馳浩の永田町通信

2014年10月号 第170回「ベトナムとの関係」


 ハノイとホーチミンを訪問してきた。
 企業進出して20周年を迎える三谷産業の記念式典に招待をいただいた。
 せっかく初訪問する以上は、両国の友好親善に貢献をしたいと思い、外務省にも連絡をし、スケジュールをいっぱいに埋めて訪越した。
 安倍総理が、第二次政権をスタートさせて一番最初に訪問したのが、中国でも韓国でもなく、このベトナムであったという事実が、そして戦略的パートナーシップを結んだということが、これからの日越関係の発展の象徴となっている。
 キーポイントとなるのは、ともに隣国となる中国との関係性である。
 領土、領海を接するがゆえに、歴史的経緯をひもとく中で、紛争や領有権問題を常にはらんでいる対中外交。
 とりわけ今年に入ってからの海洋進中の強引さは、あのおとなしいベトナム人をして、若者を中心に激しい反中国デモを喚起させた。
 ベトナム当局が、エスカレートすることを心配して暴動寸前で鎮圧したのではあるが、ベトナム国民の心中には、いまだに対中感情おだやかならざるものがある。
 そのベトナムのズン首相が、国賓として来日し、国会演説をしたのが今春。
 国交40周年を期してのお祝いメッセージと共に、アジアで最も頼りになるODA供与国である日本に対して、より親愛の情を深めさせたのは記憶に新しいところ。私も本会議場において拝聴し、感動の拍手を送った。
 そのベトナムに、今から20年前、ビジネスのチャンスととらえてたった一人で進出したのが、今回の式典を迎えた三谷産業の三谷充会長。
「当時は、12対1で、取締役会で反対されましたよ。そこから一人ずつ説得し、ようやく市場調査だけならイイよ、と賛成してもらうまで、二年もかかりましたよ!!」
 と、なつかしそうに若かりし40代の頃をふりかえる。
「でもね、僕には自信があったんですよ。まじめで謙虚で勤勉な国民性は、必ず日本人のビジネスシーンとウマが合うって。関連会社を一つずつ立ち上げていって、いまや計七社。雇用するベトナム人は1580人にまでなりました。ハノイ工科大学やホーチミン工科大学など、日本で言えば東大や東工大レベルの優秀な卒業生や研究生が入社してきてくれて、ASEAN周辺国の中でもトップクラスの競争力を勝ち抜けるまでの技術力を発揮してくれています。」
 と、ベタぼめ。
「でも、そうは言っても言葉のカベとか文化の違いで紆余曲折あったでしょ?!」
 と少々イジワルな質問をしてみると、
「そりゃそうですよ。毎年の契約更新なんて、一人相手に四~五時間かかることなんてザラ。でもね、あれだけ自己主張が強くても、最後に折り合ってまとまったら、翌日からニコニコ一生懸命働いてくれるんだから、これも国民性なんだと、今は納得できるんだけどね。」
 とも。
 現地では、JICA事務所と、ベトナム日本人材協力センターにも訪問した。
 これはODA事業を支える根幹事業のようなもので、①ビジネス支援 ②日本語教育 ③相互理解 ④啓発セミナーなどの事業を行ない、ベトナムの生活向上と開発支援を日本政府が支えている。そこの所長に聞いてみると、
「日系企業の進出が、ベトナム経済成長のキーになっています。より安く、より早く、そしてより良いサービスや商品を求めるという日本企業の理念を、ベトナム人は目の色をかえて追い求めています。企業倫理といいましょうか、もうけるためには一体何が必要なのかという根源的な精神性で通底しています。」
 と。さらに、
「人口がおよそ一億人。若者が多く、所得も一〇〇〇米ドル超。欧米への輸出も増加し、外資や在外ベトナム人からの投融資も盛んで、資金量が豊富。地政学的にみてもマーケットに恵まれており、さらにTPP交渉にも参加。まさしく、対中国という観点からも、日本が最も重要視しなければならないASEAN諸国のトップリーダーがベトナムです。」
 と、人材育成を担当しているJICA専門家から熱いアドバイスをいただいた。
 私が二〇二〇オリパラ東京大会の実施本部長であると聞くや、さっそく、
「柔道の日本人コーチを送ってほしい。日本のナショナルトレーニングセンターで若手を強化合宿させてほしい。講道館で、審判講習をさせてほしい。」
 との要望も相次いだ。
 外交とは、相互理解と、相互利益。
 その糸口がこれほどまでにかみ合っている相手国がアジアにいるだろうか。
 地球儀ふかん外交を、あらためてベトナムから考えてみる必要がある。
(了)