Big Talk

平和のために「軍事」をタブーにしてはいけないVol.356[2021年3月号]

東京国際大学 教授 福井雄三
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アパグループ代表 元谷外志雄

第三回アパ日本再興大賞優秀賞を著書『世界最強だった日本陸軍 スターリンを震え上がらせた軍隊』で受賞した東京国際大学教授の福井雄三氏。第二次世界大戦の戦史を研究テーマにする氏に、「陸軍悪玉、海軍善玉論」の嘘や、戦争を起こさないためにはどうすればよいかをお聞きしました。

福井 雄三氏

1953年鳥取県倉吉市生まれ。東京大学法学部卒。企業勤務ののち、大阪青山短期大学教授を経て、2012年から東京国際大学教授。専攻は国際政治学、日本近現代史。「行動する社会科学者」を信条に、ソ連崩壊の年に地球一周の旅を敢行し、旧ソ連・東欧情勢を現地で取材。その後、中国大陸の全域および台湾を踏破。2020年『世界最強だった日本陸軍 スターリンを震え上がらせた軍隊』(PHP研究所)が第三回アパ日本再興大賞優秀賞を受賞。その他著書に『歴史小説の罠』(総和社)、『日米開戦の悲劇──ジョセフ・グルーと軍国日本』『板垣征四郎と石原莞爾』(以上、PHP研究所)、『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』『司馬遼太郎の「意外な歴史眼」』(以上、主婦の友インフォス情報社)など。

日本海海戦の完璧な勝利が
海軍の増長に繋がった

元谷 本日はビッグトークへの登場、ありがとうございます。また今年の第三回アパ日本再興大賞優秀賞受賞、おめでとうございます。

福井 ありがとうございます。私は専門が日本近現代史で、特に第二次世界大戦を中心に研究しています。今回賞をいただいた『世界最強だった日本陸軍 スターリンを震え上がらせた軍隊』は、その研究の成果として、従来の陸軍悪玉、海軍善玉論に疑問を呈するものです。

元谷 私も常々同じことを感じており、福井さんの本には我が意を得た思いでした。審査委員も全員一致で、この本を優秀賞に選びました。福井さんがこの本に書かれているような歴史の見方をするようになったきっかけは何でしょうか。

福井 司馬遼太郎の司馬史観では、日本が昭和に入っておかしくなったのは、独善的な考えに固執した陸軍の暴走のせいとなっています。対して海軍は広い視野を持っていて、バランスが取れていたと。まずこれがおかしいと感じたのです。私は第二次世界大戦当時の日本帝国陸軍は、世界最強だったと考えています。互角の装備で戦闘をすれば、必ず勝ったでしょう。しかし最後は太平洋の島々のジャングルに配備され、大変な苦戦に追い込まれて玉砕が相次ぐのです。先の大戦での日本の軍人の犠牲者は二百万人で、四十万人は中国大陸で亡くなっています。残りの百六十万人は太平洋でのアメリカ相手の戦争で亡くなったのですが、内百二十万人の死因が敵と戦う前の餓死と病死なのです。

元谷 島々へ陸軍を進出させたのはいいが、補給が伴わなかったということですね。

福井 その通りです。そして補給の失敗は海軍の責任です。さらに問題なのは海軍の隠蔽体質です。一九四二年六月のミッドウェー海戦は、四隻の空母を失った海軍の惨敗でした。それを海軍は陸軍にまでひた隠しにし、大勝利だと偽って公表したのです。

元谷 一九〇五年の日本海海戦でバルチック艦隊を破って日露戦争の帰趨を決したことが、海軍を増長させたのではないでしょうか。

福井 確かに日本海海戦での余りにも完全な勝利は、日本にとって大きな偉業でした。これに舞い上がった海軍が独自の権力機構を要求したのです。

元谷 ただ日本海海戦の勝利は日英同盟に負う部分が大きかったですよね。イギリスはバルト海から日本海への長い航海を行うバルチック艦隊の動向を逐一日本に連絡、さらに艦隊が寄港する国々に圧力を掛け、粗悪な石炭しか調達できないようにしたのです。

