Big Talk

中国における反日勢力の 政権奪取に日本はしっかりと 備えるべきだ

茨城県議会議員や水戸市長を務め現在は国会議員と、地方自治から国政までを知り尽くした参議院議員の岡田広氏。漢字や言葉にも非常に造詣の深い岡田氏に、明治維新や今の日本に大きな影響を与えている水戸学の流れや、現在の民主党政権の問題点、台頭を続ける中国への今後の懸念などをお聞きした。

江戸時代からの日本の教育水準の高さが西欧列強による植民地化を防いだ。
明治維新の原動力となった 水戸学の教え

元谷 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。
岡田 よろしくお願いいたします。先日は「日本を語るワインの会」にもお招きいただき、ありがとうございました。この時に代表が吉田松陰の松下村塾に倣って勝兵塾を立ち上げられたと聞き、さすがだなと思いました。もともと水戸藩の会沢正志斎の「新論」に影響を受けていた長州藩の吉田松陰は、水戸に一カ月滞在して会沢の教えを受け、時代を変える必要性と教育の重要性を痛感します。そこで長州に戻って、松下村塾での人材教育に力を注ぐようになるのです。
元谷 今の日本の状況は明治維新の直前に似ていると感じています。日本を変えるために何かをしなくては…と考え、吉田松陰が松下村塾を作ったのと同じ思いで、勝兵塾を作ったのです。
岡田 まさに慧眼だと思います。明治維新を第一の変革とすれば、敗戦は第二、今の日本はまさに第三の変革期にあるといえます。歴史に学んで、これを乗り越えなければならないのです。
元谷 その通りです。しかし松下村塾が開かれていたのは、たった二間しかない建物で、吉田松陰が講義を行ったのはわずか一年余り。しかしその存在は大きなものでした。
岡田 鉄砲や刀ではなく、思想で時代を切り拓いたということなのでしょう。結果的に、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎など多くの人材を輩出しました。
元谷 しかし吉田松陰は、計画はしましたが頓挫した老中暗殺計画を自供、自ら死罪が妥当と主張し、わずか二十九歳で斬刑に処されました。
岡田 幕府の行いが誤っているとしても、法律は法律として守るべきという自らの信念を貫いたということでしょう。
元谷 松蔭のこの潔さも、私は素晴らしいなと思っています。
岡田 私も同感です。またこの時代のもう一人の水戸学の大家として名を成していた藤田東湖の教えを受けたのが西郷隆盛です。彼も同じく時代を変える必要性と教育の重要性を学び、その後の行動に大きな影響を受けました。薩摩藩では伝統的に同じ地域に住む青少年が共に鍛錬し合う、郷中教育という独自の幼年教育が行われていました。西郷と同じ加治屋町の郷中からは、大久保利通、村田新八、東郷平八郎、大山巌、黒田清輝など多くの人材が出てきています。吉田松陰と西郷隆盛を通じて、水戸学が明治維新に多大な影響を与えたのです。
元谷 西洋列強は帝国主義の下、世界の植民地化を進め、有色人種の国をどんどん支配下に置いていったのですが、最後にそれを阻止したのが日本でした。これを成し得たのは、日本の教育水準の高さがあったからではないでしょうか。庶民向けには全国に寺子屋が作られ、武士は藩校で学問と武士道を学び、郷中教育など地域によって教育方法に工夫が行われていました。水戸学という学問の根幹を成す体系もあった。これらが日本の植民地化を防ぎ、明治維新の原動力となりました。
岡田 その通りだと思います。
元谷 徳川光圀が水戸学の元祖といわれています。「大日本史」の編纂から始まった学問が、江戸時代の間脈々と引き継がれていきました。アヘン戦争後の清のように、正義は自分達にありながら武力に屈服して領土を割譲しなければならないという事態は、日本にも十分に起こり得ました。この清の窮状を反面教師にしたことも大きかったのですが、日本は結束して立ち上がり、西欧の植民地にはならなかった。その思想的背景に水戸学があったということですね。
岡田 「大日本史」の編纂というのは、過去のものを今に残すということで、まさに公文書管理そのものです。日本では一九八七(昭和六十二年)に公文書館法が施行されていますが、これは私が秘書をしていました参議院議員の岩上二郎先生が議員立法で作った法律です。岩上先生は茨城県知事を長く務めた後、茨城県歴史館長として歴史史料の保存に力を注いだ方です。その後参議院議員となった時に、歴史的文書を後世に伝えなければならないという信念から、公文書館法の成立に奔走されたのです。
元谷 水戸学の思想が今にまで影響しているのですね。
岡田 水戸学の中心となった弘道館は、人文科学や社会科学の他に、天文学や数学など自然科学も学べるという当時では画期的な学校でした。また入学は十五歳なのですが、卒業という概念がなく、ずっと学ぶことができました。生涯教育の走りともいわれています。
 

