BIGTALK

自国の歴史・文化を守り、
次世代に伝えていくべきだ
Vol.321[2018年4月号]

駐日タジキスタン共和国大使館 特命全権大使 ハムロホン・ザリフィ
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APAグループ代表 元谷外志雄

紀元前からの歴史と長い時間を掛けて培われた文化を持つタジク人の国で、一九九一年に独立を果たしたタジキスタン共和国。外務大臣経験を持つ駐日タジキスタン共和国大使館特命全権大使のハムロホン・ザリフィ氏に、歴史や現在の社会や産業、ソ連時代の状況など、山岳国家・タジキスタンの様々な側面をお聞きしました。
ハムロホン・ザリフィ氏

1948年タジキスタン生まれ。1971年クリャーブ国立教育大学数理物理学部を卒業。同大学の講師を経て、国の保安機関に所属、国家安全保障委員会副局長に。1993年より外交官として外務省総務局長や欧州安全保障協力機構(OSCE)常任委員をはじめ、駐オーストリア、駐ハンガリー、駐スイスそして駐米大使などを歴任。2006〜2013年には外務大臣として世界の外交の舞台で活躍。2015年より現職。政治学の博士号を持ち、タジク人の文化に関するものなど著書も多数。

水資源が圧倒的に豊富
世界最大のダムも保有

元谷 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。タジキスタンの大使としては、Apple Town二〇〇八年十一月号掲載のワインの会にダヴラタリ・サイドフさんに参加していただきました。

ザリフィ 彼は我が国初の駐日大使です。今はタジキスタンの第一副首相を務めています。

元谷 これまでビッグトークに登場した駐日大使が母国に帰って、官僚のトップになったり大臣になったりすることが非常に多いです。

ザリフィ 私は逆で、外務大臣を辞めた後に駐日大使になりました。この大使の在任期間が終わったら、引退しようと考えています。

元谷 以前は外務大臣をされていたのですね。タジキスタンという国について、日本の多くの人はあまり知識がありません。この機会に、いろいろお国について教えていただければと考えています。

ザリフィ ありがとうございます。仰る通り、日本でのタジキスタンの知名度は非常に低いです。タジキスタンは中央アジアにある国で、東を中国、北をキルギス、西はウズベキスタン、南をアフガニスタンに囲まれています。国土の面積は日本の約四割で、人口は約八百七十万人です。首都はドゥシャンベになります。公用語はタジク語ですが、ほとんどの人がロシア語も話すことができます。中央アジアにはタジキスタンの他にカザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、ウズベキスタンがあるのですが、他の四カ国の言葉がトルコ語系言語であるのに対して、タジク語はペルシャ語、つまり今のイランの言葉の系統に属していて、古代ペルシャ語がそのまま残っています。タジキスタンのもう一つの大きな特徴は、国土の九三%が山である山岳国家だということです。

元谷 人々は標高何メートルの地域に住んでいるのでしょうか。

ザリフィ ほとんどの国民が標高四〇〇メートルから一五〇〇メートルの間に住んでいます。首都のドゥシャンベの標高は七〇〇~九〇〇メートルです。一部の人々が四五〇〇メートルという高地にいます。

元谷 一番高い山は何メートルになるのですか。

ザリフィ 最高峰はイスモイル・ソモニ峰で、標高七四九五メートルになります。二〇一六年に駐タジキスタン大使になられた北岡元さんにお会いした時に冗談で、私は日本最高峰の富士山に登ったことがあるので、北岡大使にはぜひイスモイル・ソモニ峰に登って欲しいとお話したところ、難しいでしょうが日本とタジキスタンの関係のためにトライしたいとおっしゃっていただけました。北岡大使の下、両国の関係が経済面も文化面も、よりハイレベルになることを私は期待しています。

元谷 七四九五メートルということは、富士山の丁度2倍ですね(笑)。

ザリフィ はい(笑)。そして山が多い国ということもあって、中央アジア全体の水資源の六〇%を保有しているほど、水資源が豊富です。北極や南極以外の氷河では世界最長のフェドチェンコ氷河があり、標高六二〇〇メートル付近から始まるこの氷河は、三〇〇〇メートル付近で完全に溶け出しています。ですから、タジキスタンの発電は九〇%が水力発電です。ソ連時代に作られたヌレークダムは、堤防の高さが三〇〇メートルと世界最大で、これは完成してから約四十年間抜かれていません。

