BIGTALK

缶詰愛国主義は駄目 海外に飛び出し 真の愛国心を

来日して二十二年。国際基督教大学の教授でありながら、昨年駐日アルメニア大使に就任したグラント・ポゴシャン氏。ユダヤ人同様、世界中で自分達の文化を維持しながら活躍しているアルメニア人の民族性や豊かな文化、そして波瀾万丈な歴史など、日本人にとっては未知の国であるアルメニアについて、幅広いテーマに亘ってお聞きした。

国内には三百万人、国外には七百万人 世界中で活躍するアルメニア人
虐殺という歴史を抱える
トルコとアルメニアの関係

元谷 
本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。
ポゴシャンさんはもう日本が長いですから、日本語で対談ができますね。こちらに来られて何年になりますか?

ポゴシャン 大学の教員として来日して二十二年です。連続して住んだという意味では日本が一番長く住んでいる国になってしまいました。最初に日本に来たのは一九八七年で、その時は一年間だけ滞在しました。まだアルメニアがソ連邦の一共和国だった時です。ゴルバチョフ書記長の時代ですね。

元谷 当時、国外に出るのは難しかったのではないでしょうか?

ポゴシャン おっしゃる通りなのですが、ペレストロイカの一環として、可能性はとても小さいですが、若い研究者向けに国外で学ぶチャンスがあり、私もいろいろと応募してやっと日本行きが決まったのです。

元谷 ペレストロイカ! 懐かしい言葉です。八七年というと、日本はバブル真っ只中だったでしょう。

ポゴシャン いい時代でした。楽しいことが沢山ありました(笑)。

元谷 (笑)ポゴシャンさんのご専門は何なのですか?

ポゴシャン 数学と情報科学です。二回目に来日してから、私は国際基督教大学の教員として、数学とITの分野で研究と教育を行ってきました。そして昨年の五月に駐日大使となったのです。

元谷 今日はそんなポゴシャンさんにアルメニアについていろいろお聞きしたくて、お越しいただきました。ほとんどの日本人がアルメニアについて、あまり知識がないと思うのです。

ポゴシャン 代表のおっしゃる通りです。私がビジネスマン向けに最初に行ったセミナーのタイトルは、「未知の国・アルメニア」でしたから(笑)。

元谷 そもそも場所がわからない人が多いでしょう。

ポゴシャン 南コーカサス地方の黒海とカスピ海の間にあります。西はトルコ、南はイラン、東はアゼルバイジャン、北はグルジアと国境を接しています。アルメニアは古くからある国で、記録に残っているだけでおよそ四千五百年の歴史があります。

元谷 時代時代でいろいろな勢力に翻弄された歴史を持っていますね。

ポゴシャン はい。いわばサバイバルネイションです。小さい国でしたし、地理的な状況から、ローマ、ビザンチン、アラブ、ペルシャ、トルコ、ロシア、そして短期間ではありますがアレキサンダー大王にも征服されたことがあります。今の人口は約三百万人ですが、世界中には一千万のアルメニア人がいます。十二世紀辺りからアルメニア人は世界中に広がり、移住先でネットワークを築き、生活や教育の基盤を固め、信仰を守っていったのです。

元谷 私はアルメニアと聞くと、まず虐殺の悲劇を思い出します。

ポゴシャン そうですか? 残念ながら多くの日本人は、その事実を知らないと思います。一九一五?一六年にかけて、当時のオスマン帝国が、東アナトリアにあるアルメニア高原―ここは現在トルコ領ですが、伝統的なアルメニア人居住区でした―からの強制移住を行おうとしました。この民族浄化の結果、当時の人口の三分の一にあたる約150万人のアルメニア人が虐殺されたのです。今のアルメニアの領土は旧ソ連時代に決まったものですが、それ以前にはもっと広い地域にアルメニア人が住んでいました。私の祖父は二人とも現在はトルコ領である西アルメニアで生まれましたし、曽祖父が虐殺の犠牲になっています。殆どのアルメニア人が一族の中に、この20世紀最初の虐殺における犠牲者がいます。

