馳浩の永田町通信

2014年4月号 第164回「ソチ五輪」


 東京の大雪を遠い異国のできごとと感じながら、ソチ空港に降り立った。朝5時すぎ。
「寒くないじゃん!!」「おはようー!!」
 出迎えて下さった日本スポーツ振興センターの鬼澤理事と早朝のごあいさつを交わし、さっそく拠点となるプリチャードホテルにチェックイン。時差を解消すべく、すぐにトレーニングウェアに着替えてジョギングへ。
 黒海沿岸に立つホテル周囲は、出来たばかりの遊園地やショッピングモールや五輪関連のみやげもの屋が軒先を並べる。
 いっしょに走った久木留毅教授(専修大学・現在ラフバラ大学に留学中のスポーツ博士)に聞いてみる。彼は調査に来ている。
「ソチ市内の五輪準備はどうなってるの?」
「6年かけてオリンピックヴィレッジを作り上げています。まだ完成していないホテルもありますし、パビリオンもありますが、ここ一週間でバタバターっとできあがりました。」
「市内のインフラ整備はどうなってるの?」
「空港からオリンピックヴィレッジまでと、オリンピックヴィレッジから山岳競技の拠点まで、高速道路と電車が開通しました。ソチは元々リゾート地ですが、さらに保養地や観光地としてのインフラを整えています。欧州からのお客さんに加えて、中東やアメリカの富裕層をターゲットにしています。レストランやホテルは英語も通じます。」
 ……ふむ、おもてなし力も全開なわけね。
 一汗流して着替えた後は、マルチサポートハウスの視察へ。森喜朗元総理とも合流。
 二〇二〇オリパラ東京大会の組織委会長を拝命したばかりの森先生は、私の政治の師匠でもあり、共に招致活動に汗をかいた同士。
「オイ、馳くん。昨日のIOC歓迎レセプションのパーティーでな、おもしろい事があったゾ!!」
「何ですか?」
「主役のトーマス・バッハ会長が、レセプション最後のスピーチにプーチン大統領を指名したんだ。200人位の出席者全員が注目する中、プーチンは端っこのテーブルから中央のマイクに歩いてくる途中で、俺の前に立ち停ったんだよ!!」
「ほー、それは意味深ですね。」
「だろ!! そしたら、プーチンが俺のことをヨシ、久しぶり、って感じで、がっしりと10秒間くらいハグしてくれたんだよ。俺もしょうがないから、ウラジミール!とかいって、相撲とりの四つ組みみたいに抱きしめたよー!!」
 と、大笑いする森先生。
 この二人の実力者の笑顔のハグが何を意味するか、だ。私は確認のつもりで解説した。
「二〇二〇年の東京大会の総責任者は森喜朗だということを明確に印象付けることができましたね。それから、五輪招致とロシアでの万博開催の約束をしたということも暗に示したのではありませんか。何よりも、ロシアの大統領と日本の元総理が、こんなにも仲が深いということを誇示できましたね。平和の祭典なのにアメリカのオバマ大統領やフランスのオランド大統領は欠席するし、中国の習近平さんに握手もなしじゃ、やっぱり日本の立場を浮きぼりにする効果があったんじゃありませんか。」
 と指摘すると、我が意を得たりとばかりに森先生はうなずきながら、こうもつぶやいた。
「習近平にもあいさつしとこうと思って近寄っていったらさ、側近が会わせないように囲んじゃってアッチの方へ行っちゃうんだよ。オリンピックは平和の祭典なのにな、なんだかなぁ……」
 と残念そうだった。
 この森先生の活発な行動力と発信力が象徴するように、オリンピックとは平和外交そのものなのである。
 その意義を深く理解した上で、招致に尽力したばかりではなく、「新たなる大国ロシア」の演出にソチ五輪を活用したプーチン大統領。
 さて、開会式翌日、フィギュアスケート団体戦を応援に行った。
 観客席には安倍総理も下村五輪担当大臣も帰国便出発ギリギリまで観戦。
 こちらでは、世代交替の現実を見た。
 確実なジャンプとキャンドルスピンで地元ロシアの会場を興奮のるつぼと化したユリア選手、15歳。
 そのユリア選手と入れ違いにリンク入りした浅田真央選手は、極度の緊張とプレッシャーからか、能面のような固い表情。
 案の定、冒頭のジャンプで派手に転倒し、団体女子で3位に甘んじた。
 四年に一度の祭典の、光と影の両方を真近に見たような、印象的なキャンドルスピンと転倒であった。
 それはオリンピックの光と影のようにも見えたし、スポーツ外交のコインの裏表のようでもあり、勉強になった。
 二〇二〇年。オリパラ東京大会で、どのようなドラマを演出することができるか、だ。
(了)