二〇一三~二〇一四年の年末年始は、この五年間で四回目となるアメリカ・ラスベガスでの年越しとなった。ラスベガスで三十年以上暮らしている私の台湾人の友人が、毎年招待してくれるからだ。彼はアメリカの大学で博士号を取得した超インテリだが、父親は台湾では知らぬ者がいない位有名な画家だ。国際常識も豊かでマナーもわきまえた紳士であり、ここ十数年来親しく交際している。その彼が、ラスベガスでも最高級ホテルとして知られる「ウィン」と「ベラージオ」にスイートルームを予約したから、各ホテルで行われるカウントダウン&ニューイヤーパーティーに一緒に参加しようというのだ。昨年は所用があって断念したのだが、今年はスケジュールに都合もついたので、参加することにした。
三泊五日の行程で十二月三十日に出発。大晦日、私が参加したのは、ベラージオのパーティーだった。当然服装は男性はタキシード、女性はドレスの正装だ。そんな着飾った男女が行き交うパーティー会場は非常に華やかだ。招待してくれた友人は、ベラージオだけではなく、いくつものホテルのパーティーを「はしご」していた。聞くと、彼は私のチケットを含め、それらのパーティーのチケットをわざわざ購入していたのではなく、全てホテルから招待されていたという。毎年多額の掛け金を使ってカジノをエンジョイし、豪華な部屋や食事を楽しんでいる友人は、ホテルから得意客として「コンプ」と呼ばれる数々の特典を受けているのだそうだ。
別の夜、彼と共に四人で食事に行ったのだが、白トリュフなどの世界の三大珍味や、この上もなく美味しいお肉などを、高価なワインと共に堪能した。ふと見ると友人が千ドルほどのチップをテーブルに置いていた。ごちそうになったのでこの店での支払金額は知らなかったのだが、チップの相場は飲食費の一五%程度だから、総額は日本円で約七十万円ほどだったのだろう。カジノ自体も様変わりしていて、スロットマシンで大きく勝ったとしても、チップがじゃらじゃらと出てくるのではなく、すぐに係員がやってきて、小切手を切ってくれる。以前よりも煩わしい思いをせずに楽しめるようになっている。ショーも観た。マンダレイ・ベイというホテルで演っている「ONE by Cirque du Soleil」というマイケル・ジャクソンをテーマにしたシルク・ドゥ・ソレイユだ。これは見事だった。
かつて私は世界中のカジノに行ってやろうと思って、これまでに十数か所を周った。博打が好きとか儲けたいとかではなく、中の雰囲気が見たかったのだ。十万円を入場料代わりにチップに交換し、適当に賭けて遊んだ。なかなか勝つことは難しかったが、それでも楽しかった。基本的に私は博打があまり好きではない。行っている事業が巨大な博打のようなもので、それに比べればカジノで行うことには、あまりスリルを感じなかったからだ。私がラスベガスを最初に訪れたのは、一九七三年の二月だった。当時、ホテルはダウンタウンに集中していたが、その後どんどん空港へと向かうラスベガス通り(通称「ストリップ」)沿いに豪華ホテルが並ぶようになっていった。巨大な国際会議場も建てられ、コンベンションが数多く開催されるようになり、ショーやコンサートがどんどん充実し、シルク・ドゥ・ソレイユの公演も行われている。五千室のホテルが登場するなど、毎年新しい施設が出来ているのも、訪れるものとしては嬉しい。今話題なのは、完成間近の高さ百六十七メートルの巨大観覧車、その名も「ハイ・ローラー」(本来はカジノで高額の金を賭けて遊ぶ人のこと)だ。大きなキャビンには約四十人が乗ることができ、それが二十八個付けられている。ざっと千人以上の人々が、一度にラスベガスの絶景を楽しむことができるわけだ。一周は約三十分。「ストリップ」の端から端までを一望できるというのだから凄い。私は観覧車が大好きで、ロンドンオリンピック観戦に行った時には、「ロンドン・アイ」という大型観覧車に乗ってきたほど。この「ハイ・ローラー」の完成も楽しみだ。来年の年越しもここで…と心に決めたのだが、もう少し暖かい季節にやってきて、ホテルのプールサイドでシャンパンを片手にのんびり寛ぐのも良いかなと思った。
一月十一日付けの読売新聞朝刊の国際面に出ている「カジノの街 変貌進む」という記事には、ラスベガス観光局の統計として、滞在中に賭博をした人の割合が二〇〇八年の八五%から、二〇一二年には七二%に減少したことが紹介されている。「ラスベガスは一九三一年に賭博を合法化。四〇年代からカジノを備えたリゾートホテルが次々と建設され、賭博中心の開発が行われてきた。だが九十年代以降、世界各地にカジノが建つようになり、コンベンションや高級飲食店、ショーなどに比重を移してきた」。ラスベガスはカジノの街から進化して、今や子供からお年寄りまで誰もが楽しめる一大娯楽都市になっている。
