BIGTALK

リスクを踏まえつつ、 科学的な見地から 物事を判断すべきだ

バルカン半島の社会主義諸国の中でも反ソ連の独自路線を歩み、「鎖国の国」として知られていたアルバニア共和国。ソ連崩壊後の民主化への道は苦難なものであった。NATOへの加盟を果たし、さらにEU入りを目指しているアルバニア共和国駐日大使のディダ・ブヤール氏に、アルバニアの歴史や日本との関係、また科学者でもある氏から見た原発事故などについて、お聞きしました。

日本滞在は素晴らしい経験 仙台は私にとって第二の故郷
一九二二年から続く日本とアルバニアの関係

元谷 本日はビッグトークへのご登場、ありがとうございます。ブヤールさんは、アルバニア大使となられてもう何年になりますか?
ブヤール 丸四年になりました。今五年目です。
元谷 以前ワインの会にお越しになった時に、東北大学に留学されていたというお話をお聞きしました。日本との関わりは、もうかなり長いのではないでしょうか。
ブヤール 一九九五年、日本とアルバニアの科学技術交流のために文部省研究者として来日、東北大学に四年半在籍して研究を行い、二つ目の博士号を取得しました。仙台での生活で、私はもちろん妻や息子もすっかり日本が大好きになりました。その後アルバニアに戻ったのですが、日本とアルバニアの橋渡し的な仕事を続け、二〇〇〇年から在アルバニアの日本国名誉総領事となり、これを九年間務めました。そしてアルバニア初の駐日大使として二〇〇九年に日本に再びやってきたのです。いろいろ合算すると、日本とはもう十九年間、関わり続けていることになります。
元谷 それは長いですね。もう日本文化についても、随分お詳しいでしょう。
ブヤール そうですね。日本滞在は私の人生にとって素晴らしい経験になっています。日本、中でも最初に暮らした仙台は、第二の故郷と言っても過言ではありません。まず科学者として日本にやってきましたが、その後のアルバニアでの名誉総領事としての仕事から、専門外だった日本の政治や経済などについても様々な研鑽を積むようになりました。妻と息子のサポートも大きかったですね。
元谷 奥様はワインの会に一緒にいらっしゃいました。
ブヤール その時にもお話したのですが、妻は仙台で集中講座を受けて日本語が上達し、二〇一二年に、日本語‐アルバニア語のものとしては初めてとなる辞書を出版しました。これは妻が十二年掛かりで編纂したものです。同じく仙台で日本の文化や日本語に触れた息子もその後語学や情報科学の勉強を続け、日本語本の出版に携わっています。
元谷 素晴らしいご家族です。アルバニアと聞いて、どこにある国か、すぐにイメージできる日本人は、残念ながら極めて少ないと思いますし、国自体についてもなかなか知られていないのが現状です。私も昔ドゥブロヴニクなど旧ユーゴスラビアを訪れたことはあったのですが、アルバニアまでは足を伸ばせませんでした。バルカン半島のアドリア海とイオニア海に面した側にあるのですね。
ブヤール はい、その通りです。イタリアとアドリア海を挟んでいる感じですね。北側はモンテネグロとコソボ、東はマケドニア、南はギリシアと国境を接しています。
元谷 第二次大戦後は社会主義国家となりますが、ソ連と激しく対立し、鎖国状態だった時代もあるなど、アルバニアは激動の歴史を辿ってきました。まず日本とアルバニアの関係には、どのような歴史があるのでしょうか。
ブヤール 日本とアルバニアの外交関係は、非常に長く、一九二二年四月に遡ります。両国とも、国際連盟(今日の国際連合)の加盟国として交流を深めてきました。一九三〇年六月二〇日には初の貿易協定が結ばれ、大阪にアルバニアの総領事館ができたのは一九三五年のことです。当時、経済に関しては東京よりも大阪の方が活発だったため、ここに総領事館を作りました。しかし一九三九年にイタリア軍がアルバニアに進駐、アルバニア国王にイタリア国王が即位すると、「二つはいらない」ということで、ティラナにあったアルバニア総領事館は閉鎖されてしまいます。その後、第二次大戦後にアルバニアが社会主義国となったこともあって、日本を始めとする世界の国々と国交の無い「睡眠状態」が続きました。
元谷 なぜ睡眠なのですか?
ブヤール それは、あくまでも当時の政治体系の違いであり、そのことで日本とアルバニアが対立して国交を断絶したわけではないからです。実際鎖国路線から開放路線へ移行していく過程の一九八一年三月に、日本とアルバニアは国交を回復しました。二〇〇五年一一月に駐日大使館が開設され、二〇〇九年四月に初めての大使として私が着任したのです。
元谷 大使館は東京・築地の北國新聞のビルの中です。北陸では大きな影響力を持つ金沢本社の北國新聞ですが、社長の飛田さんは私の友人なのです。二〇〇五年に開設されたばかりの時に、一度訪問したことがあります。
ブヤール はい、今も大使館は北國新聞ビルの中にあります。飛田さんは二期に渡りアルバニアの名誉総領事を務められ、大変お世話になりました。
 

