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ビッグトーク247(BIG TALK) 日本は グローバリゼーションに 立ち向かう交渉能力が必要だ

大洋漁業時代には中部謙吉氏、白洲次郎氏といった強い信念と個性を持った経営者の下で働き、 現在は歴史ある精糖会社の会長というポストの実業家でありながら、母校・中央大学の理事長も務める久野修慈氏。政治家が国への誇りや自信を失っているという氏に、真の国際人の在り方や誇りある日本復活の処方箋をお聞きした。

食べるものを確保することが
日本の発展に繋がるという信念。
かつては使命感に燃えた
実業家が日本にいた

元谷 本日はビッグトークへのご登場、ありがとうございます。二〇一一年六月にオープンしましたアパホテル〈人形町駅北〉のすぐ隣のビルが会長をされています塩水港精糖の本社ビルだったり、芙美子ホテル社長と同郷の福井県のご出身で高校も同じ藤島高校だったり、私の次男が卒業した中央大学のOBで現在は理事長だったり。久野さんとはいろいろなご縁を感じます。中央大学の理事長に就任されて、何年になるのでしょうか?
久野 三年です。大学の理事長になるということは、全く考えていませんでしたよ。私は中央大学を卒業した後、書生時代などを経て、大洋漁業に入社しました。現在のマルハニチログループの前身ですね。当時の大洋漁業は創業者・中部一族の同族会社だったのですが、三代目の中部謙吉社長の下、世界一の水産会社になっていきました。中部社長は戦後、日本の食料が不足する中、食べるものを確保することが日本の発展に繋がるという信念を持って、事業にあたっていました。その下で働いたのです。
元谷 それは非常にやりがいのある仕事だったのではないでしょうか。
久野 はい、その通りです。大洋漁業は、戦前から南氷洋の捕鯨を開始するなど事業を拡大していたのですが、戦局の悪化に伴い、船を全て軍に徴用されてしまいました。戦後船のない中、人々に職と食料を供給するために、中部社長は復興金融公庫から金を借りて、二百五十隻の船を発注したのです。今の人には食料の重要性がなかなかわからない。中部社長が漁民と造船所の人々に仕事を与え、さらに国民に魚というタンパク源を与えるという使命を果たしたからこそ、今の日本の発展があったのです。これを多くの人が忘れていることに憤りを感じます。
元谷 それだけのお金を借りることができるというのも、中部社長の政治力というか、実力だったのでしょう。
久野 中部社長は高等小学校しか出ていないのですが、世界的な人物だったと思います。政治家にも献金をしていましたが、それは自分の会社のためというよりは、本物の政治家を育てるためだったのです。
元谷 凄い方の下で仕事をされていたのですね。
久野 また中部社長と一緒に、国際的な漁業交渉にも数多く参加しました。当時の交渉はTPPどころではありません。相手がソ連などの共産主義国の場合には、隠しマイクがどこにあるかを探すことから始めるのですから。
元谷 宿舎でも安心して眠れないのですね。
久野 そうです。しかし北海道の漁民たちの生活を守るには、ここで踏ん張らないとの思いで頑張りました。
元谷 印象に残っている相手国はありますか?
久野 私は共産主義者ではありませんが、一番印象深かったのはキューバのカストロ首相でした。私はキューバから表彰を受けているのです。日本人としては五人目になるのですが。
元谷 そうですか!私もカストロと直接会って議論をしたことがあります。三十そこそこで革命を成功させて一国の元首となったのですから、やはり只者ではなかったですね。

