韓国人による日韓論を再読
久しぶりに書棚を眺めていたら、金完燮氏の『親日派のための弁明』が目に留まった。二〇〇二年、雑誌『SAPIO』(小学館)でこの本のことを知った私は、早速読んでみて、内容に衝撃を受けた。著者である金氏にどうしても会いたくなり、その年の八月のお盆休みを利用して韓国・ソウルに飛び、金氏と対談を行った。この様子は二〇〇二年十一月号の本誌Apple Townのビッグトークに、「新しい日本への突破口。」というタイトルで掲載されている。金氏はソウル大学で物理学を学んだ秀才で、書いた書籍も非常に論理的にまとまっていて、事実を一つひとつ、きちんと調査をしている。かつては彼も反日感情を持っていたのだが、オーストラリアに住んでいた時にいろいろ調べて考え方が大きく変化し、この本を執筆したという。日韓関係が悪化している今、十七年前に韓国人が書いた本書の視点を改めて確認することに意義があると思い、ここに序文の一部を紹介する。
朝鮮と台湾は一〇〇年前、近代化がはじまる重要な時期に日本に支配を受けたという共通点を持っているが、こんにち、ふたつの国の日本にたいする態度はまるでちがう。台湾は政府であれ民間であれ日本にたいしてきわめて友好的な態度を堅持しながらよい関係を保っている。かたや韓国は持続的な反日教育の影響で、政府から民間レベルにいたるまで日本にたいしてはきわめて敵対的な態度を堅持している。両国がおなじ時代、おなじ性格の日本の統治を経験しつつも、このような相違が生まれた理由を問うてみると、たいていは台湾にたいする日本統治が朝鮮にくらべて一五年ほど長かったからではないか、台湾には日本統治以前に独裁的な王朝が存在しなかったためではないかという答えが返ってくる。
しかしこのような差異を勘案しても、南北朝鮮がみせている日本にたいする並はずれて敵対的な態度は簡単には説明できない。
韓国人がもつ反日感情の根底には、日本統治時代、朝鮮が多くの損害を受けたという被害者意識がひそんでいるようだが、日本人のほうは多くの恩恵を与えたと考えている。このように同じことについての認識がたがいに異なっているために、韓国と日本のあいだには深い感情の溝が生じることになった。韓国人にひろがっている反日感情の根本には、歴史学者たちによる恣意的な捏造と歪曲があり、これにもとづいた強力な反日教育と民族イデオロギー策動がある。
一九〇五年以降、日本にとっての朝鮮は植民地というより拡張された日本の領土という意味合いがより大きかったと思われる。当時、日本人は朝鮮と台湾を統治するにあたって、おおむね本土の人間と同じ待遇を与えた。とくに朝鮮にたいしては、大陸への入口という地政学上の重要性のために、むしろ本土以上の投資をおこない、産業施設を誘致するなど破格のあつかいをしたと考えられるのである。
ヨーロッパ列強にとっての「植民地」が遠く離れたところにある農場を所有するようなものだったとするならば、日本にとって朝鮮と台湾の統治は、隣の店舗を買いとって店を拡張するような行為だったといえる。韓国人の反日感情は、この点にたいする誤解からはじまっている。
ある人がソウルに住みながら、遠く離れたオーストラリアやニュージーランドに農場を所有していたとしてみよう。その人は現地に一定の投資をして収益をあげることだけに関心をもつだろう。しかし、自分の住まいであり職場でもある商店を経営する貧しい商人が、苦労して隣の店を購入することになったなら、その人は新しく手に入れた店を一生懸命改装し、すでにある店と合わせて相乗効果を得ようとするだろう。一九世紀末に台湾を、二〇世紀初めに朝鮮を併合した日本の立場は、まさにこのクモンカゲ[街角にある食品、飲料、日用品などを売る小さな個人商店。クモンは穴の意]の主人のようなものだった。
政府による歴史の歪曲だ
したがって、かつて日本が朝鮮に向けた善意をあるがままに受けとったなら、韓国人が日本にたいして悪い感情をもつことはなくなるだろう。すなわち韓国人のなかにある反日感情は、韓国政府の意図的な歴史の歪曲からはじまったものである。私は、歴史を歪曲しているのは日本ではなく韓国だと思う。これは国際社会の一般的な見方でもある。
