日本を語るワインの会241

ワイン241恒例「日本を語るワインの会」が会長邸で行われました。ドイツで修士号と博士号を取得、政治や哲学にも明るい研究者でもある駐日コソボ共和国大使館特命全権大使のサブリ・キチマリ氏、第六回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀藤誠志賞を獲得した衆議院議員の松原仁氏、NPOを生かした社会の構築を提唱し続ける衆議院議員の市村浩一郎氏、広島大学で学び広島弁も堪能な駐日インドネシア共和国大使館のアンドリ・スマルヤディ氏、貿易や投資促進、労働や人材まで幅広い分野を扱う日本アセアンセンター事業部長代理のレトノ・スペニ氏、陸上自衛隊で普通科と衛生科の両職種の研究を行った唯一の幹部である元陸上自衛隊富士学校・衛生学校研究員で有事・軍事ジャーナリストの照井資規氏をお迎えし、政治からビジネスまで、様々な話に花が咲きました。
火災に遭遇した場合には
一酸化炭素中毒に注意!
 照井資規氏が専門とする戦闘時の救命には、火災も含まれる。火災が起こった時に、皮膚が焼けたことが原因で死ぬ人は少なく、一酸化炭素中毒で亡くなった後に遺体が焼かれるケースが多い。まずは一酸化炭素に暴露しないという考え方を身につけることが肝心だ。いざという時には、シンプルなものほど役に立つ。アパホテルの全ての部屋に常備してある「煙ふせぐ〜ん」は大きな袋状のフードだ。火災の際には、この袋の中に空気を入れ、それが漏れないように手で支えながら逃げることで、一酸化炭素を吸わずに済む。約三分の呼吸が可能だが、それだけあれば煙が充満した廊下を通って非常口まで辿り着くことができるだろう。
 衆議院議員八期目となる松原仁氏は、このワインの会の当日に、様々な理由から立憲民主党に離党届を提出した。すぐにどこかの政党に入るということはなく、これからは無所属で活動していく。
 バルカン半島にあるコソボ共和国は、二〇〇八年にセルビアからの独立を宣言したヨーロッパで一番若い国。岐阜県程の大きさの国土に約百九十万人の国民が住むが、国外にも多くのコソボからの出自を持つ人々がいる。サブリ・キチマリ氏は、独立直後に指名された大使の中の一人で、それまではコソボの首都にあるプリシュティナ大学の教員をしていた。オーストリア大使を五年、しばらく母国で仕事をした後の二〇二二年一月に駐日大使として来日した。研究者として昨年十二月にイギリスの出版社から’History Continues: Three Models of the Continuation of History’という本を出版した。この政治哲学に関する本自体は、ロシアのウクライナ侵攻の前に書かれたのだが、この暴挙の背景にあるようなリベラル・デモクラシーに挑戦する三つのイデオロギー・モデルが批判的に提示されている。その三つとは、ウルトラナショナリズム、イランの原理主義、中国の社会主義だ。キチマリ氏はドイツで修士号と博士号を取得していて、母国語であるアルバニア語の次に得意なのはドイツ語だ。英語は四番目に得意な言葉となる。
インドネシアには
日本に関心のある若者が
 六月九日に結婚三十周年を迎えた天皇皇后両陛下は、六月十七日から即位後初めての国際親善を目的とした海外訪問として、インドネシアを訪れる。インドネシアは首都のジャカルタがあるジャワ島を中心に、一万七千もの島を抱える世界最大の群島国家で、その合計の国土面積は日本の五倍、そこに約二・七億人の人々が住んでいる。若い世代が多いのが特徴で、十歳〜四十一歳の人口は約一億三千万人で、人口の約五四%となる。このインドネシアの若い世代の日本に対しての関心は強く、日本語の学習意欲も高い。
 広島大学で学んだアンドリ・スマルヤディ氏は駐日インドネシア共和国大使館に二十六年勤務して、日本とインドネシアの関係をより深くするために尽力している。今年は日本とインドネシアが国交を結んで六十五年。コロナ禍前に日本にいたインドネシア人は約四万人ぐらいだったが、コロナ禍後には増えて今は約九万五千人になっている。日本の大学で学んだり、卒業したりして、働いている人も多い。今後も多くの優秀なインドネシアの人材がやってきて活躍できるように、日本側でもいろいろな努力をするべきだ。
 会長やホテル社長とも親交のある国際社交家のデヴィ・スカルノ氏は、インドネシアのスカルノ元大統領の第三夫人だったが、今でもスマルヤディ氏らインドネシア大使館の人と食事をするなど、日本とインドネシアの交流に尽力している。デヴィ氏は歯に衣着せぬことで知られている。デヴィ氏同様日本人でありながら海外で活躍した女性としては、タイガーバームの総裁・胡一虎夫人だった胡暁子氏が有名だ。胡氏もデヴィ氏同様、日本人の国際的意識と地位の向上に努めた人だった。
