BIGTALK

世界に貢献する日本と
インドのパートナーシップを
Vol.334[2019年5月号]

インドセンター 代表 ヴィバウ・カント・ウパデアーエ
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APAグループ代表 元谷外志雄

留学のため来日、東大大学院卒業後に創設したインドセンターを活動拠点に、日本とインドの新しい関係構築をサポートし続けてきたヴィバウ・カント・ウパデアーエ氏。世界に貢献する日印グローバル・パートナーシップを提唱する氏に、世界に広めたい新しい発展モデルのヴィジョン等をお聞きしました。

ヴィバウ・カント・ウパデアーエ氏

1969年インド・アグラ生まれ。アラハバード大学コンピューターサイエンス学科にて修士号を取得後、来日。東京大学情報学科大学院で修士号を取得。1996年インドセンターを創設。

EUを創設した独仏のように
日印がアジアの核となる

元谷 ビッグトークへの登場、ありがとうございます。様々な場所でお会いしているので、もう既にビッグトークは終わっていると思っていました。

ヴィバウ 本日はよろしくお願いいたします。

元谷 ヴィバウさんが東京大学で修士号をとった後、インドセンターを創設してからもう二十三年とお聞きしています。まだお若いから、そんなに経っているのかと不思議になるのですが。

ヴィバウ インドセンターは二十六歳の時に創設しました。

元谷 二十六歳でインドと日本を繋ぐことを発想するのが凄いと思います。日印関係の信頼感醸成へのヴィバウさんの貢献は多大です。「強いインドが強い日本、そして強い日本が強いインドに繋がる」という明確なコンセプトを提示して、様々な活動を進めて来られています。そもそもインドセンター創設はどのような思いからだったのでしょうか。

ヴィバウ 私が日本に留学したのは、日印関係を一つの形にして、人類が今直面している大きな問題の解決に貢献したいと考えたからです。私の父親は大学教授で、親族には同じく大学教授や政治家が多くいました。子供の頃からこういう人々と接することができ、その中で私は国家観や世界観を磨いていったのです。そして気づいたのは、インドと日本の関係が未成熟であることです。在るべき関係がまだ構築されていない。例えて言えば、昔一緒に遊んだことがある、外国に行ってしまった従兄弟のようなもの。共通の思い出はあるのですが、一緒にできることが何もないのです。そんなことを考えながら、一九九二年に来日し、東京大学理学部の大学院でコンピューター・サイエンスを学びました。

元谷 ヴィバウさんは明確な目的を持っていたから日本だったのでしょうが、通常はインドから留学するとなると、アメリカやイギリスに行く人が多いでしょう。

ヴィバウ はい。イギリスならオックスフォード大学やケンブリッジ大学、アメリカならハーバード大学やスタンフォード大学でしょうか。私もアメリカの大学へ進学する道があったのですが、東京大学を選びました。親族は皆大反対です。日本に行くならアメリカの大学を卒業してから行けばいいとも言われました。しかし私はともかく一刻も早く日本に行きたかったのです。実は十二歳から、NHKの番組を観たり、本を読んだり人から聞いたりして、日本語を勉強していたのです。

元谷 日本を選んだヴィバウさんは、両国に貢献することができました。これは日本にとってもインドにとっても、大変ありがたいことです。今や国の力の背景には必ず核兵器があります。日本の周辺国は核保有国ばかりです。唯一の被爆国ということで日本には核アレルギーがあるのですが、東アジアのバランス・オブ・パワーを考えると日本にも核の力が必要です。非核三原則を撤廃して、ニュークリア・シェアリング協定をアメリカと結ぶべきなのです。さらに平和・安全を守るために、インドとも安全保障面での深い連携を結ぶことが重要になってくるでしょう。

ヴィバウ それも一つの方法です。昔は常に戦争をしていて仲の悪かったフランスとドイツが、共同して呼び掛けることで成立したのがEUです。素晴らしく良好な関係と恐ろしく険悪な関係は、どちらも結局は「強い関係」です。独仏には元々強い関係があり、エネルギーや資源の効率的な利用など、連携による社会経済面の互いに尊敬できるフレームワークを提案して他国を巻き込んだことで、強大な経済ブロックが誕生しました。それがどんどん政治的なものに変化して、今のEUとなったのです。日本とインドには強い結びつきがあり、さらに対立がありません。独仏が可能だったことなら、日印でも可能なはずです。

