Essay

藤誠志 社会時評エッセイ235:何処の国でも 最も盛大な祝日は 建国記念日

藤 誠志

建国記念日を無視する
日本のマスメディア

   私は新聞好きの父の影響で、小学生のころから新聞を読んでいた。父が購読していたのは中央紙と経済紙、そして地方紙の三紙だった。父は中学二年の時に亡くなったが、常に「新聞は行間を読み取れ」と言っていた後の教えを守って、これまで私は新聞を読み続けてきた。私は世界七十五カ国を訪問してきたが、何処の国でも建国記念日を最も大事な祝日として盛大に祝っている。しかし日本ではどうか。二月十一日の建国記念の日を新聞がどのように取り上げているか、主要五紙を見比べてみた。
 改めて見て一番驚いたのは日本経済新聞だ。題字周りや日付のどこにも建国記念日の表記がない。どうも日経は、祝日の表記すら一切行っていないようだ。朝日・毎日・読売の三紙は題字付近の日付の下や欄外の日付の横に、「建国記念の日」という表記を行っている。産経新聞は題字横の日付の脇に日の丸が描かれ、その下に「建国記念の日」と表示されている。ではそれ以外に建国記念日にまつわる記事や社説があるかと見ると、日経、朝日、毎日、読売には一切見当たらない。産経新聞だけが社説に「歴史への誇りこそ底力に」という見出しで取り上げていた。その社説を以下に引用する。
 「昨年三月一一日の東日本大震災のあと初めて迎えるきょうの『建国記念の日』は、例年にもましてその意義が一段と強く胸に迫ることだろう。大震災と原発事故によってわが国は未曽有の困難に直面し、今は復興と並んでさらに多くの難題が加わっている。内に経済不安や急激な少子化による国力の衰退懸念を抱え、外との間では、領土・領海が中国などによって脅威にさらされ、日米同盟の弱体化が国家の安全保障を不安定なものにしている。わが国の存立基盤は危機的状況にあるといわざるを得ない。しかし、危機をはね返す底力は日本人に備わっているはずだ。先の敗戦後でも、日本人は一致団結して復興を成し遂げた。思い起こしたいのは、被災地で命懸けの救援にあたった自衛隊の活躍だ。救出した人は一万九千人を超える。国家と国民を守る組織があったればこそだ。絶望の中で冷静に行動して助け合った日本人の姿も、目に焼き付いている。国民の多くがそこに民族の精神の柱を見たはずである。その淵源は、紀元前六六〇年の建国に求めることができるのではないか。『古事記』や『日本書紀』などには、国生みの神話などに続いて神武天皇即位の記述がある。現在の『建国記念の日』につながるものだが、残念ながら戦後、神話も建国のいわれも皇国史観や軍国主義に結びつけられ排除された。代わって反日的な自虐史観が勢いを増し、健全な愛国心が希薄になった面もある。自国の歴史を否定する国家にどうして民族の誇りや自信が育ち得ようか。わが国では、建国当初の国家が一度の断絶もなく現在まで継承され、神武以来一二五代にわたって一系の天皇を戴いてきた。日本人は、神話や建国の物語とともに、この世界にもまれな歴史に畏敬と誇りをもち、幾多の国難を凌いで国造りに努めてきたのである。今年は古事記の完成から一三〇〇年にあたる。国民が神話を見直し、古代人のものの見方や国造りに対する考え方に触れる契機にしてほしい。苦しいとき、人は故郷を思い出して試練に耐えることができる。日本人が現下の国難に立ち向かって底力を発揮すべく誇りと自信を取り戻すには、国家と民族の故郷ともいうべき建国の経緯を振り返ることが必要ではなかろうか」とまさに建国の日にふさわしい内容の一文であり、救われた思いがした。産経新聞以外は一切無視をするといった、このようなメディアの建国記念日の扱いは他国では考えられないことだ。
 誰でも自分や家族の誕生日は祝うのに、国の誕生日を祝わなくしたのは、自国を悪い国と教える日教組とメディアのせいであり、今の日本の姿を象徴していることでもある。