元谷 人口の三分の一ですから…。今でもアルメニアとトルコの間には、虐殺の影響が強く残っていますね。

ポゴシャン もうおよそ百年が経過しつつあるので、両国間の空気は以前に比べると緊張感に満ちたものではありませんが、虐殺の記憶は決して消えるものではありません。

元谷 近年はアルメニア・トルコ両国の大統領が、それぞれお互いの国を訪問したりして、関係を改善しようと努めています。

ポゴシャン 隣の国ということは変えようがありません。政府と国民の皆が最優先にすべき事項は、アルメニアと隣人であるトルコが外交関係を構築するということです。そのためにはトルコ政府を含む関係各国、国民が、虐殺という歴史の事実を受け入れなくてはなりません。そのような一歩があれば、二国が友好関係に基づく共通の経済的展望を話し合いやすくなるでしょう。

元谷 アルメニアの虐殺については、先ほどポゴシャンさんがおっしゃったように、殆どの人が一族に犠牲者を持つという事実があります。しかし日本軍が引き起こしたと言われる南京大虐殺に関しては、自分の親戚が犠牲になったと言っている人がいませんし、もちろん犠牲者名簿もありません。事実無根なのです。しかし中国国民党政府から情報謀略戦の一環として流されたデマが、すっかり事実として定着してしまいました。中国共産党の毛沢東も最初は「日本軍のおかげで共産党が政権を取ることができた」と言っていたのに、しばらくすると国民党のプロパガンダの尻馬に乗って、南京大虐殺で日本を責めるようになったのです。

独自の言語を守ることが
民族の文化形成に繋がる

ポゴシャン 歴史の事実を知ることは重要なことです。過去を政治的プロパガンダではなく、世界の国々の平和構築のために利用すべきです。

元谷 私も同感です。日本は一方的に言われっぱなしですよ。安倍さんがせっかく首相になったのですから、もっとはっきりと反論して欲しいですね。

ポゴシャン 明確な事実である場合には、いろいろな歴史的な資料が残っています。広島平和記念資料館を訪れると、膨大な量の写真や資料と向き合うことになります。これらを私達は受け入れて、次世代に伝えて行かないと。そうすることで、同じ悲劇を繰り返さないことができるのです。

元谷 その通りだと思います。ナチスによるホロコースト、カンボジアのポル・ポトの粛清、ルワンダの虐殺など世界中のこのような虐殺事件の現場を訪れると、数多くの写真や凶器や資料を展示した資料館があります。しかし南京大虐殺記念館には、なんら具体的な写真や資料はないのです。虐殺があったというのなら、ちゃんと証拠を見せて欲しいと日本政府は中国に主張するべき。世界中に主張を聞いてもらうためには、日本はもっと経済力を伸ばして、発言力を高めなければならないでしょう。

ポゴシャン 残念ながら、私は南京に関する資料についてあまり知りません。両国の歴史家達は、過去の事実の調査を行い続けねばならないと思います。そのことが、平和と信頼関係を導くことになるでしょう。

元谷 虐殺を乗り越えて、今はすっかり平和な国となっているアルメニアですが、最近六千年前のワイン醸造所が発見されたそうですね。

ポゴシャン はい、そうです。勿論、当時のアルメニアに住んでいた人々のことは良く分からないのですが、この発見は、彼等が何世紀前からもブドウを育てワインを造ってきた事実を伝えてくれます。

元谷 ブドウやワインというのは、とても歴史が古いものだということがわかります。

ポゴシャン しかし、アルメニアの特産品はワインのみではありません。アルメニア・コニャックとしても知られている「アララト・ブランデー」の方がもっと有名でしょう。イギリスのチャーチル首相が愛飲し、年間四百本購入していたといわれています。

