馳浩の永田町通信

2014年3月号 第163回「母校愛」


「ハセ先輩、佐々木はじめのこと、よろしくお願いします。」
「もちろんだよ。でも、どうして佐々木代議士のこと知ってるの?」
「だって、根上中学校の同級生ですから。」
 星稜高校野球部の、新年OB会の席。
 特別ゲストとしてお招きいただいた私は、乾杯もそこそこに、20近い各テーブルにごあいさつまわり。30代後半のテーブルに差しかかったところ、その輪の中にいた大男がすっくと立ち上がり、運動部出身らしくていねいにあいさつをしてくれた。
 天下の松井秀喜さん(引退したので、あえてさん付けで呼ぶ)だ。
 世界に名をとどろかせ、メジャーリーグのワールドチャンピオンシップでMVPとなった超VIPであろうとも、ここでは一OB。
 同期の仲間と他愛もない会話を楽しんでいるその姿は、どう見ても田舎のあんちゃん。
「いつまで経っても垢抜けないねぇ。」
「ハッハッハー。先輩こそ!!」
 とイジリ返せるのも、同窓生ならばこそ。
 年末年始、忘年会や新年会でたくさんの友人、知人に出会い、営業活動(?)に精を出すのも国会議員のつとめ。
 とりわけ同窓会は、へだてていた距離を一気に縮める絶好の機会。
 私の卒業した石川県星稜高校は、文武両道の雄。「誠実にして社会に役立つ人間の育成」という建学の精神のもと、創立50年をむかえ、数多くの卒業生を輩出してきた。
 私は卒業生でもあり、大学を卒業後は、国語の教師として二年間、奉職した。
 従って毎年少なくとも三回は職員室にも顔を出し、当時の恩師や同僚と旧交を温めている。
 国会では永らく文教族をつとめていることもあり、私学振興については学園理事長から経営の大変さをうかがったり、高校長からは現場の声をつねに届けていただいている。
 今年はその長年のつきあいに、もう一つ歴史が加わった。
 野球部とならんで全国強豪でもあるサッカー部が、新春の高校サッカー全国大会で、なんと決勝戦にまで進出したのだ。
 私は決勝のその日、成人の日でもあり、地元でたくさんあいさつまわりや式典来賓の公務が入っていたのだが、事情を申し上げてお許しをいただき、全ての日程をキャンセルして東京の国立競技場観客席に馳せ参じた。
 試合開始一時間前、焼きソバとたこ焼きを屋台で買って応援団席に向かうと、そこはもう、にわか同窓会状態。
 全国に散らばっていた卒業生で埋めつくされており、それぞれが卒業以来久しぶりに顔を合わせる恩師(私学ゆえ、教員異動はないので)を求め、あちこちで握手と談笑の輪が広がっていた。
 その中の一員となり、ましてや対戦相手はおとなりの富山県の富山第一高校。
 北陸では永遠のライバル校であり、いやが応にも「負けられない」と闘争本能が燃え上がる。スポーツ後進県であった北陸から、共に全国の頂点にかけ上がったという仲間意識も強いのだが、勝負となれば別。
 そこがスポーツの醍醐味でもあるのだが。
 折しもこの日の早朝、遠くイタリアの名門チーム、ACミランで華々しくデビューを果たした本田圭佑選手は、我が母校、星稜高校のOBでもある。高卒後すぐにプロ入りし、日本を代表する中心選手と成長してから世界に出て、海外名門チームの主軸にまで昇りつめたという点において、松井秀喜さんと双璧をなす経歴。
 そんな誇らしい、OBみょうりに尽きる母校愛丸出しで応援に臨んだのだが、勝利の女神はドラマのようにはいかなかった。
 いやむしろ、筋書きのないドラマの結末そのものだったかもしれない。
 前半にPKで1点先取。
 後半にもどんぴしゃりのヘディングを決め、試合時間も残りあと10分。
 誰もが「勝った!」と思い込んだその直後、星稜高の精神的支柱である主将交代。
「逃げ切り」と映ったのか、弱気になったのか、その後、富山第一高校の猛攻開始。
 結局、アディショナルタイムのPKで同点に追いつかれ、延長戦でも決勝ゴールを献上してしまい、万事窮す。
 湧き上がる富山、沈黙の石川。
 嬉し涙の富山、悔し涙の石川。
 政治の世界では、国会の議場ではついぞ見ることのできない二種類の貴重な涙に接することができた。そして、何かを感じた。
 母校愛が、祖国愛という名前にとってかわるとしたら、少々こじつけになるだろうか。
 人間誰しもふるさとがある。ふるさとを愛するが故に、何かを守り、何かを次世代につなぐために闘い続けるのではないだろうか。
 そういう純粋な涙が、政治には必要だ。
(了)