馳浩の永田町通信

2013年11月号 第159回「トーキョー2020」

「トーキョー、2020」
 それは歴史的な一瞬であった。
 ブエノスアイレス市は朝から暴風雨。
 時おり、空を切りさく雷も鳴りひびく。
 新都心である、マデーロ地区の中心に位置するヒルトンホテル。デモを想定して厳重な警備。スポーツを通じて世界平和を希求するIOCの、第125回目の総会初日。
 2020年に開催される五輪都市は、いったいどこになるのか、かたずを飲んで見守っていた日本の招致委員会メンバーに、目配せをするようにして発表したのは、今総会限りで勇退するジャック・ロゲ会長。
 この一瞬は、世界中に生中継された。
 天井を突き破らんばかりの勢いで立ち上がり、喚起のハグをくり返す安倍晋三総理。
 G20が開催されていたロシアのサンクトペテルブルグから、プレゼンの最後の切り札として、20時間以上かけ、政府専用機で到着したのは、総会前日の午後4時ちょうどだった。
 一息つく間もなくヒルトンホテルに直行し、ジャック・ロゲ会長はじめ複数のIOC委員と、最後のロビー活動に取り組んだ。政府のリーダーみずからが、東京開催を力強くプッシュした。
 ロビー活動は、夕方から開催された。コロン劇場での開会式会場でも精力的にくり広げられた。
 我々招致委員会メンバーが3階のバルコニー席から見守る中、信じられない光景もくり広げられていた。
 遠慮気味に、そして控え目に1階の座席に座っていらした高円宮久子妃殿下が、その時、意を強くしたような笑顔で動かれた。
 安倍総理の真うしろに着席されていた、スペインのフェリペ皇太子に二言、三言ごあいさつをされてから、久子様が安倍総理を紹介され、何と、三名が立ったままで5分間ほどの談笑をされたのだ。
 誰の目から見ても、久子さまみずからが、フェリペ皇太子と安倍総理を引き合わせた。
 投票日は翌日であるにもかかわらず、我々はそのひととき、歴史が大きく動いたとの手応えを実感した。
 何故か。
 日本の皇室が、オリンピックムーブメントに参加した、歴史的な一瞬だったからだ。
 ヨーロッパの王室メンバーや、中東の王国から数多くのIOC委員が選ばれている。
 その方々の目から見れば、世界最古の歴史を持つ日本の皇室は、特別な存在感をもつ。
 しかし、宮内庁の固いガードのせいで、皇室は今まで、五輪招致活動にいっさい関わることができなかった。
 我々は「世界平和を希求するオリンピックムーブメントへの参加こそ、皇室の役割」と主張するも、宮内庁は「三都市で競合する招致レースは、政治的な活動」と判断していた。
 この不毛な論争は、
「東日本大震災の被災地への、IOC支援活動への御礼」
 という解釈で、安倍総理が引き取った。
 ブエノスアイレスにご到着されてからの久子さまは、「被災地支援への御礼」という名目で、間接的ながらも、積極的にロビー活動を展開されたのだ。
 そして、運命の九月七日午前10時半(現地時間)。
 招致3都市のプレゼンテーションのその場に、マイクの前に、久子さまがお立ちになった。
「気品」「気高さ」ということばの意味を、私はうまれてはじめてこの瞬間にかみしめた。
 もちろん、皇室の一員として史上初のこのスピーチに、IOC委員全てが緊張に包まれ、そして感動を分かち合った。
 流れはできあがった。東京への投票の流れが。
 この後、被災地出身のパラリンピアン、佐藤真海さんの「スポーツの力」をテーマにしたスピーチは、五輪開催の意義を、感情的に訴えることに成功した。
 スポーツの力で、被災地の子どもたちに夢と希望と、力を合わせることの素晴らしさを伝えることができる……だから今、東京でオリンピック、パラリンピックを開いてほしい。
 わかりやすいこのストーリーは、東京の強みである財政力、治安の良さ、計画を確実に実行できる能力を補って余りある「東京に投票する理由」となった。
 スピーチの最後は安倍総理の力強い英語。
 懸念されていた汚染水の問題に対して「私が責任を持って解決する」と言い切った。
 決選投票では、60‐36でイスタンブールに圧勝した。この大差は、安倍総理が指揮を取った「オールジャパン」の団結力の勝利でもあった。
 アベノミクス第4の矢、ともなる東京開催。
 7年後の夢の実現に向けて、課題も山積しているけれど、今、日本に必要なのは悲観ではなく、夢の力、スポーツの力だ。
 世界の真ん中で日本が輝くとき、その物語りがはじまる。

(了)