元谷 それは美味しそうですね。

ポゴシャン コニャックの原料もブドウですから、古くからのブドウ文化がこの銘酒を作り上げてきたのかもしれません。ブドウの他にもアルメニアを代表する果物といえばアンズです。アンズのラテン語の学名はプルヌス・アルメニアカというのです。アンズは東アジアにもインドにもありましたが、中東やヨーロッパではアルメニアが一番の産地でした。花が咲くと、桜そっくりなのに驚きますよ。アンズの木を使って作った民族楽器が、ドゥドゥクという管楽器です。人を惹きつける独特の音色を出すことができ、近年外国にも広がっています。

元谷 料理や楽器からもわかるのですが、アルメニアには独自の文化が沢山あるのですね。その一つが言語だと思います。アルメニア語が古くから綿々と使われていて、それがあるために民族のアイデンティティが保たれているのではないでしょうか。数々の苦難の歴史を乗り越えることができた源泉は、このオリジナルの言語にあるように思えます。

ポゴシャン そうですね。歴史上様々な試練に耐えてきたユダヤ人は、それによって得た強さから今では世界各地で確固たる地位を築いています。アルメニア人も同じで、苦しい事態を乗り越えようとする時には文化伝統を守って、それを中心に団結していこうという気持ちが強くなるのです。

元谷 日本は周囲を海に囲まれていますから、守るには楽です。しかし内陸の国は周囲からの敵の侵入を受けやすいものです。だからヨーロッパは力の鬩ぎ合いが大変だったのでしょう。そんな中で文化と言葉を守り抜き、民族が世界中で活躍しているアルメニアという国とアルメニア人は凄いと思います。

ポゴシャン ありがとうございます。

元谷 ユダヤ人がイスラエルを建国できたのは、彼らが教育に力を入れたから。お金やモノは没収されればなくなりますが、身に付けた教養や知恵はいざという時にはいつでも持って逃げることができる…という話を聞いたことがあります。アルメニア人についても、同じことが言えるのではないでしょうか。

ポゴシャン おっしゃる通りです。先祖から伝わった技術や科学などを教育によって守っていくという意識は強いですね。ですから数世代に渡って外国にいるアルメニア人も、必ず先祖から伝えられてきた言葉を話すことができます。家の中で家族とはアルメニア語、外では現地の言葉という形です。

元谷 聞けば、アルメニア語というのは非常にユニークな言葉だとか。

ポゴシャン アルメニア語はインド・ヨーロッパ語族アルメニア語派に属するのですが、ここに属するのはこの言語だけです。例えばスラブ語派であれば、ロシア語、ブルガリア語、セルビア語、ポーランド語なと非常に多くの言語が属しています。そういう意味で、かなり特徴的な言葉ですね。

元谷 文字もあるのでしょうか。

ポゴシャン あります。アルメニア文字は、五世紀初期(四〇六年)に、当時のアルメニアの話し言葉に一番相応しい文字をという目的で作られました。それまではギリシャ文字を、もっと前にはくさび形文字を使っていました。

元谷 日本でも中国からの漢字だけでは日本語を表すのに不十分だったので、九世紀にひらがなが作られました。独自の文字を持つことというのは、その国が独自の文化を築くことと密接に関係していると思います。

ポゴシャン 全く同感です。

宗教は人の間に壁を作ってはいけない 人を繋ぐものになるべきだ
どんな宗教に対しても
柔軟な対応をとる日本人

元谷 ところでアルメニアを観光で訪れる場合、最も良い季節はいつになりますか?

