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ビッグトーク243(BIG TALK) 人として成長を続けるためには 十年に一回、「脱皮」すべきだ

世界的建築家の故丹下健三氏を父に持ち、十四歳の時から海外に留学して、国際人としての教育を受けた丹下憲孝氏。父と同じ建築の道を進み、新宿の「モード学園コクーンタワー」を設計した他、仕事の七五%が海外からの発注ということもあり、世界中で大活躍している氏に、スイスでの学生生活、設計へのこだわりなどをお聞きしました。

これからの国際人は英語と中国語が必要になる

元谷  本日はビッグトークへのご登場ありがとうございます。丹下さんと聞くと、世界的な建築家だったお父様の故丹下健三氏を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。偉大なお父様を持たれて、良かったことも苦労されたこともあったかと思います。非常に若い時にスイスの全寮制の学校に行かれたと聞いていますが、まずその辺りのお話から。
丹下 父は当時海外の仕事が非常に多くて、母と一緒に出かけて、一カ月ぐらい帰ってこないのです。家にお手伝いさんはいたのですが、私一人が日本で暮らすことが多くて。それを父は可哀想に思っていたのでしょう。私が十四歳の時にスイスの全寮制の学校に行きたいというと、即座に承諾してくれました。

元谷  ヨーロッパでのお仕事もあったでしょうし、スイスの方が会える機会も多くなると思われたのではないでしょうか?
丹下 まさにそうでしたね。スイスには同じように世界中から学生が集まる全寮制の学校がいくつもあるのですが、私が選んだのはジュネーブとローザンヌの間のレマン湖のほとりの小さな村にあるル・ロゼという学校でした。先にファッションデザイナーの森英恵さんのご子息などが行かれていて、私は日本人としては三人目でした。

元谷  環境が非常に良さそうな場所ですね。
丹下 何もないところですから、学生が抜けだして遊びに行くこともなく…(笑)。

元谷  仕方なく、寮で勉強に専念されることになるのですね(笑)。授業は英語ですか?
丹下 半分がフランス語で、半分が英語でした。

元谷  スイスは話す言葉によってフランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏に分かれますが、学校のある場所はフランス語圏だったのですね。学生は世界中からやってきてるのですか。
丹下 はい、そうです。約二百名の学生の出身国は五十カ国以上にも及びます。学費が非常に高額な学校ということもあるのですが、どこの国の学生が来ているかで、世界の経済状況がわかりましたね。私の頃はヨーロッパとアメリカが大半でアジアからは極少数。しかし中近東からの学生がどんどん増えていました。その後はロシアだったり中国だったり韓国だったり…。

元谷  しかし若い人の語学の吸収力というのはすごいですね。私の息子も一カ月アメリカにホームステイしてサマースクールに通っていたのですが、日本に帰国してから英語を使ってアメリカでできた友達に電話をしていて、びっくりしましたよ。でも二~三カ月で忘れてしまったようですが(笑)。
丹下 私も当時もっとフランス語をしっかり勉強しておけば良かったと、今になって思っています。スイスにいた時は耳が慣れて、会話ぐらいはできていたのですが、それだと使わないと忘れてしまいます。最初は英語もできなかったのですが、三カ月でマスターしました。語学ができないと、お腹が痛くても先生に伝えられない。それはもう必要に迫られて覚えましたね(笑)。一方フランス語は周りが英語を理解することもあって、身につかなかったようです。

元谷  やはり国際語と言えば英語ですから、それで良かったのではないでしょうか。母国語以外の言葉を二つ同時に学ぶと、どっちつかずになる気がします。
丹下 しかし国際人は最低でも三カ国語が話せないと…という時代になってきました。母国語に英語、そして中国語の重要度が上がっています。

元谷  やはり世界経済において、中国の影響力が拡大していることが大きいですね。

変化する生活に合わせて家も変わっていくべき

元谷  学ぶにはあまり気候の良い場所ではなく、寒いとか少し過酷な環境の場所の方がいいそうです。私も家を持っていたことがあるロサンゼルスに住む友人が言っていたのですが、ロサンゼルスで子どもを学ばせると駄目になる。この街で教育熱心な人はボストンなど東部の学校に子どもを入れると言っていました。
丹下 私の経験でもそうですね。カリフォルニアではつい一年中外で遊んでしまいますが、大学と大学院を過ごしたボストンは冬は雪ですから、家の中に篭って勉強していました。