福井 そういう同盟の効果や運も味方して、世界中が注目していた海戦で、海軍は完璧な勝利を手にしました。余りにも完璧な故に、後に大きな禍根を残すことになったのでしょう。

元谷 大国・ロシアに弱小国・日本が勝てるわけがないというのが当時の常識でしたから。その勝利のインパクトは想像を絶するものだったでしょう。よく指摘されるのは、陸軍と海軍が天皇の統帥権の下に「平等」であって、この二軍を統括する現在の自衛隊で言えば「統合幕僚監部」のような組織がなかったことが問題だったということです。

福井 陸海軍は大元帥である天皇の下にあったのですが、天皇が実質的な戦争指導ができるわけはありませんから、それぞれの軍が独自に動いていたのです。日露戦争までは陸軍が全ての作戦を統括していました。しかし一九三三年に海軍は海軍軍令部を廃して、単なる軍令部とします。これによって海軍は陸軍から完全に独立、独自の国防戦略を立案することが可能になったのです。これが大問題でした。本来戦争で最後の決着をつけるのは陸軍ですから、陸軍が主で海軍が従であるべきなのです。これが対等になったために、陸海の共同作戦ができなくなり、陸海軍の間での軍拡競争のような状況も生まれてきました。

元谷 陸軍と海軍で予算も平等に配分されたのでしょうか。

福井 昭和十年代に入ると、国家予算の半分近くが海軍のために使われるという異常事態が起こります。その異常さは「日本海海戦の勝利」という過去で覆い隠されていたのです。

共産主義によって
一億人以上が殺されている

元谷 もう一つ、日本海海戦の勝利の大きな要因となったのは、攻略した二百三高地に観測所を置いて砲撃を行うことで旅順湾の旅順艦隊を壊滅させ、バルチック艦隊と合流させなかったことです。

福井 その通りだと思います。

元谷 この旅順包囲戦を指揮した乃木希典は、自身の二人の息子を含む多くの兵士の犠牲者を出したことと西南戦争で軍旗を奪われたことを悔やみ、明治天皇に死んでお詫びしたいと申し出ますが、天皇に止められました。

福井 はい、そうです。明治天皇は、気持ちはわかるが自分が生きている間は死ぬなと言ったのです。そして乃木は、明治天皇の大喪の礼の直後に夫人と共に自刃して殉死しました。

元谷 非常に立派な軍人だったと思います。

福井 しかし司馬遼太郎は『坂の上の雲』等で乃木がいかに無能だったかを、綿々と書き連ねています。事実はそうではありません。

元谷 どうして司馬はそのような発想をしたのでしょうか。

福井 先にお話したように、司馬史観では昭和に入って日本は駄目になった。それを象徴する昭和最大の悲劇が、一九三九年のノモンハン事件だというのです。このノモンハン事件での日本軍敗北の遠因が、乃木のような無能な将軍を伝統的に奉ってきたことにあるというのが、司馬の論法です。

元谷 しかしソ連崩壊で公表された資料により、実はノモンハン事件で日本軍は負けていなかったことがわかっています。

福井 そうです。兵力は日本軍の二万五千人に対してソ連は二十三万人と十倍近かったのですが、戦車の被害は日本の二十九台に対してソ連は八百台、航空機の被害は日本の百八十機に対してソ連は千七百機と圧倒的にソ連の被害の方が大きいのです。ただソ連としては日本の北進を阻止するために、ノモンハンで日本は負けたと思い込ませる必要があった。その工作が戦後もずっと成功し続けてきたのです。情報不足のため増援部隊が着く前に停戦してしまうのですが、増援を受けていれば間違いなく日本軍は勝利していました。当時のソ連軍はスターリンの大粛清でガタガタの状態で、兵器の性能と質も日本軍よりはるかに悪かった。司馬さんの言う「高度に近代化されたソ連軍の機械化部隊」は、真っ赤なうそだったのです。その直後ソ連は小国フィンランドと戦って大苦戦をし、大恥をさらした。二年後の独ソ戦では緒戦でドイツ軍に完全殲滅され、ソ連軍の弱さは全世界に暴露されました。ノモンハンでソ連が日本に苦戦したのは当然のことだったのです。

