馳浩の永田町通信

2015年10月号 第182回安倍談話

 あれから70年。
 70回目の8月15日。
 終戦記念日。
 安倍総理が談話を出した。
 談話と言えば。
 村山談話は、戦後50年の節目。
 小泉談話は、戦後60年の節目。
 そして今回。
 ふしぎに思う。
 どうして10年ごとに談話なのか。
 日本国民に向けての談話なのか。
 中国や韓国に向けてなのか。
 それとも平和を愛する世界に向けてか。
 そう錯覚させられてしまう。
 なぜか?
 外国からの注目が高いからだ。
 いや。
 海外の注目をあおる視線も国内にあるから。
 そしてきまって注目されるキーワード。
 「侵略」
 「反省」
 「おわび」
 日本政府が、宿命とされるキーワード。
 村山談話が火つけ役だったか。
 歴史認識を確定させたかのような。
 しかし。
 あのとき自社さ政権でなければ。
 談話を出したかどうか。
 内容はキーワードが軸だったかどうか。
 日本国民の総意だったかどうか。
 今となってはそれも歴史の一ページ。
 そして閣議決定の意味。
 内閣で共有する価値観。
 とうぜん、公明党の合意。
 政府与党一致した見解。
 諸刃の剣の危険性もあった。
 針の穴を通すような作業。
 有識者会議の意見も参考にした。
 そして迎えた8月14日。
 長文の安倍談話が発表された。
 国内どころか、中韓マスコミも注目。
 世界も注目。
 果たしてキーワードは?。
 午後6時からの記者会見。
 注目されたキーワードは全て入った。
 歴代内閣の歴史認識も継承。
 しかし。
 安倍談話の真骨頂は、そこではなかった。
 異例の長文。
 そこには近代戦争史への言及があった。
 侵略地支配の時代と民族自決の時代。
 そして経済のブロック化。
 世界史の中で近代がどんな時代だったか。
 日本はどこで進むべき針路を誤ったか。
 敗戦。
 三百万余の同胞の命が失われた。
 戦火を交えた国々でも若者の命が失われた。
 名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた。
 歴史とは取り返しのつかない苛烈なもの。
 尊い犠牲の上に、現在の平和がある。
 私が注目したいのは次の言葉。
 寛容の心。
 中国に置き去りにされた三千人近い子ども。
 米英蘭豪の元捕虜の慰霊訪日。
 どれほどの寛容の心があったか。
 戦後70年。
 和解のために力を尽くした人々。
 日本再建の原動力となった事実。
 日本人だけが歯を食いしばったのではない。
 寛容の心が今日の平和をもたらした事実。
 そしてもう一つ。
 謝罪を続ける宿命。
 宿命を負わせてはなりません、の言い切り。
 ここに、未来志向の決意があふれている。
 安倍総理の本心が、貫かれている。
 戦後世代が8割。
 戦争に何ら関わりのない私たちの子や孫。
 世代を超えて。
 過去の歴史に真正面から向き合い。
 謙虚な気持ちで未来へ渡す責任。
 戦後談話なるもの。
 もう、これで良いのでは。
 歴史認識を内閣として示した安倍談話。
 閣議決定をした重み。
 国際秩序への挑戦者となった過去。
 その過去を胸に刻み。
 自由、民主主義、人権といった価値。
 基本的価値を堅持し。
 そして、
 「積極的平和主義」の旗の下。
 世界の平和と繁栄に貢献。
 そのような日本を創り上げる決意。

 この安倍談話は、私たち日本人の誓い。
 誓いであり、決意。
 決意であり、目標。
 目標として、内閣外交の指針。
 全ての日本人が、安倍談話の文脈を理解し、行間を読み、平和実現への行動を、各々の意志で起こしていくべきだろう。
(了)