Essay

藤誠志 社会時評エッセイ236:不安を煽れば売れると商業メディアが 創る風評被害

藤 誠志

人類は熱エネルギーをコントロールして文明を手にしてきた

 人類は火を使うことで文明を手にし、他の動物とは一線を画する今日の社会を創った。この火で火災となり亡くなったり資産を失ったりして、これまで多くの人々に苦難を強いると共に、これをコントロールすることで、人類は文明社会を築いてきた。しかし現在でも、毎年日本で二万五千人もの人達が亡くなっていて、火災は脅威だ。しかし火の利用価値の大きさから、そんなリスクがあるにも拘らず今も使い続けている。考えてみると、どんなエネルギーの利用にも必ず犠牲が存在する。炭鉱の事故では世界で約三、五〇〇人、特に中国での犠牲者が多く、二〇一〇年だけでも二、四三三人もの人が亡くなっているし、ガス爆発によって亡くなる人や石油や灯油による火災で亡くなる人も多い、特にガソリンや軽油を燃料とする自動車による事故で、WHOによれば、世界で年間百三十万人もの人が犠牲となっている。だからといって自動車が使われなくなることはない。その利便性がリスクを上回っているからだ。人類はそうやって今日まで文明を発展させてきた。
 木材にせよ石炭やガスや石油にせよ、これらを燃やして活用しようとすると、必ずCO2が発生する。このCO2が地球温暖化の原因の一つだというのはまだ仮説に過ぎないが、手遅れにならないようにということで、この仮説に従って国際的なCO2の排出量規制が行われ、排出量を金銭でやりとりする「排出量取引」という市場も登場してきた。これによって既に十分に省エネとか低CO2排出技術を確立している日本でも多くのエネルギーを使用することから莫大な資金負担を強いられている。二〇〇九年に民主党政権が誕生、最初の首相となった鳩山由紀夫氏は、就任直後に温室効果ガスを二〇二〇年までに、一九九〇年比で二五%削減すると世界に約束したが、今回の東日本大震災を機に一旦この約束を破棄すべきである。この無謀とも言える二五%削減を達成するための手段として当初想定していたのは、日本の電力の半分を原子力発電によって賄うことと、排出量取引を行うことで、中国などのエネルギー効率が悪く温室効果ガスの排出量の多い国に無償の技術援助を行い、その削減分を日本の削減分としてカウントにしてもらうことであった。
 東日本大震災から一年が経過したが、菅前首相の脱原発宣言もあり、多くのマスメディアは今でも一人の犠牲者も出ていない放射能の恐ろしさのみをヒステリックに報道している。その結果、政府は除染を行う基準を年間一ミリシーベルト以上としたが、世界で自然放射線量の高いところでは平均で年間十ミリシーベルトを超えるイランのラムサールや、平均年五・五ミリシーベルトと高いブラジルのガラパリなどで、そこでも人々は健康に生活しているし、かつての広島も長崎も除染したとは聞いていない。そんな所がある中、政府の除染基準を一ミリシーベルトとするのはコストも時間も度外視したもので、あまりにも低すぎる。今後除染費用として天文学的な税金が投入されることになるだろう。
 日本には五十四基の原子力発電所があるが、現在二基のみの運転となった。速やかに検証済みの原炉を再稼働すべきで、このままでは四月には全ての原発が停止することになる。運転が止まり、核分裂が停止して、冷温停止状態となっても核燃料の崩壊熱は長期間に亘って続き、施設自体は長年に亘って維持・メンテナンスしていかなければならず、廃炉するにしても莫大な費用と数十年の期間を要する。そのことで電力を全く生み出さないのにランニングコストのみが掛かることになる。これも最終的には国民の負担となる。CO2の排出を抑えるために今まで止めていた火力発電所を原発の穴埋めとして再稼働せざるを得なくなったが、そのために石油メジャーから追加で石油を買って運転させているため、年間およそ3兆円の負担増となる。世界最先端の原発技術を持つ日本が、この先安全性が高く、ローコストな高性能の原子炉を作ってベトナムやトルコなど世界中に輸出することとなれば、原油の需要が減るし、最近ではシェールガスや日本近海での採掘を目指しているメタンハイドレートなど、他にも原油の需要を減らす要因は多数出てきている。近年だぶつき気味だった原油を抱えていた石油メジャーにとっては、福島の原発事故は願ってもない「幸運」で、今回の自虐的とも言える脱原発騒動は、不安を煽って売る反日メディアと石油メジャーによって世論を誘導しての謀略戦では、と疑いたくもなる。