元谷 それは凄い! ソ連が作ったといえば、エジプトのアスワン・ハイ・ダムを訪れたことがあります。

ザリフィ アスワン・ハイ・ダムの堤高は一一一メートルしかありません。そしてヌレークダムの記録をまたタジキスタンのダムが塗り替えます。ヌレークダムよりも一〇〇メートル標高の高いところに建設される堤高三三五メートルのログンダムですが、このタジキスタンで最大となる新しいダムの第一フェーズでは二〇一八年一一月一六日から発電開始予定です。発電量は三千六〇〇メガワットで、タジキスタンの電力生産量はこの完成で一気に二倍になります。水力発電は、ダムの建設には費用と時間が掛かりますが、長い目で見れば最もコストが低い発電方法なのです。

元谷 その電力はどのように活用しているのでしょうか。

ザリフィ 余剰電力は周辺国に輸出しています。さらに今、CASA‐一〇〇〇というプロジェクトが進行しています。これは大きな配電網を整備、アフガニスタンを経由して常に電力不足に悩むパキスタンまで約七五〇キロメートルの距離を越えて、電気を送れるようにするものです。このプロジェクトが完成すれば、夏は南のアフガニスタンやパキスタン、インドに、夏以外はロシアやカザフスタン、ウズベキスタンなど各国に電気を供給する体制が整います。多くの金融関係の国際機関も関わり、着々とプロジェクトが進行しています。

元谷 それは壮大な計画ですね。電力を利用した産業、例えばアルミニウムの製錬などは行われていないのでしょうか。

ザリフィ 仰る通りで、安価な電力のもう一つの利用法としてアルミニウムを生産しており、その量は年間三十〜四十万トンになってきています。短期的には百万トンまで増産が可能です。アルミニウム増産のネックになっているのは、原材料のボーキサイトを南アメリカやロシア、ウクライナ、オーストラリアなどから輸入しなければならなかったことです。しかしタジキスタン国内でのボーキサイト生産が近々始まる予定です。問題となっているのは、ボーキサイトが他の天然資源と一緒に出てくるので、分別する工程が必要だということです。山岳国家ですから、山から様々な天然資源を得ることができます。金や銀の他、最近注目されているのはレアメタルです。数多くの電子機器を製造している日本とは、このレアメタルで深い協力関係が築けるのではないかと考えていて、実現に向けて動いているところです。これは正に私の役割ですから。

元谷 今後の展開が非常に楽しみですね。

豊かな自然が満喫できる国、
隣国から車での入国が楽しい

元谷 民族的に見るとタジキスタンはタジク人の国と考えて良いのでしょうか。

ザリフィ はい、そうです。ただタジク人はタジキスタンの他に、アフガニスタンやウズベキスタンなどの国々にもいます。合わせて三千万人程度になりますが、タジキスタンにいるよりも、外にいるタジク人の方が多いのです。

元谷 観光でタジキスタンを訪れた時の、お薦めのスポットを教えてもらえますでしょうか。

ザリフィ 以前に国際連合ウィーン事務局の前事務局次長から、「タジキスタンのマルコポーロはどうなっている?」と聞かれたことがあります。なぜ十三世紀の冒険家のことを聞くのかと訝しく思ったのですが、彼が聞いたのはタジキスタンに生息している山羊のことでした。この標高四五〇〇〜六五〇〇メートルの高地に住むマルコポーロ山羊は、ハンティングの格好のターゲットになっているのです。狩猟のようにエキサイティングな体験からハイキングまで、豊かな自然を満喫できるのがタジキスタンの良いところだと思います。首都ドゥシャンベでは、ぜひ国立古代博物館を訪れて欲しいですね。この博物館は二〇〇一年にできたのですが、この年にタリバンがバーミヤンの遺跡を破壊したのです。悲報を受けて、タジキスタンのラフモン大統領は、地域の仏教文化の保存を目的として博物館を作りました。最大の見ものは全長十三メートルの涅槃仏です。この涅槃仏はソ連時代にサンクトペテルブルクに移されていたのですが、博物館のために取り戻したのです。

元谷 それはぜひ見てみたいですね。日本からタジキスタンに行く場合は、どこを経由すればいいのでしょうか。

ザリフィ ウラジオストック、イスタンブール、モスクワ、ソウルからカザフスタンのアルマトゥイなどの航空便の経由地がありますが、私のお薦めはまずウズベキスタンのタシケントに向かい、そこから車でタジキスタンに入るコースです。タシケントとドゥシャンベ間は約四二〇キロメートル。行程の三分の一ほどで国境を越えて、タジキスタンに入ります。タジキスタンの道路の質は、世界的に評価を受けていますから運転も快適。美しい風景をたっぷり眺めながらのドライブになります。