元谷  やはりそうですか。
丹下 しかし最近の子は柔になっているのでしょうか。今アメリカンスクールに通っている娘は、アメリカの大学に行きたいと。私は西よりも東海岸がいいと言っているのですが、子どもは気候の良い街の方がいいと言うのです。

元谷  先日お会いした奥様はどちらの出身ですか?
丹下 実はカリフォルニアなのです(笑)。

元谷  やっぱり。そんな印象があったのです(笑)。お嬢さんはお母さんの出身地で学びたいという希望があるのかもしれませんね。しかしアメリカと日本では家への考え方がずいぶん異なります。アメリカ人の場合、自分の地位が上がるに従って、その立場に合ったエリアに家を移していきます。そして引退したら、マイアミなどでゆっくり暮らす。日本の場合は、一度家を買えば生涯暮らすことが多いのではないでしょうか。私は二十歳の時に十年以上同じ家には住まないと決めたのです。同じ家に住み続けるとバカになります(笑)。
丹下 (笑)設計をするものとしてよく感じるのは、人間は成長の過程で必要とするものが変わるということです。

元谷  家族構成や付き合う人も変わる。成長し続けるには、自分に刺激を与えるような家に常に住むことが大切です。これは一種の脱皮です。大きくなるためには、家という殻を一度打ち破って次の世界へ。そういうことを若い時に考えたのが良かったのでしょう。
丹下 素晴らしいお考えだと思います。

元谷  小学生の時には新聞が趣味だったのです。読みながらわからない言葉があると、「現代用語の基礎知識」で調べる。これで雑学が身につきました。

丹下 それだけの努力家だから、今の成功があるのですね。

元谷  いや、努力や一生懸命というのは私は苦手なのです。趣味ですから(笑)。時事経済や軍事に宇宙開発などいろいろな事柄に興味があり、それらへの好奇心を満たすために、好きでやっていたことなのです。金言集や格言集も大好きだったのですが、それらの中で誰かが十年以上同じ家に住むのは良くないと言っていたのです。それを思い出して、実行したわけです。

丹下 変化に合わせて、建物の躯体自体は変えなくても、中身を変えていくことは大切です。

元谷  日本の家は三十~四十年で壊しますが、欧米の家はもっと寿命が長い。コアな部分は残したままで最新の設備を導入し、間取りを変えて家具や壁紙も新しくして、百年ぐらい使います。特にカリフォルニアは雨なども少ないので、家が長持ちです。

丹下 おっしゃる通りです。西海岸でも街によって気候は異なります。妻の実家はサンフランシスコ。マーク・トウェインが「私が経験した最も寒い冬は、サンフランシスコの夏だった」というぐらい夏の寒さが有名で、年配の方は夏でも夜になると毛皮コートを着たりしています。

成功者が造るマイホテルは大抵の場合、失敗する

元谷  サンフランシスコもいい街ですね。コカコーラやフェデックス、日本ではJALなどを手掛けた世界的に有名なCI(コーポレートアイデンティティ)専門の企業であるランドー社の本社があり、私は自らサンフランシスコまで行って、直接アパグループのCIをお願いしたのです。
丹下 すごい行動力ですね(笑)。

元谷  直接来た日本人は初めてだと言われました(笑)。満足のいくCIができたのですが、費用はかなり掛かりましたね。
丹下 日本と異なり、欧米はそういうソフト部分にお金を支払うという考えが定着しています。

元谷  日本だと形とか重さのないものには、なかなかお金を払いたがらないのですが。
丹下 オーナー様でも設計変更を何度もされる方がいらっしゃいます。まだ建物は出来上がっていないといっても、もう建築物数個分のお仕事はしています…と、きちんとご説明しています。その分の報酬までいただけるかはわからないのですが、まずご理解をいただかないと。