歪められ続けてきた
日本の歴史認識

 モノを買うか、モノを売るか、加工を依頼するかなど、日本の多くの企業の中国への依存が高まるにつれ、財界が中国に慮った言動を行うことが増えている。このような傾向の発端は、一九六四(昭和三十九)年に結ばれた日中記者交換協定だ。これは中国に不利益な報道をしないと約束する協定を結んだメディアの記者だけが中国に駐在させてもらえるというもの。自分達は日本の歴史を捏造してありもしないことで非難中傷し、いちいち内政干渉してきて批判するにもかかわらず、日本側の言論は統制するという不平等協定であり、即刻廃棄されるべきものなのに、未だに続いている。
 戦後はGHQによって東京裁判史観を日本共通の歴史認識にせよと強要され、GHQによって創られた日教組などによって広められ、事実に基づかない、自国を貶める教育が続けられてきた。東京裁判から六十六年、日中記者交換協定から四十八年、冷戦終結から二十一年も経った今、本当はどうだったのかを改めて見直し、先の戦争で日本が果たした真の役割を知れば民族の歴史に誇りが持てるわけであり、真実の歴史教育を行っていけば、日本はそんなに時間をかけなくてもまともな国家になれるはずである。そう考えた私は間違った歴史認識を正すために、「真の近現代史観」懸賞論文制度を創ったのである。
 「真の近現代史観」懸賞論文第一回目の最優秀賞は元航空幕僚長の田母神俊雄氏の「日本は侵略国家であったのか」で、第二回の最優秀賞は明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏の「天皇は本当に主権者から象徴に転落したのか?」という論文に贈ることができた。今の日本の体たらくの大きな原因は、先の大戦の総括ができていないことだ。どんな国でも国に殉じて亡くなった人への畏敬の念が強く、遺骨を放置して置くなどということはない。しかし日本では先の大戦において海外で亡くなった二百四十万人の内の約半数の遺骨を、現地に放置したままにしている。第三回の最優秀賞は、これらの遺骨の収集活動を九年間に亘って行なってきた戦後問題ジャーナリストの佐波優子氏の「大東亜戦争を戦った全ての日本軍将兵の方々に感謝を」に決まった。昨年の第四回では、福島での原発事故はチェルノブイリの事故や広島や長崎への原爆投下とも全く異なり、低線量の放射線被曝しかしないため、健康に被害を与えるものではないということを放射線防護学の専門家として述べた札幌医科大学教授の高田純氏の論文が最優秀賞を獲得した。この論文が危惧しているように、放射能問題は第二の歴史認識問題として、今後は日本を貶める材料に使われることとなるだろう。

安全な原発の輸出が
日本の世界に対する使命だ

 これまで時間と労力をたっぷりと使ってまとめあげてきた普天間移転案を、民主党政権最初の首相となった鳩山氏は「できれば海外、少なくとも県外」という夢物語のようなスローガンでひっくり返した。この「事件」は未だに尾を引いていて、ぎくしゃくした日米関係はまだ修復されておらず、一度は移転に同意をしていた沖縄県知事の怒りは消えず、基地問題の解決の糸口さえ見えなくなってしまっている。友愛の海という考えからか、日米中が正三角形の関係と言ってみたり、日本列島は日本人だけのものではないと言ったり、鳩山氏の外交音痴ぶりはまさに戦後教育の凝縮だ。国際政治は昔も今も情報謀略戦であり、平和はバランス・オブ・パワーの産物であって、これが崩れた時に戦争が起きるということを理解できない彼の罪は大きい。続いて首相に就任した菅氏は、もともとが左翼市民運動家であり、外国人からの献金問題で前原氏が外務大臣を辞任した後、自身も外国人からの献金を受けていたことが発覚、辞任寸前だったところを東日本大震災に救われた。原発の専門家と自称する菅氏のパフォーマンスから発した指示が数々の混乱を招いた。原子炉は地震が起これば制御棒が炉心に挿入され核分裂反応が自動停止するが、核分裂物質の崩壊熱が長期間に亘って出続けるので、冷却水を循環させて冷やし続ける必要があるが、津波で全ての電源が断たれて注水できなくなり、高温となった炉内の燃料被覆ジルコニウムによって水が還元され、水素が大量に発生した。ベントによって外部に出すべき水素や水蒸気などが配管ミスで建屋に充満し、水素濃度が高まって爆発を起こし、放射能を帯びた水蒸気や建屋を吹き飛ばし、放射能を撒き散らすことになってしまった。こんな菅氏の脱原発宣言によって今、全ての原発が稼働を停止しようとしている。
 アメリカは三十三年前のスリーマイル島原発での事故の後は、新規の原発を造らなかった。その間でも原発を増やし続けた日本は着々と技術を蓄積し、東芝が原子炉メーカーの老舗であるウェスティングハウス社を買収して、原発における世界のリーディングカンパニーを目指すと宣言するまでになった。耐震強度やローコスト、安全性を差別化ポイントとして、原子炉のパイオニア・アメリカが「休んでいる」間に、日本は原発の輸出攻勢をかけようとしていたのだ。今回の原発事故でも、日本の原発の安全神話が崩れたわけではない。想定を越える津波が来たためにすべての電源が断たれ、原子炉の冷却ができなくなって発生した水素が爆発したのが事故の原因であり、原子炉そのものが核分裂中に破壊されたり、爆発したりしたわけではない。ここがチェルノブイリの事故との決定的な違いである。日本政府は撒き散らした放射能の累積量から事故の評価をチェルノブイリと同じレベル七だと自ら認めたが、放射線被曝が怖いのは半減期の短い放射能で、瞬間に浴びる放射線が体の修復機能を超えて死に至るもので、累積被曝量ではない。福島、いわき市で通常の数倍から数十倍の放射線量が観測されたが、この値は年間被曝量にして五~六ミリシーベルトで、六十年代には米ソ中の核実験により、東京の放射線は通常の一万倍もあって黒い雨には気をつけろといわれたが死んだ人はいない。広島も長崎も被爆後、除染をしたと聞いてはいないにも関わらず、年間わずか一ミリシーベルトを超えれば除染しろと騒いでいる。この先、無限大の負担を強いられ、除染ビジネスが大流行りになるだろう。
 ベトナムやヨルダンとの原発輸出の商談も一時中断し、まだ進んでいない。しかし世界の動きは異なる。二月九日にアメリカは三十四年ぶりに新規の原発の認可を行い、原発の新設を再開した。この背後には、今後の世界の原発マーケットを日本から取り返そうという意図があるのではないか。中国も韓国も原発マーケットへの参入を狙っている。中国や韓国の沿海部には、今後原発がずらりと並んでいくはずだ。未熟な技術で作られたこれらの原発が放射能漏れ事故を起こした場合、直接被害を受けるのは日本である。そうならないよう、今回の事故の教訓も踏まえ、地震にも壊れず津波にも電源喪失をしない安全な原子炉を日本が開発し、世界に広めていくことが非常に大切なのだ。