元谷 私は運転が大好きですから、そのコースで行きたいと思います。

豊かな自然が満喫できる国、
隣国から車での入国が楽しい

元谷 少しタジキスタンの社会状況のお話もお聞きしたいと思います。

ザリフィ まだまだ経済的には良い結果が出ているとは言えません。しかし昨年はGDPが七%成長を遂げ、六百億タジキスタンソモニに達しました。今後三年間でGDPは三〇%増加し、八百二十億タジキスタンソモニに達すると予想されています。また、出生率が非常に高く、国民の四五%が二十七歳以下という非常に若い国です。今、日本と協議しているのは、若いタジキスタン人が日本でスキルと就労経験を得るための、一連の長期的な訓練プログラムを提供する枠組み作りです。現在タジキスタンでは日本語の学習コースや大学の日本語学科が作られていて、多くの若者が日本語に興味関心を持つようになっています。私も二〇一五年に来日して以来日本を研究していますが、この国の清潔さ、治安の良さ、人々の正直さ、そして組織力や勤勉さは特筆に値します。私は日本が本当に大好きになりました。代表の世代が本当に優れたユニークな国を、若い世代に残したと思います。

元谷 出生率が高いというのは、日本とは真逆のような印象を受けます。日本の今一番の問題は少子高齢化による人口減少です。私は核家族化、個家族化がその原因だと考えています。

ザリフィ 私は男五人、女五人の十人兄弟の長男です。全員が大学を出て、大学教員やエンジニア、農家として働いています。私の亡くなった母には七十二人の孫、十六人のひ孫、四人の玄孫がいました。どんなカメラを使っても、家族の集合写真の撮影ができないほどです(笑)。

元谷 元々タジキスタンの人々は何で生計を立てていたのでしょうか。

ザリフィ ソ連時代の一番の産業は綿で、綿花製品を年間百万トン生産していました。近年は綿花の生産はかつての三割となり、その分、野菜や果物の栽培が盛んになっていて、カザフスタンやロシアに輸出をしています。農薬を使用せずに栽培するアプリコットやレモンに代表されるタジキスタンの果物は、味などその品質が高く評価されています。またハチミツも主要産品の一つです。日本でもいくつかの百貨店やスーパーがタジキスタンのドライフルーツやハチミツを扱っていて、徐々に人気が出てきているようです。

元谷 通貨は何になるのでしょうか。

ザリフィ 二〇〇〇年に導入されたソモニという通貨です。この名前は十世紀の皇帝の名前から取られています。

元谷 中国は自国内に取り込んだ異文化の地域に対して、同化政策を行います。チベットや東トルキスタン、モンゴルなどには、どんどん漢民族を送り込んで多数派にしていくのです。ソ連は連邦を構成する各共和国に対して、似たようなことを行ったのでしょうか。

ザリフィ 私は中国の実情については詳しくないのですが、ソ連の政策には非常に詳しいです。率直に言えば、私達タジキスタン人はソ連時代でも何も失いませんでした。例えば言語に関しても、学校での授業は小学校から大学まで全てタジク語で行っていましたし、テレビ番組にはロシア語のものもあれば、タジク語のものもありました。

元谷 社会主義体制下では宗教は認められていませんでしたのでは? ウズベキスタンの大使は、教会などが倉庫として使われていたと仰っていたのですが、イスラム教徒の多いタジキスタンではどうだったのでしょうか。

ザリフィ イスラム教信者が弾圧されることはなかったですね。ただ建前ではソ連は無宗教なので、公務員や共産党の幹部は、本当は信仰心があっても、無宗教のふりをする必要がありました。それ以外の人は自由に信仰していました。

元谷 一九七九年、ソ連はアフガニスタンに侵攻しましたが、タジキスタンの人も参加したのでしょうか。

ザリフィ 軍人が派遣されました。アフガニスタンの言葉はタジク語と似ているので、主に通訳として働いていました。また文化的にもアフガニスタンとタジキスタンは近いので、ソ連とアフガニスタンの相互理解を促進して、言葉がわからないアフガン人が弾圧されないようにしていました。

元谷 ソ連時代、言葉だけではなく、文化的にもタジキスタン固有のものが尊重されたということでしょうか。

ザリフィ その通りです。ソ連時代でもタジキスタンの歴史や文化に関する研究が盛んに行われ、多数の本が出版されました。またソ連政府は孤児を政治家や学者に育てました。私の前に外務大臣だったタルバク・ナザロフ氏も孤児だったのですが、現在はタジキスタンで最も優れた経済学者および研究者として尊敬を集めています。

