Essay

日米戦争はルーズベルトの世界大恐慌からの脱出策

藤 誠志

その内容から注目を集める「フーバー大統領回顧録」

  勝兵塾の講師である外交評論家の加瀬英明氏が代表をされている「史実を世界に発信する会」事務局長の茂木弘道氏から、新刊書「日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず」(勉誠出版)を送っていただいた。
 加瀬英明氏は序文でこう明言する。「第二次大戦は悲劇だったというよりは、人類史における未曽有の惨劇だった。日米戦争については、アメリカが仕掛けたものであって、アメリカに一方的な責任があった」。その根拠は「フーバーによれば、三年八ヶ月にわたった不毛な日米戦争は、『ルーズベルト(大統領)という、たった一人の狂人が引き起こした』と、糾弾している」からだと言う。また「フーバーは、ルーズベルト大統領が容共主義者であり、ルーズベルト政権の中枢が共産主義者によって、浸透されていることを承知していた」「フーバーは一九四一年六月、アメリカが第二次大戦に参戦した半年前に、ルーズベルト政権が第二次大戦に参戦しようと企てていることに強く反対して、ラジオ放送を通じてつぎのように訴えた。『もしわれわれが参戦することがあったら、スターリンが勝利を収めることに手を貸して、われわれの犠牲において、スターリンがヨーロッパの大きな部分を呑み込んで、支配下に収めることとなろう。そうなれば、大きな悲劇がもたらされることとなる』アメリカは、日本に理不尽な経済制裁を加えて、追い詰めることによって、この年の一二月に日本に第一発目を撃たせて、第二次大戦に参戦した」「フーバーは『日本はアメリカと同じ価値観を共有する国である』といって、『日本が戦後、朝鮮半島と台湾を領有し続けることを、認めるべきだ』とすすめ、また、『中国大陸からの日本軍の撤退は、できるだけ時間をかけて、ゆっくり行うべきである』と、提言した。しかしルーズベルトは暗号解読でわかっていた真珠湾攻撃を騙し討ちだとリメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)だと煽ったことで、アメリカの世論が日本に対する憎悪に湧き立っていたことと、軍部が強く反対したために、フーバーの提言は受け入れられなかった」という。序文の結びはこうだ。「『フーバー回顧録』は、読む者に近代史を見直すことを促している。二一世紀におけるきわめて貴重な文献であり、近代史に関心を持つ者にとって、必読の書となっている」。

歴史修正主義批判は誤り歴史には常に見直しが必要

 次に来るのが、茂木弘道氏、稲村公望氏、藤井厳喜氏の三名による鼎談だ。第一章「誰が戦争を仕掛けたのか」から、印象深かった部分をいくつか取り上げてみる。
茂木◎フーバーは原爆投下についても、アメリカの犯した過ちとして反省し、投下したトルーマンを批判している。
藤井◎アメリカが永遠に担う十字架になったとはっきり書いていますね。
稲村◎未だにアメリカ人は、「原爆を落とさなければアメリカの兵隊が多数死んだだろう」と言っていますけど、フーバーの記述では、マッカーサー将軍は「そんなことはあり得ない」と言っている。
茂木◎ウェッブ裁判長が、東京裁判は間違いであったというようなことをだいぶ書いているんですね。
藤井◎アメリカでレビジョニスト(歴史修正主義者)は批判の言葉です。レビジョニストというのは元々マルクス主義用語なんです。マルクス主義には絶対の真理がある、とマルクス主義者は信じている。だからレビジョニストというのは最悪の犯罪なんです。絶対真理を修正する事は許されないからです。でもわれわれは常に歴史を実証的に見直さないといけない。西洋のキリスト教社会には宗教裁判や異端審問という恐ろしい伝統があります。レビジョニストという言葉をさか上ると、こういう「正統と異端」の確執という、おどろおどろしい一神教の伝統にまで行き着きます。
藤井◎ソ連とナチスドイツを戦わせたらいいじゃないかというのは少数意見じゃない。ウェデマイヤー米陸軍大将も同じ考え方でした。彼は、イギリスについても、イギリスの伝統的な外交政策をチャーチルは否定したから駄目なんだ、と指摘している。ヨーロッパ大陸を単一の勢力が制圧しないように大陸の中を戦わせる、バランスを保たせるというのがイギリスの伝統的な外交政策なんです。
藤井◎ソ連にエサをやって、大きな怪物にしたのはアメリカだと言っても過言ではない。フーバーには、それに対するアメリカの反省と、自己批判があると思うんです。例えば、ウェデマイヤーの回想録にも全く同じ指摘があります。ウェデマイヤーで面白いのは、彼は、チャーチルがいかに戦争が下手だったかということを書いている。第二次大戦は、少なくともヨーロッパ戦線は、本来なら終戦の一年前の一九四四年に終わっていたはずだ、と。イタリアの戦争は一切いらなかった。ノルマンディー上陸作戦は一年前にできた。一直線にベルリンまで行けば全部終わりだった。
藤井◎ウェデマイヤー回顧録で書かれていることですが、ウェデマイヤーは軍の中枢にいて総動員計画を作らされるんです。アメリカの産業力を全部投入して総力戦をやる。命令が来たのは一九四〇年の一二月。ちょうどパールハーバーの一年ぐらい前です。もう一つ強烈な証拠があります。これは一般には知られてないんですが、JB‐三五五計画。アメリカの爆撃機が支那大陸から飛んで日本を爆撃するという計画が一九四一年七月一八日、陸海軍長官の連名で大統領に提出され、七月二三日に大統領がOKサインをした。これはアメリカの公的資料ですね。
茂木◎この件に関しては、アメリカの真珠湾攻撃五〇周年のときに、テレビのABC放送で放送されています。ロークリン・カーリーという大統領特別補佐官・中国担当が、この計画を進めていた中心人物です。要するにカーリーがコーディネーターとして、陸海軍の参謀に指示し案を作らせた。中国のどの基地から日本のどの都市を爆撃するか、詳細計画です。これはもはやオレンジプランとは違う。実行プランなんです。しかもそれを中国にやらせる。B−一七、一五〇機。なんとカーリーはやがてコミンテルンのスパイであったことが判明し、南米に逃亡しているんです。