元谷 日印関係が良好な理由の一つに、日露戦争での日本の勝利があります。有色人種の国が白人の国に勝ったということで、インドも含む世界中の植民地で独立の機運が高まったのです。先の大戦で自国防衛のために戦った日本ですが、結果としてインドや他のアジア・アフリカ諸国の独立に貢献しました。今の独仏関係は理想的で、ドイツには経済力が、フランスには核兵器があります。日印関係も同じように考えられるかもしれません。とにかく今の日本を巡る国際情勢は厳しさを増しているのに、メディアも政治家も能天気で、私は大きな不安を感じています。

ヒンドゥー教と神道は
共に聖典を持たない多神教

ヴィバウ 日本とインドの関係の歴史は古く、最初は文化的なものでした。千年以上も前にインド発祥の仏教が中国経由で日本に入り、インドから多くの僧が日本にやってきて、お寺を建立しました。またインドでは日本は東にある「太陽の国」と考えられていました。インドでも日本でも太陽は神様です。このことからインドの人々は日本に対して格別の思いを持っており、かつてのインドの王族の公式行事の際には、日本の天皇陛下に必ず招待状を送っていたのです。インド国民の八割が信じるヒンドゥー教は、宗教というよりは生き方の指針です。書物はあるのですが、聖書やコーランのような聖典はありません。ここが日本の神道と非常によく似ているのです。

元谷 イギリスの植民地支配の手法は分割統治でした。だからインド独立の際も敢えてヒンドゥー教の国とイスラム教の国に分けた。これが今のインドとパキスタンの対立の根幹になっています。本来であれば宗教が異なっても一つの国として、もっと強大な国造りが可能だったはずなのに、不毛な揉め事が絶えないのは不幸なことです。一神教同士の争いが苛酷なことに比べて、多神教のヒンドゥー教や神道は他の宗教に非常に寛容です。これが日印の長く良好な関係のベースになっているのは確かですね。

ヴィバウ 基本的な思想が似ていますから、日本とインドには自然なパートナーシップがありました。しかしその関係に明確なテーマがなかったのです。先の大戦後、日本は焦土からの復興、インドは独立後の国造りに互いに追われ、五十年間両国の関係は非常に希薄なものでした。日印共通のテーマを見つけることが、私が日本に来た大きな目的でした。そして「世界の課題を解決する」が両国のテーマだという結論に至ったのです。今世界が直面しているのは、これまでの発展モデルに限界が来ていることです。この旧モデルは、三百年前に世界の人口の五%を代表する人々が、アフリカ、アジアや南アメリカなどにいる残り九五%の人々を搾取して資産を蓄積するという発展モデルでした。

元谷 その通りです。日本が戦いを始めるまでは、世界は白人のキリスト教徒のものだったのです。また特にこの旧モデルの考え方は、労働によって対価を得ることを奨励するプロテスタントに由来するものでしょう。

ヴィバウ 日本は幸いにして、搾取の対象からは外れていました。しかし後に、それが戦争の原因になります。

元谷 十六世紀中頃に鉄砲が日本に伝来したのですが、その後日本人はそれまでの知識を駆使して量産技術を確立、十六世紀末には日本の鉄砲保有数は、ヨーロッパ全体のそれを上回るようになります。欧米列強も、こんな武力を持つ国を植民地化することは避け、他のアジアやアフリカの地域に進出していったのでしょう。武力での制圧を諦めた欧米列強はキリスト教による支配を試みますが、それも天皇陛下のいる日本には通用しませんでした。

ヴィバウ 代表の見方に私も賛同しています。そして全てのルールを五%の人々が決めていて、それに反対する人もいたはずですが、広く表明する手段がなかった。しかし時代が変わり、インターネットが登場して、世界中の人々が低コストでコミュニケーションができるようになりました。その結果、例えばアフリカにいる人でも旧発展モデルのノウハウを熟知するようになりました。そうなると搾取される人々が少なくなりバランスが崩れることで、旧モデルは機能しなくなってきたのです。また資源の問題もあります。昔は五%の人のために資源が使われていましたから、資源が無限で人の考え方が有限でした。しかしバランスが崩れ、多くの人が資源を使う今、資源とエネルギーを効率的にできるだけ使わない、人を中心とする発展モデルが求められています。

元谷 それは同感です。

ヴィバウ 日本とインドが連携して新しい発展モデルを構築していくことが、インドセンター設立の目的でした。地球環境に対しての考え方が日本とインドでは似ています。資源がない日本は、これまでも省エネでサステナビリティのある発展モデルを採用して成長してきました。これはインドも同様です。この日印グローバル・パートナーシップでの発展モデルの方針を一九九六年に発表、翌年から準備を始めました。動き出して感じたのは、日本人が古いインドのイメージしか持っていないことです。今のインドを知るには来てもらうのが一番なのですが、理解しないと来てくれない。鶏が先か、卵が先かのジレンマです。そこで思いついたのが、インド映画を観てもらい、泣いたり笑ったりする中で、インドを理解してもらうことでした。日印の戦略的な関係にインド映画が文化大使の役割を果たしたわけです。

