あれから70年。
70回目の8月15日。
終戦記念日。
安倍総理が談話を出した。
談話と言えば。
村山談話は、戦後50年の節目。
小泉談話は、戦後60年の節目。
そして今回。
ふしぎに思う。
どうして10年ごとに談話なのか。
日本国民に向けての談話なのか。
中国や韓国に向けてなのか。
それとも平和を愛する世界に向けてか。
そう錯覚させられてしまう。
なぜか?
外国からの注目が高いからだ。
いや。
海外の注目をあおる視線も国内にあるから。
そしてきまって注目されるキーワード。
「侵略」
「反省」
「おわび」
日本政府が、宿命とされるキーワード。
村山談話が火つけ役だったか。
歴史認識を確定させたかのような。
しかし。
あのとき自社さ政権でなければ。
談話を出したかどうか。
内容はキーワードが軸だったかどうか。
日本国民の総意だったかどうか。
今となってはそれも歴史の一ページ。
そして閣議決定の意味。
内閣で共有する価値観。
とうぜん、公明党の合意。
政府与党一致した見解。
諸刃の剣の危険性もあった。
針の穴を通すような作業。
有識者会議の意見も参考にした。
そして迎えた8月14日。
長文の安倍談話が発表された。
国内どころか、中韓マスコミも注目。
世界も注目。
果たしてキーワードは?。
午後6時からの記者会見。
注目されたキーワードは全て入った。
歴代内閣の歴史認識も継承。
しかし。
安倍談話の真骨頂は、そこではなかった。
異例の長文。
そこには近代戦争史への言及があった。
侵略地支配の時代と民族自決の時代。
そして経済のブロック化。
世界史の中で近代がどんな時代だったか。
日本はどこで進むべき針路を誤ったか。
敗戦。
三百万余の同胞の命が失われた。
戦火を交えた国々でも若者の命が失われた。
名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた。
歴史とは取り返しのつかない苛烈なもの。
尊い犠牲の上に、現在の平和がある。
私が注目したいのは次の言葉。
寛容の心。
中国に置き去りにされた三千人近い子ども。
米英蘭豪の元捕虜の慰霊訪日。
どれほどの寛容の心があったか。
戦後70年。
和解のために力を尽くした人々。
日本再建の原動力となった事実。
日本人だけが歯を食いしばったのではない。
寛容の心が今日の平和をもたらした事実。
そしてもう一つ。
謝罪を続ける宿命。
宿命を負わせてはなりません、の言い切り。
ここに、未来志向の決意があふれている。
安倍総理の本心が、貫かれている。
戦後世代が8割。
戦争に何ら関わりのない私たちの子や孫。
世代を超えて。
過去の歴史に真正面から向き合い。
謙虚な気持ちで未来へ渡す責任。
戦後談話なるもの。
もう、これで良いのでは。
歴史認識を内閣として示した安倍談話。
閣議決定をした重み。
国際秩序への挑戦者となった過去。
その過去を胸に刻み。
自由、民主主義、人権といった価値。
基本的価値を堅持し。
そして、
「積極的平和主義」の旗の下。
世界の平和と繁栄に貢献。
そのような日本を創り上げる決意。
この安倍談話は、私たち日本人の誓い。
誓いであり、決意。
決意であり、目標。
目標として、内閣外交の指針。
全ての日本人が、安倍談話の文脈を理解し、行間を読み、平和実現への行動を、各々の意志で起こしていくべきだろう。
(了)