日本でもカジノ事業展開の実現を目指し、超党派の「国際観光産業振興議員連盟」が十二月に「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」(通称IR推進法案またはカジノ法案)をまとめ、自民党、日本維新の会、生活の党が国会に提出している。前掲記事によると「安倍首相は同議連最高顧問で、『色々な課題もあるが、私自身はメリットも十分にあると思う』と意欲を示している」という。資本金一億円超の大企業の交際費を半分まで経費にできることが税制改正に盛り込まれたが、この減税策で苦境に陥っている高級クラブや料亭が復活することが期待できる。いわば安倍首相が提唱する三本の矢の三本目、成長戦略に当たるものだ。カジノも国民が豊かさを実感しながら需要を創出できる場所であり、減税同様に経済成長に貢献する策として、推進に値するように思える。
また東京オリンピックを控えて、外国人観光客の誘致策としても有効だ。日本は観光立国を目指して、昨年の外国人観光客の数は千百二十五万人に達したが、政府は二〇三〇年までに三千万人を目標としている。目標達成のためにカジノは必須だし、もし日本で造るのであれば、家族でも訪れることができる「健全性」を重視、ラスベガス的な方向を目指して、コンベンションやショー、さらに日本人が得意な「食」でのおもてなしの要素を、賭博場であるカジノと複合させたものにするべきだ。
東京オリンピックまでに稼働させることを考えると、カジノ法案は年内に成立させなければならない。しかしいろいろと考慮しなければならないポイントも多い。まずは場所だ。お台場という声が大きいが、私は少し都心の喧騒から近すぎると思う。アメリカの東海岸で有名なカジノタウンと言えばアトランティックシティだが、私は一九八三年にニューヨークから二時間かけてレンタカーで訪れたことがある。
首都圏なら幕張も有力な候補地だろう。東京の中心部に近く、浦安のテーマパークや羽田&成田空港からのアクセスも良い。千葉市が幕張新都心として力を入れてきたエリアであり、先行して立ち並ぶ多くの施設との相乗効果が期待できる一方、まだ敷地的な余裕もある。ぜひ検討に加えて欲しいものだ。
近年、カジノと言えば、世界的にはラスベガスよりもマカオだ。私も一九七三年春に、初めての全社員の海外研修旅行としてマカオを訪れたことがあるが、当時に比べて今は大きく発展している。前掲の読売新聞の記事によると、「人口約五十九万人、面積約三十万平方キロメートルのマカオ。『東洋のラスベガス』と称され、二〇〇二年に外資のカジノ経営が認められるや、米国系や香港系の大規模カジノ進出が相次いだ。〇六年にはカジノの売上高がラスベガスを上回り、世界一」だという。ラスベガスの売上が年間六十億ドルなのに対して、マカオの売上はその六倍の三百八十億ドルだ。マカオにもラスベガスにあるウィンやベネチアンなどが進出して、いずれも成功を収めている。
しかしこの記事によれば、マカオは「中国共産党や地方政府幹部らが不正に手にしたカネのマネーロンダリング(資金洗浄)の場、との指摘も根強い」という。「マカオに隣接の広東省珠海を拠点とする仲介業者によれば、客は中国側で業者に人民元を預け、マカオ側で手数料を差し引いた分の払い戻しを受ける。客はカジノでチップに交換した上で現金に戻し、“きれいなカネ”として香港の銀行口座に入金したり不動産投資に回したりする」そうだ。日本のカジノも、このように利用されないよう、厳重な規制を設ける必要があるだろう。
マカオの売上は三百八十億ドル、つまり日本円で約三兆八千億円だが、日本にはそれを遥かに上回る売上二十四兆円、粗利が三兆七千億円の娯楽産業がある。言わずと知れた「パチンコ」だ。多くのパチンコ企業は、日本の人口の中の〇・五%にあたる在日韓国及び朝鮮人によって経営されていて、膨大なパチンコマネーが朝鮮半島に流れ込んでいる。北朝鮮に行けば核開発の資金源となっているのだろう。マカオのカジノ施設数は三十五、ラスベガスは四十だが、日本のパチンコ店は全国に一万数千軒もある。日本にこれまでカジノが出来なかったのは、ここまで日本に浸透しているパチンコ業界の反対があったからではないか。パチンコ業界に利権を持つのは、風営法上の取り締まりを行う警察だ。その他の公営賭博については、競馬は農林水産省、競艇は国土交通省、競輪とオートレースは経済産業省、宝くじは総務省の管轄だ。また今回提出されたカジノ法案では、カジノ施設は総務省の下に造られるカジノ管理委員会が様々な権限を持つ予定だ。カジノを巡っては、これらの省庁の駆け引きもあるのだろう。