かつての火薬庫から一変 協調路線のバルカン諸国

元谷 歴史の話に戻しますが、中世から四百年間、アルバニアはオスマントルコの支配下にあったとお聞きしています。一九一二年に独立して、二〇一二年には独立百周年の記念式典が行われたとか。
ブヤール はい、そうです。独立したものの、二度のバルカン戦争、そして第一次、第二次世界大戦など、不安定な時代が続きます。第二次世界大戦が終わると、エンヴェル・ホッジャを首班とする後の共産・社会主義政権によって、アルバニア人民共和国の設立が宣言されます。社会主義陣営内で中ソ対立が深まり、陣営内の諸国の独立性が弱められる中、一九六一年には反ソ連の立場をとって中国側を支持。その後、中ソ対立や社会主義陣営の立場を踏まえた政治的な判断からワルシャワ条約機構を離脱し、ソ連、さらに後には中国や旧社会主義諸国との関係も断ち、世界からの孤立を深めていきました。しかし一九八五年のホッジャの死後、ラミズ・アリアが政権を担当し開放路線を取りました。これは、社会主義陣営内の諸国、そしてアルバニア自体も政治的・経済的危機に陥っていた状況を踏まえてのことでした。そして一九九一年、国名をアルバニア共和国に変更します。
元谷 「社会主義人民」が国名から取れ、民主主義国家への道を歩み始めたということですね。
ブヤール そうです。一九九二年の選挙ではアルバニア民主党が圧勝し、戦後初の非共産政権が誕生しました。そこからアルバニアは民主化の道を進み、五二もある政党がそれぞれ政策を掲げて争う民主的な選挙により政権が決まります。二〇一二年の大統領選挙で選出されているのは、民主党のブヤール・ニシャニ大統領でしたが、二〇一三年の選挙では、社会党が主軸となった十四の政党からなる「同盟」が勝利して政権交代となり、現在国を率いているのはこの社会党の連立政権です。
元谷 鎖国時代から考えると、大きく変化した感があります。
ブヤール 一番大切なことは、国境を守り人々の生活の安定を図ることだという合言葉のもと、鎖国の問題は国民の目から逸らされていたのです。アルバニアの共産主義政権は、これには成功していました。ソ連や中国の内政干渉をきちんと跳ね除けることができたのですから。当時の発展を考えると、イデオロギー重視というよりは、国家にとって当時は共産主義がベストだったということでしょう。この時代に国境を守ることができたから、今のアルバニアがあります。
元谷 なるほど、共産主義に関してそういう見方もありますね。ただ鎖国時代は経済的には厳しかったはずです。その後の民主化によって、急速に経済が発展して豊かになったのではないでしょうか。
ブヤール まさにその通りです。経済の軸が中央集権型から自由貿易主義に完全に移行したことは、間違いありません。その流れにおいて、日本からの投資も求めています。そのためのパンフレットを、JICAと共同で作成しているところです。アルバニアは日本を重要なパートナーと考えていて、昔から日本人がアルバニアに入国する際にはビザは不要なのです。
元谷 それは凄いですね。
ブヤール 一九三七年の協定によってそう定められました。一方で、アルバニア人が日本に入国するためには、未だにビザが必要なのですが、観光と貿易の一層の発展のために、この状況を改善すべく努力しています。
元谷 かつてバルカン半島はヨーロッパの火薬庫と呼ばれる紛争地域で、実際に第一次世界大戦はここから始まっています。今はどうなのでしょうか?
ブヤール 確かに昔は火種がたくさんあったバルカン半島ですが、今の状況は異なります。アルバニア、ギリシャ、スラブというバルカン半島の三大民族がバラバラで対立していたのですが、それも現在は収まり、問題には対話による解決がなされています。それぞれの国がNATOやEUの加盟を目指して、民主化や開放経済を行い、それぞれの国の独立性や価値観を認めながら、協議によって問題を解決していっているのです。
元谷 紛争の可能性は少ないということですね。アルバニアの軍隊は、現在どれくらいの規模なのでしょうか?
ブヤール 兵員数は約一万四五〇〇人です。アルバニアは二〇〇九年四月にNATOに加盟しています。加盟国の軍隊の規模は、国の大きさによって定められていて、アルバニアもそれに準拠しています。また徴兵制もあります。NATOの一員として、アフガニスタンにも出兵しました。現在は物事の実態が把握しやすくなり、ネット上にも沢山の情報が載っていますね。
元谷 二百八十五万人の人口に対して兵員数が約〇・五%ですから、かなり多いですね。日本の場合、人口に対する自衛隊の兵員数は〇・一八%です。ウクライナでは、ロシア系住民が多いクリミア半島が独立を宣言、さらにロシアに併合されました。同じ民族が住んでいても、現状の国境を守るのが今の国家間のルールです。ワインの会では、アルバニア共和国の人口は二百八十五万人ですが、世界にはそれ以外に五百万人のアルバニア人がいると教えていただきました。特にコソボには約百七十万人のアルバニア人がいて、人口の約九割を占めているそうですね。アルバニアとコソボの関係はどうなのでしょうか?
ブヤール 大変良好です。もちろん国境があるのですが、パスポート無しで国境を行き来することができます。コソボもEUへの加盟申請を行うなど、国同士として行動を共にすることも多いですね。ただお互い、国家の独立は尊重しています。他のバルカン諸国間でも、六~九月の夏季には、シェンゲン協定により、パスポートなしで移動が可能です。観光客の誘致にも力を入れています。
元谷 ではアルバニアがロシアのような行動を取ることは、ないわけですね。
ブヤール ご質問の意図を正確に理解できているかどうか分かりませんが、アルバニアが他国に進出したり、併合したりするために戦争をすることはあり得ません。アルバニアという国はコソボをはじめとしてアルバニア人の多い国に囲まれていますが、だからといって他国を脅かすことは絶対にないのです。また、周辺諸国からの少数民族もアルバニアに住んでいますが、そのことが戦争に結びつくということもなく、むしろ彼らがあらゆる方面での多族的間の協力の強力な橋渡しになっています。それはバルカン半島の他の国も同じ。今のバランスは強化することこそあれ、崩すことはありません。
元谷 なるほど。よくわかりました。
 

