様々な業界とコラボした質にこだわる睡眠ビジネスで、日本人の睡眠に対する意識を変えていく。
アパグループ 専務 元谷 拓
1970年生まれ。東海大学海洋学部船舶工学科卒業後、1993年4月西川産業株式会社入社。営業企画室室長、取締役上席執行役員営業統括、執行役員西日本営業統括などを歴任し、2026年2月より現職。
四百六十年の歴史を誇る
元谷 本日はありがとうございます。西川株式会社は長い歴史の中で、時代の流れを捉えて変化して、現在に至った企業だと私は認識しています。まずは歴史のお話からお聞かせいただけますか。
竹内 当社は一五六六年、室町時代に近江国(今の滋賀県)で創業しまして、今年で四百六十周年を迎える企業です。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の精神で知られる近江商人の行商が原点となっています。西川家初代の仁右衛門は数えの十八歳で商売を始めたのですが、最初に扱っていたのは蚊帳などの生活用品でした。実は当社が寝具を扱うようになったのは、一八八七(明治二十)年からのこの百四十年で、長い歴史の中では三分の一ほどの長さしかありません。当時、近江の産品といえば麻の織物で、これを天秤棒で担いで能登半島の方へ売りに行き、口銭で能登の海産物を買って、これを近江に持ち帰ってまた商売をしていました。ですから、石川県小松市発祥のアパグループとは、何か御縁を感じていたりしますね。一五八七年に行商人だった仁右衛門は、近江八幡に店を設けました。
元谷 御縁は本当にそうですね。かなり長く近江で商売をされていたのでしょうか。
竹内 政権が豊臣から徳川に完全に移行した一六一五年、近江から江戸に数軒の商人が招致された中に仁右衛門が入っており、日本橋に二店舗目を構えました。当時は畳表を扱ったり、店をM&Aのような形で購入することで弓を扱ったりして、徳川幕府に協力しながら江戸庶民の暮らしを良くするための商売をして、繁栄していきました。
元谷 四百六十年というのは、本当に長い時間です。そこまで商売が長く続いた理由は、何なのでしょうか。
竹内 やはり「三方よし」で、本当に世の中のためになることを行うという商売の原点の下、こつこつと積み上げてきたものが、この四百六十年の歴史になっていると思います。寝具に関してですが、明治初期まで、着古した着物の中に綿を詰めたりして、布団というものは人々が自分たちで作るものだったのです。それを商業化したのは、当社が最初だったといわれています。
高機能マットレス[エアー]
元谷 そして今は単に寝具というだけではなく、睡眠を扱う企業という印象が強くなっています。特にマットレスの[エアー]は、大谷翔平選手も愛用しているということで、強く印象に残っているのですが。
竹内 ありがとうございます。コンディショニングマットレス[エアー]は、二〇〇九年に発売した商品です。「点で支える」という謳い文句の通り、表面が凹凸構造になったクッション性に優れたウレタン素材が睡眠時の体圧を分散、さらにベース部が体をしっかり受け止めて、自然な寝姿勢をキープすることができます。通常のマットレスであれば、シングルサイズで六百個程のコイルが体を支えるのですが、[エアー]では千八百六十個の点が支えます
(シングルサイズの場合)。また通気を促進する構造となったウレタンが、湿気や汗を拡散・放湿して、睡眠中の不快感を軽減、これらの機能によって睡眠の質を上げることができるのです。当社では一九八四年に日本睡眠科学研究所を設立、ここでの研究成果として、[エアー]の構造自体は先に開発されていました。当初は比較的高齢者の方が寝ていて腰が痛いとか、肩がこるなどの症状を緩和する商品として販売していました。しかし素晴らしい機能性があるにもかかわらず、それがなかなか生活者に伝わりにくかった。店頭で説明して、実際に使ってもらってやっとわかるという状態でした。
元谷 [エアー]として発売される前に、技術が先行して存在していたのですね。
竹内 一方会社自体にも、特に若い人からの「nishikawa」の認知度が落ちているという課題が表面化していました。当時当社は百貨店のウエイトが高く、ライセンスを受けたブランドの寝具商品を製造することが多かったのです。売上に対して数%のロイヤリティを支払うというビジネスで、売上自体はかなりの規模だったのですが、この形ですと売上が伸びても当社の知名度が上がっていきません。私がマーケティングを担当していたのですが、上層部と話し合って、ライセンスブランドを減らし自社ブランドに注力するという、方向転換を決めたのです。
元谷 その自社ブランドが[エアー]だったと。
竹内 はい。発売にあたっては、様々な工夫を行いました。まず商品としては、睡眠の質を向上させる機能をわかりやすく伝えることが重要でした。現会長はランニングが趣味なのですが、たまたま前を走っている人の靴の裏を見たところ、機能がわかるように色を変えている部分があったのです。そこで思い起こしたのが、江戸時代の寛永年間に西川家二代目の甚五が開発した、萌黄色の生地に紅布の縁を施した「近江蚊帳」のことです。この斬新な色の蚊帳は癒し効果があると大ブームになり、nishikawaの初の大ヒット商品になりました。この二つのことから、[エアー]は側生地に隠れるウレタンの部分にも、機能がわかるようにカラーリングを行いました。また、競技でのパフォーマンスのために、睡眠を重視するスポーツ選手を広告キャラクターとして起用しました。初代は女子プロゴルファーの有村智恵さんです。有村さんが好んで着ていたウェアの色がピンクだったので、この色の側生地の[エアー]も発売しました。さらに、カバーも寝具によくある白やベージュではなく、色を多用したデザインを採用しました。