元谷 またソ連軍は現地のモンゴル人を徴兵して戦わせたと聞いています。

福井 そうなのですが、やり方が酷いのです。一説によればモンゴル人達を、戦車の中に鎖で繋いで投降できないようにして戦わせたのですから。チンギスハンが捕虜を戦わせたのと全く同じことをやっていたのです。

元谷 それは残酷ですね。一九五〇年からの朝鮮戦争の時、中朝国境まで追い詰められた北朝鮮軍を助けた中国の義勇軍には、背後にいて逃亡する兵士を射殺する「督戦隊」がいました。それと似ています。

福井 義勇軍に参加したのは国民党軍の兵士でしたからね。

元谷 そうです。国共内戦の末、蒋介石は台湾に逃れるのですが、その時多くの国民党軍兵士が大陸に取り残されたのです。中国共産党は彼らが不安分子にならないよう、前線に立たせて逃げられないようにして戦わせたのです。

福井 その通りです。義勇軍は約百万人の犠牲者を出したと言われています。

元谷 毛沢東は大躍進政策や文化大革命でも多くの人の命を奪っています。その毛沢東に影響を受けたカンボジアのポル・ポトも、国内で虐殺を繰り返しました。

福井 大躍進と文革で五千万人が亡くなっています。カンボジアのポル・ポト政権下では、七百五十万人の人口の内、二百五十万人が殺されたのです。

元谷 歴史上、共産主義による犠牲者は物凄い数になるでしょう。

福井 ソ連でも三千万人はいますから、確実に犠牲者は一億人を超えています。どの共産主義国でも判で押したように階級闘争が起こって、人々が殺されているのです。

戦艦大和は
レイテ湾で沈むべきだった

元谷 私は戦争には勝った場合にも負けた場合にも理由があると考えています。そこを深く研究するべきなのに、戦後日本では戦史研究はなおざりにされてきました。今福井さんは正にその戦史研究をされているわけで、これは将来の日本において大きな功績になると思います。一二七四年と一二八一年の元寇において神風で日本は勝ったと言いますが、それは台風シーズンに戦闘が起こったからです。モンゴル軍は機動力の高い騎馬民族のため、乗馬してたくさん討てる弓でしたが、射程距離が短く、陸上の戦闘では射程距離の長い日本の弓の方が有利だったとか、「いざ鎌倉」の言葉通りに日本の武士が結束して戦ったとか、日本の勝利には神風以外にも多くの要因がありました。

福井 私も鎌倉武士の強さは驚くべきものだったと考えています。モンゴル軍は火薬兵器も保有していて、最初は日本軍も戦い方で戸惑ったようなのですが、次第に巻き返して船まで追い詰めていきました。そこに台風がやってきたのです。

元谷 上陸して拠点を作られていては、神風が吹いても損害は少なかったでしょう。このように勝因も敗因も、さらに戦争自体の評価も冷静に行うべきです。大東亜戦争を日本が戦っていなければ、今でもアジア・アフリカは西欧列強の植民地となっていて、人種平等の世界も誕生していなかったでしょう。もちろん戦争には良い面も悪い面もあります。公平に見てどうなのかを研究・公表していくことに意味があり、これが戦争を防ぐ手段となるのです。

福井 全く同感です。戦争をしないために軍事を研究する必要があるのです。日本は第二次世界大戦の敗戦と原爆ショックで、戦争について多角的に語ること自体がタブーになっているのです。

元谷 さらに軍備を持つことが戦争に繋がるという発想も誤りです。攻撃されても簡単に屈服しない武力を保有することは、相手側の戦意を失わせる抑止力となります。危険なのは侵略が容易だと思われることなのです。日本は支配でも被支配でもない、バランス・オブ・パワーの中での平和を求めるべきです。そのために憲法を改正して、必要な軍事力を保有すべきなのです。

福井 戦後七十五年、日本は国防に関して多くをアメリカに依存してきました。大多数の国民は防衛について全く考えていません。こんな状態がいつまで続くのか。自国の中に外国の軍隊が基地を持って駐留していることがどれだけ異常なことか、日本人は感覚が麻痺してしまって理解していないのです。日本は今米国債を百兆円以上保有していますが、アメリカは返す気はないでしょう。軍事的に支配下に置いているということは、そういうことです。日本はいつでも金を出してくれる財布代わりの国ですから、こんな都合のよい国をアメリカも手放すはずはありませんよね。

