馳浩の永田町通信

2015年2月号 第174回待ったなし

518回。
今回の総選挙12日間で街頭演説をした回数。
窮余の一策でもあった。
急な年末の選挙であり、有権者には唐突感の方が強かった。「衆参で与党は過半数取ってるんだから、どうして無理するの?」「この年の瀬の忙しいときに迷惑だなぁ……」
そんな声があちこちから寄せられ、恐縮しきり。私の選対幹部からして、
「これじゃ、スタッフを集めるのも申し訳ないよ。解散から投票日まで3週間余りじゃ準備不足だ。どうしよう……」
ましてや私の金沢1区は金沢市全域。この10月5日に金沢市長選挙が行なわれたばかり。それも保守分裂の遺恨戦となり、自民党金沢支部内は、その傷跡もいえない中でのまた戦い。どう考えても、陣営を整えるには困難。
もちろん、そこは政党人であり組織人。
「1ヶ月前まで角突き合わせたけれど、市長選は市長選、衆院選は衆院選。国会の役割りの重みを考えれば、市長選の後遺症がどうのこうのと言っている場合じゃないだろう。」と、市長選では相対した県議市議同士が呉越同舟。ありがたきは、仲間。
「安倍総理が国政の方向性と具体的な経済政策を示したのだから、我々地方の自民党もそのベクトルを合わせるべきだ!! 景気回復最優先!!」と。
今まで参議院の初戦を入れれば計6回の選挙を経験してきた。これまではどちらかというと攻めの選挙。しかし今回ばかりは、守りの戦い。どうも勝手がちがう。
そこで編み出した作戦が、街頭演説戦略。この12年で、私は1万回以上、金沢市内のあちこちの交差点で、たった一人で街頭に立ち、ハンドスピーカーを手に政策を語り続けてきた。雨の日も雪の日も台風の日も。
この短期間の総選挙で、ち密な遊説スケジュールを組み、雪の中をたまり(支援者に動員をかけて演説して握手してガンバロー三唱)を作るいとまもない。もしそんなことしたら、徒労感で陣営の志気にかかわる。3月に石川県知事選。10月にいわくつきの金沢市長選。「何だよ、やっと終わったばかりなのにまた動員かよー。いいがげんにしてくれ!!」
と叱られるのは目に見えている。
そこで、ゲリラ的にお出かけ街頭演説をすることにした。
これなら人を集める苦労をしなくてすむ。
それに寒風吹きすさぶ中を外に出なくても良い。
でも。
近所にいつも応援している馳が来れば、家の玄関先にでも出て、激励の一言でもかけることができる。
さらに。
私が一人で一日に40〜50ヶ所の街頭演説をするだけならば、遊説隊のウグイス嬢も半分ですむ。地域のお世話役も、先導車を出す必要がなく、その分、口コミ作戦に専念できる。
一石二鳥にも三鳥にもなるわけだ!!
「それじゃ選挙してる気分にならん!!」
という反発の声もあったが、
「いやー。そうしてくれると助かる!!」
と、本音のほうが多かった。
かくして12月2日の告示日。
祈願祭と出陣式をした金沢市の歴史にゆかりの深い尾山神社を遊説スタートするとき、街頭演説用に小回りの利く軽自動車の遊説カーに乗り込む私を見た支援者の皆さんは、目を白黒させていた。でも、ふだんから地元では軽自動車に乗っている私のことを知っている方々からは、苦笑いとともに、
「ま、あいつらしくて、これもいいか」
と、好感を持たれたようでもある。
ふだんから、一日20〜40ヶ所を辻立ちしている私にすれば、ドライバーさんよりも金沢のすみずみまで、交差点の特長を知り尽くしている。60近くある小学校の区域をバランスよく回ることなんて、おちゃのこサイサイ。
総選挙では初めての試み。
でも、やればやるほど、いろんな事が見えて来た。
車内から期待と失望の目を向ける市民。
「景気良くしてくれよー!」と声をかけてくれる市民。
わざわざホットコーヒーを差し入れてくれたおばあちゃん。
「安倍さんしかおらんやろ!」との声。
それらどの声にも、まなざしにも込められていたのは、
「今の日本、待ったなし!!」
の熱い想い。世界のまん中で、もう一度かがやきを取り戻し、誇りある国、日本を取り戻そう、という安倍総理の信念が、党派を超えて日本人の潜在意識に「この道しかない」と呼びかけたように感じた。
かくして、熱狂なき総選挙は、与党で3分の2をいただく大勝の結果となった。  勝ってカブトの緒をしめよ、だ。
(了)