水戸の名君が好んだ言葉は 「備えあれば憂いなし」

元谷 鎖国政策は日本にとって良かったのでは…と私は考えています。西欧諸国からの文化が一方的に流入するのではなく、ちゃんと日本精神や日本文化を育てる時間を持つことができたからです。またただ鎖国していただけではなく、出島など一部のチャンネルを通じて、良い物は海外から吸収していました。徳川幕府がよく治めたと思うのですが、これは徳川光圀から最後の将軍・徳川慶喜まで、水戸藩出身の人材や水戸学に負うところも大きかったと思います。
岡田 二百六十五年もの安定政権は、世界でも類を見ません。確かに江戸幕府への水戸藩の貢献は大きかったでしょう。第九代藩主の徳川斉昭が弘道館を設立したのですが、彼の好んだ言葉は「備えあれば憂いなし」。私は何事もこの通りだと思います。
元谷 私も同感です。
岡田 斉昭は弘道館と偕楽園に梅を植えました。その理由は、年が明けて最初に咲くのが梅だから。天下に先駆けるという気風があったのです。
元谷 日本三名園といえば、水戸の偕楽園と岡山の後楽園、そして私の故郷、金沢の兼六園です。ですから、昔から水戸のことは意識していました(笑)。有名な梅にはそういういわれがあったのですね。
岡田 はい。しかも梅は見て良し、香り良し、さらに実は梅干しにして、いざという時の食料として用いることができます。斉昭は梅基金というものを作り、天保の大飢饉の際にはこの基金を取り崩して水戸藩の領民に食料を買い与えたので、一人の餓死者も出すことがありませんでした。まさに備えあれば憂いなしを実践した君主だったのです。
元谷 非常に知恵のある藩主だったのですね。私も先月のアップルタウンの座右の銘に「知識は力知っていれば恐れる事はない」という言葉を掲載しました。知識の備えがあれば、慌てて右往左往することもありません。私は孫子が好きで、彼の言葉に倣って、このような座右の銘を毎月考えているのです。
岡田 それはいい企画ですね。私も言葉や漢字に非常に興味があって、いろいろと勉強しています。徳川家康は秀忠に将軍位を譲った後、元号を慶長から元和に変えるよう指示します。「元」は元旦ともいうように、全てのスタートという意味です。家康は新しい時代が始まるという思いを、元和という元号に込めたのでしょう。「元」から横棒を一本とると、「こつこつと努力する」の「兀」(こつ)という字になります。また「元」にうかんむりをつけると「完」になります。兀兀と努力することで元気になり、元気が出れば完全にもなれるということです。
元谷 では、元谷は良い名前なのですね(笑)。
岡田 もちろんです(笑)。全ての始まりなのですから。「ゼロからのスタート」という言葉がありますが、0はアルファベットでは「オー=eau」。eauとはフランス語で水のことです。「上善水の如し」という言葉があります。上善とは理想的な生き方のこと。つまり理想的な生き方は、水に学びなさいという意味です。水は爽やかで力強く、包容力があってどんな汚れた物でもきれいに洗い流してくれます。
元谷 岩をも穿つ力もあります。
岡田 また水は両手を使わなければ汲み取れません。同じように国民の心も、精一杯のことをやらなければ掴むことはできません。
元谷 その通りです。
 

