二〇二〇一五年二月十日、恒例「日本を語るワインの会」が代表自邸にて開催されました。カリブ海に浮かぶ世界初の黒人共和国・ハイティ共和国大使のジュディト・エグザヴィエール氏、「ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ」などの著書がある財務省開発政策調整室長の池田洋一郎氏、河野洋平氏と朝日新聞社の国会喚問を求める「慰安婦の真実国民運動」の幹事長も務める新しい歴史教科書をつくる会副会長の岡野俊昭氏、アフリカでは二番目に古い独立国・リベリア共和国副領事のジョーゼフィーン・ビー・アレイド氏をお迎えし、日本や世界の未来について語り合いました。
 

ハイチとリベリアは黒人国家のパイオニアだ
ハイチは一八〇四年にフランスから独立、世界で初めて黒人の共和国として誕生した国だ。カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島の西部にあり、島の東部はドミニカ共和国になっている。海を隔てた北西にはキューバ、西にはジャマイカがある。北海道の三分の一程度の面積の国土に、約一千万人の人々が暮らしている。その後現在に至るまで、政治的・経済的な不安定さを抱えながらも、国内だけではなく世界中の黒人が誇りに思う国として存続してきた。二〇一〇年のハイチ地震と続くコレラの流行によって多数の死傷者が出るなど大きな損失を被ったが、その前から好調だった農業や観光業を中心に、今は経済が復調しつつある。この四年間にマリオットなど、世界有数のホテルが七つ、ハイチに建設されている。お土産にいいのは、一本四万円の香水「クリーダ」だ。バーティバという植物から採れたオイルによって作られている。またハイチの自慢は、九百キロメートルにも及ぶ海岸線だ。一九三一年に神戸に領事館を開くなど、ハイチと日本との関係は非常に古い。国際的にもハイチは常に日本側に立って、協力をしてきた。
ハイチから南に下った南米大陸にあるのが、コロンビアだ。百貨店などが非常に整備されている反面、庶民が住むエリアの荒廃ぶりは凄まじい。とにかく格差が激しいのだ。同じく南米のブラジルも安全な場所とそうではない場所がはっきり決まっている。「産業」としての「誘拐」も、つい数年前までは当たり前だったという。
アフリカの国・リベリア共和国も日本同様、植民地支配を受けていない。リベリアは日本の三分の一程度の国土に約四百三十万人が暮らす国で、十六の言語を持つ部族がいるが、公用語は英語だ。十九世紀初頭、アメリカから開放された奴隷の居住地として発展し、一八四七年にアメリカから独立した。初代大統領のジョセフ・ジェンキンス・ロバーツは、アメリカ生まれで二十歳の時にリベリアに渡った人物だ。アメリカへの憧憬からか、リベリアの国旗はアメリカそっくりだが、★は一つ。独立後、為政者達は自国の繁栄を軽視、アメリカへの憧れを引きずった政治を行ったのが国民には不幸だった。一九八九年から断続的に内戦が勃発、二〇〇三年にようやく和平合意が行われ、二〇〇六年からアフリカ初の民選の女性大統領・サーリーフ氏の下、着実に国の復興を行っている。
池田洋一郎氏は二〇一一年から三年間、世界銀行のバングラデシュ事務所、ワシントンの世界銀行本部に勤務するなど、海外で活躍してきた。また池田氏は官民協働ネットワークCrossoverを立ち上げ、官僚と民間の知恵を結集した勉強会を行っている。また国際政策についての対話の場として、各国の駐日大使を招いた勉強会も開催している。

日本の伝統文化の教育で日本はまだまだ発展する
日本に在住する外国人から見た日本の良さ、悪さとは何か。教育については、教員が生徒や学生に対して、包容力を持って接しているように感じるという。一方足りないのは、英語を使ったコミュニケーション教育だ。日本の強みの一つは、国民の結束力だ。これがあったために、先の大戦直後の焼け野原から、今のような繁栄を謳歌できる経済大国へとのし上がることができた。愛国心や人を思いやる気持ちなども、この結束力から出たものであり、国造りには最も重要な事だ。東日本大震災のような災害に見舞われても、集団で国や自治体の対応に抗議をしたり、暴動を起こして物を破壊する人は日本にはいない。一部批判はあるにせよ、外国人の目から見れば、東日本大震災の際の政府の対応は必要な資材を送ったり、人々を退避させたりと、非常にスムースだったと言える。世界の多くの国がこの日本の結束力を見倣うべきだろう。
日本にいる外国人から一つ日本へのアドバイスがあるとしたら、「もっとオープンになること」だという。これには世代間の断絶に関することと海外に対することの、二つの意味がある。日本では若年層と熟年層との断絶がある。ここをもっとオープンにして、この断絶を解消するべきだ。若い人が新しいものを追い求めつつも、日本の遺産を大切にすることが必要だ。日本人として自分達は根っこの部分で何に結びついているのか。これを理解させるには、教育を充実するしかない。日本の強みの一つとして、先の大戦までこの国を貫いていた日本本来のポリシーが、今でも残っていることがある。現在の日本を築くことができたのは、今の高齢者達の奮闘の賜物だが、彼らを突き動かしていたのは、その日本本来のポリシーに他ならない。このポリシーを含め日本の伝統文化が廃れつつある。これらをきちんと子供達に教え、国に対する誇りを植え付けることで、日本はまだまだ発展する。
