民主党政権が成立した一つの要因に、マニュフェスト政治があった。
「コンクリートから人へ」のスローガンは、いまだ耳に残っていよう。
その目玉の一つが、高校無償化である。 高校生の授業料をタダにするというのであるから、親世代は手を叩いて喜んだ。
しかし。
三九〇〇億円をゆうに超える安定的な財源の見通しがあったわけではなく、また、「高校教育の現状をどう向上させるか!?」の理念も哲学もなく、ただ無償化へとまっしぐらに制度改制を急いだことに、「政治はそれでよいのか?」との疑問が残されたままだった。
自民党文教族の先兵であった下村博文(現文部科学大臣)や馳浩は、野党の論客として徹底的に論戦を挑んだ。
① 高校教育の評価をすべき
② 公私間格差を解消すべき
③ 都道府県間の財政格差解消すべき
④ 海外の日本人学校にも支援すべき
⑤ 朝鮮学校への支援は、国交正常化後
⑥ 特定扶養控除廃止による負担増世帯への支援すべき
⑦ 給付型奨学金制度創設すべき
⑧ 一律無償化は、日本社会になじまない。
以上の論点を指摘し、制度そもそもの改善を求めたが、野党の悲しさゆえ、日のめを見なかった。
あれから3年。政権再交代。
さっそく高校無償化見直しに入った。
与党である自民党と公明党で「見直しPT」を設置し、私が座長となり、公明党の浮島智子代議士が事務局長をつとめた。
ここで政治的なハードルがでてきた。
実は3年前、当時の公明党は、高校無償化法案に賛成していたのだ。
今回見直しをするにあたり、公明党の同意を取りつけるための交渉に入ることがポイントであった。
見直しにあたっての最大のテーマは、所得制限である。
つまり「制度そのものを撤廃するのではありません。義務教育ではない高校教育である以上、一定の個人負担はやむをえません。そして、所得制限で浮いた財源を、より支援を必要とする世帯の負担軽減の財源に使うのです」と。
この説得に対し、浮島智子代議士や富田茂之代議士は、真摯に向き合って下さった。
交渉の結果、以下のようにまとまった。
「所得制限で浮いた財源は、低中所得世帯の負担軽減策に使うと、文書化して下さい。とりわけ、貧因層対策のために、給付型奨学金制度を創設し、その財源に充てて下さい。」 と。
たまたま世界陸上選手権大会の開催されていたモスクワのホテルで、自民党の私と、公明党の浮島さん、富田さん、さらには下村博文文部科学大臣がそろうチャンスがあり、その場で文書化の案をまとめた。
与党PTでまとめた提案をもとに、最終的には自民党の高市政調会長と公明党の石井政調会長の間で、合意文書がまとめられた。
① 所得制限は九一〇万円がライン
② 得られる五〇〇億円ほどの財源は、公私間格差解消など、負担軽減策に使う
③ ①②の見直しを実現するための法改正を、秋の臨時国会で実現させる
④ 無償化見直しのために必要な事務的経費など、地方や学校現場の負担軽減。
⑤ 奨学のための給付金制度を創設する。
この合意に到達するまでには、公明党内にも激しい議論があったと聞く。しかし、富田茂之代議士は、こういって説得したという。 「そもそも、給付型奨学金制度の創設を主張してきたのは公明党であり、ようやくその財源を確保できるではありませんか!」 「自民党も制度を廃止するといっているのではなく、所得制限という見直しであり、負担軽減策とセットです。」 「民主党が見逃してきた、特定扶養控除廃止による負担増世帯への負担軽減策も入っています。自らその財源を確保するのが所得制限策です。」 「私学に子どもを通わせている所得五〇〇万円世帯相当にまで、授業料の支援金を増額することができます。地方の私学に子どもを通わせている層にとりまして、プラスになるのです。」
この説得により、公明党内の取りまとめも前進することになった。 さて、政策の大転換にはリスクも、納得も必要だ。この高校無償化見直しは、負担増を求める改革であるがゆえに、国民の理解を得るために、十二分に下村大臣みずからが国会内外において説明することが求められる。
高校教育にいったい何を期待するのか、だ。
「みんなが行くから、高校進学!」 「大学受験のために、まずは高校進学!」
……そうではないはずだ。
意欲と能力のある者が、競争社会を生き抜くための、国民教育の教養‐そうあってほしい。
(了)