カジノができると、「ギャンブル依存症患者の増加」(前掲読売新聞記事より)が起こるのではという懸念もある。世界的にカジノを解禁している国は百以上あり、先進国はほとんど大丈夫だ。しかしラスベガスでは勝ったお金には税金が掛かる(日本人は掛からない)が、マカオでは掛からないなど、その運営方法は各国で異なる。モナコのカジノは入場料をとり、さらに自国民は入場禁止だ。韓国のウォーカーヒルも韓国人は入場できない。同じように、何らかの入場制限を設けている国は多く、年齢制限も必ずと言って良いほど設定されている。またヨーロッパではある種のハイソサエティな雰囲気を演出することで、入場者を制限している姿勢も窺える。一方日本でもパチンコや公営賭博にすっかり嵌り込んでいる人も多い。カジノ建設にあたっては、国民への悪影響を最低限にし、なおかつグレード感のある施設を造るべく、世界各地のカジノを研究して、入場料金を取るか、取るならいくらにするか、その他の入場制限はどうするのかなどのルールを決める必要があるだろう。
ラスベガスのホテルで私が一番好きなのはウィンだ。友人はウィンのCEOと親しいのだが、常に世界中の高級リゾートを巡っていて、今回も不在で会うことができなかったが、COOとは話をすることができた。彼は日本でカジノがOKになったら、ぜひ進出してみたいとのこと。同じホテルビジネスをするもの同士、他にもいろいろと有益な情報交換を行うことができた。法案が可決するなどもっと具体的になっていけば、私もなんらかの形で、日本のカジノ事業展開の実現に貢献できればと考えている。
小野田少尉
私は先日、小野田少尉が亡くなられたというニュースに接し、彼がルバング島からの生還した時の写真を思い出した。二十九年間も戦い続けてきた彼に、昔の日本軍人の姿を見た思いがした。上官の命令で戦いを終え、フィリピン軍司令官に軍刀を差し出したが、そのまま小野田氏に返し、司令官は小野田氏を「軍隊における忠誠の見本」と評し、投降式で武装解除された。小野田氏は終戦を信じられずに戦闘行為を継続していたと主張し、日本の外務省の力添えもあり、フィリピン政府は刑罰対象者の小野田氏を恩赦した。
今、東京都知事選において有力候補と言われている舛添氏、細川氏、田母神氏の三名の中で、自衛隊時代から毎年例大祭、その他要の日には参拝をしてきた田母神氏と比べて、一度も靖国を参拝したこともなく日本の国旗を「邪魔だからどけろ」と言った舛添氏や、「オリンピックは辞退すべき」と主張する細川氏は、本当に日本人なのかと疑ってみたくなる。
小野田氏が二〇〇五年六月に「週刊新潮」で〈小泉「靖国参拝」私はこう考える〉に寄せられたコメントを紹介する。
『私は十五年間、靖国神社に祀られていた身分です。そのままだったら今の日本の姿を知る由もなかった。国が靖国を護持しないというのなら、それは私たちに対する借金を返さず、未納のままだということです。
また別の施設を造るということは私たちに対する裏切り行為です。とても許されることではありません。
靖国参拝は当たり前のことであって、あれこれ言う人はもうどうでもいい。いやなら参拝は結構だと言いたい。
A級戦犯が祀られているから、という意見を言う人もいますが、あの裁判は占領中に行われたことであり、彼らはその中で命を落とした人たちなのです。
日本人は亡くなった人に対してそれ以上の罪を憎まないという習慣がある。しかし、中国では死んだあとでも罪人のままで、墓まで暴かれてしまいます。その中国の価値観をわれわれが受け入れなければならないのでしょうか。一度黙って静かにお参りしてみたらどうですか。
戦争で死んだ人は若い人が多かった。肉親が元気な内は手厚く祀ってもらえるが、肉親がいなくなったあとに祀られる場所は靖国しかないのです。
戦争は国がやったことですから、その責任を国がとるのは当たり前のことなのです。』
まさに、小野田少尉に昔の日本人の姿を思い、私の主催するワインの会にお越しいただいたことを思い出した。
「小野田様のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。日本民族の誇りを守り、後世に伝えていかれたご功績に心から敬意を表するとともに、ご冥福を衷心よりお祈りいたします。」
1月23日(木)午前2時30分校了