BIGTALK

世界が日本を見る目を、 日本人はもっと知るべき

紀元前からの古い歴史を持ち、アラビアンナイトのシンドバッドの物語の舞台ともなった国・オマーン。シーレーンの要衝であるホルムズ海峡を領海とし日本との関わりも深いオマーンの大使ハリッド・ビン・ハシル・アル・ムスラヒ閣下をお迎えし、風土や歴史、文化や今後の日本との関係などについてお聞きした。

シーレーンの要衝に位置しているのに日本人はオマーンのことを知らない
「乳香の土地」として古い歴史を持つ国・オマーン

元谷 本日はビッグトークにご登場いただきまして、また先日は加賀片山津温泉の佳水郷で開催したアパグループの新年会にもお越しいただいて、ありがとうございます。

ムスラヒ 大変楽しい新年会でした。お招きいただき、ありがとうございました。

元谷 佳水郷はいかがでしたか? アパホテルグループで唯一の和風旅館なのですが。

ムスラヒ 雪が降っていて、とても雰囲気が良かったです。今日は東京も雪が降っていますが、白い雪によって、私達まで清められるような思いがします。

元谷 日本人の印象として中東にあるオマーンは非常に暑い国のように思えるのですが、雪を見る機会はありますか?

ムスラヒ オマーンは非常に起伏に富んだ国です。最高峰の標高は三千メートルを超えていて、冬には雪を見ることができます。

元谷 それは知りませんでした。アラビア半島にあるオマーンは、シーレーンの重要な通り道であるホルムズ海峡に面している国です。日本は石油をシーレーンからの輸入に依存しているのですから、オマーンは日本に非常に関係の深い国であるはず。それなのに日本人はオマーンのことを知りません。

ムスラヒ オマーンと日本は四百年にもおよぶ友好関係を維持しており、昨年は外交関係樹立四十周年を祝いました。さらに現国王の祖父は、国王を退位後の一九三五年に日本に行き、日本人と結婚して神戸に滞在していました。二人の間に生まれた王女は今もオマーンで幸せに暮らしています。

元谷 そんな深い関係があるとは、知りませんでした。

ムスラヒ 一般的には一九二四年に地理学者志賀重昂氏が初めてオマーンを訪問した日本人とされています。一説には日本人のキリシタン司祭だったペトロ・岐部が、エルサレムに向かう途中の一六一九年にマスカットに立ち寄ったとも言われています。

元谷 両国間の関係には、長い歴史があるのですね。今日はいろいろと私や読者に教えていただければと思いお招きしました。よろしくお願いします。

ムスラヒ はい、わかりました。オマーンの国土の面積は約三十万九千平方キロメートルで、日本の約八五%。人口は少なく約二百九十万人です。国内は十一の行政区に分かれています。国土のほとんどが砂漠ですが、オアシスによって緑の多い地域もかなり多く、農業も盛んに行われています。首都マスカットなど北部において夏場は高温多湿の気候で、特に六月~八月は最高気温が四十度を越えることもあります。しかし九月から四月の気温は十度から三十度となり、快適に過ごせます。一方南部のドファール地方の最高気温は夏でも三十度程度か、それより低いこともあります。この南部には近隣湾岸諸国から、毎年二十万人以上の観光客が訪れます。

元谷 南部が気温が低いのには驚きました。

ムスラヒ オマーンには四つのユネスコ世界遺産があり、歴史を通じて「乳香の土地」として知られています。中東はお香の文化が生き続けているのですが、中でもオマーンは世界一の乳香の産地として知られています。乳香とは樹木の樹脂なのですが、高級な香水の原料にもなっているほど素晴らしい香りがするものです。古代エジプトから使われていて、東方の三博士がイエス・キリストに捧げた贈り物の一つにもなっています。オマーンはシルクロードの終着点だったのですが、この道を通って乳香は日本にも伝えられています。

元谷 嗅いだことがありますが、甘い良い香りでした。

ムスラヒ 海に面したオマーンは三千五百キロメートルにも及ぶ海岸線を持っています。そのため漁業も盛んです。日本への魚の輸出量では、中東と北アフリカではモロッコとモーリタニアに次いでオマーンは三番目です。マグロなど多くの種類の魚を日本に輸出しています。また日本への農作物の輸出量では、中東と北アフリカでは四番目です。さまざまな野菜や果物を日本に輸出していますが、中でもさやいんげんとナツメヤシが最も多い作物となっています。

湾岸協力会議の六カ国でEU並のボーダーレス化が進む

元谷 私は昨年バーレーンを訪問しました。聞くと湾岸諸国ではバーレーンで最初に石油が出たそうですね。オマーンで油田が発見されたのはいつなのでしょうか?