元谷 憲法第九条があるから日本は戦争にならないという考えは、全く根拠がないのです。自分の国は自分で守るという当たり前の考えを多くの人が持たないと。そのためにも国防や軍事について語る場を設けていくべきなのですが、そうすると軍国主義者のレッテルを貼られるのです。

福井 第二次世界大戦の日米の戦いですが、国力を比較して、そもそも日本は勝てなかったという主張があります。しかし私は勝てないにしても、もっと悔いのない戦い方があったと思っているのです。例えば真珠湾攻撃も実質的な戦果はわずかです。

元谷 連合艦隊司令長官の山本五十六は、「泥棒だって帰り道が怖い」と第二次攻撃を行いませんでした。ドックや燃料タンクも民間人の犠牲が出ると攻撃しなかった。やるのであれば真珠湾を占領して、ここを基地にアメリカ西海岸やパナマ運河の攻撃を行うべきだった。一方先の大戦の緒戦において、陸軍は短時間でアジアへの進出を完了していますね。

福井 特にシンガポールの陥落は世界の戦史上、稀に見る成功です。ドイツの参謀本部は日本軍のシンガポール占領には五個師団で一年半掛かると考えていました。それをわずか五万人が一週間で成し遂げたのです。シンガポールやインドネシア等、近隣のアジアの国々を占領した後は、日本は漸減邀撃作戦を採る予定でした。これは守備範囲を日本周辺の狭いエリアに限定し、遠くからこのエリアにやってくる敵を、途中駆逐艦や潜水艦等で戦力を奪いながら待ち受け、弱って到着したところを撃破するもので、日本にとってはこれしかない作戦でした。ところが山本五十六は漸減邀撃作戦を無視して、真珠湾攻撃・ミッドウェー攻撃・ガダルカナル攻撃を行ったのです。

元谷 日本海海戦の再来を目論見、艦隊決戦による勝利を夢見たのでしょう。しかし時代は既に艦隊同士による砲撃戦ではなく、航空兵力による戦いに変わっていました。一九四一年のマレー沖海戦でイギリスの戦艦、プリンス・オブ・ウェールズを航空機だけで沈めることで、海軍は時代の変化がわかっていたはずです。なのに対応できなかった。

福井 山本五十六は自身も参加した日本海海戦のイメージから逃れられなかったのでしょう。アメリカ艦隊との決戦を求めて宇宙空間のように広大な太平洋を彷徨する、という最もやってはいけない選択をしてしまった。その結果、拡大してのびきった最前線に必要に満たない兵力を投入しては全滅するという、最悪のパターンをくり返すことになったのです。

元谷 一九四一年十二月の開戦直後に就役した戦艦・大和も時代に合わないものでした。危ない場所には出撃しない内に戦況が悪化、こんな艦が残っていては戦後の批判を浴びると、一九四五年四月に沖縄特攻を行って撃沈されています。三千人もの若い乗員を道連れにしたのが、なんとも痛ましいですね。

福井 大和は海軍のホテルとして機能しただけで、何の役にも立ちませんでした。しかし一度だけ最後を飾るチャンスだったのが、一九四四年十月のレイテ沖海戦です。マッカーサーが率いるアメリカ軍二十万人がレイテ島に上陸する瞬間を狙って、大和を突入させるという作戦でした。囮の小沢艦隊が敵を引きつけてレイテ湾はがら空きになったのに、栗田艦隊は結局突入しなかったのです。もしここで大和が突入して戦果を上げて沈んでいれば、戦史に名を残す偉業だったのですが。大和はレイテ湾においてこそ沈むべきでした。