国内にロシア軍の基地
集団で国を守る体制に

元谷 社会主義国の政治の中枢部には理系の方が多いという印象があります。ザリフィさんは大学では何を学ばれたのですか。

ザリフィ タジキスタンのクリャーブ国立教育大学で物理学を学び、卒業後は教鞭もとっていました。v

元谷 やはり理系だったのですね。ソ連時代、タジキスタンからモスクワの大学に留学する人は多かったのでしょうか。

ザリフィ タジキスタンの大学はソ連内でも非常にレベルが高く、学生の七〇%が他の共和国の出身者でした。特に東洋学と医学が進んでいました。ソ連においてアラブ語やペルシャ語の教育は、全てタジキスタンで行われていたほどです。ソ連の著名な東洋学者にはタジキスタン人が多く、東洋学の世界的権威だったソ連科学アカデミー東洋学研究所の所長を十年間務め、世界二十カ国語に翻訳された「タジク人」という本を著したガフォロフもその一人です。

元谷 逆に多くの人々がタジキスタンに学びにやってきていたのですね。お話をお聞きしていると、タジキスタンが言葉や学問、文化を非常に大切にしてきて、さらにそのことに誇りを持っていることが、よく伝わってきます。それが今日の国家としての成長の原動力となっているのでしょう。

ザリフィ 文化の保存は政府の最重要課題です。しかしタジキスタンでも一九九〇年代に起こった内戦の時代に文化を失う危機を迎え、私はそれを恐れて『タジク人の黄金の宝庫』という本を書いたのです。今この本の日本語訳の出版準備を行っています。

元谷 出版が非常に楽しみです。日本では日本人の中に反日日本人がいて、彼らが足を引っ張ることによって、日本人が自分の国に誇りを持てずにいます。私は誇りを持てる祖国・日本の再興を目指して、言葉や文化を守ることを主張しています。本来日本人は自らを誇るべきなのに、貶められているのはおかしいのです。

ザリフィ 最近盛んにグローバル化と言われます。しかしこれにはいい面もあれば、各民族の歴史が失われるという面もあることを理解しておかなければなりません。

元谷 ところで、タジキスタンの安全保障体制というのはどのようになっているのでしょうか。

ザリフィ 基本的にはタジキスタン軍が担っていますが、国内のドゥシャンベの郊外やハトロン州のクルガン・テッパなどに、ロシア軍の基地があります。これは現状を踏まえ、テロや過激主義から国土を守るための安定化措置です。特にタジキスタンは紛争が続くアフガニスタンと、山岳地帯に千四百キロメートルに亘って国境を接しています。国境自体はタジキスタン軍が守っていますが、ロシア軍が後方支援をしてくれています。この連携は中央アジア全体として意義があります。またタジキスタン、キルギス、カザフスタン、ロシア、ベラルーシ、アルメニアの六カ国による集団安全保障体制もあり、これらの領土内で連携した軍事演習も行われています。

元谷 また歴史の話なのですが、先の大戦後ソ連に抑留された日本兵が、ウズベキスタンのタシケントでナヴォイ劇場を建設したという話がよく知られています。タジキスタンにも日本兵はいたのでしょうか。

ザリフィ 基本的にはウズベキスタンに日本兵が、タジキスタンとカザフスタンにドイツ兵が抑留されたので、あまりタジキスタンには日本兵はいませんでした。タジキスタンに縁が深い日本人としては、考古学者の加藤九祚さんが挙げられます。四十年以上ウズベキスタンとタジキスタンで活動をされ、昨年に亡くなりました。九十四歳でした。

元谷 そういう素晴らしい方もいらっしゃったのですね。最後にいつも「若い人に一言」をお伺いしています。

ザリフィ 代表や安倍首相の世代は、素晴らしい発展を日本にもたらしました。今の若い人達は前の世代から受け継いだものを保存し、発展させる義務があります。またグローバル化が進んだとしても自分達の歴史や文化を忘れず、次の世代へと伝えていく義務もあるのです。

元谷 その通りだと思います。また真の独立国家として、日本が自国を自分で守ることが大事です。安倍政権がさらに続き、日本を真っ当な国へと導いて欲しいと私は願っています。

ザリフィ 私は国家にとって最も重要なのは安定性だと考えています。外務大臣だった時にもっと日本との関係を深めたかったのですが、毎年首相が変わるのでは深めようがありませんでした。しかし安倍首相が誕生して五年経ち、日本は安定を取り戻してきているように思えます。

元谷 安倍政権があと四年続けば、憲法も改正できるはず。私はその応援をしています。お互い祖国のために頑張りましょう。今日はありがとうございました。

ザリフィ ありがとうございました。

対談日 2018年2月5日