 このような宣戦布告なき戦争を始める一方で、ルーズベルトは日本を暴発させるために準宣戦布告書であるハルノートを、アメリカの国民にも議会にも秘密のまま日本に突き付けた。日本はアメリカ国民の戦意を煽る真珠湾攻撃など行うべきではなかった。しかもルーズベルトは暗号解読によりこの攻撃を察知していたが、太平洋艦隊司令長官であるキンメル大将には伝えず、新鋭艦と空母を湾外に離脱させる一方、戦艦アリゾナをスケープゴートにするべく、ここに定員以上の兵員を集め、戦艦メイン号のように自爆の疑いのある謎の弾薬庫誘爆でアリゾナは沈没、真珠湾攻撃の戦死者約二千四百人のうちの半数はアリゾナ一艦で亡くなった。

ポーランドの独立保証が英仏を戦争に巻き込んだ

 この本の第二章は「過ったアメリカの政策」というタイトルで、『フーバー回顧録』で指摘されているアメリカが政治の大道から逸脱したという十九のポイントを取り上げている。
 第一の過ちは「一九三三年の国際経済会議の失敗」だ。一九二九年の大恐慌後の国際経済安定化のためにフーバー大統領が音頭をとって導入しようとした国際決済の金本位制を、後任のルーズベルト大統領がアメリカ一国の繁栄を目論んで潰したという。
 私が最も大きいと思う過ちは、第二の過ちとして挙げられている一九三三年のルーズベルトによる「ソ連承認」だ。それまで四人の大統領と五人の国務長官によって拒否し続けていた承認を行ってしまったことで、共産主義のばい菌がアメリカ中に広がったのだ。
 第三の過ちは「ミュンヘン融和の成功と失敗」だ。一九三八年、ナチスドイツのチェコのズデーデン地方の割譲要求をイギリス、フランス、イタリアがミュンヘンの会談で受け入れたものだ。このイギリス首相チェンバレンによる宥和政策は、チャーチルやその後の歴史家によって批判されているが、フーバーの評価は違う。藤井氏によると「ヒトラーはイギリスともあまり戦いたくない。ナチスドイツからすると、ソ連とやるのが思想的にも地政学的にも本来です。チェンバレン・大英帝国からすると、植民地は世界中にあるわけでしょう。ヨーロッパ大陸には英国の植民地はない。ドイツにソ連のほうを攻めてもらえば一番いいのであって、自分の植民地は温存できる。大変に合理的な選択だと思う。
 第四の過ちは、「英仏の『ポーランドとルーマニア』への独立保証」だ。一九三九年にイギリスとフランスは、ポーランドとルーマニアの独立を保証する。ドイツの侵略を防ぐ力がないのに保証したことで、両国は関係のないはずのドイツの戦争に巻き込まれてしまった。この保証がなければ、ソ連とドイツの戦いになっていたとフーバーは言うのだ。藤井氏は「フーバーは『英仏のボーランドへの独立の保証にフランクリン・ルーズベルトが関わったことは確かだが、十分な証拠がない』と嘆いていました。しかし確かな証拠が出てきました。イエジ・ユゼフ・ポトツキ駐米ポーランド大使が、『ルーズベルト大統領は、ポーランドの独立維持の為に、英仏側に立って参戦することを約束していた』と証言しています」と語っている。
 第五の過ちは「アメリカの宣戦布告なき戦争」だ。一九三九年七月二十六日のアメリカからの破棄の通知によって、一九四〇年一月二十六日に日米通商航海条約は失効した。これは「準宣戦布告」だという指摘だ。
 第六の過ちは「警戒心を持った忍耐政策を取らなかった事」だ。一九四一年のレンドリース法(武器貸与法)に基づき、アメリカはイギリス、ソ連、中国などに一九四五年までに総額五百一億ドルもの武器や物資を供給した。しかもこの法律では大統領の判断でアメリカの軍艦をイギリスが使用することもできた。フーバーは、イギリスに対しては経済援助に留めるのが、国際法の許容内だったと言う。また茂木氏は「本来、アメリカでは宣戦布告の権限は、大統領じゃなくて議会にあるんですね。議会が決定しないと、宣戦布告できない。それなのにこの法律だと、議会の承認なしで、戦争に関わる権限を大統領に与えていることになる」と指摘している。