私たちは歪曲された教育によって、韓日保護条約(一九〇五年)と韓日併合(一九一〇年)が日本の強圧によって締結されたものであると信じているが、事実はまったくちがう。日本と合併することだけが、朝鮮の文明開化と近代化を達成できる唯一最善の道であった点については、当時朝鮮の志ある改革勢力のあいだに暗黙の合意があったと思われる。この大韓帝国内部の強力な世論にしたがい、日本が合法的な手続きを経て統治権を接収したとみるのが妥当ではないだろうか。
みずから韓日保護協約締結を主導し、朝鮮の初代統監となった伊藤博文は、政治的、財政的に日本に負担になる朝鮮合併を望んでいなかった。合併は一進会など朝鮮の革命勢力が要請したことであった。安重根の伊藤元統監暗殺により日本の世論は急速に合併に傾いていったのだから、安重根は自分が望むのとは反対の「愛国」を実現したわけだ。
日本の統治により朝鮮は多大な発展をとげた。三〇年余りのあいだに一〇〇〇万足らずだった人口が二五〇〇万に増え、平均寿命は二四歳から四五歳にのび、未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌した。本土からは優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し、日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが建設された。一九二〇年代には日本への米輸出で財をなした大金持ちがつぎつぎとあらわれ、その基礎のうえに民族資本が成立することになった。
韓国人はこうした日本の貢献を認めようとせず、かりに認める人であっても、それが日本という外国の勢力によって他律的に生じた成果だという理由で、その意味を過少評価している。しかし、ふりかえってみると朝鮮は、人類の歴史上唯一無二の儒教原理主義社会であり、その戒律は、こんにちのイスラーム原理主義とは比較にならないほど精緻かつ厳格なものだったといえる。
過度な「過去の清算」
二〇世紀初め、外国の勢力による改革、それも日本統治による徹底した清算がなかったなら、こんにちの朝鮮半島は世界でもっとも遅れた地域のひとつにとどまっていただろう。となれば、日本時代は私たちによって幸運であり祝福であったということはできても、忘れたい、あるいは認めたくない不幸な過去だといえるはずはないのである。
私たちは戦後、朝鮮半島はふたつに分断されたが、日本は運良く分断をまぬがれたと考えてきた。統一を語るときも南北朝鮮の統一をいうだけで、日本や台湾との統一をいう人はいなかった。しかし、敗戦によって日本帝国は五つの地域に分割・占領されたのであり、朝鮮が南北に分断されたのではない。戦勝国にとって朝鮮半島は日本の領土のひとつにすぎず、かれらは日本帝国を韓国、北朝鮮、台湾、サハリン、日本の五つに分離し、それぞれ占領したのである。このなかでサハリンだけがいまだにロシアの領土になっていて、残りの四つは独立国となった。日本帝国が明治維新以後に獲得した領土を分離するということは戦勝国の論理であり、私たちが選択したのではない。もちろん日本が望んだものでもないから、これは明らかに強制的な分断といえよう。
日本は朝鮮との分断を望まなかった。戦後の独立の過程で、最低限、朝鮮半島とは統一国家を維持するべく努力したが、力のない敗戦国の主張は聞き入れられず、分断は固定化されてしまった。アメリカとソ連はそれぞれ南北朝鮮を分割・占領したのち、みずからの傀儡を統治者として座らせ、衛星国とした。したがって朝鮮半島分断の元凶、より正確にいえば旧日本の分断の元凶は、敗戦国だからといって、もともとひとつだった国を強制的にわけてしまったアメリカとソ連であり、分断を防ごうと努力した日本ではない。
私は幼いころ、『トラ、トラ、トラ』という戦争映画をおもしろくみた記憶がある。どこがそんなにおもしろかったのかよく覚えていないが、おなじ映画を二回ぐらいみたと思う。映画のなかの日本は、ハワイで平和に暮らすアメリカ人を奇襲攻撃した卑劣であくどい国として描かれ、私は日本の軍人を呪いながら、この映画の第二弾が出るのを待った。しかし、アメリカがみごとに日本軍をやっつけるという内容になるはずの続篇は何年待ってもつくられなかった。
