馳浩の永田町通信

2012年11月号 第147回「野党の総裁選」

 この文章が発表される頃には終わっているけれど、今日は九月十四日。自民党総裁選告示日。
 野党の総裁選。
 三年前は、政権交代直後だった。
 青息吐息でマニュフェスト選挙をサバイバルし終え、野党転落の現実にぼう然自失。
 はなばなしく鳩山内閣が誕生する中、ほとんどの自民党国会議員は、総裁選を闘う気力を失っていた。
 その時立候補したのは谷垣さん、河野さん、そして西村さん。私は西村さんの事務局長をつとめ、全国の自民党地方議員に支援要請電話をかけまくった。
「西村って、誰や?!」
「自民党に未来はあるんか?!」
「せめて世代交替してくれ!!」
「反省しろ!!」
 そんなお叱りの声ばかりだった。
 あの三人は、今回立候補できなかった。
 何故か。
 敗北感ただよう三年前とは違うからだ。
「一度やらせてみよう」
 と政権交代を実現させた民意は、
「やっぱりダメだった。」
「うそつき!」「退場!!」と、さんざん。
 大阪市の橋下市長が日本維新の会を政党化させ、第三極を担おうとしている今、
「自民党って、どうなんだ?!」
 と、最後の期待を向けられているからだ。
 野田首相が「近いうちに」と解散総選挙をほのめかせている。
 額面通りに受け止めれば、年内にも国民に信を問うことになる。
 日本維新の会は一定の支持を得、既成政党に批判する無党派層の受け皿となろう。
 しかし、いまだ国政に一議席も有しない。実態の見えない政治集団に、国家の行方を任せてしまうことに不安を感じている有権者も多い。
 従って、「消極的選択」で、よりましな、実績と経験のある自民党に、最後の期待をかけてみよう、という世論の矛先が、総裁選。
 そこに何と、五人も乱立となった。
 届け出順に、寸評を加えておきたい。
 この原稿をお読みになる頃はすでに過去の話題となっていようが、五人ともに、与党復帰すれば間違いなく内閣や党の要職を占めることは確実。お人柄や、エピソードなどを紹介しておきたい。
●安倍晋三元総理。
「(自重すべきという)馳さんの気持ちも理解した上で、最終決断するよ。」
 出るか出ないかの情報が流れている頃、直接面談を申し入れた私に対し、安倍さんは「やり残したことがあるんだ……」と苦渋の表情だった。その五日後、今度は呼び出しがあった。
「申し訳ないが、出るよ。万が一、決選投票に持ち込んだら、よろしく頼む。それと、私を支持してくれた人たちが、清和会(町村派)に戻れるように、頼む。」
 と、ふっ切れたようにおっしゃった。
●石破茂さんをゲストにむかえて金沢で政経セミナートークショーを六月に開催したとき。
「すごいわかりやすい。この人こそ、日本の国益を実行できる政治家だ。見直した!!」
 と大絶賛された。見ためは怖い(失礼)けれど、お茶目な笑顔が可愛らしいと女性にも大ウケ。「国防論」という著書を百冊も自費購入して友だちに配るほどの社長もおり、外交や安保で信頼を失った日本を託すには、この人しかいない、と期待値は最高だ。
●町村信孝元官房長官
 おべんちゃらは言わない。頭が高いとか、両手で握手をしろとかよく選挙のときに言われる。ラグビーをやっていた本格的な体育会系。交渉能力が高く、かつては学生紛争で革マルや民青と闘い、外相時代は中国とやり合って日本のスジを通した。最近おじいちゃんになって笑顔が増えた。三党合意立役者。
●石原伸晃幹事長
 谷垣総裁に歯向かって出馬したことに、「平成の明智光秀」とありがたくないニックネームをちょうだいした。しかし、出馬の挨拶回りはたった一人で全議員のもとに出向き、さすが気配りの男、長老殺し、度胸満点と評されている。でも、エイリアン発言やサティアン発言など、失言癖も。腰も口も軽い?!
●林芳正政調会長代理
 自民党始まって以来初の、参議院候補者。なんと、馳浩と同い年(五十一)。同期当選のエリート。歌もギターも玄人はだしで、GINSというバンド活動も。東大?三井物産?ハーバード大出身。元防衛相、経済財政省。アメリカの議員秘書経験もあり、国際派。ダイエット中。
 この五人が連日論戦を展開すれば、テレビ桟敷の国民も、もう一度日本の将来に希望を見出してくださるはず。いや、希望を見出す論戦力を展開しなければ、日本の未来はない。

(了)