フーバーも認める「日本の戦争は自衛戦争」

 第七の過ちは「ソ連共産主義を助けた事」。「アメリカの歴史の全史を通じてもっとも政治の大道が失われたのが、ヒトラーがロシアを一九四一年に攻撃したときに、共産ロシアを支援して、アメリカとロシアが非公然の同盟関係になったことである」と言う。結果「第二次大戦唯一の勝者がソ連とスターリン」(藤井氏)になってしまった。第八の誤りは「一九四一年七月の日本への経済制裁」だ。「一九四一年七月の日本に対する経済制裁。ルーズベルトの巨大な失敗ですね。失敗というより、意図的な戦争挑発です」(藤井氏)。「戦争開始する直前、世論調査をしたらアメリカ人の八五%が戦争に反対だったんですよ。だから、ルーズベルトは一貫して平和主義者として振る舞っている。チャールズ・ビーアドはそれをアピアランス(見せかけ)と表現しています。しかも選挙で公約までしてね。そうしたら自分からやるんじゃなくて、やらせる以外に方法はない」(茂木氏)。また「原文ではわずか五行だけど、日本の戦争は自衛戦争だった、と評価している」「アメリカに早く参戦してほしい三つの勢力があった。一人はソ連のスターリンですよ。もう一人はイギリスのチャーチル、最後に中華民国の蒋介石。三人がそれぞれ強烈にルーズベルト政権をつかんで、早く日本を追い込んで、日本に撃たせろと働きかけた」(藤井氏)のである。
 第九の過ちは「近衛が提案した条件を受け入れなかったこと」である。近衛の提案は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかし、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、拒絶した。
 第十の過ちは「日本との三ヶ月の冷却期間を拒絶した事」と続く。一九四一年十一月に日本から提案した冷却期間をルーズベルトは拒否し、その直後にフーバーも最後通牒だと認めるハルノートを日本側に手交している。ルーズベルトは三カ月経てば、日本は開戦に乗ってこないと考えたのだという。また三氏は通商破壊に触れ、本来海軍の目的は通商破壊とシーレーンの確保なのに、日本海軍の感覚は、商船破壊を程度の低いものと見て重視しないという非常識なものだったとしている。
 第十一の過ちは一九四三年一月の枢軸国に対する「無条件降伏の要求」だ。これにより結果的には戦争が長引いたとフーバーは指摘している。この後鼎談は八つの過ちと、第三章「戦争を引き起こした狂気」と続き、その後に三氏の小文が掲載されている。