元谷 インドは毎年二千本近い作品を制作する世界一の映画大国ですね。アメリカ映画は世界中で公開することで収益を黒字化していますが、インドの映画産業は、基本的に十二億人の国内マーケットでの公開で成り立つようになっています。これは強いですね。

ヴィバウ その通りです。また歌や踊りが盛り込まれ、娯楽性が非常に高いことでも知られています。一九九七年の私達のインド映画公開によって日本でインドブームが起こり、多くの作品が日本で公開されるようになりました。

インドへの扉を開けた
森首相の大きな功績

ヴィバウ 映画でまずインドを理解してもらったら、次のパートナーシップの段階に移行…と考えていた一九九八年、インドが核実験を行ったのです。日本はアメリカ等と歩調を合わせ、インドに経済制裁を課すことになり、日印関係は一気に冷え込みました。

元谷 私はインドの核武装はやむを得ないと考えています。日本人は戦後アメリカの誘導の下、間違った安全保障観を植え付けられ、多くの人が、憲法九条があれば平和が保たれるという幻想を信じています。現実には先程もお話した通り、バランス・オブ・パワーを保つことが平和への唯一の道です。国境を接する中国が核武装化、何度か国境紛争が起こっている状況下で力のバランスを維持しようと考えれば、インドは核を持つしかなかったでしょう。

ヴィバウ 代表はやはり正しい世界観をお持ちだと思います。仰るとおり、抑止力としての核保有という意味は大きいものです。核に関するインドの考えははっきりしていて、インドは核の平和的使用しか考えていません。核兵器には日本に同調してずっと反対してきました。平和主義のインドが核実験をすることによって、核兵器を持つ権利を保有しているという強いメッセージを世界に発信したと言うことです。これがインドの考え方なのです。

元谷 そういう意味があったのですね。

ヴィバウ しかし交流が少なかったので、日本とインドは腹を割った意見交換ができず、その結果日本からの激しい批難と経済制裁となってしまいました。これは、日印の新しい関係を築くチャンスだと私は考えました。日印関係が冷え切った二年間ほど、両国のトップレベルの意見交換はインドセンターが提案するという時期があったのですが、その間に双方の政治家に日印グローバル・パートナーシップのヴィジョンを説明し、賛同してくれるよう説得を繰り返したのです。これに応じてアクションを起こしてくれたのが、森喜朗先生でした。

元谷 森喜朗氏は私と同じ石川県小松市出身です。昔は私の会社の事務所と森氏の選挙事務所が向かい合わせで、氏が一年生議員の時からお付き合いがあります。しかし私は政治献金を一切したことがありません。それはどの政治家に対しても同じです。一九八八年に勃発したリクルート事件では、当時は誰もが行っていた未公開株の政治家への有償譲渡が贈賄にあたるとされて、江副浩正氏が逮捕されました。何かあると逆に迷惑になると考えて、政治家にお金を出すことは控えているのです。それもあり森喜朗氏とは長年良い関係を維持しています。森氏は争いが嫌いで、和を非常に大切にする人であり、また冷戦時代にソ連を訪れるなど、外交にも非常に力を入れる政治家です。

ヴィバウ 私もそう思います。日印関係のきっかけはその森先生が私のことを大変気に入ってくれた事で、私は日本とインドが手を繋ぐことで、世界のために何ができるかということを提案しました。二〇〇〇年に小渕首相が急逝、森首相が誕生した時も、すぐに私は話をしに行きました。森首相は早急なインド訪問を約束してくれたのですが、当時の日本政府は日印関係修復の条件は包括的核実験禁止条約(CTBT)への署名が必須など、インドに対して非常に強硬な姿勢でした。ここも緩和するように私は働きかけ、外務省や自民党の反対を押し切って、森首相は二〇〇〇年八月に経済制裁中のインドを訪問、パジパイ首相と日印グローバル・パートナーシップ構築に合意したのです。

元谷 この森氏のインド訪問は非常に意義のあることでした。その裏にはヴィバウさんの活躍があったのですね。

ヴィバウ はい。戦後日本において、吉田茂がアメリカへの扉を、田中角栄が中国への扉を開いたことに続く、非常に大きな功績だったと思います。政治家の役割は国家のためのフレームワーク作りです。森先生が決めた日印関係の新しいフレームワークは、日本への一番の貢献です。この二国のパートナーシップを軸に、アジアで東洋的な考えに基づいた新しいコンセプトの経済ブロックを築こうと考えています。