ポゴシャン 首都のエレバンの緯度は仙台と同じです。ですから冬は東京より少し寒いですね。しかし夏の最高気温は四十度にも達します。蒸し暑い日本と違って空気が乾燥しているので、日陰に入れば夏でも過ごしやすいですね。一番良い季節は果物や野菜が豊富に出回る秋でしょうか。春の花のシーズンもきれいです。

元谷 首都のエレバンは非常に歴史がある都市だとお聞きしています。

ポゴシャン はい。岩盤にくさび形文字で刻まれた資料によれば、エレバンは紀元前七八二年に、アルギシュティ王が築いた都市です。今からおよそ三千年も前の話であり、ローマよりも始まりは古いことになります。街丸ごとが歴史博物館ですよ。アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教とした国です。エレバン近郊のエチミアジンには世界最古の教会の一つと言われる大聖堂が残っています。大聖堂はその他の幾つかのキリスト教遺跡と共に、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

元谷 かなり早い時期にキリスト教の布教が行われたということでしょうか。

ポゴシャン キリストの弟子である十二使徒のバーソロミューとタダイが、アルメニアにキリスト教を伝えたと言われています。そこから始まったアルメニア教会は、ギリシャ正教やその他のセクトとは異なる古いキリスト教の流れを汲むものです。三〇一年に国王が改宗することでキリスト教が国教となりました。それから一世紀後に、アルメニア文字が作られた時、この新しい文字を使って書かれた初めの書物は聖書でした。それぐらい歴史のあるアルメニアのキリスト教ですから、もう人々の生活やアイデンティティと一体となっています。日本の神道に近い感覚かもしれません。

元谷 ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の一神教を信じる人々同士の争いは、日本人から見るととても不思議です。日本には八百万の神という考え方がありますから、信じる神が異なるからという理由で他の人を排斥することはありません。トルコとアルメニアもこの精神で宗教の壁を乗り越えてもらえれば…と感じるのですが。

ポゴシャン おっしゃる通りです。

元谷 もともとイギリスにいることができなくなったピューリタン(清教徒)が建国した国なのですから、アメリカはそもそもキリスト教原理主義の国なのです。神は白人に奉仕する存在として黒人を作ったというのが彼らの考えですから、どんどん黒人奴隷を輸入して大規模農業を行い、富を蓄積していきました。またネイティブ・アメリカンを迫害して西進を続け、西部に留まらず太平洋に出てハワイからフィリピンに到達します。一方太平洋を抑えるためには日本が障害になることをアメリカは早い段階から感じており、ペリーを日本に派遣して圧力を掛けました。その思惑が成就するのが先の大戦であり、東京湾に停泊したミズーリ号上での降伏文書の調印式の式場には、ペリーが掲げたアメリカ国旗がわざわざ取り寄せられて飾られていたのです。戦後アメリカの占領下で教育制度を改革した日本では、そういったことが一切教えられていません。もちろんキリスト教徒でも心が広く誠実な人はたくさんいるのですが。

ポゴシャン 私はキリスト教者として、宗教によって人の間に壁を作ってはいけないと学生に教えてきました。宗教は人を繋ぐものになるべきなのです。キリスト教では長い歴史の中で教会と共に学校が作られ、思想や音楽、絵画などの文化が育まれ、教えられてきました。これが私たちの歴史であり、文化の基盤なのですが、だからといって他の宗教を信じる人々を敵呼ばわりしてはいけません。

元谷 通常宗教というのは信者を増やして拡大していかないと、逆に信者を奪われて衰退するという傾向がありますから、攻撃的になってしまうのかもしれません。ただ日本は例外で、古来の神道がありながら外来の仏教も受容しました。こんな温和な民族は他にはいないでしょう。

ポゴシャン 確かに。日本では、神道の信者と仏教の信者を足すと、人口を遥かに超える数になります。生まれてすぐはお宮参りで神道、成人したらキリスト教で結婚式、そしてお葬式は仏教という人が日本では当たり前です。非常に柔軟で寛大な素晴らしい民族だと思います。

