馳浩の永田町通信

2012年3月号 第139回「やっぱり世界一」

相次ぐ新年賀詞交換会。
日本繊維産業連盟の新年会に招かれ、出席すると、森喜朗元総理のごあいさつがふるっていた。 「こないだアパレル業界の新年会に行ってきたけど、こっちより人が多かったかな(笑)。やっぱり勢いのある業界は、違うね。でも、あの昭和四十五・四十六年頃の日米通商交渉での繊維自由化のバトルを経験した政治家として、今日の日本の繊維業界の隆盛を拝見すると、隔世の感があります。研究開発と、技術革新と、そしてものづくりこそが日本の成長戦略ということが、ここにやって来るとよくわかります。」
お世辞でも何でもなく、そう言い切れるところが、修羅場を経験した森総理。続けて、地元の企業を引き合いにわかりやすくお話しになる。「私の実家のすぐ裏手に、小松精練という企業があります。日米通商交渉で、アメリカから大量に安価な製品が輸入されると、北陸の繊維産地は崩壊すると叩かれました。しかし、今や、技術力とものづくりの人材力で生き残ったこの会社は、オンリーワンの商品で売り上げを伸ばしています。炭素繊維です。飛行機の機体、新幹線の蛇腹、医薬品、機能性下着……。まさしく、繊維は生活のすべてを支えるまでに成長産業となったのです。」
石川県を代表する企業が、世界的な企業にまで発展した。そこには、競争の中から勝ち上がる人間力があった―。
この新年会に参集した多くの経済人が、我が意を得たとばかりに、競争を生き抜く日本人のたくましさに誇りを持った。
その翌日、地元石川県に戻った私は、さらに世界一を身近に感じることになる。
母校星稜高校の先輩が、さる企業の社長としてがんばっている。
後輩の国会議員のために、と、社外秘の資料を見せながら、レクチャーして下さった。 「馳くん、スーパーコンピューターの京けい、知ってる?」 「もちろんですよ。事業仕分けで蓮舫さんに二位じゃダメなんですか?と仕分けされた対象でしたよね。」 「どこで作ってるか、知ってる?」 「え!? ……神戸の理研だと思いますが……。」 「ホラ、やっぱりそう思い込んでるんだよな。実は、石川県の富士通グループで開発してるんだよ。従業員は何人関わってると思う?」 「そ、そんな。想像つきませんね。じゃ、あてずっぽうで、百人!!」 「関連六企業。合わせて四千七百人!!」 「えーーーっ!!それ、一大産業じゃないですかぁ!!」 「そうだよ。知らなかったろ。」 「知りませんでした。不勉強です。」 「石川県のものづくりが、計算速度世界第一位のスーパーコンピューターを下支えして、生産拠点となっていることを、もっと宣伝してくれよ。」
………。
先輩に言われずとも、世界一、のひびきを一人でも多くの石川県民に、いや、日本国民に自慢して歩きたいくらいだ。
石川県にはまだまだ世界に誇る企業が目白押し。
建設機械のコマツは、最近はハイブリッド型の小型ブルやショベルカーなどで他の追随を許さない。今やロシアや中国などの新興国に工場を展開し、売上げを伸ばしている。
ボトリング減菌、充填システムの渋谷工業は、その独自の減菌技術を活用し、再生医療や医薬品の分野で成長を取り込んでいる。
回転すしのシステム開発をした石野産業も、ほぼ独占企業。
ベアリング製造のタイラ鍛造の技術なども、世界の どこも真似のできない技術。
ユニクロの軽くて暖かい、あのダウンジャケットの生地(きじ)も、石川県の産地。
どうだろう。
今や世間は円高空洞化、そしてデフレ脱却の大合唱。
確かにその通りなのだが、競争を勝ち抜いている企業は、いずれもイノベーション、技術革新、逆張りの発想力でサバイバルしている。
本当に日本はダメなのだろうか?
そうではないのではないか?
世界一を目指す、そのフロンティア精神をなくしてしまった企業の、言い訳が不満となって強張されすぎているのではないだろうか。 「二位じゃだめなんですか?」
と仕分けした蓮舫さんは、内閣改造によって本人が仕分けされてしまった。
ブラックジョークだ。
世界一を目指す!
日本に誇りを取り戻す。
その前向きな希望を、政治家こそが、永田町こそが発信すべきなのだ。

(了)