今後に大きな期待が掛かる
大都市間の産業大動脈構想

元谷 中国の一帯一路構想に暗雲が垂れ込めています。経済支援と称して返済不能なぐらいに貸し込まれ、返せないと担保が取られる。このやり方が反感を買い、離脱する国も出てきています。日本とインドの連携を核に、アジア諸国やロシアまで含む経済と安全保障の協力体制で中国の膨張を抑えるべきです。特に海上覇権を目指す中国は、南沙諸島の岩礁を埋め立てて軍事基地化、アメリカにハワイを境に太平洋を二分しようと持ちかけるほど増長しています。トランプ大統領がアメリカ・ファーストの方針を貫く以上、日本は中国からの圧力をダイレクトに受けることになります。戦前の朝鮮にも戦後の韓国にも日本は多大なインフラ投資をしてきたのに、北朝鮮も韓国もそのことを評価せず、北朝鮮と韓国が統一して、核を保有する朝鮮連邦が誕生し、日本に戦前戦後の賠償をと迫ってくる可能性もあります。これらからも、日本はアジア各国と連携して、経済圏や安全保障体制を強化する必要に迫られているのです。

ヴィバウ 私もその考えに賛成です。アジアにはまだ発展していない地域が多いのですが、これはチャンスです。今、古い発展モデルを変える必要があるのですが、すでに構築されているのを壊すのは大変です。まだモデルができていなければ、省エネでサステナブルな新しい発展モデルを一から導入することができるのです。日本は東京―広島間のパシフィックベルトのように新しいモデルの生きた実験室ですし、このモデルの実践としてインドセンターが自ら触媒として働きかけた「デリー・ムンバイ間産業大動脈構想」が現在進められています。これはデリーとムンバイ間千四百キロメートルに大量の輸送を可能とする貨物専用鉄道を新設、周辺都市において省エネタイプの産業開発を進めるというものです。さらにこの発展モデルのメリットをアフリカに伝え、ここにも広げることができるでしょう。

元谷 かつては豊かになれば社会主義を捨て民主国家になると考え、日本は中国に多大な援助を行いました。しかし国が豊かになっても富は一部の人に集中、国家の体制は変わらず、科学技術が一党独裁政府の人民管理の手段になっています。今後日本が投資を行うとすればそんな中国ではなく、中国同様の労働力と市場を持つインドに向けてでしょう。日本はインドの発展を支援することで製造大国化に貢献、中国に頼らない経済圏を構築することができるのではないでしょうか。

ヴィバウ 将来的にはそれを目指すことになるでしょう。ただモノ作りは最後であって、まずインドはシステム・インフラ作りに専念しています。その典型的な例がデリー・ムンバイ間産業大動脈構想であり、これが整備されれば百兆円規模の産業が誕生できるのです。私はアジアが一体となることが最も重要だと考えています。日本とインドが堅固な関係を結べば、中国と良い関係を築く土台になるのではないでしょうか。中国の一帯一路構想は二〇一二年からですが、デリー・ムンバイ間産業大動脈構想は二〇〇六年に発表されています。日印連携の「ベルト発展」構想が、一帯一路に影響を与えたことは明らかです。

元谷 しかし中国の膨張主義に対する警戒は必要です。インドとパキスタンの今の対立の背後にも、必ず中国がいますから。

ヴィバウ はい、それは仰る通りです。私はインドを痛めつけても何の利益もないことを、パキスタンに理解して欲しい。そして強いインドが強いパキスタンに繋がるという新しい考え方を定着させたいのです。その前提としても、日印グローバル・パートナーシップが重要ですし、同様の枠組みは北朝鮮でもイランでもシリアでも機能すると思います。十年先には実現しているのではないでしょうか。

元谷 理想的にはヴィバウさんの言う通りだけれども、現実にはやはりバランス・オブ・パワーの維持が最重要です。一国では弱いですから、同じ価値観を持つ民主主義国の同盟が、さらに重要になっていく。その文脈で日印関係の充実も求められていくと思います。ヴィバウさんにはさらに活躍してもらいたいです。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。

ヴィバウ 若い人は夢と希望、そして視野を大きく持って世界への貢献を目指していって欲しいですね。「強い日本が強いインド、強いインドが強い日本に繋がることを目指して行動しよう。」

元谷 未来は若い人のものですから、日本でもインドでも、一緒に取り組んで良い社会を作っていきたいですね。本日はありがとうございました。

対談日 2019年2月28日