ウクライナではEUやアメリカに対して ロシアがバランスを取ろうとしている
ウクライナ情勢の今後は「バランス」がポイントだ

元谷 ブヤールさんとしては、今のウクライナ情勢をどう見ていますか?
ブヤール 毎日状況が変化しているのですが、混乱がエスカレートしてきているのを、非常に憂慮しています。ウクライナについてアルバニアは、NATOや国連の一員としてのスタンスを維持しています。
元谷 それはNATOや国連と同じ考えということですね。
ブヤール その通りです。ウクライナという国の場所は、地政学的に見て非常に難しいところです。だからこそバランスが重要なのですが、今はおかしな方向へエキサイトしていっているように思えます。
元谷 ロシアのプーチン大統領の意欲が露骨に表れています。今は力によって他国を併合する時代ではありませんが、ロシアはクリミアを併合しました。さらにウクライナ東部にまで手を出そうとしています。これは大きな問題ですね。
ブヤール おっしゃる通りなのですが、先ほどお話したように、ウクライナは歴史的に地政学的な要衝なのです。今でも数多くの原発が稼働している原発大国でもあります。この国に対して、EUやアメリカの影響力が強まってきたことに対して、ロシアはバランスを取ろうとしているのでしょう。
元谷 確かにそういう見方もできます。エネルギーからの視点も必要でしょう。ウクライナはロシアの天然ガスに依存していますから、強いことを言いにくい立場にいます。エネルギー分野でのロシアからの独立を目指して力を入れていたのが、原子力発電です。ウクライナはチェルノブイリの原発事故という過去を持ちながらも、二〇三〇年までに原発での発電量を現在の一・五倍にする計画を持っています。一方日本では、原子炉が稼働中に爆発したチェルノブイリとは全く異なる福島第一原発事故の影響で、全ての原発が停止したままです。国にとってエネルギーの安定供給は最優先課題です。すぐに日本の原発は再稼働すべきだと私は考えているのですが、ブヤールさんはどう思いますか?
ブヤール ウクライナの場合はロシアに生殺与奪権を握られているということで、必死に代替案を考えた結果だと思います。確かに日本は全原発が停止していますが、発電に使用する石油やガスの九九%を輸入に頼っていても、経済は上手く回復しています。素晴らしいことだと思います。
元谷 確かにそうですね(笑)。しかし原発が稼働出来ない分、年間四兆円の火力発電の燃料費が余分に掛かっています。もう一つ。アメリカとサウジアラビアの関係が近年悪化しているのは、シェールオイルの開発が原因でしょう。もはやアメリカは中東の石油に頼る必要が無くなっているのです。それなのに、日本がいつまでも中東にエネルギーを頼っていて、本当に大丈夫なのかという問題もあります。さらに日本は世界でも有数の原発技術を保有する国です。今回福島第一原発で事故を起こした原発はアメリカ製でしたが、全く無傷だった福島第二原発は日本製だったのです。事故によってさらに日本の原発の安全性は高まったでしょう。この優れた技術を日本国内でも活用し、また海外へ輸出することが、世界への貢献だと思うのです。そうしないと、韓国や中国の質の悪い原発が発展途上国に流れ、原発事故のリスクが世界的には高まってしまいます。
ブヤール 代表のお考えもわかりますが、原発を効率の良い火力発電や他の代替エネルギー源へと転換していくという手もあります。科学者としての私は、ガスタービンの効率性の改善に関する研究が専門です。今はGTCC(ガスタービンコンバインドサイクル)など、新しい火力発電技術も開発され、エネルギー効率が格段に良くなっています。日本はこの火力発電や他の代替エネルギー源への転換にもっとお金を使うべきなのではないでしょうか。
元谷 その方向も進めていくべきですが、健全に稼働していた安全な原発をすっかり止めたままにして、維持費だけを支払うというのは、非常に愚かなことではないでしょうか。
ブヤール 普通の状態であれば代表のおっしゃる通りなのですが、今の日本の状況から考えると、新しい発電所建設に注力した方が良いように感じています。
元谷 ブヤールさんが感じられているように、世論が再稼働に対して、厳しすぎるのです。
ブヤール 確かに。事故後の放射線量に関しても、少しオーバーに言う方が多い印象があります。状況を把握したいのであれば、放射線に関しても、科学的に正しい情報を得るべきです。
 

