馳浩の永田町通信

2015年9月号 第181回新国立競技場

 酷暑の昼下がり。七月下旬。
 平和安全法制は参議院が論戦の主舞台。
 私は時おり、ジョギングシューズにはきかえて、神宮の杜へと足を延ばす。健康のため。
 議員会館の健康センター(地下3F)を出て、日比谷高校の裏道を抜け、衆参の議長公邸前の横断陸橋をのぼる。
 学習院初等科前の信号を左折し、左手に東宮御所を見ながら坂道を登り切ると、外苑東通りにぶつかる。
 さ、ここからだ。ドラマの始まりは‐。
 私がこの道をジョギングコースに選びはじめたのは、つい最近のこと。
 安倍総理が、新国立競技場の建設計画を白紙撤回する、そのキナ臭い情報が永田町に流れはじめたその頃からだ。
 少なくとも、五輪招致本部長として関わりを持ち始めた二年半前からの責任がある。
 オリンピアン(84LA)として、スポーツ基本法成立(2011)に関わった責任も痛感する。
 どうして二五二〇億円にまでふくれあがったのか?
 どうして財源確保にシナリオを持てなかったのか? 安倍総理が英断を下すまで、どうして引き返せなかったのか?
 どこで歯車が狂ったのか?
 これからどうすべきなのか?
 そのことを検証しておかなければならない。
 日本は総理判断で立ち停まり、修正することができたから良かった。しかし、五輪招致の計画が、国民の声を無視して暴走しはじめ、取り返しのつかない事態が五輪開催国に散見されているからこそ、IOC委員に対しても非常ベルを鳴らしておかねばならないように思う。
 全ては‐。
 デザインと、建設計画と、財源と。
 この重要な3点をバラバラに議論してきたからに帰結する。横串がなかった、ということ。
 2016年の五輪招致が失敗した要因の一つに、晴海に建設予定していた開閉会式の会場問題があった。海風の影響が記録を左右する、と。
 そこで。
 老朽化していた国立競技場を新しく建て替え、陸上競技とサッカーの会場にすると共に、五輪後はスポーツ文化の聖地にしよう、それを五輪招致の切り札としようとの機運が東京都とJOCの方針として固まった。2020年五輪の前年にはプレ大会を開催しなければならないから、ならば2019年のラグビーW杯にも間に合うではないか、となり、国会決議においてもその目標を掲げることとなった。
 そこで、規模的に国際コンペとなった。
 最終決定したのが、イラク人女性のザハ・ハディドさんの案。
 この時、工費1300億円と発表された。
 誰もが「高いな」と直感したが、具体的な工法や工期や財源を公表しないまま、計画が推進されることになってしまった。
 国立であるがゆえに、東京都もJOCも、詳細を詰めないままに、立候補ファイルに完成図だけを載せて、世界に発信し続け、招致委員会も突っ走ることとなった。
 2013年の9月7日、ブエノスアイレスでのIOC総会。
 五輪招致の最終プレゼンで、安倍総理は全世界に生中継のその場で言い切った。
「世界のどこにもないデザインで、大都市東京にスポーツ文化の空間を創り出す。日本なら、できる!!」
 と確約。当時、汚染水問題やコンセプトの弱さで劣勢だった招致レースを逆転した切り札でもあり、この計画は国際公約となった劇的な一瞬でもあった。オールジャパンの象徴。
 あれから二年。
 計画はゼロベースで見直す結果となった。
 1300の数字が3000にはね上がり、1650に落ち着いたと思ったら、また2520にはね上がった。これに開閉式の屋根をつけたらまた3000になるとか。
 財政健全化が国是のご時世、いくら五輪とか国立とかいっても、なんぼなんでも国民の理解は得られない。
 日本スポーツ振興センターや所管の文部科学省だけでは、責任者として手に負えなかったと言えばそれまで。
 しかし、オールジャパンの掛け声の中で、「財源大丈夫か?」「間に合うのか?」「負の遺産にならないか?」との心配の声が届けられる最終責任者が誰なのかのあいまいさがここまで見直し決断を遅らせてしまった最大要因。
 従って。結論はこうあるべきだ。
 工期、財源、最優先。デザイン一体で発注。
 新国立競技場建設チームは、内閣官房をコントロールタワーとして、財務省、国土交通省、総務省、文科省、日本スポーツ振興センター、東京都の総がかりとすること。
 そして、神宮の杜エリア一帯を、スポーツレガシー拠点として後世にのこすこと。
 雨降って地固める、そうあるべきだ。

(了)