永田町の政局には、流れがある。
誰が、どこで、どういう発言をしたか。
それは意図的なこともあれば、予期せぬ一言から派生することも、ある。
今回の消費税政局。どう転がるか?
野田総理は、政治生命をかける、不退転、今国会中に採決、そう遠くないうちに決断の時期が来る、と、悲壮なまでの覚悟。
ところが、当の民主党内はどうかといえば、
「マニュフェスト違反」
「増税の前にやるべきことがある」
「デフレ脱却」
などと、いったいどちらが野党なのかわからないほど、反対のボルテージが上がっていた。
オイオイ、増税派を公言する野田さんを代表選で選んだのは、あなたたちでしょうが、と、つい外野席からつっこみを入れてみたくなるような気分だった。
そしてクライマックスは突然、訪れた。
ちょうど、民自公の三党協議がまとまるかどうかの瀬戸際をむかえた六月十三日水曜日。
週刊文春のゲラ刷りが永田町に出廻った。
それは、小沢一郎さんの奥さまが、岩手県の古い後援者に宛てた私信だった。
たった一通の手紙に、これほどまでの衝撃を与えられたことは、かつてなかった。
その内容をかいつまんで言えば、
「人間 小沢一郎の否定」
「政治家 小沢一郎の否定」
と断言することができよう。
愛人の発覚、隠し子、夫婦関係の破たん。
……ワイドショーのようなここまでの内輪話しだけなら「ま、そういうこともありましょうか…」と見すごすこともできよう。
しかし。
昨年の三月十一日の大震災、津波、原発事故のときに、小沢さんが取った言動だけは、とても看過できない。
いちはやく放射能汚染の情報を知りうることができた小沢さんは、外出を控え、水や塩を買い込み、なんと、挙げ句の果には東京から逃げ出したというのだ。
本来ならば、政治家の先頭に立って自分の選挙区に戻り、岩手の皆様に寄りそい、勇気づけてあげなければならない立場の者が、我れ先にと情報を仕入れ、とっとと逃げ出すとは、言語道断。
そして、この事実が、離婚したとは言え、夫人から語られたことの衝撃が大きかった。
代議士の妻。
そういう職業があってもよいのではないかと思うくらい、衆議院議員の妻の心労は絶えない。私なんぞ、臆面もなく
「子を育て 妻をいたわり 親守ろう」
と地元のポスターのキャプションに大書しているが、家族に対する申し訳なさ、とりわけ妻に対しては本当に申し訳なく思っている。
小沢さんがご夫人から失格のラク印を押されてしまったのには、積み重なる不満があったのだろうし、さもありなん、と同情する。
その中でも、3・11の下りは、やはり決定的。私の中においてすら、田中角栄先生の真近で薫陶を受けた政治家、小沢一郎に対する期待と尊敬の念は大きかった。
しかし、奥様の手紙を一読し、それは幻想であったのだ、と、失望を禁じ得ない。
一時は百名をゆうに超えていた小沢チルドレンにとっても、同様のこと。
「本当に、命をかけて、この人についていってよいのだろうか?」
という疑念を抱かせてしまった。
この疑念こそが、一夜にして政局を動かしてしまったようなのだ。
折しも。
民自公三党協議はヤマ場を迎えてこう着状態にあったが、最後は実にスンナリと、合意文書に実務者がサインした。
社会保障と税の一体改革という、野田政権の、いや、国政の最重要課題について、大きな決断が下されたのだ。
後は、三党の、党内手続きのみ。
公明党は組織政党であり、トップや支援団体が方針を決めれば、ゆるぎなく団結する。
自民党もオープンな手続きで全議員参加の平場の議論をする。異論も出されるが、最後は、谷垣総裁に一任。党略よりも国益優先。
「さて、与党民主党よ、どうする?」
マスコミも含め、国民の視線は、反対を明言する小沢一郎さんに注がれていた。
その緊張感の頂点のタイミングで週刊文春に発表された、夫人の手記。
この一発で、小沢さんは息の根を止められたようなものだ。
民主党増税反対派の動きも、小沢チルドレンの動きも、この手記が世に出されたあとは、次第にしぼんでいってしまったし。
たった一通の妻の手紙。
小沢さんにとって、それは宿命でもあろうし、自業自得なのであろう。
(了)