BIGTALK

日本の美的感覚は
世界のどこにもない

駐日エストニア共和国大使館特命全権大使 ヤーク・レンズメント
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APAグループ代表 元谷外志雄

デンマークやドイツ、ロシア、そしてソ連など様々な国の侵略を受けながらも、独自の言語や文化を失うことなく独立を取り戻し、今はEUとNATOにも加盟して発展を続けるエストニア共和国。駐日大使のヤーク・レンズメント氏に、エストニアの複雑な歴史や力を入れている産業、これからの日本・エストニア関係についてなどをお聞きしました。
ヤーク・レンズメント氏

1966年生まれ。ベラルーシ国立大学で哲学などを学び、1991年に卒業。1993年に外務省に入り、キエフやモスクワ、ハーグ、ウィーンに駐在。2010年に駐ベラルーシ大使。2014年から駐日大使に。

歴史的な理由からエストニアはドイツ的な国
元谷 今日はビッグトークへのご登場、ありがとうございます。これまでも数多くの駐日大使の皆さんと対談を行い、意見交換やお国の紹介を行ってきました。このApple Townの発行部数は七万部ですから、多くの人々にエストニアのことを伝えられると思います。
レンズメント お招きいただき、ありがとうございます。この対談に先駆けて、アパグループや代表のことを予習してきました。素晴らしい事業を展開されていると思います。今は二〇二〇年の東京オリンピックに向けての計画で、頭がいっぱいなのではないですか?
元谷 事業へのご理解、ありがとうございます。今年から第二期中期五カ年計画をスタートさせていて、東京オリンピックや海外進出を視野に入れた事業計画を進めているところです。
レンズメント それは期待できますね。
元谷 まず今日は大使のお国のことを。エストニアという国の基本的な情報を教えていただけますか?
レンズメント はい、わかりました。エストニアはバルト海に面した国で、海を挟んで北にフィンランド、西にスウェーデン、そして東はロシア、南はラトビアと国境を接しています。国土の面積は約四万四千平方キロメートルで、北海道の半分より少し大きいといったところです。人口は沖縄県とほぼ同じ百三十万人ですから、人口密度はあまり高くありません。
元谷 言葉は何語を話しているのですか?
レンズメント エストニア語というエストニア人独自の言語です。フィン・ウゴル語派に属する言葉で、フィンランド語に似ています。 元谷 独自の言葉があるというのは、国への帰属意識を非常に高めます。日本も日本語という独自の言語を持ち、さらに「言霊」という哲学で言葉を大切にしてきました。日本人しか使わない日本語ですが、日本民族の結束の要になっています。
レンズメント 確かにエストニア人のアイデンティティを考えるのに、エストニア語の存在は非常に重要です。日本語とエストニア語の共通点は二つあります。どちらもその国でしか話されていないことと、単語に性別がないことです。英語にもありませんが、フランス語やスペイン語やドイツ語の単語には性別があります。
元谷 そうですね。エストニアと同じくバルト三国のラトビアとリトアニアではまた言葉が異なるのでしょうか?
レンズメント はい。それぞれラトビア語とリトアニア語を話します。この二つの言葉は似ているのですが、エストニア語のフィン・ウゴル語派ともロシア語などのスラヴ語派とも異なり、バルト語派に属しています。
元谷 エストニアは度々他国に占領された歴史を持っています。例えばソ連に併合されていた期間も長い。その時にロシア語を強要されて、エストニア語を失うということはなかったのでしょうか?
レンズメント 第二次世界大戦後のソ連併合時代には、ソ連から多くの移民を受け入れ、言葉がいろいろと重要な問題となったのですが、エストニア語が失われることはありませんでした。言語の問題は歴史とも絡んで、いろいろ複雑なのですが…。
元谷 エストニアの歴史を見ると、他国に占領されていた期間も長く、かなりの紆余曲折があったように見受けられます。
レンズメント エストニア人は紀元前から今の土地に暮らしていたのですが、十三世紀以降、デンマーク、ドイツ騎士団、ポーランド、スウェーデンの支配を受けます。しかし勢力を伸ばすロシア帝国に屈して、一七二一年のニスタット条約によって、スウェーデンはエストニアをロシアに割譲しました。しかしそもそもドイツ騎士団が征服した土地ということから、ロシア領になる前からずっと多数のドイツ人が流入してきていて、何世紀にも亘ってバルト・ドイツ人と呼ばれる少数の人々が支配層・富裕層を形成するドイツ的な国だったのです。ロシア領になってもそれは変わりませんでした。
元谷 ロシア領でありながら、ドイツ的だったのですね。
レンズメント はい。ロシア革命勃発直後の一九一八年、エストニアは独立を宣言し、一九二〇年ロシア共和国(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)もこれを認め、約二十年間の第一共和国の時代となります。しかしそれも長く続かず、一九四〇年にバルト三国は全てソ連に占領され、独ソ戦の開始とともに一九四一年、ナチス・ドイツに占領されます。このドイツ占領時代に入る二年前にはエストニアからドイツ人を退去させる動きが始まっていたため、一九四四年にソ連が再度エストニアを占領した時には主だったドイツ人はすでにいませんでした。そしてソ連は一気に、ほんの少ししかいなかった残りのドイツ人をも追い出します。その後一九九一年まで事実上ソ連領となりますが、この時代のソ連の影響力よりも、やはりドイツの影響力の方が大きかったのが、エストニアの忘れてはならない特徴です。 元谷 では、今エストニアを訪れても、様々なところでドイツ人の名残を観ることができるのですね。
レンズメント はい。特に文化面では今日でもドイツ的なものが多いです。
NATOの一員としてイラクにも派兵し犠牲者も