一人の犠牲者もいないのに
全ての原発が停止に

 チェルノブイリの原発事故では運転中の原子炉が暴走して爆発したために、核燃料を含む多くの放射性物質を周辺諸国にばらまいた。これとは異なり福島の事故では、原子炉は地震のP波を探知して自動停止した。しかし停電によって、崩壊熱を冷却するための水の供給が出来なくなり、燃料棒を覆っている燃料被覆ジルコニウムが高温の水蒸気と反応して水素が発生した。この段階で早急にベントを行って水素を原子炉建屋の外に出すべきだったが、同時に放射能も若干放出することになるため判断が遅れ、結局水素爆発を招き、多くの放射性物質を撒き散らすことになってしまったのである。
 福島の事故による放射性物質の確認距離はチェルノブイリの八分の一ということで、面積にすれば六四分の一に過ぎず、これがチェルノブイリ並みの最大数値のレベル七だとは非常におかしい、これも小出しに引き上げて非難されることを恐れた日本の官僚の自虐政策ではないかと思う。放射線を過度に恐れる必要はない。自然界にも放射線は存在し、ラドン温泉やラジウム温泉など健康に良いと考えられているものもある。CTスキャンやレントゲンなど、医療でも放射線を浴びることがある。福島産の食品による内部被曝がかなりオーバーに取り上げられているが、PET検査の場合は放射性薬剤を体内に注射して、内部被曝をしながら検査を行うことになる。更に言えば、一九六〇年代にはアメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中国が、競って世界中で大気圏内での原爆実験を行い、世界中が放射能で汚染され、知らない間に東京でも今回の福島の事故の何倍もの放射能が降り注いでいたのだ。福島の原発事故では、一人の死者も一人のけが人も出ていない。それなのに、日本の全ての原発を今、停止しようとしているのは過剰反応だ。
 千年に一度とも言われる大地震と、それによって発生した津波によって、東日本大震災の死者・行方不明者は合わせて約一万九、〇〇〇人に及んでいる。その九〇%以上の人が津波による水死であり、建物の倒壊や火災による死者は多くても千人前後だった。ここが木造二階建ての一階にいた人とその後の火災による死者が大多数だった阪神・淡路大震災と今回の震災との大きな違いだ。今度の震災後、津波による被害を防ぐために、更に高い堤防の建設や住民を高台へ移転させる計画が進んでいる。しかし、これら既存の対策の延長線上では、漁師や水産加工業者が高台移転で非常に事業が難しくなったり、これまでの人々のコミュニティが崩壊してしまい、地域自体が衰退してしまう。それであれば、被害を受けた全ての土地を国が特区に指定して被災者のための防災マンションを建設してその被災地と交換し、余った土地に産業を誘致して、ここでの法人所得税を十年間半額にすると共に、固定資産税も十年間免除とすれば、この土地の価格が値上がりする恩恵を受けることとなり、そのことが被災地の救済となる。昨年の震災直後の五月号のこの稿で私はその防災マンションについての主張をした。これを以下に引用する。

津波時は屋上に避難できる
防災マンションを作るべき

 『三月十一日に日本を襲った、千年に一回ともいわれる規模の東日本巨大地震で、東北地方を中心に大きな被害と多数の犠牲者が出た。亡くなられた方々の御冥福を祈ると共に、被災地の一刻も早い復興を願ってやまない。これまでも世界各国で大地震が発生しているが、しかし地震で命を落とす人は、倒壊による人よりも津波による人の方が多い。今回の東日本巨大地震でも二万人近くの人々が津波の犠牲となった。今後この悲劇を繰り返さないための対策が急がれる。被災地の状況をテレビなどで見ていると、木造の家屋の大半が津波で流されてしまっている。今回の地震では、津波が平野部で五縲恫Zキロメートルに亘って押し寄せていたところもあり、場所によっては高台のない地域もあり、大きな被害へと繋がった。これから被災地の復興が行われることになるが、同じ様にまた木造の家を建てても、また同じ被害に遭遇しかねない。阪神淡路大震災の時は木造二階建ての住まいが倒壊して一階で圧死した人が多かったが、今回の地震でも被害者の殆どが戸建ての家にいて津波に遭った人達だ。
 従来から、津波に対しては防潮堤の建設が効果的という考えがあり、例えば岩手県宮古市では全長約二・五キロメートルに及ぶ高さ十メートルの防潮堤を数十年がかりで建設、津波対策は万全と思われていた。しかし今回の津波はこの防潮堤を乗り越え、破壊し、地区全体に壊滅的な損害を与えた。私が提唱したいのは、着手して十カ月もあれば建設出来る鉄筋コンクリート六階建てで、一、二階を駐車場とする防災マンションを、二百メートル間隔で海岸線に対して直角に建設することだ。直下型の地震だった阪神淡路大震災でも、新しい建築基準法に則って造られた鉄筋コンクリートの建築物の被害はほとんどなかった。また津波に対しても強いことは、今回の地震でも証明されている。これまでも十八メートルを超える津波が殆ど無かったことを勘案し、これらの防災マンションは六階以上の高さとする。いざ津波警報が出された場合には、住民は近くの防災マンションの屋上を目指す。緑あふれる都市計画で二百メートル間隔に防災マンションを建設するのは、誰もが何処からでも百メートル以内にあり、一分程度でマンションに避難出来る様にするためである。これだけ近ければ、津波を目視してからでも逃げることが出来るだろう。各防災マンションには水や非常食なども備蓄し、今回の様な事態になった場合も多くの人があわてずに救助を待つことが出来る。大災害が起こった今、被害地の土地を区画整理して、今まで所有していた土地とこの防災マンションを交換で無償で供与すれば、造ってもしばらくしたら壊さなければいけない仮設住宅よりも多くの人から喜ばれるだろう。莫大な費用と長い時間をかけスーパー堤防を建設するよりも、防災マンションの方が遥かに少ない予算で出来る」。しかしこういう計画が進められている被災地はない。行われているのはその逆だ』と書いた。
 

