を上回った激戦地と言われてきた硫黄島の戦い(米軍戦死傷者二万八千六百八十六名・うち戦死者六千八百二十一名、日本軍戦死傷者二万百二十九名・うち戦死者一万八千三百七十五名)や、激戦となった沖縄戦(米軍死傷者・行方不明者八万四千五百三十二名・うち死者・行方不明者一万二千五百二十名、日本軍死傷者・行方不明者九万四千百三十六人)において、敢えて制海権も制空権も既に米軍が握っていた硫黄島や沖縄を迂回せずに、莫大な数の犠牲を払って上陸戦を行ったのは、この戦いでの戦死傷者の比で考えれば、日本本土決戦となれば、百万人のアメリカ軍の将兵が犠牲になるだろう、その為にも原爆を使用する必要があった、とアメリカ国内外に対して非人道的な兵器を使う必要性があったことを納得させる為であった。」と思われる。

メディアが全く報道しない
上海大学朱学勤教授の重大発言

 また南京三十万人大虐殺については冒頭にも書いたが、「名古屋市の河村たかし市長が、友好都市の関係を結んでいる南京市の代表訪問団との会合で、『あれはなかったのではないか』と発言」「河村市長はその根拠として、父親が終戦当時、南京市に居たが、市民から親切に温かく遇されていたことを挙げ、『もし本当に大虐殺が行われていたら、そのように日本人を遇してくれただろうか』と延べ、その後も中国側が要求する発言の撤回や謝罪を拒み、南京事件の真実について、日中で改めて検証することなども提案している。河村市長の発言は全くの正論であり、撤回や謝罪など毛頭考えるべきではない。南京大虐殺について、かつて上海大学の朱学勤教授が、『いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない』と、その事実がでっちあげられた事件であることの何よりの証拠であると言及したことがある。中国の知識人によるこの発言の重要性を、私は『日本人への誤解が解けた大ニュース』と捉えたのだが、産経新聞を除いて全くメディアに取り上げられることはなかった。メディアの怠慢というより、もはや罪とさえ言えるのではないか」。

真の近現代史を読み解き
健全なメディアを育成せよ

 この様な『誇れる祖国「日本」』の原稿を書き終え、出版前に友人である衆議院議員の稲田朋美氏に送り、読んでもらった処、すぐに次の様なFAXが返ってきた。「大変勉強になりました。多くの人に読んでいただきたいと思います。このような大きな視点に立った、東京裁判史観から脱却するためのご著書を書かれたことに感謝と敬意を表します。ありがとうございました」。日本人は真の近現代史を知って民族の誇りを取り戻し、誇れる祖国・日本の再興を果たさなければならないという私の熱い思いが、稲田議員には伝わった様だ。
 またその後、こちらも私の友人である衆議院議員の西村やすとし氏に原稿を渡したところ、次の様なコメントを頂いた。
「一、現在、アジアの多くの国々、例えば、インドネシア、フィリピンといった国々が、日本に対して『軍事面も含めて、もっとアジアでリーダーシップを発揮してほしい』との意向を持っています。自虐的な歴史観、教育に陥ることなく、歴史と伝統に誇りを持ち、アジアのリーダーとして、堂々と活動すべきだと思います。『世界の人材を受け入れ、他方、海外にもどんどん出て行く』との元谷代表のご主張に大賛成です。
一、アメリカに対しても、変なコンプレックスを捨て、堂々と議論、交渉すべきだと考えています。TPPも、中国を国際社会の一員としての責任を果たせるための基礎(プラットフォーム)としてアメリカは考えています。日本も、その観点では、アメリカを恐れることなく堂々と交渉に参加すればいいと考えています。その意味で、早期警戒衛星も日本は保有すべきだと考えています。大変勉強になりました。ありがとうございました。」
 私は一年前の六月二日の勝兵塾発足式の時に、「将来この塾から総理大臣を出したい」と述べたが、この二人にも是非頑張って総理になってほしいと思っている。
 これまで自虐史観を植え付けることに終始してきたメディアによって、河村発言に端を発した南京事件について自由に議論をしようという機運さえ抹殺されようとしているのは、まさに日本の悲劇に他ならない。私の『誇れる祖国「日本」』の発刊と共に、一刻も早く日本の多くの人々の歴史観が改まり、健全なメディアが育成されていくことを願って止まない。

5月26日午前2時10分校了