ムスラヒ 一九六〇年代後半になります。オマーンは日本にとって信頼できるエネルギー供給国であり、日本は二〇一二年には三千九百万バレルの石油をオマーンから輸入しましたが、これは輸入量全体の三%に相当します。天然ガスも日本に輸出しています。二〇一二年に日本は液化天然ガス(LNG)の総輸入量の五%、約四百万トンをオマーンから輸入しました。

元谷 サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタールなどから輸出される日本向け石油はホルムズ海峡を必ず通過することになります。ホルムズ海峡に突き出したムサンダム半島は飛び地でオマーン領になっていますから、海峡の安全はオマーンにかかっているといっても過言ではないでしょう。

ムスラヒ 海峡を通過する船舶の安全確保について、我々も役割を果たしています。もっとも、オマーンから輸出される石油は、ホルムズ海峡を通過する必要はないのですが(笑)。海上自衛隊とは良好な関係を築いていますし、日本の船舶もオマーンの港によく立ち寄ります。

元谷 ホルムズ海峡はイランとの鬩ぎ合いの場であり、アメリカも神経を尖らせています。バーレーンに司令部を置くアメリカ第五艦隊も目を光らせていますね。

ムスラヒ オマーンの外交の基本は善隣外交です。そして非同盟主義を貫いています。

元谷 今はどの国も利害関係があって、揉めることが多いのですが、善隣外交で地域の安定を図るというのは、とても良い方策だと思います。ただ日本ではオマーンを海賊の本拠地と勘違いしている人もいるようで…。

ムスラヒ それは大きな勘違いです。海賊はアフリカのソマリア沖で活動しています。彼らがホルムズ海峡に近づかないように、私達は国際社会と共に様々な手段を講じているのです。話は変わりますが、シンドバッドの冒険物語をご存知の方は日本でも多いと思います。彼の出身はオマーンの港町ソハールなのですよ。

元谷 それは知りませんでした。私達日本人は、中東や北アフリカを全て同じように考えてしまう悪い性癖がありますから、これは反省するべきでしょう。オマーン付近の海域は安全ということですね。

ムスラヒ はい、安全です。

元谷 ところでオマーンはイスラム教のどの宗派が多いのですか?

ムスラヒ オマーンはイスラム教の学校のようなところで、イバード派が主流なのですが、スンニ派もシーア派もいて、それらが渾然一体と調和しながら共存しているのです。宗派間の争いはこれまで一切なく、宗派を越えた婚姻も一般的です。

元谷 それは素晴らしい。今のカブース国王が即位してから急速に経済が発展しました。即位が一九七〇年ですから、もう在位四十三年目になりますね。

ムスラヒ カブース国王が一九七〇年からルネッサンスの時代を先導し、オマーンを近代的な国家に変貌させました。

元谷 湾岸協力会議のメンバーとも親密な関係を築いています。

ムスラヒ 湾岸協力会議の六カ国(アラブ首長国連邦、バーレーン、クウェート、オマーン、カタール、サウジアラビア)とは連携を強めていて、今ではパスポートなしにIDカードのみでお互いの国を行き来できます。共通の市場や自由貿易圏も存在します。どの国でもそこの国民と同じ待遇を受けることができるようになりました。

元谷 EUと同じような形態ですね。ボーダーレスをどんどん推進しているということでしょうか。

ムスラヒ はい、そうです。

日本に武力による圧力をかけることで習近平は自らの地位を固めている
どの国も決して使用しない核兵器は威嚇のための兵器

元谷 バーレーン訪問で私が一番驚いたのは、所得税も相続税も法人税を一切かからないということです。オマーンはどうなのでしょうか?

ムスラヒ 企業向けの法人税はありますが、個人の所得に対する税金は一切ありません。また会社設立直後の数年間は、法人税の支払いが猶予されるという特例措置もあります。

元谷 ビジネスを起こしやすい環境にしているのですね。

ムスラヒ はい。今オマーンが一番力を入れているのは観光産業の発展です。遺跡や自然の美しさなど観光資源がとにかく豊富ですから、これらを開発してくれる相手を探しているのです。すでにホテルやリゾート施設も多く建設されていますが、観光客数の増加に合わせてさらに増やしていきたい。そうやって観光開発を行おうとしています。

元谷 バーレーンの石油可採年数はあと四十年とお聞きしたのですが、オマーンでもそうなのですか?

ムスラヒ 統計上四十年としていますが、実はそれは一九七〇年から変わっていません。証明された残存量ということで、常に新しい油田が発見されたり、技術の進歩で採掘可能な石油が増えていますから、残存量が変わらないのです。

元谷 なるほど、そういうことだったのですね。ところで今世界が危惧しているのは、イランの核に対してイスラエルが攻撃を仕掛けるのではないかということでしょう。ホルムズ海峡を挟んでイランは対岸にありますから、オマーンにとっても心配事ではないでしょうか。

ムスラヒ 個人的にはイスラエルはそのような攻撃は行わないと考えています。

元谷 そうなるとイランが核武装国になる可能性が相当高くなると思うのですが、オマーンはそれを容認しますか?