元谷 [エアー]の広告には、有村さんから始まって、数多くの有名スポーツ選手を起用してきていて、今はサッカーの久保建英選手が登場しています。また大谷翔平選手はもう十年、[エアー]の広告に登場しています。大谷選手との最初のきっかけは、なんだったのでしょうか。
竹内 大谷選手はプロになった頃から[エアー]を愛用していて、気に入ってもらっていました。それがきっかけとなり、広告キャラクターの契約をしたのは、二〇一七年です。大谷選手に、昼間のパフォーマンスを発揮するためには睡眠が大切だという発信をしてもらったのは、当社にとっても非常に大きなインパクトがありました。
広がり続ける商品領域
元谷 竹内さんは、この二月に社長に就任されたばかりです。新卒で入社された生え抜きの社員が社長に就任するのは、西川株式会社の歴史上初めてとお聞きしています。
竹内 これまでは西川家からか、外部からの人が社長を務めていたのですが、確かに生え抜きとしては私が初めてです。私の特徴として最も大きいものは、一通り現場を知った上で、経営に携わっていることでしょう。これまでのキャリアの中では、単なる眠りのための道具を売る商売から、[エアー]のように睡眠の質にスポットを当てた商売への事業の拡大に始まり、直営店や商品ラインナップを増やしてきたことが、私の強みになるのではないかと考えています。
元谷 商売を広げてきたのですね。
竹内 例えば、[エアー]の寝具以外での活用としては、これを内蔵したリラクシングソファを家具メーカーとのコラボで開発したり、ANAの海外路線のビジネスクラス、ファーストクラスのシートに、[エアー]を導入したことが挙げられると思います。調査をするとビジネスクラスやファーストクラスでは、七割の時間がシートをフラットにして使用するのです。であれば、眠るために適したものをということで、[エアー]の採用が決まりました。また、先程ご紹介した日本睡眠科学研究所では、睡眠の質を良くするための研究を続けてきており、膨大なエビデンスが蓄積してきています。最近では心拍、呼吸、体動を感知するセンサー機能を搭載、睡眠の質が脳波測定に近いレベルでわかるマットレスも開発しました。今後はこういった睡眠データを基に、様々な業界の皆様とコラボして、寝具という枠にとらわれない、質にこだわる睡眠ビジネスを展開していきたいと考えています。
元谷 睡眠の質の測定が進化していますね。
竹内 さらに、日本睡眠科学研究所では「ちょっと寝ルーム」を提案しています。OECD(経済協力開発機構)の二〇二一年の調査で、加盟国平均の睡眠時間が約八時間半なのに対して、日本の平均睡眠時間は七時間二十二分で、加盟国中最下位でした。日本人は睡眠時間が短いことを自慢するような文化を形成してきたのではないかと、私は考えています。この延長線で、昼に仮眠を取ることをサボりと同一視する風潮があります。しかし、海外ではスペインのシエスタをはじめとして、昼寝をする文化があります。日本睡眠科学研究所の研究でも、昼の十二時~十五時に十五分~二十分程度の仮眠(パワーナップ)を取ることは、集中力や作業効率など仕事のパフォーマンスを向上させることがわかっています。この知見を活かした「ちょっと寝ルーム」は、心地よいベッドに加え、温度や湿度、香りや音、光をコントロールして、効率の良いパワーナップ環境を実現するものです。スポーツの世界にもパワーナップは広がっていて、この「ちょっと寝ルーム」をいくつかのプロ野球球団も導入しています。さらに「ちょっと寝ルーム」についての、当社への問い合わせや見学も増えています。この機に、パワーナップの文化を日本に定着させていきたいですね。
安打数が多いことが重要
元谷 竹内さんが日頃、社員に伝えていることはどういうことでしょうか。
竹内 冒頭にお話したように、当社の四百六十年の歴史は、本当に挑戦の連続でした。行商からスタートして近江八幡に店を作り、幕府が移ると江戸に出て、商品も蚊帳から始まり、畳表から弓などに、さらに明治からは寝具に変えたり、商売形態も行商から店舗にと時代に合わせて改革を続けてきたことで、今のnishikawaが存在しています。この挑戦を今後も継続していきたい。ただ成功する確率は、当然そんなに高くはありません。大好きな野球の例でお話すると、打率五割のバッターが二回しか打席に入らず一本のヒットを打つことよりも、打率二割のバッターが十回打席に立って二本のヒットを打つ方が、私は営業として価値があると思っています。確率を上げることも大切ですが、まずはやってみて、場数を踏むことが大切です。そして当社を、失敗を非難するのではなく、挑戦を称える組織にしていきたい。もう一つ、私の「座右の銘」のように語られているのは、進化論のダーウィンが言ったとされる「唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」という言葉です。世の中の動きが非常に早い時代だからこそ、変化に対応していかなければならない。今あることを守ることも大切なのですが、新しいチャレンジが無くなったら、企業の成長はないと思っています。ですから社員には、とにかくバッターボックスに立って欲しい。そしてバットを振って欲しい。さらに自主性ではなく主体性を持って、自分で目標を持って、その目標達成のために行動して欲しいと考えています。当社は全面的に、社員の挑戦をサポートしていきます。
元谷 素晴らしいお考えだと思います。今日は本当にありがとうございました。
竹内 ありがとうございました。