元谷  オーナー側からすると、望みのものができたかどうか、成果物だけで考えがちですから…。
丹下 それもわかるのですが(苦笑)。

元谷  確かに設計側からは要した時間などが重要になりますね。
丹下 はい。ですので、設計をさせていただく時は、オーナー様との対話が一番大切だと考えています。
元谷  オーナーの想像を超えるほどの良いものを提供するためには、相手の意向をしっかりと読み取ることが大切でしょう。
丹下 その通りです。私たちのポケットにデザインが詰まっていて、それを順番に出しているわけではなく、オーナー様との対話の中からデザインを生み出していくのです。代表のようなプロは別ですが、一般の方はご自分の欲しいものをふんわりとしか考えていないので、それらを引きだしてアイデアを具現化していく作業が必要です。
元谷  それは良くわかります。私はホテルやマンションの設計をお願いする事務所と自宅の設計をお願いする事務所を分けています。ホテルやマンションはお客様に泊まっていただいたり、買っていただいたりするものですから、そういうものを造らないと。
丹下 そうですね。一方ご自宅は好きなように造るわけですから、まったくコンセプトが異なります。
元谷  事業で成功した人がホテルを造ることがあります。特に欧米では、ホテルオーナーには社会的なステイタスがありますから。ただ多くの場合は失敗しますね。その理由は、自分が泊まりたいホテルを造るから。そういうホテルは造らずに、誰かが建てたものに行って泊まればいい。ちゃんとビジネスとして、お客様が泊まりたくなるようなホテルを収支も考えて造らないと。
丹下 おっしゃる通りです。
元谷  私は最初からビジネスとしてホテルを建設しました。また最初からチェーンホテルを目指していました。ですから会員システムも最初から。第一号会員が私で、二号会員がホテル社長です。今会員数は三百六十五万人になりました。
丹下 すぐに五百万人に到達するのではないですか?
元谷  はい、私もそう考えています。また二万室までは所有にこだわってアパホテルを展開してきたのですが、二月からはパートナーホテルの拡大に注力しています。地方の一館のみで経営しているホテルは、どこかに棲み分けされないと生き残れない。かつて酒販店がコンビニ化したのと同じことがホテル業界にも起こっています。ホテル名を変えずに、集客だけはアパホテルのようなチェーンホテルの力を借りるという形です。この半年でそういったパートナーホテルは二十二になりました。
丹下 ホテルだけではなく、日本中のすべての業界で同じような現象が起きています。やむを得ないですが、地方独特の歴史が失われていくようで、寂しいですね。

政体保持のために急速な成長を続ける中国

元谷  丹下さんの代表作というと、やはりあの東京モード学園の「モード学園コクーンタワー」がすぐに浮かびます。あの造形は素晴らしいですね。
丹下 ありがとうございます。

元谷  設計された丹下さんはもちろん素晴らしいのですが、あの大胆なデザインを採用されたオーナーの度量もすごいと思います。
丹下 あの仕事はコンペだったのですが、オーナー様からのご要望は「とにかく今までにないものを造って欲しい」ということでした。

元谷  設計事務所としてはやりがいがあるのでは?
丹下 その通りなのですが、どこから発想をスタートするか、非常に苦労した作品です。

元谷  今は海外のお仕事が多いと思うのですが。
丹下 年間二百日ぐらいが出張ですね。仕事の七割以上が海外です。

元谷  海外だと中国が多いのですか?
丹下 はい。とにかく国土が広いですから…。今は北京や上海、大連など八つの都市のプロジェクトに参加しています。高齢化社会は世界的にもインパクトのある問題で、中近東でも中国でも、医療施設や老人関連施設のプロジェクトに参加することが多くなっています。
元谷  中国の問題は医療と教育の格差だと聞いています。発展の裏にお金がなくて、医療も教育も受けられない人がたくさんいる。先日事故を起こした高速鉄道を見てもそうですが、ひたすら成長を優先して、他を犠牲にしています。五年で五千キロもの高速鉄道網を建設していますから、何か「抜け」があるのも当然でしょう。
丹下 発展のひずみですね。
元谷  急速な成長がないと、中国の政治形態が持たないのです。まるで自転車ですよ。中国の建築基準法はかなり整備されてきているのですか?
丹下 まだまだ穴だらけです。
元谷  自然災害の多い日本では高度な建築技術が磨かれていました。現地の法律が甘くても、それに合わせて手を抜くということもなく、日本と同じレベルの仕事をします。だから諸外国でも高く評価して頂けているのではないかと思います。
丹下 その通りだと思います。特に日本の環境関連技術が求められていますね。中国ではこの分野はまだ全然駄目ですから。上海の高層ビルでも、上層階からはスモッグで景色が見えないほどです。
元谷  上海の森ビルに行きましたが、窓がずいぶん汚れていました。
丹下 もちろん窓は拭いていると思いますが、汚れるのが早いのだと思います。森ビルの隣に中国自慢のジンマオタワーがあるのですが、どう考えても窓が吹けない構造になっていて、実際すごく汚れている。大規模開発が進む上海の浦東新区ですが、日本からみると技術的には遅れている建築物も多いですね。そんな中で上海の森ビルは非常に評価が高いと聞いています。
元谷  日本人は国民性として、自分たちが納得できるものしか提供できないですから。
丹下 はい。私たちが海外からご用命いただくのもその理由からです。でも中国の建築レベルも、今後日本の真似をして上がっていくでしょう。日本もかつてはアメリカからいろいろなことを学んだのですから。