歳月が流れ、最近『パール・ハーバー』という映画をみながら、私は日本軍を応援している自分を発見した。六〇年も前に大規模な空母艦隊を率い、地球の反対側まで出征して、アメリカの太平洋艦隊を叩きつぶした日本という国の偉大さに、私は感動し驚きを覚えた。
そのときは私たちも日本人であったし、私たちの父祖は日本人として戦争に参加した。当時は韓国人も日本を応援したのはまちがいないのに、なぜいまになってアメリカを応援しているのだろう。このような現実は、日本帝国の領土だった韓国と日本がこんにちまでアメリカに支配され、首枷をはめられてきた結果にすぎない。だから望ましいとか、当然のことだと考えるべきではない。
韓国政府によって行われている体系的な反日教育と、その結果生じた反日感情は、韓国社会においてもっとも重要な政治的イデオロギーとして機能している。分断いらい、韓国の政権を掌握した政治集団は体制維持のために、北朝鮮と日本という、ふたつの憎悪の対象をつくりだした。北朝鮮にたいする憎悪がある程度やわらいだいま、日本にたいするイデオロギー操作と反日策動は、これを利用する勢力の立場から、その必要性がより高まっている。しかし結局、反日策動は韓国にとって百害あって一利なし、みずからを害する行為である。我が国が国際社会の正当な一員として席を得るためには、必ずや一掃しなければならない旧時代の遺産にちがいない。
日本は明治維新以後、多くの偉業をなしとげ、日本だけでなく人類の歴史にも多大な貢献をした国である。このように輝かしい歴史をもっている日本が、いちど戦争に負けたために自分たちの歴史にプライドをもてず、みずからを虐たげている現実は悲しく、もどかしいこときわまりない。
こんにちの日本の問題は反省と謝罪がないということにあるのではなく、過去にたいする清算があまりにいきすぎたことにある。日本は戦後独立し、新しい国家を建設して経済大国になったが、その精神においては、依然アメリカの植民地の立場を抜け出せずにいる。
韓国を東アジアの孤児に
近年、日本でおきている歴史を見直そうという動き[「新しい歴史教科書をつくる会」などの運動をさす]は、まちがったことを正すという当然の動きであり、韓国でいう右翼の蠢動とはまったくべつものである。かれらは右翼ではなく、日本を愛する愛国者であるだけだ。近年の教科書騒動で韓国政府は、日本のこれらの運動にいいがかりをつけ、分別のないふるまいをして世界中に恥をさらした。これは当局と韓国国民のあいだに蔓延している低劣な歴史認識と利己的な考えに由来するものだ。
韓国は日本がこのような無礼な言動に正面きって対応しないからといって、これを根拠に自分たちが正しいと信じる愚を犯してはならない。日本の柔軟な対応は、正面から相手と対立することを避ける日本の文化から出たものであり、また長きにわたって凝りかたまった敗戦国としての自己卑下の習性によるものである。かれらの意思の表現が西洋スタイルだったなら、いまごろは日韓関係の葛藤がはっきりあらわれているだろう。
一九世紀末のヨーロッパ人の植民地征服に正当性を求めることはむずかしいが、日本のアジア進出には、世界精神を日本自身が具現するという側面が明らかに存在する。革命をとおして非ヨーロッパ地域で最初に近代的な社会制度を構築し、自律的にブルジョワ革命を完遂した日本の明治維新は、世界の歴史上、十分に奇跡といえるものだ。そしてそれ以降の日本の東アジア進出は、西洋帝国主義の侵略とはちがって搾取と収奪が目的ではなく、革命と近代精神を伝播しようとの意図が前提となっている。このような点において十分な正当性をもちうる。日本帝国は朝鮮と台湾で民衆を抑圧する旧体制を清算し、近代的な法の統治を実現させた。その結果、日本が統治する地域の住民は文明の洗礼をうけ、より人間らしい暮らしを享受できたのである。
破廉恥な歴史歪曲と反日策動は、結局は韓国を東アジアの孤児にしていくだろう。そしていつかは、だれもが忘れたいと思う恥ずべき過去となり、歴史の傷跡として残ることだろう。
このように金完燮氏が描き出す韓国の反日感情は、今も全く変わっておらず、むしろ文在寅政権によって煽られている状況だ。その感情の根源を知る意味でも、Amazonなどでこの金完燮氏の『親日派のための弁明』を手に入れて、改めて読む価値があると思う。
2019年8月23日(金) 18時00分校了