ムスラヒ オマーンは核兵器に、反対します。

元谷 日本の場合はアメリカも含み、中国、北朝鮮、ロシアと周辺国が全て核武装をしています。中国が尖閣諸島付近で日本の自衛艦に射撃管制用のレーダーを照射したりするのも、背景に核兵器の力があるからです。二〇一〇年、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃したのも、二〇〇六年と二〇〇九年に核実験を行って核保有国になっていたからです。この砲撃は金正恩が指揮したと喧伝され、その「功績」で箔をつけて、彼は北朝鮮の最高権力者の座に就きました。それと同じように中国の習近平は日本への武力による圧力で箔をつけて、最高指導者としての権力を確かなものにしようとしています。核を保有している国に軍事行動を行うのは危険、核を持たない日本なら少々のちょっかいを出しても安全だと考えたのでしょう。実際の海軍力や空軍力は中国軍より自衛隊の方が優っているのですが、核を持っていることで、中国は強気な態度に出ているのです。

ムスラヒ 日本がそれらの問題を平和裏に解決できると信じています。

元谷 核兵器を使う国はないでしょう。そもそも核は威嚇に使うための兵器なのです。例えばイスラエルは核兵器を持っているとも持っていないとも明言していません。しかし他国はイスラエルを核保有国と考え、それが第五次中東戦争を防いできました。一方イスラエルは核の威力の背景があるからこそ、ガザ地区の空爆などの強気の行動を取ることが可能になっているのです。核兵器を持つこと自体が力だといえます。

中国の強硬姿勢のおかげで日本は普通の国への道を歩き始めた
中国の威嚇をきっかけに日本は普通の国へと向かう

ムスラヒ 中東が核兵器のないフリーゾーンになる事を望みます。これをオマーンも日本も支持しています。オマーンは対話の中で対立を解消することに取り組む国ですから、武器ではなく外交で問題解決を図りたいと考えているのです。

元谷 それは大変賢明な政策だと思います。しかしイランが核武装を行えば、サウジアラビアがそれに続くのではと言われています。やはりバランス・オブ・パワーの原則は正しく、地域ごとに力のバランスをとることが戦争の抑止となるのです。歴史的にもアメリカに対抗してソ連が、それに対抗して中国が、そしてインド、パキスタンと、力の均衡の確保を目指して核兵器は拡散していきました。このロジックでいくと、東アジアの場合は日本が核兵器を保有することが、最大の地域安定手段ということになります。北朝鮮の核保有以降、アメリカでも日本の核武装を許容する論調が出てきているようです。

ムスラヒ 日本の核技術は平和利用です。湾岸諸国は全て核不拡散条約の加盟国でオマーンは原子力発電の導入を考えていません。

元谷 湾岸諸国の核兵器に対するスタンスは非常に素晴らしいと思います。しかし日本の場合は中国から今のような挑発を受け続けるのであれば、核武装せざるを得なくなるかもしれません。今まで日本は非核三原則を維持してきたのですが、世論もどんどん変わってきています。今の中国の強硬姿勢を見て、憲法を改正して日本も核武装すべきだという声も出てきています。皮肉なことですが、中国のおかげで日本は普通の国への道を歩き始めることができるのかもしれません。とにかく中国は日本国内の反応をちゃんと分析して、いたずらに日本を刺激することを慎むべきだと思います。ところで、どの国の大使にもいつも二つのお願いをしています。二〇二〇年のオリンピックの東京開催を支持して欲しいということと、国連憲章の旧敵国条項の撤廃に協力して欲しいということです。

ムスラヒ 東京がオリンピック招致に成功することを願っています。旧敵国条項に関しては国連におまかせしましょう。

元谷 かつては国連の分担金の二割も負担していた日本なのですから、外務省はもっときちんと主張すべきなのです。

ムスラヒ 日本が国連に多大な貢献を行なっていることや多くの国の発展を支援していることは、多くの国が認めています。

元谷 ありがとうございます。世界が日本のことをどう考えているかを、日本人はもっと知るべきですね。最後にいつも「若い人に一言」をお伺いしているのですが。

ムスラヒ 日本の若者に伝えたいのは、この国の伝統、精神、文化をしっかりと守っていって欲しいということです。それゆえに日本は世界から尊敬されるのですから。

元谷 日本人はかつては素晴らしいものをもっといっぱい持っていたのですが、次第に失われようとしています。それをこれ以上減らさず、持ち続けて欲しいということですね。今日はいろいろと良いお話を、ありがとうございました。

ムスラヒ ありがとうございました。

ハリッド・ビン・ハシル・アル・ムスラヒ閣下
1967年生まれ。イギリスで経済学を専攻。外務大臣室や外務次官室に勤務。2008年2月より駐日オマーン国大使として着任。2009年4月からはオーストラリア、2010年3月からはニュージーランドそれぞれへの非常駐大使も兼任する。

対談日:2013年2月6日