努力をするのは当たり前成果を出してこそプロだ

元谷  新宿のビルを見ても、アメリカで見たことがある形ばかりです。
丹下 私の事務所は形に特徴のある作品が多いのですが、よく「新しい形ってまだ残っているのだろうか…」と思うことはあります。

元谷  中国には奇をてらったものが多いですが、私はビルはオーソドックスな形が一番だと思っています。建物はオーナーや設計者のためのものではなく、そこを通る人のためのもの。街の中で違和感があってはいけないのです。周りの建物と違っていても、ちゃんと調和がとれていればいい。
丹下 父の時代から特徴的な形のものを作ってきていますが、時代を越えて今でも皆さんに受け入れられている建物がありますから…。

元谷  あれだけ奇抜な形のコクーンタワーも周辺にちゃんとフィットして、落ち着きを与えているのです。私はそれがすごいと思う。
丹下  ちょっとした違いで調和がとれたりとれなかったり。私たちも非常に慎重にデザインをしています。

元谷  私は人生経験が蓄積された建築家の方がいい仕事をすると思っています。
五十年も百年も先まで、住んだり使う人だけではなく、通る人までが賞賛する本物の建物を設計するには、やはりそれぐらいの深みが必要でしょう。
丹下  私のハーバード大学での恩師だったホセ・ルイ・セルト氏は「建築は社会的責任を持ったアートだ」と言っていました。ピカソは何枚も、気に入らなかった絵の上に書き直しをしています。そんな絵画とは違って、一度造った建物は何年かは必ず残りますから、その分責任が重いのです。

元谷  なるほど。ピカソは絵画の基礎を極めた上で、それを崩して抽象画を始めました。建築も本物を見極めた上でちょっとはずすと、面白みが出ますね。
丹下 例えばすべて左右対称ではなく、少し非対称なものを入れると、驚きがでます。

元谷 それはアパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉の赤い三角の穴ですね?
丹下 はい(笑)。実はあのホテルは私が最初に設計に携わったもので、三角の穴は私が提案しました。

元谷 今でも日本最高層のホテルです。あの穴、私はとても気に入っていますよ。いつも最後に「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
丹下 良くスタッフにも言っているのが、「・一生懸命やりました・では意味が無い」ということです。子どもが親に言うなら許してもらえるかもしれませんが、私たちはプロの集団ですから、プロ意識を持たないと。日々の努力は当たり前、それを越えて成果を出していかなければならないのです。「時間がない」というのも言い訳です。時間は自分で作るもの。ある百貨店経営者は「時間がなければ、寝なきゃいい」とおっしゃってました。成功する人の考え方は、こうですね。

元谷 私も寝るのは毎晩夜の二時ですよ。そういう生活を楽しんでいます。
丹下 振り返ってみると、好きだからやってるんですよね。だから苦労も苦労と思わない。

元谷 人間、好きなことじゃないと続きません。今日はいろいろと楽しいお話をありがとうございました。
丹下 こちらこそ、ありがとうございました。

丹下憲孝氏
1958(昭和33)年東京都生まれ。1981(昭和56)年ハーバード大学視覚環境学、エンジニアリング、応用科学卒業、1985(昭和60)年ハーバード大学大学院建築学専門課程修了、同年丹下健三・都市・建築設計研究所に入所。1997(平成9)年に代表取締役社長に就任、2003(平成15)年に社名を丹下都市建築設計に改め、その代表取締役社長に就任。

対談日:2011年7月28日