唯一の被爆国・日本らしい
核保有の方法を模索すべき

元谷 やはり日本のターニングポイントは、北進を選択しなかったことだと思います。ドイツと日本がソ連を挟撃していれば、モスクワはドイツに占領されていたでしょう。

福井 確かに北進を選択すれば、歴史が大きく変わっていたでしょう。日本が第二次世界大戦で勝利を得る最大のチャンスだったかもしれません。

元谷 しかし実際には日本は南進を選択し結局戦争に負けて、アメリカの占領を受けることになり、今の日本の状況を生み出してしまいました。戦争は始めるのは簡単ですが、終わりを良く考えて始めなければならないですね。

福井 同じ負けでももっと上手く、名誉ある降伏ができたはずなのです。しかしアメリカにやられっぱなしで敗北してしまいました。日本がもっと効率よく戦ってアメリカに日本以上の損害を出させて負けていれば、現在のような卑屈な対米従属はなかったでしょう。

元谷 経済力=国力であり、長期戦になればこの違いが結果に決定的に影響します。それ故に戦争は回避しなければなりませんが、撃ってきたら撃ち返す姿勢と力は必要です。

福井 その通りだと思います。

元谷 ただ勝ったり負けたりの戦争が続いたヨーロッパとは異なり、日本は先の大戦まで対外戦争で負けたことがありませんでした。だからこの一回の敗北のショックが大きかったのでしょう。今に至るまで卑屈な精神が持続しているのです。例えば南京大虐殺のような事実無根の主張をされても、日本の外務省は反論することができません。

福井 それだけ戦争に負けるというのは恐ろしいことなのでしょう。主張する権利が奪われるのです。ナチスのユダヤ大迫害は揺るぎのない犯罪行為ですが、ドイツ国内では少しでもナチスの犯罪について疑義を挟むと罰せられるので、これまで過度に誇張され粉飾されてきました。その結果、やってもいないことまでドイツは批判され、ドイツ国民は反論できずに耐えています。日本も同じ敗戦国ですから、ドイツの問題は日本にとっても他人事ではない。今後の歴史研究でこの状態は変わるかもしれませんが。

元谷 六百万人もの人々をユダヤ人というだけで抹殺するというのは、日本人には考えられないことです。

福井 この六百万人という数字はその後の歴史の見直しで現在百五十万人に修正されていますね。いやこれでもまだ多すぎる、実際は三十万人だったという説も新たに出始めています。戦争に関して独壇場だったヨーロッパが、凄まじい破壊力で良きにつけ悪しきにつけ、この二百年の地球の歴史を支配してきたのは確かです。ただ核兵器が誕生したことで状況は変わりました。

元谷 最も安上がりで効果的な兵器が核兵器なのです。核は数の問題ではなく、持っているか持っていないかが全てです。外交交渉も核を保有している方が圧倒的に有利になります。

福井 北朝鮮が核を持ちたがったのも道理ですね。

元谷 その通りです。そしてアジアの要人と対談をしていると、彼らは皆、日本を潜在核保有国だと考えているのです。「持とうと思えば、すぐ持てるでしょ」と。そう思われているのであれば、例えば分解した部品を平時は保有していて、有事にはそれを組み立てると核兵器になるようにするとか、日本も何らかの核保有を考えるべきではないでしょうか。

福井 世界で唯一の被爆国・日本らしい核兵器の保有を模索するべきですね。

元谷 ただそれを実行できる強い政権がなかなか誕生しません。日本は先の大戦について謝罪を繰り返すのではなく、いろいろなことを総括して未来に活かすタイミングに来ているのです。他国の利益を奪い取る戦争を防ぐためには、どの国も侵略行為を行うことが必ずマイナスになるという体制を作らなければならないでしょう。それまではやられたらやりかえす姿勢を見せて抑止力を維持しないと。非武装中立が最も危険です。

福井 十九世紀のドイツの軍事学者、クラウゼヴィッツも戦争は政治の延長だと言っています。戦争を起こさないための国民の国防についての議論が非常に重要であり、日本はこれをタブーとすることを早く止めるべきです。

元谷 同感です。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。

福井 十九世紀のドイツの政治家・ビスマルクの「国家は敗戦によっては滅びない。滅びるのは、国民が国家の魂を失ったときである」という言葉を、若い人へのエールとして贈ります。

元谷 魂を失ってはいけませんね。今日は本当にいい話をありがとうございました。

福井 ありがとうございました。

対談日:2020年12月25日