元谷 エストニアではどの宗教を信じている人が多いのでしょうか。

レンズメント ドイツ人はプロテスタント系、ソ連人はロシア正教系と、異なる宗教が主流でした。複雑な歴史の中で、エストニア人の宗教心はかなり薄れてきました。エストニアに住んでいる人々の中で比較的信者が多いのは正教系で、私もこれを信じています。しかし普通のエストニア人はあまり宗教には関心を持っていません。

元谷 社会主義のソ連占領下では、宗教は禁止されたのですか?

レンズメント 禁止はされませんでしたが、弾圧は行われました。ただソ連への反抗心から逆に教会へ行くという人も多かったですね。 元谷 なるほど。そんな複雑な歴史を辿ったエストニアの強みとは何でしょうか?

レンズメント エストニア人がいて、エストニア語という言葉があり、エストニアという国があることが一番の強みでしょうか。多くの国がソ連に占領されましたが、その中でもエストニアが一番自由な空気が残り、ソ連の影響が少なかったのです。

元谷 ソ連が崩壊して再び独立した後は、順調に西側諸国の仲間入りを果たしています。

レンズメント そうですね。二〇〇四年からEUとNATOに加盟し、二〇一一年には通貨がユーロに。二〇一〇年にはOECD(経済協力開発機構)に加盟しました。

元谷 ロシアのプーチンからすれば、バルト三国などかつてはソ連だった東欧圏の国々が、どんどんNATOに加盟しているのは脅威でしょう。今のウクライナ紛争は、隣接するこの国がNATO入りするのを避けたいというロシアの思惑が原因です。クリミアの併合も、ロシアの黒海艦隊の拠点を失いたくないからでしょう。ロシアと国境を接しているエストニアがNATO入りできたというのは、様々な要因がエストニアに味方をしたということではないでしょうか。

レンズメント プーチンは当然公には認めないと思いますが、ロシアが防衛上の必要からクリミアを併合し、ウクライナで様々な活動を行っているのは確かでしょう。

元谷 エストニアはイラクにも派兵し、犠牲者も出しています。NATOの一員として、独立国家として、当然果たすべき義務を果たしていると思います。日本もエストニアのように、コストをかける覚悟で集団的安全保障に貢献しなければならないでしょう。いつまでも日米安保があるから、平和憲法があるから日本だけは永遠に平和なのだと考えていると、日本は恐ろしい事態に陥ることになります。