緊迫する世界情勢の中、 日本人の誇りを取り戻すことが急務だ。
日本の弱体化を願う勢力が この国の中に存在する

岡田 昨年の三月十一日、東日本大震災が起こった時に、丁度私は国会で細川厚生労働大臣に子ども手当に関する質問をしていました。子ども一人に二万六千円、五兆四千億円もの財源をどのように捻出するのかと。しかし二時四十六分、地震が発災して国会は中断、質問もそれきりになってしまいました。
元谷 民主党のバラマキ公約は非常に無責任でした。有権者にとっては魅力的ですが、実現性が乏しい公約を掲げて政権交代を達成。しかし案の定どの公約も実現できていません。政権を取るまでの野党は、多少は無責任な主張があるのもやむを得ないですが、政権与党には責任があります。そもそも民主党は綱領もない考え方がみんなバラバラの選挙当選互助会であり、選挙で勝って政権を取ることだけが目標でしたから、いざ与党になってみると何をすればいいのかわからなくなっているのです。
岡田 綱領がないのではなく、作れないのです。
元谷 そうです。しかしアメリカのオバマ大統領誕生の影響や強力なマスメディアの後押しもあって、「一回やらせてみるか」という空気が出来上がってしまった。メディアの影響力が強すぎます。
岡田 メディアは公平であるべきです。
元谷 第四の権力としての役割を担うどころか、メディア同士の切磋琢磨もなく、いざ事が起きると同じトーンの報道一色になります。非常にバランスが悪い。
岡田 子ども手当がこの四月から児童手当に戻りました。国民のために名を捨てて実を取ってくれと、民主党を懸命に説得した結果です。実際手当も手厚くなっているのですが、マスメディアは公平に報道してくれません。
元谷 子ども手当など実現不可能なことの最たるものでしょう。バラ色の夢だけを語って余りにも先の総選挙で大勝したために、民主党が次の選挙で敗れるのは明らかです。政権交代が起こったのも、そもそも小泉さんが二〇〇五年の郵政選挙で勝ちすぎたから。どの選挙区にも議員がいて、新しく良い候補を立てる余地がない。そんな情勢の中、民主党は元官僚とか松下政経塾出身者をオブラートとして、連合や日教組色を上手く隠して、票を集めたのです。今度は民主党に良い候補を立てる余地がありませんから、二〇〇九年とは全く逆の現象が起きるでしょう。今は大阪維新の会への注目度が高いですが、その内賞味期限切れに。民主党はこのまま野垂れ死するのか、それとも勝負に打って出るのか。微妙なところですね。
岡田 民主党政権の一番の失政はやっぱり普天間問題での迷走でしょう。
元谷 あれは酷かった。鳩山氏には歴史観も国家観も世界観もありません。
岡田 首相になれば、何でも思い通りにできると勘違いしたのではないでしょうか。
元谷 戦後教育の弊害がもろに出ているといえるでしょう。今度私は『誇れる祖国「日本」』という本を幻冬舎から出版することになりました。日本を取り巻く情勢が緊迫の度合いを高める中、正しい歴史を知り、日本人の誇りを取り戻すことが急務となっています。戦後、原爆使用を正当化するためにアメリカは日本は悪い国だと日本人を洗脳、誤った歴史を教え込みました。南京事件についても、一カ月余りで二十万~三十万人を虐殺したというのですが、それでいて占領後の人口が二十五万人と占領前よりも増加しているというのは、計算が合いません。従軍慰安婦についても、公娼制度が合法的だった時代であり、ビジネスとして民間業者が慰安所を運営していたのであって、軍が拉致を行うなどあり得ないことです。
岡田 果たして二十万人も拉致できたのかという物理的な問題もあります。
元谷 日本のメディアが結束して「軍の拉致などあり得ない」と主張すれば終わる話なのに、そうはなりません。
岡田 あり得ないと書くのは産経新聞ぐらいでしょう。
元谷 日本の中に、この国を弱めようと考える勢力が存在するのです。しかし、田母神俊雄氏がアパグループ主催の「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞を獲得、そのために航空幕僚長を解任されたにもかかわらず、その後に著作や講演で引っ張りだこになったことから、日本の情勢も変わってきています。河村たかし名古屋市長の「南京大虐殺はなかった」発言に対する中国の反発もわずかでした。騒げば騒ぐほど、あの虐殺が虚構だと化けの皮が剥がれるのを恐れたからでしょう。今がまさに変わり目です。日本人洗脳の占領政策をとったのもアメリカが自らの国益を優先したからであり、その後は冷戦勝利のために様々な犠牲を払ってきたのもアメリカです。そのことは認めるにせよ、冷戦終結から二十年経過した今、日本が未だにアメリカの占領が続いているかのような状態であるのは、非常に大きな問題です。国会議員の皆さんにも尽力してもらい、一刻も早くここから脱却すべきです。
岡田 おっしゃる通りだと思います。
 