交渉能力や事業力が
これからの国際人には必要

久野 ところで、元谷芙美子アパホテル社長も女性社長として優れた方です。福井県の誇りだと思っています。藤島高校出身の初代主婦連合会会長奥むめおさんを思い出します。
元谷 ありがとうございます。福井県は社長を多く輩出している県といわれていますね。どうしてなのでしょう?
久野 とにかくマナーを徹底的に教えられるのです。朝食時には「おはようございます」「いただきます」「ありがとうございます」と必ず口に出す。これが県全体の習慣になっています。
元谷 なるほど。久野さんは大学の理事長として、学生のマナーも厳しく指導されているのではないでしょうか。
久野 そうなのです。「おはようございます」とか「こんにちは」という当たり前の挨拶が、今の日本では失われつつある。これをもう一度取り戻さなければなりません。国際人になるためには、きちんとマナーを守ることができるというのが、語学以前に重要な問題となるからです。一方私は日本ほど教育の重要性を認め、素晴らしい教育を実践している国はないと思っています。教育が充実していないと、国際競争には勝てません。
元谷 名前を残したり金を残すことよりも、人を残すことが一番大切です。そんな久野理事長が最も留意していることは何でしょう?
久野 これからの国際化する世界では、どのような人材が求められるかを常に考えて、教育を行う必要があると感じています。勉強ができるというのは当然なのですが、ただ偏差値が高いだけではなく、交渉能力や事業力、説得力、読解力などがグローバリゼーションの波の中では当然重要になってくるでしょう。多角的に考えて、優れた学生を育てなければなりません。
元谷 海外からの留学生が最近増えていると聞いていますが、中央大学ではいかがですか?
久野 海外からの留学生は全学で六百人ぐらいでしょうか。日本人の学生には、国際交流のチャンスとしてこの環境を生かすようにと指導しています。学生同士のコミュニケーションの中から、どの国の人間も平等だということや、世界の歴史などを学んでいって欲しい。
元谷 国際人として単に語学ができるのではなく、挨拶はもちろん、人間としての修養をしっかりと積んだ日本人を育てるということですね。
久野 はい、そうです。少子化の流れの中、大学のブランド化なども必要なのですが、やはり看板より内容の充実を図ることが先だと思います。
元谷 もともと実業家だった久野さんが、どのような経緯で大学のお仕事をするようになったのですか?
久野 大洋漁業の中部謙吉社長は非常に教育熱心な人でした。終戦直後には下関で戦争孤児を三千人ほど保護して食事などを与えていました。そこにいた人は、一生この恩を忘れなかったといいます。幾徳会という育英会を作って、大洋漁業などからの寄付金を元に奨学金を出したりもしていました。また私は中部さんの命令で、幾徳工業高等専門学校を神奈川県に作りました。今は神奈川工科大学という立派な大学になっています。中部さんは学校教育の充実という使命にも燃えていましたね。
元谷 それに久野さんも影響を受けて・・・。
久野 いや、大学関係の仕事をするなど、想像もしていなかった。ただ中央大学は母校ですから大学関係者と接することも多く、そんな中でいろんな人に学校経営に携わって欲しいと言われまして。大学改革が遅れている、大学のガバナンスを高めないと孤立するというのです。しかし理事長とは、夢にも思わなかったですよ(笑)。
元谷 これもやりがいがあるお仕事ではないでしょうか。中央大学の学生数は、今は何名ですか?
久野 二万六千人です。中央大学は神田錦町で開校し駿河台に移転。今駿河台には記念館があります。さらに多摩、後楽園、市ヶ谷とキャンパスを展開しています。
元谷 歴史は百年を超えているとお聞きしています。
久野 はい。二〇一〇年に創立百二十五周年を迎えました。最初は英吉利法律学校といったのです。明治初期、まだ日本の法整備が不十分な時代、海外で法律を学んだ創設者達が、さらに日本国内でイギリスなどの法律を研究・学習する学校が必要と設立しました。以来日本の法律家をあらゆる面でサポートする一方、学部も広げ、総合大学としての存在感も示して来ました。
元谷 中央大学の法学部が突出して評価が高いのは、そのような歴史故なのですね。