海外に向けてオープンにとは、日本人はもっと海外でビジネスを行ったり、海外に投資すべきということだ。団結力など日本人としての良いマインドは保ちつつ、海外でビジネスを行うことは十分に可能だ。確かに日本の投資家やビジネスマンは「内向き」であり、海外進出について臆病だ。その理由の一つは、日本自体が安定して完成した社会になっていて、敢えて海外でリスクを取る必要がないということがある。例えば中国人は国内に激しい格差や混乱があるために、「希望」を求めてアフリカや世界に進出している。しかし日本は違う。列車は時間通りに運行され、三分遅れただけで謝罪のアナウンスが流れる。こんな国は日本だけだ。治安も良く、食べ物も美味しく衛生的だ。このような社会に暮らしている人々が、敢えて海外でリスクを取ることに臆病になるのは当然と言える。
アメリカの誇りを認めて戦後の呪縛を解除する
「昔の日本人」は代表の様だったのではないか。先の大戦末期に広島・長崎に原爆を投下したアメリカは、将来日本からこの人道に対する罪を追求されることを恐れた。そこで日本弱体化計画を策定、これに基づきアメリカや中国、韓国への批判を禁じた新聞編集綱領であるプレスコードを作り、東京裁判に始まる自虐史観を教える教科書を編纂させた。これらによって、最近の日本人は極めておとなしくなってしまっている。百田尚樹の小説『海賊とよばれた男』の主人公のように、自分で考えて、その中でリスクを取るのが本来の日本人なのだ。このプレスコードと教科書の呪縛をどう解くか。東京大空襲で十万人、広島・長崎の原爆投下で二十四万人、合わせて三十四万人が亡くなった。しかしアメリカが日本に原爆を投下することによって、世界赤化を推進していたソ連を牽制していなければどうなったか。第二次世界大戦中は軍需物資を送るなど、アメリカはナチスドイツと戦うソ連を支援したが、そのためにソ連は軍事的なモンスターになってしまった。そのままでは大戦が終結した直後に、アメリカとソ連が直接戦う第三次世界大戦が勃発し、一千万人を超える死傷者が出たはずだ。異教徒で有色人種という偏見もあったかもしれないが、日本に原爆を投下することで第三次世界大戦を冷戦に変えたという「自負」が、世界平和に貢献したという「誇り」がアメリカにはあるのだ。アメリカからの呪縛を解くためには、日本人がこのアメリカの誇りを認めることだ。その代わりにメディアはプレスコードによる自主規制を止め、教科書にも正しい歴史を書く時代を到来させるのだ
世界第二位への復活が日本の外交をも一変する
三十年後の日本は、かつての日本のように誇りを取り戻した立派な国なっているはずだ。日本にとっての「底」は、六年前に「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀藤誠志賞を獲得した航空幕僚長の田母神俊雄氏が更迭された騒動の時だろう。これを機会に多くの人が真実を知り、保守となり、安倍晋三氏が首相として再登板することができた。この先、安倍政権が長期政権となり、東京オリンピックが開催されれば、日本は一気に世界第二位の経済大国へと復活できるだろう。一方中国はかつてのソ連のように、いくつかの国に分裂する。日本にとって重要なのは、やはり経済力だ。世界第二位の経済大国だった時には、中国も韓国も文句を言わずに日本に擦り寄ってきていた。元台湾総統の李登輝氏も指摘していたが、日本の経済状況が悪化したのは、アメリカの策略による円高が原因だ。これを理解していた安倍首相は、すぐに円安政策を採用した。
 日本は神武天皇以来、二千六百七十五年の歴史を誇る国だ。その根幹にある神道は、経典も教義もなく、ただ大自然に敬虔なだけ。海でも山でも、偉大なものに頭を垂れる宗教だ。さらに大陸から伝わった仏教の広い宇宙観が神道の世界観と融合して、日本独自の寛容な精神を生み出している。歴代の中で贅沢をした天皇はいない。地政学的にも、日本海という防護壁があることによって、日本は必要なものは受け入れるが、不要なものは拒絶してきた。大陸から来た稲作の技術によって、大勢の人々が飢えから救われるようになった。だから天皇は稲作を非常に重視しているのだ。一方、隣国と国境を接している大陸国の「殺るか殺られるか」という殺伐とした感覚は、日本には流入もせず、育まれもしなかった。
ホテル社長は早稲田大学博士課程を修了した。取り組んでいる博士論文のテーマは、自らが実践してきた三十年に及ぶホテル経営についてだ。実際のデータもふんだんに盛り込んだ論文を作成している。また東京国際大学の客員教授も務めていて、「恋愛論」から始まる授業は大人気だ。登録している学生は約百名で、今季はその内七十名が単位を取得できた。授業をとった学生の中から八名がアパグループの採用試験を受け、四名が合格している。