ルーズベルトに戦争を求めた軍産複合体

 先の大戦後のルーズベルトやチャーチルへの高い評価を改めて見直す視点を、この本は与えてくれる。しかしこの本に書かれていないが最も重要な事がある。何故彼らは共謀して戦争を拡大させていったか。それはアメリカの軍産複合体が戦争特需を求めていたからだ。ヨーロッパの戦争をスターリンとヒトラーの戦いに留めておけば、悲惨な第二次世界大戦も戦後の冷戦も起きなかった。しかし一九三九年イギリス・フランスはポーランドとルーマニアへの独立を保障し、戦争となればルーズベルトはポーランドの独立維持の為に、英仏側に立って参戦することを約束していた。実際に、一九三九年九月一日にドイツがポーランドへ侵入し、戦争となったことで望んでもいない英・仏がドイツに宣戦布告することとなった、しかし、一九四〇年四月にドイツがオランダ・ベルギーに侵攻するまで、西部方面での戦争は無かった。
 アメリカは着々と戦争の準備を始め、一九四〇年九月二十六日に屑鉄の全面禁輸を発表し、十月には、歴史上初めて徴兵制を制定し、十一月にルーズベルトは三選を果たし、一九四一年三月には、武器貸与法(レンドリース法)を制定させ、八月一日に対日経済制裁として原油の全面禁輸を実施、これは実質上の宣戦布告と言える。イギリスやソ連に大量の軍需物資を提供し、ソ連を軍事モンスターにしてしまった。大いに潤ったのは、軍産複合体だ。これは大恐慌後の経済立て直しのためにルーズベルトが行ったニューディール政策の失敗の穴を埋めるために彼は戦争特需が必要だった。先の大戦以降もアメリカは軍需産業が求めるままに、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争を戦っていくこととなった。先の大戦での実質の敗北者は、ほとんど全ての植民地を失ったイギリスとアメリカの国民(兵士)だ。かつての大国が現在見る影もないのは、日本を戦争に巻き込んだチャーチルの判断の誤りの結果だ。ノルマンディー上陸作戦を一年間遅らせて、東ヨーロッパをソ連の支配下に置いてしまった罪も重い。独裁国家は国民が酷い目に合うことをいとわず、政権崩壊だけはなんとしても防ごうとする。ソ連はこの大戦で二千万人以上という膨大な人的被害を出しながら、莫大なアメリカからの軍事支援でドイツに勝利し、大国としての地位を確保したのだ。
 フーバーが「アメリカが永遠に担う十字架」と呼んだ原爆投下は、アメリカが自らモンスターにしたソ連の世界赤化を牽制し戦後の世界覇権を握る為に、何としても大東亜戦争中に完成させ実戦で使用しようとしたものだ。だから終戦を望む日本の唯一の条件だった天皇制の維持を曖昧にし、終戦を引き延ばすために、ポツダム宣言に一旦は入れた天皇制維持の項目を削除して戦争を長引かせ、その間に完成した二種類の原爆を広島、長崎に投下した。しかしその物凄い破壊力と悲惨さを現実に目にしてその投下の呪縛に囚われたアメリカは、日本が悪い国だったから正義の国・アメリカが原爆を投下して良い民主主義の国にしたというストーリーを維持するために、中韓が主張する南京での三十万人の虐殺や、二十万人を強制連行して性奴隷にしたという作り話をアメリカは否定しないどころか一緒になって合作した。戦後七十年経過した今、日本だけではなくルーズベルト、チャーチル、スターリン、蒋介石が何を考えて行動したのかを読み解くためには、この『フーバー回顧録』は非常に貴重な史料だ。
 戦争は非道なものであり、これを引き起こすのは、人の命の価値を重視しない軍需産業とその支援を受けた権力者だ。今の日本でもテレビや新聞の報道に頼らず、国民一人ひとりが自分の頭で考えて、日本が再び戦争に巻き込まれないようにしなければならない。そのために必要なのは力の均衡の維持なのだが、現行憲法下の日本は「いつでも襲ってください」と言っているようなものだ。核の傘を含む日米安保条約による日本の安全保障は、共和党の大統領候補であるトランプ氏が言っているように片務的であり、アメリカからもその在り方に疑問の声が出ている。撤退するアメリカと膨張する中国という情勢は、第三次世界大戦という冷戦に次ぐ第四次世界大戦は、米中の戦争であることを示唆している。これを防ぐためにもニュークリア・シェアリング協定を結び核バランスを取るか、レールガンやレーザー砲など先端科学技術を用いた兵器の導入を日本は急ぐべきだ。防衛力だけでは攻撃力の二十倍もの軍事力が必要となる。本来攻撃こそが最大の防御なのだ。攻撃的な兵器も保有できるように憲法改正を行うことは必須だろう。この議論を進め、アメリカとの新しい関係を築くためにも、先の大戦の真実を一人でも多くの人が理解する必要がある。まずこの『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』を一人でも多くの日本国民が読むことが重要だろう。また原本である『フーバー回顧録』の全訳が一日も早く日本で出版されることを望んでいる。

2016年2月22日(月)22時00分校了