 松原仁氏、市村浩一郎氏は共に松下政経塾出身で、松原氏が第二期生、市村氏が第九期生だ。松下幸之助氏は、本当は自民党の学校を作りたかったこともあり、松下政経塾では第二期目から政治家志望の学生を積極的に取るようになった。その一人が松原氏だ。市村氏の第九期が松下幸之助氏に実際に会うことができた最後の世代になる。今年の四月に入塾した人々は、第四十四期生だ。
 ホテル社長の出身校である福井県立藤島高等学校は県有数の進学校で、ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎氏もこの学校の出身だ。毎年東京大学を中心に全国の有名大学の合格者を輩出している。藤島高校から東京大学、日本興業銀行へと進んだ吉村一男氏は、高校、大学とサッカーをしていた関係で福井ユナイテッドの社長等も歴任、現在も地方創生のための事業を展開している。
勇敢に立ち向かう人に
運はやってくる
 グループ専務は三冊目の著作『誰も知らない帝王学〜能ある鷹は爪を出せ〜』(東京ニュース通信社)を五月十日に上梓した。一代で今のアパグループを築いた会長の経営哲学、成長戦略、人事戦略等商売の真髄を詳細に紹介。さらに三十五期連続で増収増益を続けるニトリの創業者、似鳥昭雄氏へのインタビューや、元サッカー日本代表の本田圭佑氏に関するシークレットエピソードも掲載されている。この本に書かれている「好奇心旺盛な旅人であれ」という教えは、会長の言葉「発想は移動距離に比例する」にも通じる言葉だ。あらゆることに好奇心を持ち、実際に事が起こった場所に足を運んでみて、人と話もしてみる。そうすることで、これまで見えなかった景色が新たに拓けてくるのだ。
 映画「ボヘミアン・ラプソディ」でも使われていた言葉「幸運は勇者に味方する」は、ラテン語のことわざだ。勇敢に戦う人のみが運に恵まれて勝利できるということだろう。世の中実力だけでは上手くいかないことが多い。様々な努力を行うのは当然、それを踏まえて「自分は運が良かったから成功した」を思うことが、実は一番正しい認識だったりする。これを実践しているのがCEOだ。
マンションの購入には
人それぞれのドラマがある
 アパホテルは日本サッカー協会と四年間のJFAナショナルチームパートナー契約を締結、ホテル業界では唯一アパホテルだけが、サッカー日本代表のサムライ・ブルーやなでしこジャパン等を正式に応援できるパートナー企業となった。アパホテルでは「JAPAN PRIDE サッカー日本代表応援サイト」も公開、六月十五日から始まる「キリンチャレンジカップ二〇二三」のサムライ・ブルーもしっかりと応援していく。
 今年四月にアパ社長カレーは一千万食を突破。それを記念し「アパ社長カレー大感謝祭」と題して、八月三十一日までアパ社長カレーを全国のアパホテルフロントやYahoo! ショッピング公式アパホテル店等で十個購入すると、抽選で合計百名にアパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉のインペリアルスイート宿泊券やアパ社長カレー名刺入れ等が当たるキャンペーンを実施している。また、四月に発売されたカップ焼きそば「ペヤング アパ社長カレー味やきそば」も大好評だ。コラボ商品は今様々な業界に波及していて、産経新聞社も創刊五十周年の月刊『正論』と俳優・佐々木蔵之介氏の実家として知られる京都の佐々木酒造とのコラボで、純米大吟醸「正論」を発売している。
 アパホテル&リゾート〈新潟駅前大通〉がオープンした時に、隣に建つマンション、ザ・プレミア〈新潟駅 万代〉のモデルルームに赤ちゃん連れの二十代のご夫婦が来場した。話をしたグループ専務はその時に、まだ若いので四十三歳までにマンションを二軒買えば、子供にしっかり資産を残せますよという話をした。その歳までなら八十歳までにローンを完済することができるからだ。すっかり話が盛り上がり、そのご夫婦はマンションを購入することを決意。その際にご夫婦の奥様が言ったのは、グループ専務に会えてよかった。なぜなら子供をもう一人増やして二人にして、マンションを二軒買って、それぞれに残してあげるという人生の目標ができたからということだった。マンションを買うことには、人それぞれ様々な意味がある。
 コロナ陽性者の宿泊療養施設として貸し出されていたアパホテルプライド〈国会議事堂前〉が、六月一日からホテルとしての営業を再開した。議員会館のすぐ前で首相官邸にも近く、裏には日枝神社が控える最高のロケーションに大浴場もあり、他のアパホテルよりもワンランク上の仕様のこのホテルは、すぐに大人気。また一階にある和食店「とれたて魚と野菜の小料理 KIGI」は、天井の高い落ち着いた雰囲気の空間の中、とれたての野菜や全国から届く魚介を使ったコース仕立ての料理がランチやディナーでいただけるとあって、連日多くのお客様で賑わっている。