交通事故死対策の
百分の一の予算で自殺対策の充実が可能だ

 日本では一九七〇年のピーク時には一万六、七六五人もの人が交通事故で亡くなっていたが、それから車の台数は四倍に増えたにも拘らず、その数は今では四、六一一人にまで減少している。これは、シートベルトの着用の義務化や車にエアバッグやABS、横滑り防止装置などの装着、道路の安全施策などによるところが大きい。どんな技術でもリスクは付き物だ。だから事故が起こったからといってその技術を放棄するのではなく、より安全なものへと改良してきたのだ。このことを忘れてはならない。
 三月十日付けの産経新聞朝刊には、「昨年度の自殺者十四年連続三万人超」という記事が出ている。「自殺者は三万六五一人」で「年齢別では六十代が五、五四七人と最も多く、次いで五十代、四十代の順」「遺書などから原因・動機(複数計上)が判明したのは二万二、五八一人で、『健康問題』が最も多く一万四、六二一人。『経済・生活問題』がこれに次ぐ六、四〇六人だった」。この自殺問題は今の日本の最大の悲劇だ。中高年の男性の自殺者が増えており、男性は全体の七割を占めている。その本当の弱者にきちんと手を差し伸べていない行政の在り方が問題なのだ。交通事故死を三分の一にするためにかかったコストの百分の一で、自殺も同じく三分の一程度に出来るのではないだろうか。
 行政の頓珍漢さは失業率にも表れている。生活保護で支給される金額が最低賃金を上回っているため、生活保護受給者が増え続ける一方で、生活保護も受けないホームレスが未だにいる。ホームレスを無くし、失業率を減らしていかないと、社会は安定しない。昨年チュニジアやエジプト・リビアで起こったジャスミン革命は、ウィキリークスやツイッター、facebookなどインターネットサービスの普及によって引き起こされたと言われているが、更にその背景に共通して存在していたのは高い失業率だ。

非常時には非常時立法を

 非常時には非常時立法を作るべきで、今の様な平時の法律に縛られていては何も出来ない。津波による瓦礫の受け入れ先がなくて、その処理を総理の正式要請で広域処理しようとしているが、ゴミ処分場として埋め立てて造った夢の島の様に、被災地近くの海をテトラポットで囲いその中に瓦礫を入れ埋め立てれば、いずれ国土となるし、その費用は広域処理の恐らく数百分の一以下で済むだろう。政府は除染を行う基準を年間一ミリシーベルトを超える所としたが、一ミリシーベルト程度は無視して5ミリシーベルトを超える所は放射能除染対策として表土を剥いでその場所の二、三メートル下の土と入れ替えれば殆ど被曝量は問題なくなり、これまた数千分の一の費用で済む。
 放っておけば、中国や韓国は今後日本の原子力技術者を引き抜いて世界に輸出すると共に、日本海海岸沿いに、日本より技術レベルの低い原発を建設する。そんな原発が一度事故を起こしたら、偏西風によって日本が放射能の被害を受けることとなる。これを防ぐためにも、日本は福島の事故を教訓として更に安全な原発を開発、輸出して、先端科学技術立国として復興を果たすべきだ。日本はこれまでもメディアの報道で狂牛病やSARS、鳥インフルエンザ、新型インフルエンザなどで殆ど実害・被害者がいないのにも拘らず、どれほど多くの風評被害を作り出してきたか反省すべきである。今でもフグを食べて死ぬ人が年に三~六人、毒キノコでは多い年で二~三人が亡くなり、風邪やインフルエンザでは毎年数千人の人が亡くなっている。最大の事故は戸建て住宅の階段から落下して死んだり怪我をしたりする人でこれは恐らく毎年数万人はいるであろう。
 日本が安定して繁栄する国家を築くためには、ホームレスを強制収容して職を与え、失業者や自殺者を税金を使ってでも減らさなければならないし、物事は統計学的な確率計算と科学的根拠に基づき正しく恐れ、対策を立てるべきである。不安を煽れば売れる商業メディアが作り出す風評被害に遭わない正しい知識を身につける必要がある。

3月24日 午前0時22分校了