歴史は勝者が作るものとはいえ、
中国や韓国の便乗は許せない。
今でも台湾が親日なのは
後藤新平のおかげだ

元谷 久野さんは白洲次郎さんとの繋がりもあると何かの本で読んだのですが。
久野 はい。白洲さんが亡くなるまでの二十年間、お世話をさせていただきました。きっかけは白洲さんが大洋漁業の相談役になられたことです。私が秘書として選ばれまして。白洲さんは水産業に全く疎いわけではなく、ケンブリッジ大学を卒業した後、戦前ですがイギリスのセール・フレイザー商会でサケ・マスの商売をやっていたり、日本水産の役員をなったり。そんな時に中部謙吉社長と知り合いになり、戦後になって中部社長の依頼で、大洋漁業の相談役になったのです。
元谷 白洲さんはどんな人でしたか?
久野 とにかく権力が大嫌いという人でした。
元谷 マッカーサーを怒鳴りつけたという逸話がある人ですから・・・。
久野 「われわれは戦争に負けたが、奴隷になったのではない」という言葉が有名です。もともと白洲さんは戦争に反対だったのです。外務大臣の吉田茂に請われて終戦連絡中央事務局に入るのですが、「ざまあみろ、オレの言った通りだ」と思っていたでしょうが、一切そのようなことは語らず、国家の存亡を賭けアメリカと対峙したのです。白洲さんが他の日本の政治家と異なるところは、最初からアメリカに対等に対峙し、日本がどのように発展していくべきかを考えていたことです。
元谷 非常にプライドの高い人だったのでしょう。今の日本には誇りが無くなりました。本来誇るべきことが多くある国なのに、中国からは南京虐殺、韓国からは従軍慰安婦というありもしないことで貶められてきました。これらのことも、その場の空気が凍ろうともしっかりと否定してそれを貫いていれば、最終的には日本の言うことが通ったのです。変に認めてしまったために、今の事態を招いてしまっています。
久野 国は国の立場、考え方を正しく主張すべきです。
元谷 もう一度改めて近現代史を学んで、本当はどうだったのかを確認する必要があると思い、三年前に「真の近現代史観」懸賞論文を創設しました。第一回は現役の航空幕僚長だった田母神俊雄氏が最優秀賞を獲得し、第二回は明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰氏が、第三回は元日本兵の遺骨収集活動を続ける佐波優子氏が最優秀賞に選ばれました。今年の第四回の最優秀賞は、放射線防護学の専門家である札幌医科大学教授の高田純氏の論文「福島は広島にもチェルノブイリにもならなかった」が獲得しました。また今年から誇れる日本の再興を目指すために、勝兵塾という私塾を始めました。
久野 素晴らしいことだと思います。
元谷 誇りを取り戻すためには学校教育を変える必要があります。小学校から、歴史など日本を誇りに思える知識を与えるような教育を行うべきなのです。今は逆に大学生になってもこのような知識がないというのが実態です。
久野 今代表がおっしゃったのは非常に重要なご指摘だと思います。日本の砂糖会社の歴史というのはどこも古いのですが、私が会長を務めております塩水港精糖の設立も一九〇三(明治三十六)年です。児玉源太郎が台湾総督だった時、民政局長に後藤新平を任命します。後藤は力で制圧するだけが能ではないと、台湾での教育と産業の振興が統治の鍵と考え、札幌農学校から新渡戸稲造を招聘して臨時台湾糖務局長とし、砂糖会社を興して精糖産業の基盤を築く事業にあたらせました。塩水港精糖もその時、鹽水港廳下岸内庄に誕生しています。今でも台湾の人が日本人を温かく迎えてくれるのは、台湾の地を豊かに暮らしやすくした後藤新平のおかげなのです。今回の震災にあたっても、台湾からは百九十億円という多額の義援金が集まりました。これほどまでに台湾の人々が日本を思ってくれる理由を、しっかりと若い世代に教えないと駄目ですね。
元谷 烏山頭ダムを建設した金沢出身の八田與一も、台湾では英雄のように扱われています。日本の支配地の経営は、西欧列強の植民地支配とは全く異なりました。日本の場合には北海道を開拓して本州と同じ生活レベルにしようとしたのと同じことを、台湾でも朝鮮半島でも満州でも行ったのです。国づくりに役立つ投資を行なって産業を興し、教育を行う。それを日本が略奪・収奪をした、オランダがインドネシアでやったことと同じことを行ったと非難されるのは、全く納得のいかないことです。歴史は勝者が作るものとはいえ、誰かが反論しないと固定化します。勝者のアメリカが歴史を都合のいいように書き換えるのはサンフランシスコ条約の締結まではやむを得ないにせよ、いつまでも中国や韓国がそれに便乗するのは許せません。本当はどうだったと今なら語れる人がいますが、戦後百年も経つといなくなるでしょう。手遅れにならない内に、日本に誇りを持てる教育を復活させないと。そのために私はエッセイを書き対談を行なってこのアップルタウンを作り、さらに懸賞論文を募集したり、勝兵塾を開催したりしているのです。
久野 敗戦国であっても誇りを持って対処していたから、日本はここまで戦後復興できたのです。これを忘れてはならないでしょう。交渉においても日本人としての誇りがないと。中部謙吉社長は小柄で身長が五尺(約百五十センチメートル)もありませんでしたが、相手がソ連政府だろうが共産党だろうが、国を代表しているという気持ちで、堂々とエネルギッシュに対峙していました。
元谷 むしろ小さい人の方が、意志が強い人が多いですね。
久野 しかし今の政治家には少ないです。国への誇りや自信が政治家に欠けているのです。
元谷 その通りです。戦後すぐには政治家にも財界人にも尊敬できる人がいたのですが、今はすっかりいなくなりました。歴史をよくご存知の久野さんには、ぜひ中部社長や白洲次郎さんなど日本の英雄の物語を学生に伝えていって欲しいですね。
久野 わかりました。