レンズメント 集団的安全保障に関しては、代表のおっしゃる通りです。現代の国際社会の一員として、義務は果たさないと。 元谷 本来日本もエストニアも全く同じなのに、日本には義務を果たそうという国家的な意志がなく、国が機能不全に陥っています。

レンズメント とはいえ、第二次世界大戦後の七十年間、日本が全く何もしなかったということはありません。私は日本は世界の平和と繁栄のためにいろいろと努力をしてきたと考えています。日本に来る前に私はベラルーシの首都・ミンスクに赴任していました。ベラルーシはチェルノブイリの原発事故で多くの犠牲者を出した国です。この国に対して、日本は世界のどの国よりも熱心に、金銭的にもそれ以外にも援助を行いました。そのことを日本人はもっと大きな声で世界中に伝えるべきです。

元谷 全く同感です。ただ私が気になるのは、チェルノブイリと福島を同じように語る人が多いことです。その原因は民主党政権が、強制避難や除染に関して誤った判断を行ったからです。二〇ミリシーベルトで強制避難を行ったために、お年寄りやご病気の方など多くの人々が災害関連死として亡くなりました。除染の基準を一ミリシーベルトとしたために、膨大なコストと人手が必要になっています。科学的にわかっているのは、一〇〇ミリシーベルト以下の放射線を浴びてガンが発生したケースはほとんどないということです。冷静に福島の事故をチェルノブイリと比較する必要があります。チェルノブイリでは原子炉自体が爆発したのですが、福島では燃料棒を覆うジルコニウムが水と反応して水素が発生し、それが建屋に溜まって爆発したのです。見た目は激しいですが、その内容は全く異なります。シェールオイルの開発によって供給過剰となった石油を日本に買わせたいアメリカと石油メジャーは、わざと福島の事故に対する日本人の不安を煽って原発の再稼動を止めさせ、日本に石油を買わせようとしたのです。このように世界では絶えず情報謀略戦が渦巻いています。日本にもっと情報を分析する能力が必要ではないでしょうか。

日本もエストニアも主な資源は人の頭脳です

レンズメント 代表が仰ることもよくわかります。しかし、世界は援助すべき国に援助をしている日本のことを、素晴らしいと考えていますよ。

元谷 世界の中には、日本の援助を受けていながら感謝しない国が二つあります。事実で日本を責めるならまだしも、彼らが主張していることは捏造です。

レンズメント どの国でも隣国とは、いろいろあるものですが…。 元谷 私は今、理論物理学ならぬ『理論近現代史学』という本を書いています。右や左ではなく、論理的に歴史を考えることが今求められていると思うからです。例えば人口二十万人の南京で、三十万人が虐殺され、その一カ月後の人口が二十五万人だったというのです。そんなことはあり得ない。また男性達が抗議もせず暴動も起こさないようにしながら、朝鮮半島で二十万人もの女性を強制連行、性奴隷にするということも、論理的に考えればあり得ない。そういう考え方に基づく歴史の見方を綴っています。

レンズメント 書き上がったら是非読んでみたいですね。歴史というのは哲学でもありますから、様々な考え方が可能です。必ず感情も絡んできます。 元谷 ただ、イデオロギーではなく、まず論理的に事実を検証してみる必要があると思うのです。

レンズメント それは同感です。

元谷 エストニアの話に戻しましょう。産業ではどの分野が強いのでしょうか。ITが非常に強いともお聞きしていますが。

レンズメント 仰るとおりで、IT立国を国策として進めていて、行政機関から銀行、企業、医療まで、あらゆることがオンラインで処理できるようになっています。エストニアは世界中で最も進んだインターネット社会のひとつです。これは前向き思考の政府、先進的な情報通信技術、流行に敏感で豊かな技術知識を持つ人々の連携によって生まれた、驚くべきサクセスストーリーです。この成功のお陰でエストニアの人も国も、他では夢でしかない様々な情報技術による生活を享受しています。また、このIT分野で日本ともよい関係を築いています。日本もエストニアも主な資源は人の頭脳です。ともに協力して、二十一世紀のIT業界をリードしていきたいと考えています。