中国で「反日」の政権が誕生することが 日本にとっての一番の脅威。
国家・世界・歴史観の ない首相が続いている のが問題

岡田 私が恐ろしいのは、中国の若い人々です。尖閣諸島での中国漁船と巡視船との衝突事件の時も、中国では若い人を中心に反日デモが起こりました。日本では政治団体の反中デモはありますが、若い人々が中心に…ということはありません。今の中国の若年層は、江沢民時代に愛国主義教育を受けた世代なのです。これが恐ろしい。
元谷 私も同感です。現状でも中国では年間八~九万件の暴動が発生しているといわれていますが、これが過激化して内戦状態となり、政権交代が行われるとどうなるか。ソ連が崩壊してベラルーシやウクライナなど民主的な国家が生まれたように、中国でも民主的な政権が誕生するのでは…と甘い夢を見る人もいるでしょうが、私はそうは思いません。毛沢東がかつて認めたように、今の中国共産党は大東亜帝国のおかげで政権を獲得できたことを、ちゃんとわかっています。しかしODAを獲得したり、国内の結束を維持するために、敢えて日本を批判するポーズを取り続けてきたのです。しかし今の中国の若年層は誤った歴史教育を受け、日本が本当に酷いことをしたと信じ込んでいます。彼らが国民の支持を受けて政権を獲得した時が日本にとっての一番の恐怖です。こんな事態に日本は備えるべきでしょう。
岡田 その通りです。
元谷 日本人が真っ当な歴史に目覚めて、真っ当な政権を作ったとしても、中国にそういう反日政権が生まれる危険があるわけです。ですから一刻も早く憲法を改正して、自分の国は自分で守れるようにしなければなりません。日米安全保障条約に頼るのも問題です。これにはかつての日英同盟にあったような、自動参戦条項はありません。アメリカ軍が日本のために戦うには大統領のゴーサインが必要ですし、この動員も最終的には議会が認めないと継続できません。
岡田 軍事行動より前に産業の問題もあります。中国から日本に働きに来る人が増えていますが、これによって多くの技術が盗まれています。
元谷 そういうこともあって、アジアでの産業の競争が激化しています。日本も韓国などに倣って、開発費の一括初年度償却など、加速度償却を可能にしないと国の産業に活力が生まれません。税による誘導で産業を活性化させて税収のアップを図るべきであって、むやみと増税することは金の卵を生むニワトリを殺すようなものです。いいエサをあげれば、いい卵が生まれるものです。消費税を上げるなら所得税を下げるなど、直間比率のバランスを上手くとるべきなのです。
岡田 この問題は総合的に考えるべきでしょう。
元谷 さらにダブル課税を改めるべき。固定資産税をとりながら消費税もとるなら、資産なのか消費財なのかがまるで不明です。こんな問題を整理した上で、増税を起案すべきでしょう。
岡田 国家公務員の人件費の削減ですが、民主党政権は長くてあと一年四カ月の命。総人件費の二割削減は、時間的にももう不可能でしょう。
元谷 そうでしょうね。冷戦終結後の二十年、日本のGDPはほとんど増えていません。一方中国やアメリカ、ヨーロッパなど世界では、その間GDPは数倍にもなっています。失われた二十年といわれる所以です。一九八〇年代までは、日本は冷戦漁夫の利で経済発展を続けていました。その間、アメリカは血と汗を流して冷戦に勝利したものの、経済的には日本に負けることになりました。だから冷戦終結後にアメリカの矛先が変わり、日本から漁夫の利を取り戻そうとし始めたのです。これに多くの日本人が気が付かなかった。アメリカは情報謀略戦を駆使して、日本の産業技術を奪いとったり、年次改革要望書を毎年押し付けるなどで、自国の経済に有利なように事を進めていったのです。
岡田 そうです。しかしアメリカは自国の国益のために行なっているわけで、これは国としては当然の行為なのです。
元谷 私もそう思います。そして日本ではアメリカに追随する政権でないと、生き残れませんでした。安倍晋三氏のように「戦後レジームからの脱却」とアメリカ支配からの離脱を表明すると、首相の座を追われることになるのです。そんなこともあり、国家観、世界観、歴史観のない人物が次々と首相になっているのが、今の日本の一番の問題なのです。この辺りのことも『誇れる祖国「日本」』には書きましたので、ぜひご一読下さい。
岡田 わかりました。
元谷 最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
岡田 若いうちはいろいろと悩むこともあるでしょうが、まず歴史に学ぶということを考えて欲しいですね。
元谷 学校で学んだことそのままではなく、「正しい歴史に学ぶ」ということですね。
岡田 そうです。水戸学に代表される日本の過去の叡智に学ぶということです。
元谷 私も全く同意見です。今日はありがとうございました。
 

岡田 広氏 Hiroshi Okada
1947(昭和22)年水戸市生まれ。1969(昭和44年)立命館大学産業社会学部を卒業。参議院議員の岩上二郎氏の秘書などを経て、1986(昭和61)年茨城県議会議員に初当選、以後2期務める。1993(平成5)年、水戸市市長選挙で初当選、以後3期務め、2003(平成15)年参議院茨城県選挙区補欠選挙において初当選。現在3期目。著書に「上善水の如し」「夢ゆめ努」など。
 

対談日:2012年5月11日