歴史問題でも原発問題でも 日本のメディアは全てのことで自虐的だ
若い人は過去に学んで未来に貢献することが大事

元谷 歴史問題でもそうですが、日本は全てのことで自虐的なのです。今回の福島第一原発の事故の処理においても、除染の基準がなし崩し的に年間一ミリシーベルトになっています。事故の影響がない地域でも、日本では平均年間約四ミリシーベルトの放射線の被曝がある中で、一ミリシーベルトを基準にするのはナンセンスです。人間には修復能力がありますから、一時期に大量の放射線を浴びなければ大丈夫。年間二十ミリシーベルトで避難というのも、過剰反応です。多くの方が放射線ではなくストレスで亡くなりました。
ブヤール 代表の認識は正しいと思います。
元谷 日本でいう高濃度汚染水も、適正に処理すれば海に出して良いレベルのものなのに、溜め込んでしまっているから問題になるのです。どれもこれも、メディアの報道がおかしいから、世論もおかしくなり、どんどん自虐的な対応しかできなくなっています。
ブヤール 東日本大震災と福島第一原発の事故の直後には、東京を脱出しなければという話が海外から来て、日本に滞在している外交官やビジネスマンの間に強く流布しました。非常に大げさな対応だったと思いますが、安全な国という日本の評価は大きなダメージを受けました。私は三・一一直後も大使館を一度も閉めませんでした。放射線測定も自分でやっていましたし(笑)。全く問題は無いことがわかったので、アルバニア国民や友人達に、状況を把握し協力するよう求めました。
元谷 フランスやアメリカなど核保有国が、あえて大げさな対応を行って他国の不安を煽ったのです。核保有国は日本から原子力を取り上げようとしていますから。駐日大使など海外のリーダーとお話していてよく言われるのは、なぜ日本の政治家や官僚はみんな法学部出身なのかということです。海外にはブヤールさんのように、理系出身の人が国の中枢部で働いていることが多いですね。日本ももっと理系の人材を重用し、科学的根拠に基いて、確率計算を踏まえたリスクから物事を判断できる政府を作るべきです。「放射線怖い」という感情論だけで、どれだけ国富を失っているか。
ブヤール いろいろ批判されていましたが、日本の外務省はきちんと放射線のデータを各国の大使館に提示し送っていて、誰もがそれから対応を判断できる状況でした。外務省は立派だったと思います。私は浜岡原発も視察しましたが、全く問題ない。再稼働しても大丈夫だと思いました。
元谷 ブヤールさんはやはり科学者ですね。非常に理性的に物事をご覧になっています。私も全く同感です。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
ブヤール 若い方だけではなくシニアの方にも言いたいのですが、日本は豊かな文化と優しく勤勉な国民性で知られています。三・一一のような出来事があり尚更、自分達に何ができるかを考えて日本に貢献して欲しい。あと特に若い方は、日本の貴重な遺産を守ってより良い未来を築いて欲しいですね。日本の「先人たち」は、偉業を成し遂げてきたのですから。
元谷 その通りですね。今日は本当にありがとうございました。
 

ディダ・ブヤール氏
1985年アルバニアのティラナ大学で化学を学んだ後、民間企業を経て、1993年からティラナ大学で教授として教鞭を執る。1994年にはティラナ大学で、1999年には日本の東北大学で博士号を取得。2000年からアルバニアの日本国名誉総領事に就任。2009年に駐日アルバニア共和国大使館の特命全権大使に就任。

対談日:2014年4月25日