妥協は駄目。
主義・原則は最後まで貫かないと。
放射線防護学の専門家を
テレビなどマスメディアに

久野 最近私は福井県人として福井県で原子力発電所の勉強会を福井県を代表される方々と始めました。単純な反対とか賛成ではなく、日本の国として原子力行政をどのようにすべきなのか。福井県としてはどのような形で日本のエネルギー政策に寄与していくのかをきちんと整理していくつもりです。
元谷 原発事故での最大の被害は風評被害です。事故による放射線で健康を害した人はいません。年間二〇ミリシーベルトが避難の基準になりましたが、果たしてそれが妥当だったのか。多くの方が避難によるストレスなどで亡くなっているのです。
久野 痛ましいことです。
元谷 高田純氏のような放射線防護学の専門家の話をメディアが紹介しません。日本のメディアの大きな問題は、主張がすべて一方向に偏ることで、今は反原発・脱原発一色です。教育も一色。暗記ではなく議論を通して物事を正しく見る方法を教えるディベート教育を推進すべきです。
久野 さらにネゴーシエーション教育も行うべきでしょう。
元谷 そうですね。世界ではタフネゴーシエーターは非常に評価されます。しかし日本は世代が若くなるにつれて、軟弱度が増すばかりです。
久野 私は「TPPを考える国民会議」の副代表もやっています。TPPの問題も反対・賛成ではなく、平等に情報提供を行い、国家としてどういう選択を行うかを考えていかないと。不明確なことが多過ぎて現時点では判断できません。
元谷 日本のTPP入に中国は反対をしています。ならばTPPに参加する意味があるかと。ブロック経済化が進行する中、アメリカ中心の組織に入るのか、中国中心の組織に入るのかの選択です。アメリカとは日米同盟を結んでいますが、中国は所有する核ミサイルの狙いを日本に定めているのです。
久野 それらも踏まえ、慎重に討議する必要があるのです。
元谷 慎重さも大事ですが、このあたりではっきりさせないと、日本の主張がTPPに盛り込まれないことになります。農業の中でも、関税がなくなれば外国製品に負けてしまう作物もあれば、逆に海外への輸出を伸ばしていくことのできる作物もあるでしょう。試練によって伸びる産業もあるはず。全てを日本の有利にするという交渉ごとはあり得ません。対応策をよく練った上で参加すべきというのが、私の意見です。
久野 問題は日本の交渉能力です。WTOなどで見ていると、交渉能力は皆無と言わざるを得ない。
元谷 中部社長や久野さんが頑張っていた時とは異なり、サムライがいません。すぐに相手に迎合して妥協してしまうのです。
久野 妥協はダメです。主義・原則は最後まで貫かないと。それなりの政治力と外交力を持った人が責任を持って対応しないと、交渉は上手く進みません。
元谷 その通りだと思います。しかし今の与党である民主党は、選挙当選のための互助会であって各議員の意見はバラバラ。そのために党綱領すらありません。政権与党になってもバラバラぶりは相変わらず。この辺りでガラガラポン、政策で一致する人々が政党を作るようにしなければならないでしょう。
久野 日本の国をどうリードしていくのか、これを基本にした政党づくりを進めていって欲しいですね。
元谷 国家戦略をきちんと持って、この国をどうするかのビジョンを持って。国会議員は町会議員と同じレベルのことを考えていては駄目で、天下国家を論じることができなければ。そろそろお時間になってきました。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。
久野 「風を立てろ」です。風が立たないところに発見はありません。もっと自ら風を立てないと。風を立てずにす?と生きていては駄目です。積極的に戦いを挑んで欲しいですね。
元谷 私の座右の銘にも「自分で風を起こし その風に乗れ」というのがあります。未来を自らの手で切り開いていって欲しいですね。今日はありがとうございました。
久野 こちらこそ、ありがとうございました。

久野修慈氏 Shuuji Hisano
1936(昭和11)年福井県生まれ。1958(昭和33)年中央大学法学部卒業。1963(昭和38)年に大洋漁業株式会社入社、数々の役職を経て、1987(昭和62)年同社の代表取締役専務に。1990(平成2)年塩水港精糖株式会社代表取締役社長に就任、2008(平成20)年同社取締役会長になる。また同年に学校法人中央大学の理事長に就任。

対談日:2011年11月8日