元谷 その方針には私も共感します。日本は先端科学技術と先端医療技術を磨き、さらに観光大国を目指すべきだと考えています。

レンズメント 観光大国というのは、私も納得です。日本の美的感覚は世界のどこにもないもの。これを全ての日本人が持っているところが凄いですね。

元谷 長い歴史と四季豊かな自然が日本人の感性を育てたのでしょう。しかし日本人自身がその素晴らしさを理解していないのです。

レンズメント 私も季節の移り変わりを楽しんでいます。

元谷 桜の花見シーズンに日本を訪れる海外の観光客がどんどん増えていて、この季節のアパホテルの稼働率は一〇〇%です。

平和を志向するのであれば軍事力を疎かにしては駄目

レンズメント エストニアにも昔に比べて多くの日本人観光客が訪れるようになりました。

元谷 エストニア観光の見どころを教えてもらえますか?

レンズメント エストニアは小さいので、短期間で多くのものをご覧いただけます。まずは中世の街並みがそのまま残っている首都のタリンでしょう。一九九七年には世界文化遺産に登録されています。その他にはバルト海に面したリゾート地であるパルヌや、エストニア第二の都市であるタルトゥがお勧めです。都市の近郊には多くの森や魅力的な自然の営みがあり、長く複雑に入り組んだ海岸線や島々、湿地、湖沼もあります。スパや健康ツーリズム、自然や自然派ホリデーなど夏休みにも冬休みにも楽しめる所です。島めぐりやバードウォッチングはエストニアでできる多くの体験のうちのほんの二つの例にすぎません。また、エストニアは不純物を含まない新鮮で美味しい食べ物が好きな人々にとって最適な訪問先でもあります。世界一きれいな空気と独り占めできる空間があります。様々な文化イベントやユニークな音楽祭、感動を与えるデザイン、そして伝統的で質の高い手工芸品があります。皆さんは把瑠都関や歌の祭典やスカイプはご存じだと思います。でもエストニアにはさらなる発見があります。日本からエストニアを訪れる観光客は年々大きな伸びを示しています。

元谷 訪問するのに一番良いのは、いつ頃でしょうか。

レンズメント 六月ですね。エストニアの短い夏は暑いのですが東京ほどではありません。夏は空が青く気温は摂氏三十度に達することもありますが、平均気温は十六・四度と非常に過ごしやすいです。六月は白夜のシーズンでもあり、深夜まで明るいですよ。昼光が十九時間続く日があります。タリンには、東京、大阪、名古屋からフィンランドのヘルシンキ経由の飛行機で行くことができます。これが、日本からヨーロッパへの最短ルートです。タリンはヘルシンキから最も近い首都で、両市はロジスティック面でうまく機能しています。ヘルシンキからタリンまでは約八十キロメートルですので、飛行機ならあっという間に到着します。海からタリンに入ることも観光客には人気です。船旅は効率的な移動をしながらクルージングの楽しみも実現することができるのです。タリンとヘルシンキを結ぶ海路は、世界で一番活気のある国際航路のひとつです。フェリーで約二時間の道のりですが、晩春から晩秋までの間には一時間半で渡れる高速船も運行され、旅行の時間を短縮することができます。 元谷 国土は山がちなのでしょうか? それとも平野なのでしょうか。

レンズメント ほとんど平野です。エストニアの一番高い山でも、標高三百十八メートルしかありません。

元谷 ではきっと農業が盛んですよね。

レンズメント はい、酪農が盛んです。最近日本の丸紅がエストニアの乳製品メーカーと契約を交わしました。もうすぐエストニアのチーズなどが、日本でも売られることになると思います。