真正保守の第三極を中心に
安定した政権を目指せ

 石油や天然ガス、さらには新しく活用できるようになったシェールガスなどの化石燃料の利権の大半を持つ欧米諸国は、日本の原発の輸出を快く思っていない。だからアメリカはトモダチ作戦と銘打った救援活動の中で、敢えて空母を福島第一原発から八十キロ圏内には入れず、どれくらいの放射能がある地域に行ったのかも明確にしないまま、活動から戻ったヘリコプターや要員の除染の映像を流して世界中の恐怖を煽った。この事故を利用して、日本の原発を世界のマーケットから締め出そうとしたのだ。世界ではあらゆることが情報謀略戦であり、鬩ぎ合いなのである。今、日本の原発の全てが運転停止しようとしている。このままでは日本の原子力技術者の多くは中国や韓国に引き抜かれ、日本は原子炉を永遠に作れない国になるだろう。
 鳩山氏が首相になって最初に行った国際公約は、二五%の温室効果ガスの削減だった。排出権取引を行い、かなりの削減が見込める国の削減分を無償援助によって獲得する手段とともに、二五%削減の切り札としていたのが、電力の五〇%を原発で賄うという方針だった。原発が止まりつつあるこの状況で温暖化対策はどうするのか。そもそも温暖化の原因が二酸化炭素であるという根拠も絶対のものではなく、単に日本から金をむしり取るためのスキームだったのではという疑いもある。やはり世界は情報謀略の鬩ぎ合いだ。これらを見極めることのできる優れたリーダーが今の日本にはどうしても必要なのである。
 先の大戦後、アメリカの半植民地と言われ続けた日本だが、今後はそれどころではなく中国の自治区となってしまうかもしれない。日本に建国記念日は必要ないと言わんばかりの産経新聞以外のマスメディアの態度を見ていると、「中国の自治区」という言葉が非常に現実味を帯びてくるように感じる。今年二〇一二年は世界的な政権交代と選挙の年であり、日本でも総選挙となる可能性も大きい。私が期待するのは、真正保守の考えで一致する人々が集まって、新党を結成して第三極となることだ。多くの人が今の自民党にも民主党にも期待しておらず、この両党はこのまま総選挙になった場合、まず過半数の獲得は不可能だ。また衆参ねじれ状態が続くようであれば、日本は再び立ち上がる力を全て失ってしまう。まだ間に合う今、真正保守の新党が結成され、躍進し、中核となって政策の近い政党と連立を組み、衆参ともに安定した多数となり、しっかりとした基盤の上に立った政権が日本を再生するという希望をぜひ実現させたい。石原新党構想や大阪維新の会への高い支持率は民主党にも自民党にも失望した不満のマグマであり、それが爆発して国家のすべての枠組みを変えようとしている。この機運を利用することで一気に真正保守の政策を実現するチャンスとしたい。一刻も早い解散・総選挙が望まれるが、一方で、この機運に脅威を感じる既成政党は解散を遅らせて任期満了まで先延ばししてこの風潮の収まりを待とうとするだろう。私が主宰する勝兵塾でも素晴らしい講師の元で研鑽を積み、次の総選挙までに次の政権を担う人材の輩出に一役買いたいと考えている。

2月22日 午後11時58分校了