国会がゆれている。
民主党も自民党も二分。
いったい何が国益か?それがわからない。
昨年秋の臨時国会で、いきなり菅総理が、第三の開国というキーワードでTPP参加を表明した。それからだ。
TPPとは、トランスパシフィックパートナーシップの頭文字を重ねたことば。
環太平洋地域経済連携協定。
域内における、高いレベルでの自由貿易協定を結ぶということだ。
具体的には、十年をかけて域内の関税を撤廃し、サービス・物品・役務提供など、全二十一分野における流通、通信、投資などの同一ルール作りである。自由ってそんなにいいこと?
「アジア太平洋地域に、日本がルール作りに参加して、自由貿易経済圏を作る」
「アジア太平洋地域の経済成長の果実を日本にも取り込む戦略」
「貿易自由化で海外市場を拡大する成長戦略」
とまぁ、スローガンには誰もが賛同する。
ただ、日本政府が具体的な情報を公開しないので、次から次へと心配論が国会で噴出。
「TPPは日本のどんな国益につながるのか?」
「TPP参加で日本の雇用は守られるのか?」
「例外なき関税撤廃で、日本の農林水産業の生産者を守れるのか?」
「日本が世界に誇る公的医療保険制度を守れるのか?」
「アメリカ主義に巻き込まれるのか?」
と、素朴な疑問が巻きおこった。
メリットとデメリットが国民に説明、説得されないままに、APECに出発する直前に野田佳彦総理が記者会見した。
その日(十一月十一日の金曜日)は、午前と午後、衆参でTPP集中審議が初めて開かれた。
たった七時間のその審議直後に、「TPP交渉参加に向けての事前協議に入る」
と、参加するかしないかは事前の協議次第というあいまいな表現で表明。
それって、国会の慎重派向けには、
「参加を前提ではない。」
と思わせ、アメリカなどTPP協議参加国に対しては、
「参加のための協議入り」
これぞ二枚舌。
どちらにもいい顔しての、見切り発車。
「とにかく自由貿易経済圏行きのバスが発車するから、行き先の様子は不明だけど、アメリカ様のおっしゃることには間違いあるめぇ。」
という、アメリカ追従型外交の臭いをかぎとったのは、私だけではあるまい。
もちろん、私が野党自民党の一員だから、何でもかんでも民主党政権のやることに反対とか、アメリカの言うことに従うことに反対という、そんなケチなことを言うつもりはない。
でも、ここ最近のマスコミによる「小泉劇場」や「政権交代ドラマ」の演出を見てきた当事者として、財界やマスコミこぞってのTPP参加当然大合唱には、素直に、「はい、そうですよね!」とはうなずけないのだ。
その要因は、いくつかある。
まず、自由貿易経済拡大のまやかし。
ヒト、モノ、カネの自由な交流が拡大すれば、安く、安全で、質の良いサービスや物品が消費者に届けられる。これをグローバリズムというのだろう。
でもそうなると、強者=強国の一人勝ちになってしまわないか?
自由貿易に提供できる資源をたくさん持っている方が、有利だということだ。
石油、石炭、ガス、食料、鉱物。
「持てる国」が「持たざる国」を相手に自由貿易を拡大したらどうなるのか?
言わずと知れた、大国主導のルールで小国のルールを踏みにじり、ローカリズム(地域の特異性)や小国(持たざる国)の伝統・文化を席捲することになってしまう。
果たしてそれで良いのだろうか?
果たしてそれで良いのだろうか?
価格維持政策(日本のコメや牛肉や砂糖や乳製品やこんにゃく)ができなくなったら、どうやって生産者の所得補償をするのか、ということと同時に、競争力拡大(ブランド化や経営規模拡大)できるか、ということ。
(了)