元谷 資源は何か出るのでしょうか。

レンズメント オイルシェールと呼ばれる油母を多く含む岩石が取れます。エストニアの戦略的エネルギー源となっています。エストニアのオイルシェール産業は世界で最も発展した産業の一つで、世界中のオイルシェール火力発電所のうち最大の二つがエストニアにあります。 元谷 エネルギーも含め、ロシアへの依存も多いと思うのですが、ソ連崩壊後は独立をし、高い経済成長率と堅実な財政で「ユーロ圏の優等生」と呼ばれるまで発展してきました。国民性として独立心が非常に強いのでしょうか。

レンズメント ソ連の占領は約五十年に亘りました。現在のエストニア共和国は一九一八年の独立によって生まれた共和国の延長線上にあると考えています。一九九一年の独立回復から二十四年、今何らかの避けられない課題に直面せざるを得ないこともあります。でも大概は自由を実感しています。

元谷 エストニアの複雑な歴史は他国と陸続きの国ゆえのものだと思います。日本はその点、海が防御壁となってくれた。陸続きなのに言語や文化、そして独立を保つのは、大変な苦労だったと思います。先日京都大学の大学院生であるウクライナ人のグレンコ・アンドリーさんが関西勝兵塾で話をしてくれたのですが、ウクライナはかつて世界第三位の核戦力を持つ軍事大国でしたが、平和を志向して、非核三原則を作って核兵器を廃棄し、通常兵器もソ連時代から大幅に軍縮を行いました。その結果がクリミアのロシア併合とウクライナ紛争です。ウクライナからの教訓は、平和憲法では戦争を回避することはできないということ。実際には日米安保があったから、日本は戦争に巻き込まれなかったのです。しかしNATO入りができなかったウクライナとは異なりロシアを相手にNATO入りして独立を維持するエストニアは、やはり素晴らしい。

レンズメント 軍事力と紛争については代表の仰る通りだと思います。ただウクライナとエストニアでは、状況が異なります。エストニアもロシアと全てが上手くいっているわけではありません。エストニアとロシアの国境問題のように比較的上手く協力関係を成し得たものもありますが、お互いに異なっているところもあるのです。二〇一四年にようやくロシアとの国境画定条約の調印に至りましたが、論争は二十年以上も続いてきました。事実、それは二国間にとっては大きな前進でしたが、注目すべき点は、その条約がロシア内での雰囲気が変わる直前に締結されたという事です。つまりウクライナ危機と関係しているのです。

元谷 ウクライナ問題ですが、そもそもの始まりは民主的に選ばれたはずの親露派のヤヌコーヴィッチ大統領が、民衆のデモという非合法な手段で追放されたことです。これ自体が問題だと思います。

レンズメント ウクライナ議会に於けるヤヌコーヴィチ大統領職解任の投票が真の転機でした。 元谷 エストニアも大統領制です。任期は?

レンズメント 実際のところウクライナは二〇一四年二月まで大統領制の下の共和国でしたが、エストニアはそうではありません。エストニアは議会制共和国であり、一人の人間に権力集中することを避けているのです。そのためエストニアの大統領はほとんど象徴的な存在で行政権は持っていないのです。エストニア大統領の任期は五年で三選はありません。

元谷 最大十年大統領職に就けるということですね。国のことを動かすには、それぐらいの期間は必要でしょう。レンズメントさんは駐日大使となって、どれくらいでしょうか?

レンズメント 八カ月です。あと三年はいます(笑)。

元谷 ではその間に日本中いろいろとご覧になって、さらに日本とエストニアの友好関係に貢献していただければ。最後にいつも「若い人に一言」をお伺いしているのですが。

レンズメント まず第一に大切なのは、勉強をしてくださいということです。そしてそれを全うすることです。学ぶ習慣や時間管理能力がつき自己鍛錬にもなります。

元谷 知識だけではなく、議論して考えることを学ぶのも重要ですね。

レンズメント その通りです。良い教育は基礎的な知識だけでなく、正しい判断能力や社会で生きる上でのスキルをも与えてくれます。人間関係や家族関係を大切にして欲しいと思っています。

元谷 私も全く同感です。今日はいろいろと素晴らしいお話をありがとうございました。