日本の若者はチャレンジスピリットでこの素晴らしい国をもっと良い国に
似ている点が多いことから
日本好きが多いアルメニア

元谷 アルメニアに話を戻しますが、あまり大きな国ではないのにアルメニア軍には五万人の兵士がいます。人口比で考えると、自衛隊が今の十倍の二百五十万人いるようなもの。これぐらいの規模の軍隊が、国防のためにはどうしても必要という感覚なのでしょうか。

ポゴシャン そうです。ソ連が崩壊してアルメニアが独立する直前の二?三年、隣接するアゼルバイジャンとの武力衝突がありました。アゼルバイジャンとの問題はまだ解決していません。アルメニアは、隣国とのあらゆる問題に関して平和的解決を強く主張しています。しかしながら平和と安全を守るためには、今の兵士の数が必要とされています。もちろん経済的な負担は大きいですが…。

元谷 惨事といえば、独立直前に地震もありました。

ポゴシャン 一九八八年のことです。日本での一年の滞在が終わって帰国したばかりの時に、私はこの大地震に遭遇したのですが、多くの建物が倒壊しおよそ二万人以上の人が亡くなりました。地震直後には日本から看護婦さん達がやってきて、けが人の手当にあたってくれました。帰国時にすき焼き鍋など日本の調理器具などを持って帰っていたので、私の家に支援者の日本人が集まるようになり、彼等と友人になりました。逆に二年前の東日本大震災の時は、アルメニアの多くの人が日本に向けて寄付を行いました。共に資源が少なくて地震が多いということで、日本にシンパシーを感じているアルメニア人は多いですよ。

元谷 
ポゴシャンさんはいつから日本好きに?

ポゴシャン 大学院で日本人の友達ができたのです。彼からいろいろな話を聞いて、自分でもあなた方の美しい国と独特の文化に関する本を読んでどんどん関心が高まっていきました。そして実際に日本にやってきて、さらにその思いは強くなりました。特に地方に行くのが大好きなのです。どこに行っても長い歴史に育まれた、独自の豊かな文化を見ることができますから。しかしこれだけ長く日本に住んでいると、逆に私自身の祖国アルメニアのことを改めて評価して、愛国心が湧き上がってきました。

元谷 私も全く同感です。海外に行くと必ず愛国心が芽生えるのです。

ポゴシャン 学生にもよく言ってきたことですが、一つの場所、一つの文化に閉じこもった缶詰愛国主義は不十分であるし、時に危険であると。いろいろな文化や、土地、そして人々に触れることで視野が広まり、初めて自国の良さがわかるのです。私も日本やその他の国々に滞在した経験から、アルメニアをより正しい目で見るようになり、その文化が持つ美点を評価することができるようになりました。心の底から日本とアルメニアの文化を繋げようという気持ちにもなれたのです。

元谷 おっしゃる通りだと思います。ポゴシャンさんの今後の活動に期待しています。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。

ポゴシャン 教育者として、日本人だけではなく留学生も含む多くの若者の成長を手助けしてきました。卒業生の中には会社を作って成功したり、素晴らしい研究者になったり、また自国に帰って大学の学長になった人もいます。日本社会の今の問題は、長寿になったけれども若い人が少なくなってしまったことでしょう。また近年顕著なのが、若者が内向きになってリスクを取りたがらないようです。私は日本が必ずこれらの問題を乗り越えると信じていますし、チャレンジスピリットで、この日本という素晴らしい国をもっと良い国にしていって欲しいですね。

元谷 その通りです。私がこれだけの事業ができたのも、世界七十七カ国を訪れてきたおかげなのですから。今日はいろいろなお話、本当にありがとうございました。

グラント・ポゴシャン氏

1953年2月、アルメニア生まれ。モスクワ大学で数学を専攻、ソ連科学アカデミーにて博士号(コンピュータ・サイエンス)取得後、研究・教育に従事。1991年より国際基督教大学教授、後に大学院長。大使就任前は長年、アルメニア外務大臣の対日関連アドバイザーを務める。

対談日:2013年6月13日